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婚約破棄された悪役令嬢ですが、復讐する前に闇ギルドにスカウトされました

婚約破棄された悪役令嬢、破滅エンドを無視して悪役令嬢を側近にスカウトしようと思います

【前話】婚約破棄された悪役令嬢ですが、

復讐する前に闇ギルドにスカウトされました。

の続編となります。今回も一話完結です。



 華やかな暮らしとは、こういうものを指すのだろう。


 長卓を覆う白絹のクロスは一片の皺もなく、銀器は朝陽を受けてまばゆく反射する。

ローストした肉からは溶けたバターと香草の匂いが立ちのぼり、ほのかに甘いブドウ酒の香気が空気を満たした。

揺らめく燭台の光が、磨き抜かれた家具や壁の装飾をきらりと照らす——貴族の朝。



「――あ、お父様。わたくし、闇ギルドに入会しましたわ」



 ——青天の霹靂が、落ちた。



 給仕が手を滑らせ、ワインをドボドボとこぼす。

兄レオナルドは口に含んでいたスープを盛大に吹き出し、鼻を押さえて咳き込みながら椅子を揺らす。

視線の端では、専属の侍女が優雅な微笑みのまま膝から崩れ落ちた。



「アビヒルテ……食事中に私語は慎むものだ」



 家長である父はナイフとフォークを優雅に揃え直すと、平然と口を開いた。



「レオナルドも、はしたないぞ。――愛娘の才能がまたひとつ芽吹いたのだ。喜ばしい事ではないか」



「は、はぁぁ!?」



 レオナルドは椅子を蹴りそうな勢いで立ち上がり、父に向き直った。



「正気ですか父上!? 闇ギルドといえば裏社会の最奥! 犯罪の巣窟ですよ! 婚約破棄という不名誉な醜聞で家名が揺れている今に、さらに闇堕ちとは――!」



 その必死の抗議を、鈴のような声がさらりと遮る。



「これ、レオン。 妹の才能に嫉妬してはだめでしょう?」



母はグラスを持つ手を優雅に傾け、微笑を浮かべた。



「アビィ、それで? どこの馬の骨が、あなたをそんな物騒な就職先に口説いたのかしら?」



 その視線を受けて、アビィことアビヒルテはすっと立ち上がる。

金の巻き髪が光を受けてふわりと揺れ、アーモンド型の瞳が誇らしげにきらめいた。



「地下闘技場で野蛮な冒険者をボコボコにしたら、スカウトされましたの!」



 ……ただし実際には、顔面蹴りをくらい、最後は首を引っ掛けられて派手にリングへ叩きつけられたのだが、それは黙っておくに限る。



「仕事内容は――密輸に賭博、闇商売に謀略百計。あら、どれも華やかで胸が躍りますわ!」



 その瞬間、普段は毅然とした表情の老執事が、頭を押さえて天井を仰いだ。

母は笑顔を貼り付けたまま、椅子ごとふわりと崩れ落ちる。



「お、お奥様ぁぁぁぁ!?」



 父が豪快に笑い声をあげ、兄が机を叩き、侍女たちが悲鳴を上げる中――。

悪役令嬢アビヒルテの一日は、今日も賑やかに幕を開けたのであった。




−−−−




 ラモレス家のアビヒルテとは、最近の社交界で注目を集める代名詞、巷で流行りの悪役令嬢だ。

曰く、武門の双剣技を鼻にかけ、婚約者の庭園をはげ散らかした。

曰く、嫉妬に狂い、婚約者が保護する聖女を逆さ吊りにしてトマトを投げつけた。

曰く、民衆を扇動し、旧王家の婚約者から婚約破棄を叩きつけられた。


 一部の令嬢からは恐怖を込めてこう囁かれる——


 赤き魔豹まひょうのアビヒルテ。



「まったく……裏でイジメをしていたから少し縛って同じことをしただけで、トマトの悪夢とか、豪邸更地製造機とか、理不尽な称号ばかりですわ」



 青空の下、アビヒルテは自分にしか見えない半透明のウィンドウを睨みつけ、そこにnew!!と表示された新規獲得の称号名に、ぷんすかとつぶやく。

すれ違う通行人たちが奇怪な視線を投げていくが、当の本人は気づかない。

扇子で口元を隠し、ウィンドウを閉じる。


 ——そう、彼女は異世界転生者だった。


 転生前に読み耽った恋愛小説。

