お嫁さん候補…?
カランカランと音が聞こえると店の様子を伺うべくマルコさんが部屋から出ていく。
私はリンナーさんに抱きしめられたままマルコさんを見送った。
「エミリーは人が怖いかい?」
そう尋ねられて私は少しだけ考える。
怖いか怖くないかで聞かれたら怖くない、と思う。
けれどリンナーさんに手を伸ばされた時、私は体を強張らせてしまったことを思い出す。
「…少しだけ…、でも慣れたら平気」
嘘じゃないという事を証明するように、私からもリンナーさんに腕を回す。
「あらあら可愛いわね。
じゃあ私達の息子とも仲良くしてくれると嬉しいわ。
フォルダンも夫に似て優しいから、きっとすぐ慣れると思うよ」
そういうリンナーさんに私は頷いた。
そして、マルコさんが一人の男の子を連れてやってくる。
「…母さん、誰?その子」
眼の形とかリンナーさんに少し似ている男の子は、マルコさんのように無表情だった。
でも、無表情なのに冷たく感じられない男の子。
それだけで二人の子供だとわかる。
男の子は私と目が合うとキョロキョロと困った感じで目線を動かして、そして少しだけ笑った。
私はリンナーさんから離れて男の子と向き合った。
「私は…「もしかして、僕のお嫁さん?」……へ?」
たぶん短い時間だと思う。
でも確実に沈黙が流れた。
「や…っだねーー!!何をいってるんだいこの子は!!」
「え?なんで?だってこんなにも可愛い子なんだからそう思うのは普通じゃない?
ね?父さん」
「……確かに。娘として受け入れようと思っていたが、フォルダンの嫁として受け入れるほうがいいかもしれないな。
そうすれば家族なことは変わらないし、第一どこぞの男に渡すこともない」
「ちょ!アンタもなにいってるんだい!」
リンナーさんがマルコさんに近寄って、背中をバンバン叩くもマルコさんは全く動じない。
数ミリ単位も体を動かすこともないどころか、どこか嬉しそうに見える気もする。
「僕はフォルダン・ココ。君は?」
「わ、私は、エミリーっていうの」
「エミリーだね。…ね、エミリー、僕のお嫁さんになって欲しい」
「え?え?」
「だめ?」
「だめっていうか……、お嫁さんとか私よくわからない…」
「わからないってことは、僕のこと嫌いじゃないってことだよね。
それなら僕の事好きになったら結婚して欲しい」
じっと見つめられて私は咄嗟に頷いてしまった。
するとフォルダンは嬉しそうににこやかに微笑む。
誰だ、マルコさんに似て無表情とかいった人。
…口にしてないけど、そう思ったのは私だ。
「よかった。これからよろしくね、エミリー」
どうしていいのか戸惑う私の後ろには、初めての息子の積極的な姿に困惑している母親の姿と、うんうんと頷く父親の姿があったとか。
◇◇◇
私がココ家族に拾われて、いや、リンナーさん達の家族になって一年が経過した。
どうやら私が今暮らしている場所は、ナイアゲール領の中にあるハイオジア町という大きい町だった。
ナイアゲール領は私が前に暮らしていたエルダ領の隣に位置していて、領主同士がとても仲が悪くて有名らしい。
仲が悪いというのには少し語弊があるかもしれない。
何故かというと、なにかとナイアゲール伯爵にエルダ領を納めている貴族がライバル視しており、色々と悪戯といってはカワイスギルちょっかいをだしているらしいのだ。
その所為でエルダ領の税金が高くなっているというのが一般的に流れている噂だ。
その噂というか、話を聞いて(だからリース村の人たちは貧しかったのか)と私は納得する。
まだ両親が健在だった頃、とても楽とは言えない暮らしだったからだ。
でも、あの頃は確かに充実していたのは事実だ。
ちなみに色々と嫌がらせをしてきたというのもあって、ナイアゲール領はエルダ領に対してかなり危険視しているということも聞いた。
だからなのか、逃げ出した私を捕まえる為に追ってくるかもしれないと恐れていたのだが、エルダ領からの対策が万全なのか、この一年叔父たちの話は一切聞くことがなかった。
勿論最初の半年はとても怖かった。
いつかあの人たちがやってくるのではないか。
この幸せな生活が崩れてしまうのではないか。
だけど、ここで生活していくにつれて、リンナーさん、マルコさん、フォル、そして町の人たちがとても良くしてくれて、次第に怖くなくなったのだ。
フォルと一緒にマルコさんの狩りについて行っていることも理由にあるかもしれない。
なるべく町の外に出ないようにしていた私を、絶対に守ると約束してくれたマルコさんとフォル。
子供を守るのは当然だと笑った町の人たち。
友達なんだからと、手を握ってくれた皆。
そんな町の人たちを信じられるようになって、私は遂に森へと足を踏み入れた。
叔父であるシュタイン男爵の屋敷から逃げ出した時にも森に迷い込んだはずなのに、この時はすごく怖かった。
どんな動物や魔物が飛び出してくるのかと、体を縮めて歩いていた。
フォルに手を握られ安心させるように微笑まれても、恐怖心は薄れなかった。
でも、あまりの恐怖心からか、治癒以外使えなかった_使ったことがないだけかもしれないが_私は治癒以外のバリアー等の防御魔法と、弱いながらも攻撃魔法を使えるようになったのだ。
魔物を倒せたことには安堵した。
でも、魔物でも血を見るのはいい気がしなかった。
私が血を採られる為に傷を負わされていたから。
でも狩りに参加した人たちは、倒した相手が魔物でも、自分に襲い掛かってきた動物でも、感謝をしていた。
