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無謀な思いつき

ドラゴン。それは生態系の頂点に立つ絶対強者。

ゴブリンもオークも、あのエルフだって裸足で逃げ出すほどの馬鹿げた怪物だ。火を吐けば街が丸ごと焼失し、羽ばたけば森が薙ぎ倒される。そんなスケールの生き物がドラゴンだった。

人里には滅多に現れず、深い山奥や分厚い雲の上に巣を作るとされるその生き物は、こんな田舎じゃ目にすることは滅多にない。

けれど、王都からこの街に戻ってきた人たちは、口を開けばやれドラゴンを狩っただの、酒に酔った頭でそういうホラ話ばかりをするものだった。

ぼくはその話が好きだった。

荒唐無稽で、信じがたい物語の連続。人間が何人集まっても勝てず、エルフの魔法もドワーフの膂力も無視して暴れ回る伝説の話のことを、毎日飽きることなく聞いていた。

だから、王都の騎士団がドラゴン討伐のために志願兵を募っていると人伝に聞いたとき、ぼくは居ても立っても居られなくなって、街の衛兵さんに尋ねた。

「どうすれば、ドラゴンに会えますか?」

ぼくのことを幼いときから知っている衛兵さんは、すぐにその方法を教えることはなかった。悩ましげな顔をして、ちょっと時間をくれ、と言った。ぼくはワクワクしながら頷いた。

そうして後日彼は、ぼくの両親宛に騎士団への志願書を送ってくれた。そこに添えられたぼく宛の小さな手紙には、

『親御さんとよく話し合うように』

と忠告が書いてあった。それから、騎士団の志願兵に対する扱いの劣悪さや自分の志願兵時代の体験が綴られていた。それは結構、悲惨なものだった。

両親はそれを知っていたからか、大反対した。しかし医者として働いている長兄が賛成してからは、仕方なさそうに渋々ぼくの選択を尊重してくれるようになった。兄は街一番の医者であり、人格者であり、誰よりも賢かったからだ。兄はこう言った。

「この子には生きる才能がある。山でも森でも、そこで生きるための術を身につけるセンスがある。俺に医者としての天賦の才があったように、この子にはこの子の領分というものがあるはずだ」

兄はまっすぐにぼくを見た。そして言った。

「お前はこの街では三流だ。勉強もろくにできないし、運動も大したことはない。このままでは何をするにも中途半端だ」

兄の言葉は全てがその通りで、ぼくはちょっと居心地が悪くなった。

兄は構わずに続けた。

「ただ、昔からお前が言っていたような風の匂いや魔物の気配といったものを、俺を含めたこの街の人間は感じたことがない。だからお前はこの街なんかじゃなくて、そういう感覚を活かせる場所で生きるべきなのかもしれない」

たとえそれが危険な場所だったとしても、と兄は最後にそう言った。ぼくは兄の言っていることがよく分からなかったが、その目が優しかったからとりあえず笑顔で頷いておいた。


翌朝、ぼくは旅支度をした後に志願書を片手に握りしめて衛兵さんのところに行った。衛兵さんは志願書を複雑な表情で受け取ると、王都行きの馬車を手配してくれた。

それは宝石商のお爺さんの馬車で、ちょうど王都に売り物を持っていくからそのついでに乗せてくれるとのことだった。

ぼくは衛兵さんの印が押された志願書を鞄にいれて、宝石商のお爺さんの馬車に乗った。

「ヒロ、お前は何しに王都へ行くんじゃ」

お爺さんは動き出した馬車の中で言った。たまに余った宝石のかけらでアクセサリーを作ってくれるお爺さんは、今度はぼくの腕に小さなミサンガを巻いてくれた。

それを見ながらぼくは返答した。

「ドラゴン。ドラゴンを見に行くんだ」

騎士団はドラゴン討伐のために志願兵を募っているけれど、ぼくはその目的自体は正直どうでもいいと思っている。ただドラゴンを見ることができれば、それでいい。

実際にはどんな見た目なんだろう。どんな匂いがするんだろう。どうしてそんなに大きな体で空が飛べるんだろう。なぜ個体数が少ないのだろう。興味と疑問はぐるぐると頭の中を回って、馬車が揺れるたびに新しい好奇心が波を打った。