その中で密かに応援していた悪役令嬢に、まさか自分が生まれ変わるとは思いもよらなかった。

転生者の利点を活かし、幼少より勉学・武道に励み、私兵を組織し、商売を成功させ……「これで破滅ルート回避!」と胸を張ったのも束の間。

結局、婚約破棄イベントは回避できず、しかも地下闘技場などという意味不明な場所でザマァされてしまったのである。


 何より許せないのは、乙女の顔面に容赦なく蹴りを入れた——ジャイアント泡立あわたちという野蛮な冒険者だ。



 ——本名が泡立あわたちのぼる、だなんてフザケた洗剤のような名前……次に会ったら、ギッタンギッタンのバッタンバッタンにして差し上げますわ!



 鼻息荒く、靴裏の音を鳴らして歩く。


 そこは、市場区の花売り通り。

焼き立てパンの香ばしい匂い、果物の甘酸っぱい香り、露店から響く売り子たちの声。

人波の熱気に押されながら、アビヒルテは足元ばかり見て歩いていた。


 だから——


 正面に差し込んだ影に気づくのが遅れた。



「きゃっ——!」



 転倒を覚悟した瞬間、柔らかな手が彼女の肘を支え、体を滑らかに立て直す。

驚きに目を上げると、そこにいたのは——


 花籠を抱え、質素な身なりながらも、立ち姿は淑女のように優雅。


 黒髪に日差しが艶めき、小麦色の肌が健康的に映える長身の少女だった。

花々の香りに混じって、どこか凛とした気配をまとっている。


 アビヒルテは息を呑んだ。



「……この所作、この目線、ただ者ではなくてよ」



 全部、声にでてます……と、視線の先の少女は、困ったようにクスリと笑った。




−−




 ——この所作は貴族の習いのそれ……妙ですわね。社交界にこんな黒髪小麦肌の令嬢、いたかしら?



 アビヒルテは花の香りがそよぐ通りの中で、少女の立ち姿に目を凝らした。


 視線を引きつけるのは、その手首の動き。自然に背筋を伸ばし、籠を支える指の形までが優雅――どう見てもただの下町娘ではない。


 アビヒルテは数歩近づき、声を掛ける。



「貴女――ただの花買いではないでしょう?」



 少女の肩が小さく跳ねる。赤らんだ頬に、汗が一筋流れて光った。



「……お間違えです、私は……ただの……」



 その声は細く震えていた。――これは演技ではない。本気で身を隠そうとしている声。


 しかしアビヒルテには、その声を聞き覚えがあった。


 実家であるラモレス家は旧王家と懇意にあり、現政権の評議会でも要職を占める。それに対抗する派閥――アイゼンヒュート家。その一人娘、黒き蝶と呼ばれた静謐の才女。たしか……



「ふふ。優雅な手つきと所作、隠しきれるものではありませんわ。――ラナリエ嬢、ですわね?」



 ピクリ、と少女の肩が震えた。

吐息がかすかに乱れ、握る花籠の蔓がきしむ。


 アビヒルテは確信を得て、微笑を深める。



「やはり。派閥こそ違うので、気づくのが遅くなりましたわ。かつて社交界の才媛と呼ばれたお方が、花買いとは。どういう風の吹き回しで?」



 しばし沈黙が流れた。市場のざわめきが遠くで濁り、二人の間だけが澄んだ水面のように静まる。


 やがてラナリエは、唇を震わせながら絞り出すように答えた。



「……最近流行りの悪役令嬢というそうです。元婚約者に断罪され、婚約破棄に。今は、家門の恥にならぬよう、元婚約者の家に庇護を受けています。才媛などおこがましい……ただのメイドのようなものです」



 アビヒルテの眉がわずかに動いた。


 庇護という名の軟禁。誇りを踏みにじられ、役立たずと蔑まれる日々を想像する。鼻腔を抜ける花の甘い香りが、かえって胸を苦くした。



「……ゼムント家のリュート坊やごときが、貴女様を断罪ですか」



 その言葉は、冷たい刃のように鋭く吐き出された。アビヒルテの瞳から色が抜け、冷徹に陰る。


 ラナリエはかすかな自嘲を浮かべた。



「私はもう……役立たずです。悪役令嬢という烙印を押され、零落した女。リュート様に言い寄る令嬢達を冷ややかに感じるとも、社交界のお花畑だったのは、結局私のほうでした」



