誰が、何のために
オークとの戦闘が終わったいま、なぜかオークの壊したギルドハウスの床を修理していた。真犯人であるオークはというと、ぼくの燃やしたギルドハウスの内装の方を修繕していた。
「逆じゃないですか。役割的にも、責任的にも」
トンカチと釘、あとは適当な木材で適当に直すというなんとも荒療治にも程がある処置。大工仕事なんてろくにやったことがないから、案の定見るも不恰好な修繕結果が目の前に晒されている。こんなことになるならパン屋の他に大工のギルドハウスにも行っておくべきだったか。
一方、オークが直した内装もボロボロで、とても原型を留めているとは言い難い。
「ほら、やっぱり」
この仕事を命じた受付係にこの有様を見せると、彼女は仕事机に座ったまま、ほんわかした顔で答えた。
「上手ですよ。初めてにしては良い出来じゃないですか。過去の冒険者や傭兵たちに比べれば、結構まともな腕前だと思います」
「これでまとも?」
そう言われてみれば、このギルドハウスはあちこちに修繕の跡がある。壁に床、天井にまで色々な傷跡が広がっている。それはどれもガサツで荒々しい傷跡だった。傭兵や用心棒という職業柄、カッとなって暴れてしまうやつが多いのだろう。
それにしても、そんな奴らも大人しく修繕作業に勤しむとは不思議なものだ。借金のように一息に踏み倒してしまえばいいのに。
「あーあ、面倒くさい。もっと高度な魔法でも使えたら、綺麗に一瞬で直せたんだろうけど」
時間の巻き戻しとか、再生とか、ああいう突飛な魔法ならこんなの一瞬で片付けてしまえるだろう。ぼやくつもりでそう言っていると、受付係は冷めた目でこちらを見ていた。
「なんだよ、変なこと言ったかな」
「ええ、言いました。魔法はあなたが言うような、そんなに便利な道具じゃないんですよ」
薄緑の長い髪をかきあげながら、受付係は視線を机上の書類に戻した。その行為は一瞬だったが、髪の間から一瞬見えた耳は、人間よりも細長く尖った形をしていた。魔法においては右に出るものがいない種族、それは、
「エルフ、か」
「ええ。あの子がおばさんなら、私はおばあさんになりますかね?」
そう言った彼女は笑っていたが、そこにあまりにこやかな雰囲気は感じられない。皮肉か自嘲か、そういう面倒なものの匂いがして、ぼくは直感的に思い浮かんだことを言った。
「ああ、そうだね。若作りは程々にしておいた方がいいと思うよ」
瞬間、死の気配。その言葉を吐いた刹那の間で、視界が派手にひっくり返る。
吹き飛ばされたのだと分かったのは、背中がギルドハウスの壁に激突してからだった。肺の空気が全て押し出されて呼吸がうまくできなくなる。
「これが魔法です。ね、恐ろしいものでしょう」
彼女は冷えた微笑みでこちらを眺めた。強かにぶつけられた背が情けなく悲鳴を上げている。彼女はそれを面白おかしく笑った。
「そこも自分で直しておいてください。それが終わったらフォリアと一緒に東側の城門まで来ること、いいですね」
「はい、はい。わかりましたよっと」
壁に半分埋まった体をなんとか引き上げ、ひとまず怪我が奇跡的に打撲で済んだことに安堵する。機嫌次第じゃ骨まで逝っただろう。それでも幸運の範疇かもしれない時点で、あの種族の恐ろしさが分かる。
アレが使ったのは多分風魔法の応用だが、出力が違えばいつでもぼくを殺せる威力だった。手加減も上手なようで、その老獪さには頭が下がる。やはり長寿ゆえに魔法には一家言あるってわけだ。
「なにか、失礼なことを考えていませんか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。安心してください、おばあちゃん」
伊達に長生きしていない種族に歯向かうことも馬鹿らしく思えたが、悪戯心が先行して口が滑る。そうして、もう一度さっきの壁に体が吹き飛んだ。
「くそ、老人は冗談も通じないのか」
「学びませんね。ヒトの強さは学習速度にあると思っていましたが、どうやらあなたは違うようです」
予備動作もなしにこれか。もしもアレを殺すとしたら相当な準備が要るな、と痛む頭で漫然と思う。そしてアレでも容易には勝てないドラゴンとは、やはり想像ができないくらいに強大なんだろう。
俄然、会ってみたくなる。あわよくば狩ってやりたいな、とぼくは縫いつけられた壁の隙間でひとり思った。
