妹
ーーやられた。私は悔しさの余り唇を噛んだ。
たちまち口の端の血の味が口中に広がった。
さすがに婚約者まで手を出すとは思っていなかった。
相手は、実の妹である。
社交的で、美人で、気が強く、それでいて気が利き、気に入った人には好意を尽くすが、嫌いな相手は冷酷に潰してくる性格で、この世で私が最も苦手とする人物の一人だった。
妹は、そのままでも十分恵まれているというのに、隙あらば、少しでも私に対してマウントをとりたがった。
勉強が少しばかり得意な私に、「ガリベン。友達もいなくて生きてて楽しい?」と暴言を吐くくせに、夏休みの宿題の期限には「お姉ちゃん、一生のお願い」と甘えてくるのだった。
妹の世渡りの上手さはそこにあった。
いくら冷たくされても、生まれながらの愛くるしさと美貌で優しくされれば、普段腹がたつことがあっても、上手く利用されるはめになるのである。
加えて、父母の「お姉ちゃんなのだから、やってあげて当たり前」という幼い頃からの口やかましい叱責も私の心を圧迫した。
妹はモテた。街中を歩けば、当たり前のようにナンパされ、学校で告られるのもしょっちゅうだった。
一方、陰キャな私は喪女一直線で、面白くもない青春時代を過ごしていた。
風向きが変わったのは、大学に入ってからである。
その辺の短大に入った妹より、はるかに偏差値の高い大学へ入学することができた。
化粧や服を研究し、初のボーイフレンドまでできた。
「家に連れといでよー。百戦錬磨の私がお姉ちゃんに相応しいかみてあげるー」
妹は、興味深々といった表情で、親に遊びにきてもらおーよ、ねぇ?と同意をとりつけ、母も乗り気になり、私もついその気になって、ボーイフレンドを披露することになった。
緊張した面持ちで我が家に訪問した彼氏だが、妹の話しやすさ、気さくさにほっとした様子で、お茶とケーキを食べながら、打ち解けていった。
和気藹々としたムードで、そのときは私も幸せな気持ちでいたのだ。
ところが、その数日後から、彼からラインもメールも来なくなった。
やっとキャンパスで彼を見つけて、声をかけると、彼は、申し訳なさそうに、「君の妹が好きになった。ごめん。」と別れを告げられたのである。
ショックのあまり、頭が真っ白になった。
家に帰り、鬼の形相で妹を問い詰めると、
「向こうが勝手に好きになっただけでしょ。知らないよ」と涼しい顔で言う。
「ちょっと親切にするだけでこれだから、困るな。お姉ちゃんも相手選びなよ」
こんなにひどいことをされたのに、のどが塞がれたようになって、口をぱくぱくさせるが、言い返すことができない。
妹は、さっときびすを返して自室に戻ってしまった。
スクールカーストの上位女子には生涯勝てないのかと思って、私はその夜、悔し泣きした。
次の朝、私の泣きはらした顔をちらりと見た父親は、新聞にさっと眼をおとし、かすかに繭をひそめ、
「そんな陰気な顔をしてたら、余計もてないぞ」とぼそっと言った。
母も、妹も、知らん顔をしてパンを食べていた。
それ以来、私は、彼氏ができても、絶対に妹にだけは会わせない様、徹底的に用心しようと決心した。
ところが、である。うちに彼が結婚の挨拶に来たときのことだ。
間抜けなことに、また同じことが繰り返されてしまったのだ。
今度は、妹は軽い気持ちではなく、本気で私から獲物を奪いにかかってきた。
相手は、医者だった。
見た目は今風で、育ちがよくて優しく、まさしく妹のタイプだったと思う。
彼女は、妹という立場を利用して彼と会い、私に欠けている魅力を前面にモーションをかけたのだ。
私の親は動揺したが、妹は彼の両親に大変気に入られ、すぐ仲良くなったという。
親としては、差し出す娘が入れ替わっただけで、好条件だったので、結局は妹を祝福するようになった。私の衝撃と絶望など無視されてしまった。
さて、結婚式の前日、妹は私の部屋をノックした。
そして、いきなり私に抱きついてきて、泣きながらこういった。
「お姉ちゃん、ごめんねごめんね。悪かったと思ってる。でも、私、本当に好きになっちゃったの。」
後ろ手に忍ばせていた果物ナイフが私の手から、ぽとりと落ちた。
絶対に殺してやるとまで思いつめていたのに、泣きじゃくる妹は、やっぱり可憐で可愛くて、慰めてあげたくなるほどだった。
たとえ無意識の演技や計算だとわかっていても・・
私でさえそんな気もちになるのだから、これで落ちない男はいないだろう。
私の嫌いな、天使のように可愛らしい、悪魔のような妹・・私が甘いのか。
それともこれが長女の刷り込みってやつか。
お姉ちゃんなのだから、譲ってやりなさいっていう言葉が呪詛のようにこの体に染み付き、繰り返し訴えてくるのだった。