一話 成人の儀
フローズン王国の中心にそびえ立つ「白銀聖堂」。
千年の歴史を誇るその場所は、今日、一人の王女の誕生と、一人の賢者の再来を祝福するために解放されていた。天井のステンドグラスから差し込む光が、磨き上げられた大理石の床を青白く照らしている。
リッカ・フローズンは、張り詰めた静寂の中を歩いていた。
背筋を伸ばし、一歩一歩、確かな足取りで祭壇へと向かう。彼女を包むのは、この日のために仕立てられた最高級の白銀のドレスだ。
沿道に並ぶ貴族や高官たちの視線は、熱烈な期待に満ちていた。
「さすがは第一王女殿下だ。あの気品、あの落ち着き……先代様以上の魔力を秘めておられるに違いない」
「ああ、フローズンの未来は安泰だ。今日、伝説の『氷の刻印』がその手に現れる瞬間を、我らは目撃するのだ」
さざめきのような称賛が耳に届く。
リッカはわずかに唇を噛んだ。期待が重い。けれど、それに応えるのが自分の義務だと信じて疑わなかった。幼い頃から、遊びたい盛りの時間をすべて、王族としての教養と、まだ見ぬ魔法の制御のための基礎訓練に捧げてきたのだ。
すべては、今日この時のために。
祭壇の前で、リッカは深く頭を下げた。
そこには、病を圧して出席した母、現女王の姿があった。その隣には、リッカの双子の妹であるエライザが、少し不安げな表情で控えている。
「……リッカ。前へ」
女王の厳かな声が響く。
リッカは頷き、祭壇の上に安置された「賢者の水晶」へと両手を差し出した。
この水晶に触れた時、正当なる賢者の血を継ぐ者であれば、その手の甲に鮮やかな幾何学模様の刻印が現れる。それが、フローズン王国の次期継承者としての絶対的な証明となる。
(どうか、私に力を……国を護るための、氷の力を)
祈るように目を閉じ、リッカは冷たい水晶に触れた。
一秒。二秒。
沈黙が聖堂を支配する。
通常、魔力が反応すれば、水晶は即座に眩い青光を放ち、継承者の体内に眠る力を呼び覚ますはずだった。
しかし。
水晶は、死んだように沈黙したままだった。
「……っ?」
リッカは目を見開いた。指先に力を込める。血管が浮き出るほど強く、祈りを魔力に変えて流し込もうとした。
だが、何も起こらない。手の甲は、抜けるように白い肌のまま、一片の痣さえ浮かび上がらなかった。
ざわ……。
聖堂の空気が、一瞬で凍りついた。期待に満ちていた人々の顔から、色が消えていく。
「何かの間違いでは……?」
「光らないのか? 嘘だろう、第一王女だぞ」
女王の顔が、絶望に歪むのが見えた。
その時だった。
「リッカお姉様、代わって……私、なんだか手が熱いの」
震える声で割り込んだのは、妹のエライザだった。
彼女が恐る恐る水晶に触れた、その瞬間。
ゴォッ、と聖堂全体が鳴動するほどの青い光が爆発した。
あまりの魔力量に、周囲の空気が急速に冷え込み、ステンドグラスに一瞬で霜の華が咲き誇る。
光が収まった時、エライザの右手の甲には、完璧なまでの六角形の雪結晶──伝説の「氷の刻印」が、誇らしげに輝いていた。
「……あ」
リッカの喉から、かすれた音が出た。
エライザの手の甲に咲いた、残酷なまでに美しい青い紋章。それは、リッカが十八年間、誰よりも望み、焦がれ、そのためにすべてを捨ててきた力の証明だった。
「おお……エライザ様だ! エライザ様こそが真の継承者だったのだ!」
「なんという輝き。これほどの魔力、フローズンの歴史でも類を見ない!」
つい数分前までリッカに注がれていた称賛の言葉が、奔流となってエライザへと向けられる。
そして、リッカに向けられるのは──。
「……無能、ではないか」
誰かが吐き捨てたその一言が、鋭い刃となってリッカの胸を貫いた。
かつての敬愛の眼差しは、一瞬にして「期待を裏切った偽物」を見る蔑みへと変貌していた。
「あんなに偉そうに振る舞っておいて、刻印すら出ないとは」
「王族の恥さらしだ。第一王女の座に居座る資格などない」
嘲笑、失望、そして拒絶。
リッカは震える自分の手を見つめた。何も刻まれていない、ただの白く、冷たい手。
隣でエライザが、困惑したような、けれどその奥に確かに隠しきれない優越感を湛えた瞳で、リッカを見つめていた。
「お姉様……ごめんなさい。私、こんなはずじゃ……」
その謝罪が、どんな罵倒よりもリッカの心をズタズタに切り裂く。
逃げ場はなかった。
豪華な聖堂の中、数千人の視線に晒されながら、リッカ・フローズンは自分の居場所が完全に消滅したことを、氷のような静寂の中で悟ったのだった。