 アビヒルテの胸に鋭い棘が突き刺さる。


 誰かが決めた「没落」と「破滅」に、自ら収まろうとする姿。かつて読み耽って嘆いた悪役令嬢をなぞるようで許せない。



「違いますわ、ラナリエ嬢」



 アビヒルテは一歩踏み出し、街路を踏みしだく。小さな音が反響した。



「誰かが決めた没落悪女に成る必要など無いのです。仇花と散るかどうかは、自分で決めること。悪役令嬢になるかどうかも、私たち自身が決めることです」



 強い瞳に、苛烈な野心の光が宿る。


 その輝きに、ラナリエは思わず息を呑んだ。胸の奥で長く折れていた心が、かすかに背筋を伸ばした気がした。



「ラナリエ嬢、貴女さえ宜しければ――」



アビヒルテが言葉を重ねようとした、その瞬間。



「おい、ラナリエ。何をグズグズしている」



 ざらりと砂を踏みつける音とともに、影が差した。陽光を背に青い髪を靡かせた長身の男—ーゼムント家の嫡子、リュートが現れたのだ。



「まったく、引きこもってばかりいるから、たまには陽でも浴びさせてやろうと思えば……市場で迷子か。お前の前世は亀なのか? 黒髪に薄暗い目つき、まったくの陰鬱。花を添えても華がない——おお! 名言が出た。さすがは俺……」



 口元には薄笑い、声には毒を混ぜ、花の香り漂う通りに冷たい皮肉が落ちた。


 アビヒルテは一歩進み出て、しかし抗議の言葉を飲み込む。

リュートは彼女の動きを見計らうように、かえって優雅な一礼を見せた。



「これはこれは、ラモレス家の令嬢。……いや、そろそろ“元”と言っても宜しいか。まさか婚約破棄された悪役令嬢が、ここに二人並ぶとは。実に滑稽な眺めだ」



 冷笑に込められた侮辱にぐつぐつと腸が煮えくり返る。

それでもアビヒルテは、唇の端を無理やり持ち上げてみせた。

怒りではなく――目の前のラナリエを思って。


 ラナリエは、すでに諦め切った瞳で微笑んでいた。

あの皮肉を、罰のように静かに受け入れている。

アビヒルテの胸が、ちくりと痛んだ。



「ラナリエ嬢——」



 抑えていた声を、もう隠さない。



「そんな仕打ちを受け入れる必要はございませんわ。……家紋の壁は承知しておりますが、もしよろしければ、私の元へ来てはいただけません?」



 通りのざわめきが、ふっと遠のいたように感じられた。

ラナリエは驚きに目を丸くし、やがて眉尻を下げる。



「……お心遣い、誠にありがとうございます。ですが、私の身分は庇護のもとにある者に過ぎず、貴方のお側に立つなど、身の程を超えております。大変恐縮ですが、どうかお許しくださいませ……」