「ねえ、お爺さん。ドラゴンに会ったことはある?」

ぼくはお爺さんに尋ねた。

「ああ、あるとも。わしらの世代はみんなそうじゃ」

お爺さんはそう言いながら、自分の記憶を辿っているようだった。

「どうして?」

ぼくが再度尋ねると、お爺さんは苦々しい顔で語り始めた。

「数十年前、王都に巨大なドラゴンが現れたんじゃ。それでわしらは各地から防衛のために徴兵された。武器の持ち方も分からぬまま前線に送られ、みんな紙屑のように吹き飛ばされて死んでいったよ」

「そうなんだ」

ぼくはいつもの昔話を聞くような感じでお爺さんの話を聞いていた。

「そうなんだとはなんだ。お前も歴史の授業で習ったろうに。あの悲惨さを知っているのなら、今回のドラゴン討伐に志願する者などおらん。そもそも今回、騎士団が徴兵ではなく志願兵という形を取ったのも…」

お爺さんはその調子でどこまでも語り続けた。ぼくは馬車に揺られながら、遥か遠くに見え始めた王都の遠影をのんびりと眺めていた。

馬車の外では背の低い草の群れがさらさらと風に靡いていく。次第にでこぼこと荒れ始めた道を進みながら、馬車はゆっくりと王都を目指した。


それから丸一日が経って、ぼくとお爺さんはやっと朝の王都に着いた。あの街とは違って、建物も人も都会風な格好をしている。舗装されている道一つでさえ凹凸もなく綺麗に整っていて、ぼくは歩きながらちょっとだけ感動した。

やがて大きな市場が近づいてくると、お爺さんはまだ眠気の残る顔のままぼくに数個の宝石をくれた後、

「ヒロよ、いつまでも無事でいなさい。それと、もしも帰ってきたくなったら月初めの市場でわしを探しなさい。いつでも連れて帰ってやるからの」

と言って、市場の方へ消えていった。ぼくは彼の後ろ姿が見えなくなってから歩き出した。


ぼくは志願書の裏面に書いてあった地図を頼りに、ギルドハウスという建物に向かった。

しばらく歩いて気づいたことは、どうやら王都には複数のギルドというものが存在するらしく、それぞれが都中の鍛治屋や薬屋、料理屋などを統括しているようだった。騎士団は区分としては『戦争屋』に当てはまるらしく、傭兵や用心棒たちのギルドという立ち位置らしい。

あまり丁寧ではない地図を頼りに最初に見つけたギルドハウスに入ってみるとそこはパン屋のギルドで、ぼくはなぜかそこで一週間くらい見習い希望者としてパンの焼き方を教わることになった。やけにやる気に満ちた老練のパン職人たちに技術を教わり、あっという間に作業工程を叩き込まれ、とりあえずは様になるパンを焼けるようになってしまった。

ことあるごとに『お前は器用だねえ』なんて言われてしまうと、子供としてはつい頑張ってしまいたくもなる。ドラゴンを見に来たはずなのに、ぼくは夢中でパンを焼いていた。

短い研修が終わって、そのこんがりと焼けたものをなんとも言えない気持ちで見つめていると、ベテランパン職人のおばさんはその姿をどう思ったのか、ぶっきらぼうに言った。

「どこも雇ってくれなかったらまたここに来い。私の店で働かせてやる」

仏頂面のおばさんは、そのごつごつとした手でぼくの頭を撫でた。ぼくはなんだかなあ、と思いながら、大人しく撫でられておいた。王都の人たちはやけに子供に対して優しくて、不思議だった。

そうして、ふっくらとしたパンを片手にパン屋のギルドを後にして、今度はちゃんと騎士団のギルドを訪ねると受付の人は何を勘違いしたのか、

「おや、補給係の志願兵とは珍しいですね。しかも腕前の測れるものを持参するとは良い心掛けです。ではお預かりしますね」

と言って、パンの入っていた袋と志願書を持っていってしまった。手持ち無沙汰になって、ぼくはギルド内にいる周囲の人々を見渡した。

ギルドの受付前には複数の椅子と机、そして小さな酒場と売店がある。その周りに傭兵なのか用心棒なのか、はたまた冒険者なのかよく分からない人たちがたむろっている。

まあしかし、見渡す限りの武器、武器、武器。そして動くたびにガシャガシャと音を立てる重厚な防具。長刀に大剣、ハルバードみたいな武器を下げた人もあちこちにいる。

中にはじっと見られるのが嫌いな人もいたのか、こちらを睨みつけてくる人もいた。そういう人には微笑みを返すといい、と兄は言っていたなと思い出して、できるだけ元気に笑顔を返してみると、今度は顔を憤慨させて立ち上がってくる始末だった。兄の助言はあんまり当てにならないな、とぼくは思った。

