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うたわれるもの

作者: 海月空

 どこまでも澄み渡った空。

 広大な大地の向こうに広がるのは地平線だけだった。

 目的地は見えているのに、一向に近づいた気がしない。

 道はつながっているのに、歩く場所を間違えているかのような感覚を覚えた。


 汗を拭って荷物を担ぎ直す。

 後ろを振り向いてみるが、ひび割れたフリーウェイには砂煙ひとつ見えない。

「ほんとにこっちで合ってんの……?」

 さっき降りた路線バスの運転手によれば、折り返してくるバスが通るはずだった。しかし、炎天下の中をかれこれ1時間は歩いているが、車も人も家もとんとお目にかかれない。


 もう一度舌打ちをしそうになったその時。

 エンジン音が聞こえた。

 車ではない。聞きなれない音だか、近づいてくる。

「どこから?」

 周囲を見渡して見ると、逆光の地平線に黒い影が見えた。飛行機だ。

 みるみる近づいてくる影。声の限りに叫んで、ありったけの力を使って飛び跳ねた。

「お願い!気づいて!」

 飛行機が頭上を通り過ぎた。タオルを振り回し、飛び回り、のどの痛みに咳き込んだが、今休んだら文字通り命が危ない。持っていた飲み水ももう底をついた。


 程なくして、なりふり構わぬ祈りが届いた。旋回してきた飛行機が少し先の草原に着陸する。

「こんなところで何やってんだ。ここいらは歩ける距離に何にもない。死ぬぞ」

 降りてきた男が捲し立てた。普段なら少し怖いくらいの勢いだったが、今はまるで生き別れた兄弟に会ったかのように嬉しかった。

「助かったぁ!」

 男に抱きついて喜んだ瞬間、世界がグラついて何もわからなくなった。

 

 次に見えたのは木で組まれた吹き抜け。土と薬草が混じったような不思議なにおいと、何かの食べ物のにおいがした。

「目が覚めたか」

 ブルーグレーの瞳と無精髭が覗き込んだ。飛行機の人の声だ。

「ごめんなさい」

 熱中症で倒れたのだろう。助けてもらった上、迷惑をかけてしまった。

「死ななくてよかったな」

 一瞬間が合ったが、男は意外なほど優しい声で言った。

「お前、ニューゲートに行きたかったのか」

 そこはこの地の最南端。魂の還る場所と呼ばれているが、もはや古い伝承の中にしか存在しない幻の地だ。しかし、その地に辿り着けばどんな願いも叶うと言われ、求める人は後を絶たない。


「あそこを目指して生きて戻ったやつはいない」

 知っている。強い願いを持つ者ほど後戻りができず、命尽きるその瞬間まで追い求めて息絶えるのだ。遺体が見つかればまだいい。その多くがどこに消えたかわからないから、畏怖の念とともに語られている。

「なぜあそこに行きたいんだ」

 不思議な質問だと思った。

 あの場所を目指す人間は、誰もが叶えたい願いがある。命を引き換えにしても。

 それを聞くことに意味があるだろうか。しかし、なぜかこの男には話したくなった。

「友人の命と夢を守りたいの」

「自分の命と引き換えにか」

「ええ、とても大切なの」

「医学ではムリなのか」

「お金をつんで何とかなるならそうしてるわ」

「なぜ家族ではなく、友のお前なんだ」

 核心だった。

「それは――」

 突飛な話だ。しかしここまできてごまかすのも違う気がした。

「時を戻さないといけないの。助けられるのは私だけよ」

 男は初めて目線を合わせた。驚いているのか、奇異な目で見ているのかわからない。ほんの少しだけ、憐れまれているように見えた。

「ゲートキーパーが動くのか」

 私が驚く番だった。時の番人ゲートキーパーはそれこそ物語の中の登場人物だった。あの場所でなんでも願いが叶うなら、タイムリープも可能なはずだと紡がれた物語がいくつもある。

 

男がスープを差し出すと、鼻先をくすぐるブラックペッパーの香りが食欲をそそった。

「食え」

 何枚かのパンが無造作に置かれた。言われるまでもなく、疲労と食べ物に飢えた体は我慢などできない。無言のまま食事する音だけが静かに響いた。ほどなくして男が言った。

「行くぞ」

「ごちそうさまでした。ええ、お願いします」

 外に出ると草の香りをまとった爽やかな風が吹いた。満点の星空の下に鎮座する古びた飛行機がなんとも絵になる。


 私を後部座席に座るよう指示すると、着々とシートベルトを締めて男は言った。

「合図をしたらその赤いボタンを押せ」

「それだけ? 注意とかは?」

「ない。押せばわかる」

「どのくらいかかるの?」

「40分くらいだ」

「そう」

「なんだ。怖気ついたか?」

「まさか。ただ……」

 そこに辿り着けばすべてが変わる。そう、すべてが。

「拡声器がついてる。話くらいは聞いてやる」

 それだけ言うと男は操縦席にさっさと乗り込んだ。ツンデレかと思ったが、照れているわけではなさそうだ。同情するわけでもなく、突き放されるわけでもなく、この距離感が心地いい。


