最終話 氷の王女の春
地下神殿を支配していた絶対零度の闇は、リッカが放った銀白の光によって浄化され、静かに霧散していった。崩落の止まった瓦礫の隙間から、フローズン王国では数千年の間、厚い雲に遮られていたはずの「本物の太陽」が、黄金色の筋となって差し込んでいた。
リッカの腕の中で、魔獣の呪縛から解き放たれたエライザが、幼子のような寝息を立てていた。その顔からは、女王という地位に固執していた際の険しさは消え、ただの傷ついた少女の素顔が残されている。
「……リッカ。君の体は、もう限界だ。これ以上は僕が許さない」
レオが、リッカの震える体を横から支え、そのまま抱き上げた。リッカの髪は魔力を使い果たした影響で、透き通るような白へと変わっていたが、その瞳にはレオへの深い信頼と、成し遂げた者の安らかな光が宿っていた。
「……レオ様。……エライザを、どうか……」
「わかっている。彼女の罪は、決して軽いものではない。だが、君が命を懸けて救った命だ。無下にはさせない」
レオの言葉に、ジャスティやミカ、ゲールといった各国の王たちも、静かに頷いた。
彼らが神殿の外へと歩み出すと、そこにはさらに驚くべき光景が広がっていた。
フローズン王国の全土を覆っていた、死を呼ぶ「永久凍土」が、目に見える速さで溶け始めていたのだ。
流れる水は清らかに囁き、泥濘に沈んでいた大地からは、これまで見たこともないような生命の息吹が萌え出している。数千年もの間、氷の下で眠り続けていた花の種が、リッカが放った「慈しみ」の魔力に触れ、一斉に芽吹き始めたのである。
王宮の前では、混乱していた領民たちが呆然と立ち尽くしていた。
そこへ、レオに抱かれたリッカと、兵たちに運ばれるエライザ、そして五大国の連合軍が帰還した。
「領民の諸君。……偽りの刻印の時代は終わった」
風の王ゲールが、その声を風に乗せて広場全体に響かせた。
ゴードンは既に捕縛され、己の野心が招いた末路に絶望して震えている。エライザは王位を剥奪され、北の果てにある隠居所での終身にわたる「謹慎と反省」が言い渡されることとなった。それは死罪を求める声もあった中、リッカが「姉」として、そして「番人」として下した、最大の慈悲であった。
リッカはレオの腕から降り、ふらつく足取りながらも、領民たちの前へと進み出た。
「……皆さんに、謝らなければなりません。私は、皆さんが信じてきた『王女』ではありませんでした。私は、魔獣を抑える『番人』の血を引き、長くその力を隠されてきました」
広場がざわつく。しかし、リッカの言葉は続く。
「氷は溶けました。これからのフローズンは、力による支配ではなく、この芽吹いた緑のように、皆さんが自分たちの手で育む国になるべきです。私は……女王の座には就きません」
その宣言に、領民だけでなく、各国の王たちも目を見開いた。
「リッカ、本気か? 君こそがこの国を再生させる唯一の希望だというのに」
ジャスティが問いかけるが、リッカは微笑んで、隣に立つレオを見上げた。
「私の力は、この国を『春』にするためのものでした。その役割は終わりました。これからは、私を見出し、私を愛してくれた方の側で、一人の女性として生きていきたいのです」
リッカの手が、レオの手と重なる。
レオは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにその手を強く握り返し、誇らしげに胸を張った。
「聞いた通りだ。フローズンの再建は、諸国の支援のもと、リッカが指名する新たな評議会に委ねられる。……そしてリッカ・フローズンは、我がフレア王国の次期王妃として、僕が連れ帰る!」
レオの宣言に、広場からは戸惑いのあと、やがて地鳴りのような歓声が上がった。
追放された「石ころ王女」が、世界を救った「真の英雄」として、太陽の国へと嫁いでいく。その奇跡のような物語に、人々は希望を見出したのだ。
数日後。
フレア王国へと向かう豪華な馬車は、国境の険しい山道を越え、緩やかな丘陵地帯へと差し掛かっていた。
窓の外には、フローズン王国の青白い景色とは対極にある、黄金色の小麦畑と、どこまでも澄み渡る蒼穹が広がっている。
「……ふふっ」
窓の外を眺めていたリッカの口元から、自然と柔らかな笑みが漏れた。
「何がおかしいんだい? 僕の顔に、さっき食べた焼き菓子の屑でもついていたかな」
向かい合わせに座っていたレオが、いたずらっぽく片眉を上げてリッカを覗き込む。