「おい、お前さ。一体何しに来たんだ?」

その人、白色の兜を被った騎士みたいな人は、兜の中から女性っぽい声で尋ねた。

「ドラゴンを見に来たんだ」

ぼくは正直に答えた。特に取り繕う必要もなかった。しかし、彼女はその返答がお気に召さなかったようだった。

「見に来た、ねえ。予想通り、頭の中がお花畑のようだな」

彼女は兜越しにこちらを睨みつけたようだった。口調も次第に乱雑になっていった。

「武器もなしに、そんなヒョロい体で何しに来たって言ってるんだ。私たちはドラゴンを殺しに命を賭けるんだぜ。ろくでもないような素人に背中は任せられない」

彼女はイラついたように机の足を蹴った。ぼくはその怒りの理由がよく分からなかったし、なんだか馬鹿にされてる気がしたので、

「なんだよ、うるさいな。じゃあ武器があれば、ドラゴンに勝てるの?強い体があれば、素人じゃなくなるって言うのか?」

とムキになって言い返した。だいたい、ドラゴンを討伐するために何が必要なのかもぼくは知らない。素人と言えばその通りだろう。

しかし、彼女もそんなに優れた人であるようにも見えなかった。もっとも、優れていたのならこうやってギルドで徒党を組む必要もない。一人で勝手にドラゴンを狩ってしまえばいいのだ。それができないのなら、所詮は素人のぼくと五十歩百歩だ。

彼女の武器を見た最初の感想は、『高そう』だった。その大きな剣には至る所に豪華な意匠が凝らされていて、とても何かを殺すためだけに特化した武器には見えなかった。それよりも彼女の後ろに座っていた青年の無骨な槍の方が余程優れているように見えて、ぼくは彼にも尋ねてみた。

「ねえ、お兄さん。武器があればドラゴンに勝てるの?」

その軽装の青年はこちらを一瞥すると、呆れたように言った。

「無理に決まってる。それができたら苦労はしないよ」

青年は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。ぼくも同意見だった。人一人の武器の有無で勝敗が決まるのなら、きっと騎士団は志願兵なんて募らない。

「らしいよ、お姉さん」

そう言うと、彼女は更に機嫌を悪くしたのか、大剣をこちらに向けて吠えた。

「んなことは分かってんだよ。問題は意思の話だ。戦う心構えがなってねえやつは失せろって話なんだよ。てめえも冷やかしに来たんなら死なないうちにさっさと消えな」

その言葉と共に空気がひりついた。彼女の大剣からは重々しい殺意が感じられた。なるほど戦士の怒気というのは結構怖いものなんだな、なんて呑気に考えていると、騒ぎを察したギルドの人が慌ててこちらへと近寄ってきた。

受付係の人は慣れたことなのか、声にため息を混ぜて言った。

「フォリア、またあなたですか。ただでさえ志願兵が少ないのに、これ以上減らすのは勘弁してほしいのですけど」

彼女の言葉を聞いて、ぼくはなるほど、と思った。なんであんな田舎の街に騎士団の募集がかけられたのか少し疑問に思っていたのだが、どうやら今の騎士団の人員状況は結構切羽詰まり気味であるらしい。

フォリアと呼ばれた白甲冑の女性は面倒くさそうに返答した。

「死体の山が戦力として数えられるならいいんだがな。生憎と私はネクロマンサーじゃないんで」

さらっと死体扱いされたことにムッとして言い返そうとすると、それよりも早く受付係の人が答えた。

「彼も戦力の一部でしょう。兵站が無ければドラゴンは殺せません。ドラゴン討伐は必ず長期戦になるんですから」

やっぱり見習いパン屋としての戦力なのか、と残念に思いながら、それでもドラゴンを見に行くことができそうな雰囲気にワクワクする。いまさら剣を振り回しても彼らには敵わないし、こういう役回りはむしろ良いのではないか。あのときパン屋のギルドに間違って入ったのは幸運だった。

ぼくがそう思っていると、白甲冑の女性は受付係の人の言葉に腹を立てたのか、ギロリと目を不愉快げに動かした。

「このガキが戦力だと?」

そう言って、背負っていた重厚な大剣を軽々と片手で持ち直す彼女。その鋭利な切先はこちらに向いている。獲物を見定める獣の眼光のように、それはギラリと光沢を放った。

「じゃあ、試してみるか」

その言葉を合図に、彼女は大剣を振るった。















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