八話 紅蓮を貫く一筋の銀
夜会の喧騒から数日。レオは気分転換にと、リッカを連れて王宮の離れにある「静寂の庭」へと向かっていた。しかし、その静寂はあまりにも不自然だった。
庭園の入り口を抜けた瞬間、周囲の空気が粘りつくような違和感に包まれる。
「──リッカ、僕の後ろへ!」
レオが鋭く叫ぶと同時に、四方の植え込みから黒装束を纏った集団が飛び出した。ボルドー一派の残党、そしてフローズン王国の紋章を隠しもせず帯びた隠密部隊。属性の異なる二つの影が、今、リッカとレオを包囲していた。
「レオニダス殿下、あなたの傲慢もここまでだ。この『禁魔の結界』の中では、あなたの誇る紅蓮の炎もただの火種に過ぎない!」
刺客の一人が掲げた魔道具が、禍々しい紫色の光を放つ。その瞬間、レオの周囲から熱気が失われ、彼が放とうとした炎の渦が霧散した。
「……っ、魔力を吸い取る古代遺物か。ボルドーめ、往生際の悪い」
レオは舌打ちし、魔法を使わずとも剣を抜こうとするが、刺客たちは容赦なく毒を塗った投剣を放つ。レオは咄嗟にリッカを庇い、その肩に一本の刃が突き刺さった。
「レオ様!」
「気にするな……、かすり傷だ。だが……っ」
毒の影響か、レオの膝が折れる。火の国の太陽と呼ばれた男が、目の前で崩れ落ちようとしていた。
「ははは! 炎の王子も毒には勝てぬか。まずはその無能な女から血祭りにあげてやる!」
フローズンの刺客が、冷酷な笑みを浮かべてリッカへと肉薄する。
リッカの視界が、怒りと恐怖で真っ白に染まった。
自分を守るために毒を受け、今も苦しんでいるレオ。フローズンで蔑まれていた自分に、初めて「美しい」と言ってくれた人を、ここで失うわけにはいかない。
(お願い……私の力……。もし本当に私の中に何かがあるなら……動いて!)
リッカが強く拳を握りしめた瞬間、心臓の奥底で凍りついていた何かが、レオから与えられた「熱」に触れて一気に結晶化した。
「──汚れた手で、彼に触れないで」
リッカの指先から、目に見えぬ「波動」が放たれた。
「二の花・不香風花」
刹那、庭園の音が消えた。
リッカを中心に放たれた無色の風が刺客たちを通り抜けた瞬間、彼らは自らの絶叫さえ聞こえなくなり、視界は闇に閉ざされ、地面を踏みしめる感覚すら失った。五感を完全に断たれた男たちは、糸の切れた人形のようにその場に立ち尽くし、虚空を掻き抱く。
「な……んだ、これは……?」
レオが驚愕に目を見開く中、リッカの覚醒は止まらない。彼女の両手から、この世のものとは思えないほど美しい銀の光が溢れ出した。
「三の花・霏霏蕭蕭細雪」
晴天の夜空から、音もなく細かな雪が降り注ぐ。
その一片が刺客の肩に触れた瞬間、男の魔力が吸い取られ、体温が急激に奪われていく。雪は降れば降るほど、戦場に満ちていた殺意を静寂へと変えていく。魔道具から放たれていた紫の光すらも、銀の雪に覆い尽くされ、その機能を停止させた。
「……あ、ああ……」
刺客たちは抵抗する術もなく、心地よい「冬眠」へと誘われるように、一人、また一人と静かに雪の上へ崩れ落ちていく。
全ての敵が氷の彫像のように動かなくなった時、リッカは力なくその場に膝をついた。
「レオ様……無事、ですか……」
「リッカ……、君は……」
レオは麻痺した体を引きずり、リッカを強く抱き寄せた。彼の視線の先では、先ほどまで猛威を振るっていた刺客たちが、死んでいるのではなく、ただ「静かに眠らされて」いた。殺すことではなく、無力化し、守るための魔法。
「素晴らしい……。こんなに優しくて、冷酷で、美しい氷は見たことがない」
レオの肩にかかっていた毒の回りが、リッカの冷気によって一時的に凍結され、沈静化していく。レオはリッカの首筋に顔を埋め、熱い吐息を漏らした。
「リッカ……やはり君は、僕が見込んだ通りの『宝石』だ。……もう誰にも、君を無能だなんて言わせない。この力こそが、真の王者の輝きだ」
リッカはレオの胸の中で、初めて自分の内側に宿る「六花」の存在を確かに感じていた。
それは復讐のための力ではなく、この温かな太陽を守るための力。
しかし、リッカの指先に宿った銀の輝きは、遠く離れたフローズン王国の水晶を激しく共鳴させていた。
「……リッカ? まさか、生きているの……?」
王座に座るエライザが、自らの刻印が薄く剥がれ落ちるような感覚に襲われ、恐怖に顔を歪ませる。
本当の「氷の王女」の物語が、今、ここから始まろうとしていた。