 胸の奥から絞り出すような声音。だがその表情には、確かに温かな嬉しさが浮かんでいた。



「これは傑作だ!」



リュートが声を張り上げる。



「悪役令嬢にふられる悪役令嬢! この世にそんな喜劇があるものか! ははははっ!」



 笑い声を響かせ、肩を震わせながら通りの向こうへ去っていった。申し訳なさそうに、ラナリアも後を追う。


 残されたのは、花の香りと、アビヒルテの張り詰めた沈黙。



「――ショルティ?」



 低く呼ぶと、空気を切る気配とともに、黒衣の従者が影から姿を現した。



「……ゼムント家の近辺をくまなく探りなさい。特に、あのクソガ……リュート殿の致命的な弱みを、私の前に差し出すのです」



「致命的……でございますか?」



 従者の喉がごくりと鳴る。


 アビヒルテはゆるやかに口角を上げた。



「ええ。……なければ――」



——作れば宜しい



 その口元は甘く、しかし氷の刃のように冷たい。

ショルティは背筋を凍らせ、頭を垂れた。




————




 交易都市ノアの市場区。昼でも日差しの届かぬ裏路地にひっそりと建つ魔法具店。その地下が、闇ギルドの隠れ支部だった。


 アビヒルテはドレスの裾を気にしながら石段を下りる。

花売り通りで出会ったラナリエの様子が気になって仕方がない。

派閥が異なる家柄の才女、私の復讐劇には是非とも味方にしておきたいカード。なにより、彼女の瞳はとても美しく……他人が決めた識別に埋もれるなど、惜しいと思った。



 ——それにしてもまったく、スカウトしておいて放置だなんて。貴族令嬢わたくしを馬鹿にしているのではなくて?



 憤りを胸に扉を開けば、そこは重厚な家具が揃う落ち着いた雰囲気の執務室。紅茶の香と共に、分厚い帳簿を捲る音が、静かに響く。


 赤髪の男は護衛二人を手で退け、低く艶を帯びた声で告げた。



「……で、わざわざ俺に会いに来たのは抗議か?」



 声に遅れて、恐ろしく整った顔が赤髪の奥から現れる。



「ええ。その通りですわ! 入会させておいて、ほったらかしなど失礼極まりません」



 勝ち気に睨みつけたはずなのに、彼が立ち上がった瞬間、心臓が跳ねた。背が高い。近い。


 ゆっくりと歩み寄り、彼の影が覆いかぶさる。



「……可愛いな。俺を知った上で、怒って乗り込んでくる女は初めてだ」



 不意に顎へ指先が触れ、上を向かされる。



「っ……!?」



 間近に覗き込む琥珀色の瞳。冷たいはずの眼差しに、妙な熱が宿って見えた。



「花売り通りでの冷やかしは聞いている。ゼムント家の嫡子が元婚約者を庇護した事を見せびらかしているとな。自称聖女に誑かされた恥さらし……あれはいい獲物だ。」



 男の口角がゆるりと上がる。



「お前、なかなか役に立つじゃないか」



 耳元で低く囁かれただけで、背筋に電流が走った。



「……役、立つ……?」



 頬が熱を帯びるのを止められない。


「ご褒美をやろう」



 指が顎から離れ、彼は再び椅子に腰かける。



貴族おまえの通う学術院の夜会で、アイゼンヒュート家の令嬢ラナリエが罠に嵌められる――そんな計画がある。復讐に活かすか、助けるか、お前の好きにするといい」



 秘密を与えるその声音は、甘い毒。心臓がますます騒ぎ立てた。


 それは、支部を出で、夜気が冷たく頬を撫でても続いた。



——な、なによあの人……! 心臓に悪すぎますわ!



 屋敷に戻ると、影がひとつ滑り出る。



「……お嬢様」



 ショルティが恭しく膝を折り、新調した手袋を外しながら封筒を差し出す。



「ゼムント家の秘部を、確かに」



 アビヒルテは資料を受け取り、頬の熱を誤魔化すように冷笑した。



「ふふ……いいですわね。これで勝負は面白くなりますわ」




————




 大都市ノアの貴族が通う学術院。その日の夜会は、豪奢なシャンデリアの光に照らされていた。


 柔らかな輝きが大理石の床に反射する室内は、多様な弦楽器の音色に満ち、グラスが軽く触れ合う音と、笑い声が折り重なる。鮮やかな料理と香水の匂いが混じり合い、華やかな空気が支配していた。