 飛行機が離陸する。重力と浮力に揺られて10分ほど飛行したところで私は拡声器を開いた。

「あなたが謳われる者だったのね」

「そう呼ばれているらしいな」

「ふふ。それっぽくないわ」

「見た目などどうでもいい。俺は俺の役割をまっとうするだけだ」

「伝承では創世から人々を導いているというけど」

「ゲートキーパーなら知っているだろう」

「私たちゲートキーパーは有限の時しか与えられていないもの。あなたとは違う」

「無限の時など味気ないものだ」

 ほんのわずかに声音が変わった。

「ごめんなさい。そうよね」

 返事が途絶えた。話をやめるべきか悩んだが、拡声器は閉じられていない。今の私はその沈黙にさえ何かを求めていた。

「宿命とは厄介なものだな」

 男の声に切なさが滲んでいた。

「そう思うわ。でも、私は私がゲートキーパーで良かった」

「俺はゲートキーパーの宿命を変えたかった」

 意外な言葉だった。男は続けた。

「もうどのくらい前だったのか定かではない。だけど俺はその時代のゲートキーパーと無二の親友だった」

 何かを思い出しているのか、男は一旦黙る。


「友は、ある日訪ねてきた女と恋をした。その女は自分以外の家族を全員失い、あるかもわからない彼の地へ向けて最期の旅をしていた」

「彼女はニューゲートに最後の希望を託そうとしたのね。彼も旅の途中であなたと会ったの?」

「いや。あいつは幼い頃に俺に拾われた。お前のように」

「え。ゲートキーパーって謳われる者に拾われる運命なのかしら」

「友とお前しか拾ったことはないが」

 大まじめに答えられて少し笑いが込み上げた。

「冗談よ。それで?」

「ああ、ここにたどり着いたとき女は衰弱しきっていてしばらく養生させていたんだが、その間に2人は惹かれ合っていった。最初は旅を続けると言っていた女も、友の想いに動かされて気づけば2年ほどの月日が経っていた」

「3人で一緒に暮らしていたの?」

「ああ。あの家でな。ゲートキーパーが生まれたということは、その時代に動かさなければならない〝時間〟があるということだ。俺もそれはわかっていたが、そのときは突然来た」

 何かの言葉を飲み込んだ気がした。

「もちろんやらないという選択肢もゲートキーパーには与えられている。けれど俺は動かなかったゲートキーパーを1人しか見たことがない。友もまた、少しも迷わず自分を差し出したよ」

 今の私には身を投げ出した彼の心がよくわかる。どれくらい前のゲートキーパーなのか、何を背負って何をしようとしたのか、そんなことは問題ではない。彼もまた、大切な何かのために当たり前の選択をしたにすぎない。

「お前も――」

 言い淀んだのは、まだその無念に苛まされているからか。

「バカだな」

 少し声が揺れた。

「ありがとう。まさか私たちゲートキーパーに悲しんでくれる相手がいるなんて思ってもいなかったわ」

「お前たちには姿がある。命がある。心がある。人と同じだ」

「熱中症で死にそうにもなるしね」

 ふっと笑った気配にほっとした。

「でも行くんだな」

「だから、行くのよ」

 息を呑んだ気配がした。何だろう。

「そうか」

 謳われる者はそれ以上何も話さなかった。


それからしばらくして、地平線が赤く朝焼けに染まり始めた。

「きれい……」

「ゲートキーパー、太陽が見えたらボタンを押せ」

 唐突な合図だった。

「地球最後の記憶がこれなら上出来ね」

 空が急速に明けていく。

「謳われる者」

「なんだ」

「ありがとう」

「……!」

「どうか私たちが愛したこの世界を守ってね」

 地平線に太陽が光の線を描く。

「俺は、お前たちを忘れない!」

 そう聴こえたと同時に、オーロラ色の風に包まれた。後にはなんの音も聞こえない。方向感覚もなく、温度もにおいもすべてなくなった。

「ええ、ありがとう。この世界のすみずみに私たちはいるわ」

 自分の声さえもう耳には聞こえなかったが、謳われる者に届くようにと強く祈った。

 

 太陽が昇り来る地平線に向かって飛んでいた。俺はあと何度この瞬間を繰り返すのだろう。

 しかし、「だから、行く」とゲートキーパーは言った。

それなら俺は「だから、導く」と言おう。

「ええ、ありがとう。この世のすみずみに私たちは――」

 清々しい青空の彼方から霞のような音が切れ切れに聴こえてきた。最後は何と言ったのかわからなかったが、痛いほどに心に響く。

「安心しろ。俺がお前たちの巡り続けるこの世界を愛し続けるさ」

 この世界の秩序を司る、謳われる者だけに許された全知の力。

愛する者たちの未来のために命を賭す、忘れられゆく者を俺は語り継いでいく。

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