怖い話
ある夜のことだった。女のアパートを友人が訪れた。二人はビールで乾杯し、仕事の愚痴や恋愛の話で盛り上がっていた。だが次第に話題は、友人が最近行った霊スポットの話へと移っていった……。
「それでね、噂のトンネルに入っていったら……」
「いや、やめて、怖いんだけど……」
「目の前にぼんやりと人影が浮かんできて……」
「そういう話、苦手なんだってば……」
「それが、アァァ……アァァァ……ってうめき声を上げながら……」
「やめて、もう嫌……」
「ゾンビが、こっちに迫ってきたの……」
「嫌……いや、え?」
「それであたし、急いで逃げ出したんだけど、そのゾンビが後を追ってきて」
「ちょ、ちょっと待って!」
「なによ、ここからが盛り上がるところなのに。いい? それでね、ゾンビが」
「いや、ゾンビ?」
「うん、ゾンビ」
「いや、そういうのじゃなくない?」
「そういうのじゃない……?」
「いや、心霊トンネルにゾンビはおかしいでしょ!」
「えっ、どういうこと? ゾンビが怖くないの?」
「怖くな……まあ、実際会ったら怖いけど……でも、違うんだよなあ……」
「何が違うの? 幽霊もゾンビも同じジャンルでしょ」
「確かにホラーだけど、ゾンビはちょっと面白い寄りというか、アクション寄りというか……」
「じゃあ、貞子みたいなのがよかったの?」
「いや、貞子も最近は、うーん、どうなんだろ……」
「でも、仕方ないじゃん。実際に出てきたのはゾンビなんだから」
「そっか……いや、現実にゾンビはいないでしょ」
「いたよ、これは本当の話だって前置きしたじゃん」
「でも……あ、もしかして薬物中毒者だったとか? 確か、アメリカではそんな話があったし、そう考えると怖くなってきた……」
「違うよ。クスリやってたのは、あたしの彼氏」
「は!? そっちのほうが怖!」
「もう、話が逸れちゃったじゃん」
「いや、私のせいかな……?」
「あ、じゃあ、この話はどう? こないだ夜道を歩いていたときのことなんだけど……」
「だから私、怖い話は苦手なのに……」
「電柱の後ろに人影があって……」
「嫌、嫌だ……」
「近づくと、ゆっくりと電柱の陰から出てきて……」
「もう、嫌……」
「ゾンビがね、あたしに向かって手を伸ばしてきたの! それで、あたしは」
「いや、またゾンビ!」
「そう、あのときのゾンビだったの! 怖かったあ」
「だからゾンビが出てきちゃ……いや、まあ、心霊トンネルから追ってきたのなら怖いかな……うーん……」
「もー、何悩んでるの? 本当に怖かったんだから」
「いやー、惜しいんだけどね。ゾンビじゃなければ、ちゃんと怖かったのに」
「でも……まだ続きがあるの。そのゾンビがね、あたしに向かって手を伸ばして、『返せー、返せぇぇぇ』って言ってきて」
「いや、ゾンビが喋っちゃダメでしょ! もー、なんなの……ん、返せ? 返せって何? ゾンビから何か取ったの?」
「うん、最新のワイヤレスイヤホン」
「イヤホン!?」
「そうそう、『返せえぇぇ、孫がくれたんだあぁぁ。取ったのはあぁぁ、お前なんだろおぉぉ?』って言ってきてさ」
「おじいちゃんなの!? いや、すぐに返してあげなさいよ! そもそもなんで取ったの!?」
「ああ、心霊スポットでそのゾンビに注意されたときに、彼氏がキレてボコボコにしちゃったんだよね。それで、その戦利品ってわけ」
「彼氏怖すぎでしょ! てか、そのゾンビ、普通のおじいちゃんじゃん!」
「でも、そのゾンビ、トンネルの管理者でもない、ただ散歩していただけの人のくせに『勝手に入るな!』って注意してくるって怖くない? 関係ないくせに正義感振りかざしてさ」
「その考え方のほうが怖いよ……ずっとゾンビ呼ばわりしているのも怖い」
「いやいや、追いかけられたこっちのほうが怖いからね?」
「それはイヤホンの位置情報を追跡してきたんでしょ」
「それじゃ、あたしそろそろ帰るね。明日は大事な予定が入ってるから」
「自由ね。今日も突然来たし。まあ、いいけど、ちなみにその大事な予定って?」
「彼氏の通夜。彼の友達が来るんだけど、その中にカッコいい人がいるから、先に美容院に行かないとね」
「もう、いろいろと怖いというか、滅茶苦茶だね……」
彼女は呆れながら友人を見送ると、ドアを閉めた。しかし、しばらく経つと……
――コン、コン。
ノックの音がした。
忘れ物かな? 彼女はそう思いながら立ち上がろうとした。
その瞬間、声が聞こえた。
――返せ……返せえぇぇ……
それは、しわがれた喉で精一杯振り絞ったような声。ただ、弱々しくはなく、憎悪に満ちた響きだった。
そして、鍵が開く音がした。しかし、彼女は気づかなかった。まさかと思い、ベッドの下を覗き込んでいたのだ。
そこには見覚えのないイヤホンが落ちていた。