「さて、これで志願兵の募集は締め切りました。集まったのは元の騎士団の人数と合わせても百人程度、これじゃあ中型種のドラゴンも狩れませんね」
ギルドハウスから離れて、ぼくらは王都の城門の近くに移動した。どうやらこれから早速ドラゴンを狩りに行くとかで、周りには各々の装備を身につけた戦士たちが隊列を組んで立っている。
「いや、今日?そんなピクニックみたいなノリでドラゴンを狩るのか?」
「お前が来たのがギリギリだったんだ」
オークのフォリアは淡々と喋った。声色は静かで平坦だった。先ほどの一件も殺し合いを前にしてただ単に気が立っていただけなのかもしれない。
「それで、どうするんだ?今回は正規兵の数も少ない。精鋭どもは東部遠征で忙しいんだろ」
フォリアは受付係に尋ねた。
「どうするもこうするも、頭を使うしかないでしょう。オークの脳筋戦術には相容れないかもしれませんがどうかご容赦くださいね」
「喧嘩を売っているのなら買おう」
「冗談。いちいち真に受けないでください」
こほん、と空咳を吐いて受付係は仕切り直した。
「今回は私が出ます」
まあ、あの実力で後方待機というのも変な話か。と思ったのも束の間、それはかなり意外なことだったらしく、戦士たちは互いに顔を見合わせて驚いていた。次第にざわざわと騒ぎが伝播していく。
「そんなに凄いことなの?」
ぼくはフォリアに尋ねた。
「ああ、本来あいつは王室直属の魔法使いだからな。他国との戦争の際にも前線に出ることは滅多にない」
「え、じゃあわざわざあの人がドラゴンを狩る必要もないんじゃないのか」
というか、なんでそんな人がギルドの受付なんてやっているんだ。
私、エリートです。という立ち振る舞いが妙に似合う受付係。そりゃあ彼女が居てくれたら助かるだろうけど、官僚はこういう仕事は嫌う気がする。
フォリアは親切にその理由を教えてくれた。
「中型の討伐依頼までならな。今回は大型でしかも近隣の街に被害が出ているから早急に討伐が必要だ。さっさと対処しないと上院議会でこれ見よがしに責任を突かれるし、それに魔法使い不在でドラゴンは中々殺せない」
この怪力無双がいてもなお狩れない生き物とは、いったいどんな怪物だろうか。その疑問に答えるかのように、フォリアは続けた。
「私だって中型種ぐらいなら一人で殺せるさ。ただ、戦闘スタイル的に剣士は今回みたいな大型種とかなり相性が悪い。ああいう再生力が高いやつは一撃で殺しきらないと延々と元通りになるからな」
実際に見て、狩って、殺してきたのだろう。そう語る目には経験の跡が映り込んでいた。
「だから最初から最大火力をぶつける。今回はその方法が魔法だっただけで、この期間限定ギルドのやり方自体は昔から大して変わっていない。お前もすぐに慣れるさ」
ふんふん、と頷いていると、その話の中に少し気になる箇所があった。
「期間限定?」
「ああ、知らないのか。ここは騎士団とは言っても、正式な団員はあそこに固まってるヒトどもだけだ。本来の騎士団は別のギルドで、別の任務に当たっている」
それは初耳だったが、どうやら臨時に設立されるギルドは別に珍しいものでもないらしい。従来のギルドでは手に負えないものを担当するために、こういうものが作られることがある、とフォリアは言った。
「私たちオークやエルフ、あそこにはドワーフとかトロルがいるだろ。ああいうふうに種族混成のやつらは一時的な雇われが多い。まあ、ここがヒトの街だから当然だと思うがね。本来ヒトのギルドはヒトが管轄するべきだからな」
「そういうものなのか」
「ああ、そういうものだ。んじゃ、面倒な話はここで終いにしよう。そら、そろそろ本隊が動き出すぞ」
フォリアはぼくから目線を外し、前を向いた。
受付係のエルフを大将に、異種族同士の部隊が動き始める。歩幅も違えば言語も違う。ただ共通の通貨と名誉を報酬に、ぼくたちはこれからドラゴンを狩る。
思えば、フォリアはなぜドラゴンを狩ろうとするのだろう。ここにいる戦士たちは、なぜドラゴンの討伐を目指すのだろう。
ヒトの王が治める都市で、わざわざ彼らがドラゴンを狩る理由とは、なんなのだろう。金のためなのか、そういう単純なもののために生きているのなら、分かりやすくていいけれど。
彼らの横顔を見ていると、なんだかそういう気はしなかった。