 今夜の舞台は、ゼムント伯爵家の次期婚約者披露パーティー。貴族たちはネクタイをきっちりと結び、学院礼服に身を包んでいた。


 その群れの中、一人だけ黒いドレスをまとった令嬢の姿が見え隠れする。

悪役令嬢と断罪されたラナリエは、自分だけドレスコードが異なることに、恥ずかしさと、嵌められたという悔しい気持ちを押し殺していた。

陰を探すように、人々の間を俯きがちに歩き、視線を合わせぬよう気を張る。無遠慮な囁き声を聞かぬよう努めたが、侮辱の噂はこだまのように耳を打ちつけた。



「リュート様は家紋の為、裏切り者の元婚約者を庇護しているらしいわ」


「伯爵家も慈悲深いものね」


「彼女、何あの格好……招待状を読まなかったのかしら」



 息が詰まるように感じ、体が小さく縮こまった。

小さな囁きには嘲笑が混ざり、胸の奥を細い刃で突き続ける。


 その中心に立つのは、長身の貴公子——元婚約者のリュート。聖女と噂される新たな婚約者の手を取り、二人の仲睦まじさをわざとらしく客人たちに見せつけていた。



「見よ! これが我が新たな婚約者だ。そしてそこにいるのは……断罪済みの旧き婚約者のラナリエ。皆様、どうか比べてご覧あれ」



 会場に失笑が広がる。ラナリエの頬は熱く、悔しさと羞恥で呼吸すら苦しい。その時——。



「まあ、趣味の悪い余興ですこと」



 涼やかで自信に満ちた声が割って入る。振り返ると、遠く会場の入り口に、堂々と佇む金髪の巻き髪を華やかにまとめ、不敵に笑う美女――アビヒルテ・ラモレスが現れた。

その隣には、明後日の方向に苦笑しながらエスコート役に立つ兄の姿もある。


 ラモレス家の到着を知らせる、先触れの声が会場に告げた。


 リュートの目が驚きに見開かれる。



「なっ……アビヒルテ!? 貴様、まだ社交界に顔を出すつもりか!」



「当たり前ですわ。たとえ断罪されようとも、ラモレスの娘が引き下がることはありません。それに、家族がこうして応援してくれますもの」



 アビヒルテは嫌そうな顔の兄を一瞥し、優雅に微笑む。微かに漂う香水の香りと、ドレスが揺れる音が周囲の空気を切り裂いた。

会場のざわめきは一瞬で静まると、悪役令嬢は、その健在ぶりと、ラモレス家の結束を知らしめた。


 やがて兄が挨拶回りに立ち去ると、待ち構えていたかのように令嬢たちが群がってきた。


 噂の「断罪された悪役令嬢」がどんな惨めな姿をさらすのか、好奇心に駆られているのだろう。


 公爵家の令嬢たちは好奇の視線を寄越しながら、けれども自らが巻き込まれぬよう、絹扇で口元を隠し少し離れた位置から眺めていた。


 アビヒルテはそんな視線など意にも介さず、会場を見渡す。

 目当てはひとり。先日、花売り通りで邂逅したアイゼンヒュート家のラナリエ。


 今日は彼女を仲間に引き入れるために来たのだ。


 金の巻き髪を揺らし、赤い絨毯を優雅に歩む。

 すると、横から取り巻きの一人が遠回しな皮肉を口にしながら近づいてきた。



「まぁ、アビヒルテ様。ご健在でしたのね」



 裾を引きずるドレスの陰から足が覗く。

転ばせて、皆の笑いものにしようという魂胆なのだろう。



「今日はリングよりも、床のほうがお似合い――」



——可愛らしいこと。



 アビヒルテはあえて気づかぬふりをして足を進め、すれ違いざま、その甲をヒールで踏み抜いた。


 後ろで小さな悲鳴が上がるが、彼女は何もなかったかのように微笑を浮かべ、さらに歩みを進める。

ラナリエの姿を見つけるのに、さほど時間はかからない。

一人だけ、周囲と異なる装い……誰がこんな悪辣なまねをと、怒りがこみ上げる。



「殿下に婚約破棄されて、まだ顔を出せるなんて……悪役令嬢の執念って恐ろしいですわ」


「見世物の闘技場では野蛮な冒険者に大敗したそうで……。次は何で楽しませてくださるのかしら?」


「怖い顔をして、緊張なさっているの? これでも飲んで落ち着かれてはいかがでしょう——」



 進路を妨げる一人がわざと中身が並々と入ったグラスを傾ける。だが、アビヒルテはその一歩先を読み切り、ひらりと避けた。


 赤い液体は、よりにもよって高位の令嬢のドレスを染めてしまう。



「きゃああ! なにをするの!」


「ち、違います! これはアビヒルテ様が……わたくしを突き飛ばしたのです!」


