保健室の夕暮れ
夕焼けの色が薄く部屋に染み込む保健室。
ベッドに横たわる一年生の少女――桐谷紗良の肩は、小さく震えていた。
透は椅子に座り、静かに呼吸を整えてから紗良の顔をのぞく。
泣き腫らした目が、怯えを隠せずに揺れる。
「……大丈夫。ここは安全だから」
透はできる限り穏やかな声で言った。
しかしそれは、紗良を安心させるためだけではない。
自分自身の胸のざわつきを抑えるための言葉でもあった。
能力を使いすぎれば、相手の感情の“深層”に引きずられる危険がある。
だから今は慎重に、軽く触れる程度に――。
透は目を閉じ、紗良の感情の流れにそっと手を伸ばす。
――悲しみ。恐怖。
でも、そこに異常な“裂け目”がある。
自然な心のゆらぎではない。
明らかに外部から“押し込まれた感情”が混ざっている。
透は息をのんだ。
「紗良さん、さっき“また”って言ってたよね。前にも何かあった?」
問いかけると、紗良は小さく頷いた。
「はい……三日前も……。誰もいない廊下で、突然……胸が苦しくなって……」
「そのとき、何か見えた?」
しばらく沈黙が落ちた後、紗良は震える声で答えた。
「黒い……塊、みたいなものが……。形はわからないけど……
私の感情を……吸い取るみたいに……」
透の心臓が強く跳ねた。
――やはり、普通の人間では起こらない。
「そいつはどんな気配だった?」
「すごく……冷たい感じで……でも、その中に……誰かの、怒ってる気持ちが……混ざってて……」
怒りの気配。
それは、透の能力で感じ取れる“人の暗い感情”に近い。
だが透には、人の感情をこんなふうに物理的な“塊”にする力なんてない。
自分とは別種の異能――その可能性が濃厚だった。
「他に気づいたことは?」
「1年棟の、三組の教室の近くで……いつも同じ場所なんです……」
紗良の小さな声が、保健室に落ちた静けさに溶けた。
透は立ち上がる。
「ありがとう。十分だよ。今日はもう休んで」
軽く紗良の頭上に視線を向ける。
彼女の感情の流れは、さっきより少しだけ落ち着いている。
透が読み取ろうとした瞬間、意識せずとも微弱な“安定”の力が流れこんだらしい。
――危ない。
これ以上は使えない。
透はゆっくりと保健室を出た。




