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五話 黄金の宮廷

 パチパチと、小気味よい音が鼓膜を叩く。

 それは凍てつく吹雪が窓を叩く音ではなく、乾いた木材が火に焼かれ、命を燃やす音だった。

 リッカは重い瞼をゆっくりと押し上げた。

 視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど高く、豪奢な天井だった。深紅のベルベットの天蓋が揺れ、部屋全体が柔らかな琥珀色の光に満たされている。


「……ここは、どこ……?」


 掠れた声を漏らし、リッカは上体を起こそうとした。しかし、全身を包む重だるい倦怠感に阻まれ、シーツの上に沈み込む。その肌に触れる生地の滑らかさに、リッカは息を呑んだ。フローズン王国の最高級の絹よりもなお温かく、ふんわりと空気を含んでいる。


「あまり急に動かない方がいい。君の体は、まだ芯まで冷え切っているんだから」


 聞き覚えのある、低く甘い声。

 リッカが視線を巡らせると、ベッドの傍らに置かれた椅子に、あの男が座っていた。

 雪山で彼女を救い上げた男、レオ。

 旅装束を脱ぎ捨てた彼は、金の刺繍が施された深紅の家衣ローブを纏っていた。逆光の中に浮かび上がる彼のシルエットは、この部屋の主としての圧倒的な存在感を放っている。


「……レオ、様……」

「ああ、目が覚めたか。気分はどうだい?」


 レオは椅子を引き寄せ、リッカの額にそっと手を触れた。

 その掌から伝わる「熱」に、リッカは思わず身体を強張らせる。しかし、彼は逃がさないと言わんばかりに、指先を優しく彼女の髪へと滑らせた。


「まだ少し熱があるな。氷の国の人間が、あれだけの無茶をしたんだ。本来なら、命を落としていてもおかしくなかった。……君は、本当に強い女性だね」

「……あな、たが……助けて、くれたのですか……?」

「僕が君を放っておくはずがないだろう」


 レオは傍らに置かれた銀のトレイから、湯気の立つカップを手に取った。

 リッカの背中に枕を差し入れ、上体を支えながら、ゆっくりとその飲み物を彼女の唇に運ぶ。


「これは、炎晶石の熱を宿した特製のハーブティーだ。内側から温めてくれる」


 言われるがままに一口含むと、喉から胸の奥にかけて、優しい温かさが広がった。フローズン王国では、温かい飲み物でさえ「冷えない程度」に保つのが美徳とされていた。こんなにもダイレクトに「熱」を流し込まれる経験は、リッカにとって初めてのことだった。


「……ここは、フレア王国……なのですか?」


 リッカの問いに、レオは静かに頷いた。


「そうだ。火の国、フレアの王宮。そしてこの部屋は、僕の私室だよ」


 リッカは目を見開いた。「王宮」という言葉、そしてこの贅を尽くした部屋。何より、彼の纏う空気。


「旅人だと……仰って、いましたわ。でも、あなたは……」

「嘘をついたつもりはない。あの時は、確かに国境を巡察する旅の途中だったからね」


 レオはカップを置くと、優雅な動作で立ち上がり、窓の外を指し示した。

 そこには、フローズン王国の青白い景色とは真逆の世界が広がっていた。街は黄金色の灯火に照らされ、夜だというのに活気に満ちている。赤レンガの建物が並び、至る所で暖炉の煙が空へと昇っている。


「改めて名乗らせてほしい。レオニダス・フレア。このフレア王国の第一王子だ」


 心臓がドクンと跳ねた。

 レオニダス・フレア。その名は、フローズン王国でも「紅蓮の暴君」あるいは「冷徹なる太陽」として恐れられていたはずだ。圧倒的な火の魔力を持ち、近隣諸国を力で屈服させる若き天才王子──。


「第一……王子……。そんな、お方が……なぜ、私のような者を……」


 リッカの顔から血の気が引いていく。

 フローズンとフレアは、歴史的に見れば水と油、決して相容れない敵対属性の王国だ。しかも自分は、自国から「無能」として捨てられた身。政治的な価値など、微塵もない。


「フレアの王子が、フローズンの捨てられた王女を助けて、何の得があるのですか? 私はもう、第一王女ですらありません。魔力も持たぬ、ただの放逐された石ころなのです」


 自嘲的な言葉を吐き出したリッカを、レオはじっと見つめた。

 彼の黄金の瞳が、僅かに細められる。


「得があるかないか、で僕が動くと思うかい?」


 レオは再びベッドの縁に腰を下ろすと、怯えるリッカの手を強引に、しかし壊れ物を扱うような繊細さで握りしめた。


「リッカ。君が誰であろうと、何を持っていようと、僕には関係のないことだ」

「……関係、ない……?」

「ああ。僕が雪山で見つけたのは、『フローズンの王女』じゃない。……凍てつく風の中で、それでも凛と立ち向かおうとしていた、君という一人の女性だ。僕は、その瞳に一目惚れした。それ以上の理由は必要ないだろう?」


 熱い。握られた手から、彼の体温が火傷しそうなほど伝わってくる。

 これほどまで真っ直ぐな、根拠のない肯定を、リッカは受けたことがなかった。


「でも、属性が……私の魔力は、不完全で……あなたの炎は、私を、溶かしてしまいます……」

「だったら、溶かされればいい」


 レオの声は、甘く、そして抗いがたい響きを湛えていた。

 彼は顔を近づけ、リッカの鼻先に自分の鼻を触れさせる。


「君が氷なら、僕が君を温める火になろう。君の回路が凍りついているなら、僕の熱で溶かしてあげる。……フローズンが君を捨てたというのなら、僕が君をこの王宮の、いや、僕の腕の中に閉じ込めてあげよう。二度と、冷たい雪に触れなくていいように」


 リッカは息を呑んだ。

 彼の瞳の奥に燃えているのは、慈悲ではない。それは、もっと根源的で、激しい「独占欲」の色だった。


「君の魔力についても心配いらない。僕の側にいれば、いずれ本当の姿を見せるはずだ。……君は石ころなんかじゃない。雪の結晶の中に閉じ込められた、世界で一番美しい炎だよ」


 リッカは言葉を失い、ただ彼を見つめるしかなかった。

 自分を「無能」と呼んだエライザやゴードンの声が、この温かな部屋の中では、あまりにも遠く、矮小なものに思えてくる。

 窓の外では、火の国の夜が更けていく。

 リッカは、レオの手の熱を感じながら、生まれて初めて、明日が来ることを恐れずに眠りにつけるような気がしていた。

 氷の王女の頑なな心は、火の王子のあまりにも一方的な情熱によって、音を立てて溶け始めていた。

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