「あれは計ったんですわ! 皆様ご覧になってましたでしょう!」


「こんな真似、悪役令嬢にしかできませんわ!」



 必死に罪をなすりつける令嬢達へ、アビヒルテはわざとらしくため息をついた。



「まあ、そんなに私のせいにしたいのなら……いっそ徹底なさいな」



 そう言うが早いか、手にしたグラスをくるりと返し、主犯の頭上からぶちまけた。

冷たい液体が髪を伝い、絹のドレスを濡らす。

非難の声を上げようとした令嬢たちは、一瞬にして固まった。



「ふふ……涼やかなお顔立ちになりましたわね。青い顔には、これくらいの装いがお似合でしょう?」



 大勢の前で報復された彼女たちは、声を荒げることもできない――自らの品位と家柄が問われるのだから。

堂々とそれができるアビヒルテの冷ややかな微笑は、その場に「格の違い」を無言で刻みつけた。


 会場から忍び笑いが漏れ、令嬢たちは顔を濡らして散っていく。


 高位の令嬢たちは、目を合わせる前にアビヒルテから視線を逸らした。

断罪された悪役令嬢とはいえ、相手は双剣技の名門・武名名高きラモレス家。

社交の場でマナーを故意に破れる相手に、正面から対するなど馬鹿のすることだ。


 アビヒルテが視線を向けた先では、リュートの新たな婚約者――聖女の取り巻きたちが、ラナリエへと牙を剥いていた。



「下働きに落ちたと伺いましたわ。だから臭うのでしょうか?」


「ドレスより雑巾のほうがお似合いですわね」


「断罪されてもまだ学園に……恥を知らないのかしら」



 毒を滴らせる囁き。

ラナリエは張り付けた笑顔のまま、必死に受け流そうとしている。



「……よく回る口ですこと」



 アビヒルテがすっと間に入った。

白魚のような手がひらりと動き、テーブルのナイフを抜き取る。


 鋭い刃先が、近くのステーキへ。肉を貫く音が小さく響いた。



「そんなに口寂しいなら――塞いで差し上げますわ」



 次の瞬間、ずしりと重い肉片が令嬢の口に押し込まれる。



「んぐっ!?」



 驚愕の表情に、会場は堪えきれず爆笑の渦へと変わった。


 そこへ駆け寄ってきたリュートが顔を真っ赤にして叫んだ。



「アビヒルテ! また貴様が騒ぎを起こしているのか!」



 非難の視線が一斉に注がれる。

 アビヒルテは艶やかに扇を広げ、リュートを見据えて言い放った。



「なるほど。私を悪役に仕立て上げたいのでしょうけれど……残念ね。今日ここで笑い者になるのは、あなたのほうですわ」



 視線の先に兄の姿が見える。

その表情は必死に「やり過ぎるな」と告げていた――が。


 アビヒルテは胸をときめかせた。



 ——さすがお兄様。背中を押してくださるなんて! 遠慮は要らないと仰せですね!



 次の瞬間。


 ざわり、と。


 風もないのに金の巻き髪がふわりと揺れ、紅い唇がゆるやかに綴られる。

まるで舞台の幕開けを告げるように。



「私の友人の誇りを踏みにじり、不快な視線を向ける野次馬の皆様方……! 愛も敬意も、すべては――私達に捧げるのが道理ですわぁ!!」



 その瞬間、彼女の瞳が妖しく光り、空気が震えた。



 ――【私の好意は、100倍にして返せ】——!!



 異能の発動と同時に、場の空気が一変する。


 さっきまでの嘲笑は消え、貫いていた冷ややかな視線は、熱狂と崇拝へと反転していった。



「アビヒルテ様のご厚意……ありがたく頂戴いたしますわ!」



 肉を詰め込まれた令嬢でさえ、涙ぐみながら頭を垂れる。


 会場を支配した、狂おしいまでの称賛……。

リュートとラナリエは愕然と取り残された。

まるで洗脳——。その言葉が脳裏をよぎる。


 ――いや、数人、効果が及ばない者もいた。

その一人、人垣から現れたのは、アビヒルテの元婚約者にして、旧王家の王子殿下。軽蔑の眼差しをこちらに向け、冷ややかに告げる。



「アビヒルテ嬢。いつまでも虚勢を張るのは止めるのだ。先日の断罪で反省をしているかと思えば、……社交界は遊戯の場ではないのだぞ!」



 愛していた殿方からの失望の声。かつてなら震えていたであろう言葉。


 だがアビヒルテは、胸を張り、唇の端をつり上げた。



「まあ。婚約破棄で醜聞を振りまいた、どこぞの王子もどきではないですか。

 遊戯に来たのは貴方様ではなくて? 今日は断罪するリングはなくってよ、あら?