「いいえ。ただ、風がこんなに温かいなんて、まだ不思議で。……それに、レオ様の隣にこうして座っていられることが、何よりの夢のようで」
「夢じゃないさ。触れればわかるだろう?」
レオはリッカの手をとり、自らの胸元へと導いた。厚い生地越しに、ドクン、ドクンと力強く、情熱的な鼓動がリッカの指先に伝わってくる。
「リッカ。君が救ったのは、フローズン王国だけじゃない。……君は、冷徹な王子だと言われていた僕の心をも救い、変えてくれたんだ。君という光がいなければ、僕は今も、冷たい王座を守るだけの機械のような男だったかもしれない」
「レオ様……」
二人の間に、甘く、けれど確かな絆を感じさせる沈黙が流れる。
リッカはそっと、己の手の甲を見つめた。そこには彼女の意志に呼応して銀色に煌めく、真の賢者の輝きが宿っている。
「エライザのこと……後悔はしていないかい?」
レオがふと、真剣な眼差しで問いかけた。
「はい。……彼女がしたことは許されることではありません。けれど、彼女もまた、氷の国の歪んだ規律に縛られた犠牲者でした。北の果てで過ごす時間は、彼女にとって、自分自身を見つめ直すための『春』になると信じています」
リッカはかつて自分を突き落とした妹を、もはや恨んではいなかった。復讐を遂げることよりも、今、自分の手を握ってくれるこの「熱」を守ることの方が、彼女にとっては遥かに重要だったからだ。
「……それより、レオ様。フレアに着いたら、まずは何をすれば良いのでしょう? 王妃としての修行は、やはり厳しいのでしょうか」
リッカの少し不安げな問いに、レオは破顔した。
「修行? そんなものは後回しだ。まずは君のために特注した、世界で一番豪華なドレスを着てもらう。それから、国中の最高の料理人を集めて晩餐会だ。……ああ、忘れていた。僕の父上と母上に、自慢の婚約者を紹介するのが先だったね。きっと、腰を抜かして喜ぶよ」
レオはリッカを引き寄せ、彼女の額に愛おしげに唇を落とした。
「君は、氷の国に春を呼んだ。……今度は、僕の国を、僕の人生を、その美しい魔法で彩ってほしい。……愛しているよ、リッカ」
「私も……私も、愛しています。レオ様」
馬車が丘を越えた瞬間、前方の地平線にフレア王国の王都が姿を現した。
夕日に照らされ、文字通り「紅蓮」に輝くその街並みは、新しい女王の帰還を祝福しているかのようだった。
かつて雪山で死を待っていた「石ころ王女」は、今、太陽の王子の隣で、世界で一番美しい花として咲き誇っている。
氷は溶け、川は流れ、花は芽吹く。
長い、長い冬が、今ようやく、本当の終わりを告げた。
『氷の王女はもう笑わない──はずが、冷徹公爵のあまりの過保護に心が溶けそうです』を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
氷の国で「無能」と蔑まれ、全てを失ったリッカが、火の国の王子レオという温かな太陽に出会い、自らの真の力を開花させていく物語はいかがでしたでしょうか?
孤独だったリッカが、凍てついた心を溶かし、最後には自分を傷つけた妹さえも包み込む強さを手に入れた姿は、執筆している私にとっても非常に感慨深いものでした。また、レオの情熱的で、時に強引なまでの深い愛が、リッカの運命を切り拓く大きな力となったことは間違いありません。
本作は、リッカが故郷の呪縛から解き放たれ、愛する人と共に新しい一歩を踏み出すという形で、ここで一旦の完結となります。
これまでリッカとレオの行く末を温かく見守り、応援してくださった読者の皆様に、心より感謝申し上げます。皆様の声援が、凍てつく雪原を春に変える魔法のように、物語を紡ぐ大きな支えとなりました。
もし、この先の「フレア王国」での二人の新生活や、さらなる愛と波乱の物語を読んでみたいという声をたくさんいただけましたら、ぜひ「第二部」として、再び皆様にお届けしたいと考えております。
リッカとレオの物語を愛してくださり、本当にありがとうございました。
またどこかで、二人の煌めく物語の続きをお話しできる日を楽しみにしています。
もし、この物語の雰囲気や私の作風を少しでも気に入っていただけましたら、ぜひ他の自作も覗いてみてください。
↓
灰歴史〜疫病神少年は天照大御神の生まれ変わりだった〜
https://ncode.syosetu.com/n2494ln/
こちらの物語は、現代日本を舞台にした異能力バトルものです。
また別の物語でも、皆様とお会いできることを心より願っております。




