七話 迫り来る影
フレア王国の夜会は、文字通り「火」の祭典だった。
王宮の舞踏会場には、数千の魔法の灯火が揺らめき、壁に掛けられた真紅のタペストリーを黄金色に照らしている。フローズン王国の夜会が、静謐で冷徹な美しさを尊ぶ「静」の場であるならば、ここは人々の情熱と活気が渦巻く「動」の場であった。
「リッカ、顔色が優れないようだが、大丈夫かい? 暑すぎるのなら、テラスへ出ようか」
隣を歩くレオが、心配そうにリッカの顔を覗き込んだ。
リッカはレオから贈られた、夕焼けのようなグラデーションが美しいドレスを纏っていた。胸元には大粒のルビーが輝き、彼女の透き通るような白い肌を際立たせている。
「いいえ、レオ様。ただ……これほど多くの視線に晒されることに、まだ慣れなくて」
リッカが囁くように答えると、レオは彼女の腰を引き寄せ、守るように腕を回した。
その仕草は、周囲の貴族たちへの「彼女は僕のものだ」という無言の威嚇でもあった。
しかし、レオの懸念通り、会場には歓迎の空気だけが流れているわけではなかった。
フレア王国は実力主義の国だ。第一王子であるレオの絶大な魔力と冷徹な政治手腕に心酔する者が大半である一方、その苛烈さを疎む反乱分子も水面下で蠢いている。
「──おやおや、レオニダス殿下。そちらの方が、噂の『氷の亡命者』ですか」
低い、粘りつくような声が二人を呼び止めた。
現れたのは、フレア王国の重鎮の一人、ボルドー侯爵だった。レオの叔父にあたる人物だが、古くから王位継承権を巡ってレオと対立していることで知られている。彼の背後には、同じ志を持つであろう数人の貴族たちが、冷ややかな笑みを浮かべて控えていた。
「侯爵、僕の客人にその呼び方は失礼だろう。彼女はリッカ。僕が最も信頼し、守護を誓った女性だ」
レオの声から温度が消える。しかし、ボルドー侯爵は動じることなく、リッカを値踏みするように舐め回した。
「失礼いたしました。しかし殿下、我が国の民は不安がっておりますぞ。属性の相性も最悪な、魔力を持たぬと言われる『石ころ』のような女を王宮に招き入れ、あまつさえ次期王妃の座に据えようとしていると。……これは我が国の『力こそ正義』という伝統に対する侮辱では?」
リッカの肩がびくりと跳ねた。
フローズン王国で受けた屈辱が蘇る。どこへ行っても、自分は「魔力なき無能」というラベルから逃げられないのか。
「ボルドー、言葉に気をつけろ。彼女には、君たちには計り知れない価値がある。それを理解できないのは、君の目が曇っている証拠だ」
「価値、ですか。ならば証明していただきましょう。この夜会の余興に、彼女の魔力を披露していただくのはいかがかな? もし一片の火も、氷も出せぬというのであれば……殿下、あなたは国益を損なう『無能な女に溺れた愚王』として、その地位を退いていただく必要がある」
会場の空気が一変した。
これは単なる嫌がらせではない。リッカを公の場で晒し者にし、彼女を守ろうとするレオの権威を失墜させるための、周到に用意された政治的な罠だった。
「わ、私は──」
リッカが反論しようとする前に、レオの魔力が周囲の空気を歪ませた。
ドクン、とリッカの心臓が波打つ。レオの体から放たれる熱が、優しさから、すべてを焼き尽くす「破壊の予兆」へと変わった。
「ボルドー……。僕の慈悲を、無能さゆえの甘さと勘違いしたようだな」
レオがゆっくりと一歩踏み出す。
その瞬間、会場の灯火がすべてレオの魔力に引き寄せられるように激しく燃え上がり、壁の石材が熱でみしりと鳴った。
「……ひ、ひっ……」
ボルドー侯爵の顔が、恐怖で引き攣る。レオの瞳は、もはや黄金色ではなく、燃え盛る白熱の光を放っていた。
「僕がリッカを選んだことに、不服があるのか? 彼女を侮辱することは、僕の意志を否定することだ。僕の意志を否定することは──このフレア王国そのものへの反逆と見なす」
「で、殿下、これはあくまで国を思っての……!」
「黙れ」
レオが手をかざすと、ボルドーの足元の絨毯が一瞬で黒焦げになり、火の手が上がった。
レオは冷徹な、まるで感情の欠落した機械のような無機質な声で続けた。
「君が明日、生きて太陽を拝めるかどうかは、僕の気分次第だ。……兵士、ボルドー侯爵とその一派を拘束しろ。罪状は反逆罪、および王族への不敬。地下牢へ放り込め。……処刑の準備は、追って沙汰する」
「な、……そんな暴挙が許されると……!」
ボルドーたちが連行されていく間、会場は水を打ったような静寂に包まれた。レオの圧倒的な力と冷酷さを目の当たりにした貴族たちは、一様に震え上がり、目を逸らした。
リッカは立ち尽くしていた。
自分を守るために、レオがこれほどまでの苛烈さを見せるとは思わなかった。
「……レオ様」
リッカがおずおずと彼の腕に触れる。
レオの魔力が、スッと収束していった。彼は振り返ると、先ほどまでの冷徹さが嘘だったかのように、切なげで、縋るような瞳でリッカを見つめた。
「……怖がらせてしまったかい、リッカ」
彼の掌はまだ熱く、僅かに震えていた。
「君を侮辱する奴らが、許せなかったんだ。……僕は、君を傷つけるすべてのものを、灰にするためにこの力を使っている。君にだけは、こんな僕を嫌ってほしくないけれど」
リッカは、レオの胸にそっと顔を寄せた。
彼のやり方は、確かに恐ろしいものかもしれない。けれど、フローズン王国では誰一人として、リッカのために怒り、戦ってくれる者はいなかった。
「嫌うはずがありません。……レオ様が、私のために怒ってくださったこと。それが、少しだけ……嬉しいと思ってしまった私は、悪い人間でしょうか」
「……リッカ」
レオはリッカを強く抱きしめた。
会場の視線など、もう彼には関係なかった。
しかし、リッカの心には、ボルドーが放った言葉が深く突き刺さっていた。
(魔力を持たぬ、石ころ……。今のままでは、私はレオ様の足を引っ張るだけの存在になってしまう)
レオの腕の中で、リッカの手の甲が微かに疼いた。
その「疼き」が、眠っていた氷の魔力が覚醒する予兆であることに、彼女はまだ気づいていない。
***
一方、その頃。
雪に閉ざされたフローズン王国では、女王エライザが苛立ちを募らせていた。
リッカを追放して以来、国を護る氷の結界が不安定になり、異様な魔力の減少が始まっていたからだ。
「リッカが、火の国に拾われた……? ゴードン、今すぐ刺客を送りなさい。あの『無能』が、他国で平穏に生きることなど、万に一つも許してはならないわ」
暗雲が、二つの王国を飲み込もうとしていた。