 人垣に囲まれた貴方様はまるでリングの中の闘技者のよう。これは大変、……滑稽ですこと!」



 会場が凍りくはずの言葉の切り合い――しかし、周囲はアビヒルテを味方するように、口々に擁護する声がが飛び出した。


 アビヒルテは怯んだ旧王家の王子を一瞥すると、矛先をリュートへと向けた。



「そこのクソガ——リュート殿、呆けている場合でなくってよ。本日は貴方にもお伺いしたくて来ましたの。……先日はご実家も大変でしたそうで。交易事業に、大きな損害が出たとか」



「……なんの話だ?」と殿下が訝しむ。



「抗議文を携え、憲兵隊が屋敷を訪れたそうではありませんか」



 その言葉に、リュートの顔色が見る間に青ざめた。慌てて否定しようと口を開くが、アビヒルテは逃さない。



「西の緩衝地帯での密猟事業。――魔導国の偵察部隊に私兵団が壊滅させられたそうですわね。ずいぶんと黒い趣味ですこと」



 ざわめきが一斉に広がった。



「……密猟?」


「伯爵家がそんなことを?」



 周囲の貴族がざわざわと詰め寄る。


 アビヒルテはひと呼吸置き、にっこりとラナリエへ視線を送る。



「そして、損失を埋めるため……“ある令嬢が主導した”と、あなたは主張なさったとか」



「やめろ!」とリュートが叫ぶ。



「おかしいですわね。わが家の調べでは、その密猟事業は随分以前から続いておりますのに。――つまり、罪をなすりつけた筋書きは破綻しているのですわ」



 殿下の眉がぴくりと動き、冷たい視線がリュートに突き刺さる。取り巻きの失態は、そのまま王子殿下の信用失墜につながる。


 アビヒルテはラナリエの小さな震えを感じ取り、次に視線を移したのはリュートの腕にしがみつく“聖女”だった。



「それにしても、妙ですわね。交易情報の漏洩で断罪劇があったはずなのに……そこの“聖女様”。なぜ、ジグラット帝国で取引がご破算になったはずの瑠璃細工をお持ちですの?」



 聖女の顔がさっと青ざめる。



「で、でたらめよ! なぜあなたがそんなことを――」



 アビヒルテは軽やかに白い用紙を取り出した。従者ショルティが掴んだ、ゼムント家の隠された弱みである。



「帝国の外務官いわく――“ミドガルの聖女が、特殊な交易品の優先卸を持ちかけた”と」



「……そんな、まさか……」ラナリエの小さなつぶやきが漏れた。


 そこへ、荒れる会場を和ませるような顔でアビヒルテの兄、レオナルドが歩み出る。



「皆さま、驚かれるのも当然でしょう。ですがご安心を。すでに憲兵隊が、リュート殿と聖女様、双方のご実家に伺っております」



「そ、そんな……ば、馬鹿な……!」



 リュートは蒼白になり、聖女は言葉を失う。


「どうなっているんだ!」


「派閥の面汚しめ!」


 ざわめきは怒号へと変わり非難の声が飛び交った。


 その隙に、アビヒルテはラナリエへと振り向き、妖艶に微笑んだ。



「二度目のスカウトですわ、ラナリエ嬢。偽りの汚名は、これにて返上。今度こそ――私のもとへ来てくださるかしら?」



 ラナリエは、目まぐるしい展開に呑まれながらも、不思議と胸の奥は澄み渡っていた。

花売り通りで交わしたあの言葉が脳裏に蘇る。



「アビヒルテ様……あの時、仰っていましたわね。誰かが決めた没落悪女に成る必要など無いのです、と」



「ええ。誰かが決めた「破滅」に、収まるつもりはありません。私は、私の決めた“悪役令嬢”で在るのですわ」



「……私、その言葉がとても気に入りました。他者が決めた価値観に添う必要などなく――私も、私が思い描く悪役令嬢を選びましょう」



「では……!」



 ラナリエは涙を堪え、深々と頷いた。



「至らぬ身ながら、この才を見込んでいただいたご恩、必ずや報いてみせます。――アイゼンヒュートのラナリエ、ここにラモレスの赤き魔豹と並び立つことを誓います!」



 その瞬間、彼女の瞳はかつての光を取り戻し、会場に息を呑む気配が走った。


 ラナリエはリュートを真っ直ぐに見据え、静かに告げる。



「リュート様。かつて“断罪”された私が――今ここで、あなたを断罪いたします。

 ゼムント家の闇、その一片たりとも見逃さぬよう、憲兵隊を束ねる我がアイゼンヒュート家が暴き出しましょう……徹底的に!」



 会場は嵐のような歓声と拍手に包まれた。

旧王家の王子殿下は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、助けを求めるリュートを冷ややかに振り払う。



「……やってくれたな、アビヒルテ。――だが、この男はもはや我が派閥の人間ではない。後は好きにしろ」



 そう吐き捨てて退室した殿下の背を、誰一人止める者はいなかった。



「そんな……殿下……!!」



 異能によりアビヒルテを賞賛する嵐が続く中、

残されたのは、膝をつくリュートと、青ざめ逃げ場を探す聖女だけ。


 それは、断罪されたはずの悪役令嬢であった。

しかし、誰かが決めた破滅の未来など意にせず。

彼女が選んだ悪役令嬢らしく、見事に一撃で仕留めてみせた。


 アビヒルテは勝ち誇った笑みを浮かべる。



「あなた方が選んだ舞台など、わたくしたちにとっては余興にすぎませんでしたわね」



 ラナリエがその隣に並び、気高く微笑む。



「結末はお決まり——」



 するりと持ち上がった二つの指先が、動揺に歪む顔を鋭く指差した、その時。二人の悪役令嬢の声がそろった。



「「ざまぁあそばせ!」」




——




エピローグ


 華やかな暮らしとは、こういうものを指すのだろう。

朝の陽光がレースのカーテンを透かし、黄金の輝きが長机に並ぶ銀器へと降り注いでいた。

ほのかに漂う紅茶の香り、果実の甘露、窓外で囀る小鳥たち。――これこそが、貴族の朝。



「……あ、あの、アビヒルテ様。わたくし、闇ギルドに入会した覚えは、ございませんのですけれど……?」



 優雅にクロワッサンを割るアビヒルテの隣で、ラナリエは一枚の羊皮紙を震える指で掲げていた。



「あら、言ってなかったかしら。私、闇ギルドに入会しましたの」



 あまりにあっさりとした暴露に、給仕の青年は盆を取り落とし盛大にこける。壁際に立つ専属のメイドが、 「だめ! バレルの! 絶対!」と身振り手振りしたが、アビヒルテは笑顔で親指を立てた。


 膝から崩れ落ちる音が聞こえた。


 ラナリエの手元の羊皮紙には、重々しい筆跡で、見慣れぬ言葉——「辞令」と記されていた。

そこには彼女が闇ギルドに入会したこと、そしてアビヒルテの“同盟仲間”であることが明記されている。


 「同盟仲間」――その響きに胸がときめくラナリエ。だが次の一文、「闇社会における一切の責務を共有すること」という禍々しい文言に、絶望がスキップしながら、挨拶しにきたような寒気を覚えた。



――ああ、わたくしの人生、今度こそ幕を閉じるのかもしれません!!



 しかしアビヒルテは、有能な側近を得て上機嫌だった。

しかも相手は、憲兵隊を束ねる名門・アイゼンヒュート家。闇ギルドの構成員が正義の家系に連なっているなど、誰も夢にも思うまい。



――なんと、わたくし……これはもう人生に勝ってしまったかもしれませんわ!!



 ラナリエの儚げな笑みと、アビヒルテの艶やかな笑声が重なり、朝の大広間に二重奏のように響き渡った。



 赤き魔豹のアビヒルテ――やはり彼女こそ、真の悪役令嬢なのかもしれない。



異世界転生者が問題を起こし、魔導書が脱走する世界で、幻想図書館の外勤員ジョシュアが奔走する記録――


——空から堕ちた魔導書が、物語を動かす——


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