命をいただきますと、手を合わせていたのだ。
何故か、心が軽くなった気がした。
救われたような、そんな…なんて言っていいのかわからない感情がこみ上げてきた。
そんな皆のお陰で、私はやっと普通の子供と同じく楽しく暮らせた。
フォルと一緒にお店の手伝いをしたり、教会に行って授業を受けたり、友達も出来て他の女の子と一緒に遊んだり、怖かった狩りにも行った。
楽しかった。
まるで両親が生きていた頃に戻ったみたいで、とても充実している暮らしを送ることが出来た。
「エミリーにお願いなんだけど」
「なに?」
「今後さ、うちのお父さんの腰も治してほしいんだ」
「いいよー」
友達のアイリの家にお呼ばれしていて出されたクッキーを手に取り貪っている私にアイリはそう言った。
もじもじと言いずらそうにしているアイリだけど、あっさりと許可した私にパァと華を咲かせるくらい眩しい笑顔を見せる。
私が覚醒した治癒の力は、私だけに使えるものではなかったことがわかってからは、宿に泊まりに来る人達に無償で行っていた。
自分がどれぐらいの力を持っているのか、どれぐらいの傷を治せるのかも知らなかったけれど、リンナーさんとマルコさんの力になりたくて自分から提案した。
それは今でも変わらない。
ただかなり大きな傷でも治せてしまうことが分かってからは宿に泊まらなくても、お金を払ってくれれば受けるというスタンスを新しく取り入れた。
勿論私に直接ではなく、あくまでも宿屋を経由して私に依頼するといった流れになっているから、アイリも私に直接頼むことに悪い事をしているのではと不安になっているようだった。
「ていうか今度なんていわないで、今からでも大丈夫だよ」
にこりと笑ってそう告げると、じゃあ今から行こう!と椅子から立ち上がって私の手を引く。
嬉しそうなアイリに、私も負けじと走った。
さっそくアイリのお父さんの腰痛を治すととても喜ばれた。
これで仕事がやれると張り切っていた。
アイリのお父さんは寝具や椅子などの家具を作っているから、腰を痛めていた時は思うように仕事が出来なかったようだ。
私もアイリのお父さんにベッドや机を作ってもらったので、仕事が捗るようになって良かったと思う。
お金も宿に払っておくと言ってくれた。
本当にこの町の人たちは、いい人ばかりだ。
私は赤く染まり始めた空を見上げて、目を細めた。
心が軽い。
もしかしたら、今すぐにでも飛んでしまえるかもしれない。
毎日が地獄の様だったあの頃とは雲泥の差で、それぐらい毎日が幸せだった。
「エミリー」
ルンルンと鼻歌を歌いながら帰路を歩いていると、聞きなれた声が私を呼んだ。
「フォル!迎えに来てくれたの?」
「ああ。…一緒に帰ろう」
手を差し伸べるフォルに、私は照れながらも手を握り返す。
するとフォルからも握り返された。
「………」
ちらりと隣に並ぶフォルを見上げる私に、フォルがニコリと微笑む。
「どうしたの?」
そう問うフォルはこの一年間で随分大きくなった。
出会った頃のフォルはまだ私と同じくらいの身長だったのに、男の子の成長は早い。
十三歳の私たちはまだまだ成長期で、これからどんどん大人になる。
フォルもどんどん成長して、大人になって、もっと
「…人気者になっちゃうんだなぁ…」
「エミリー?」
「あっ!!」
思わず出てしまった言葉に驚き、これ以上口走らないように口元を抑える私にフォルは首を傾げる。
可愛いフォルのその仕草はすぐにどこかに消えて、フォルは嬉しそうににこりと微笑んだ後、裏路地へと足を進めた。
勿論私と手を繋いだまま。
「ふぉ、フォル!?帰るんじゃなかったの?」
「帰る前に、……ね、エミリー、僕はエミリーが好きだよ」
「ふぉ!?」
「なんだかさっきのエミリー、不安そうにしてたから、ね」
壁に私の背を預けさせて、ぐっと距離を縮めてフォルはそういった。
初めて会った時からフォルはなにも変わってなかった。
好きだという気持ちをずっとまっすぐに伝えてくれていた。
でも私が人を好きになったことがないから、どんな気持ちが好きだということなのかわかってなかったから、返事を出来ないでいた。
フォルの気持ちは嬉しい。
フォルと一緒にいるのも安心できるし、居心地がいいって思う。
でもこうして、近づいてこられると落ち着かなくなるというか、少し離れて欲しいとも思う。
(この気持ちが…好きってことなの…?)
フォルと一緒にいるのは好きだけど、でもこうして抱きしめられると、突き放してしまいそうにもなる。
でもそれって嫌ってことなんじゃ…と思うと、これが好きなのかどうかがわからなかった。
「帰ろっか」
離れていくフォルの体温が恋しくなった。
でも顔は熱いままで、フォルもそうなのかなとちらりと見上げると、フォルの耳が真っ赤に染まっていた。
◆◆◆◆ 男爵
エミリーが逃げ出した後の男爵家は、エミリーの有難みを忘れていた。
いや、もしかしたら有難みを全く感じていなかったという可能性すらある。
エミリーが逃げ出したその日の昼に、反省したか確認の為に夫人は以前使っていた馬小屋へと足を運んだ。
だが逃げ出した後なのだから、エミリーがいるはずもない。
人一人見つけられず、夫人は怒りをあらわにした。
『どこにいるの!?』と恐ろしい形相で屋敷の中をくまなく探すが見つけられるはずもない。
エミリーは外に逃げ出しているのだから。
そうとも知らない夫人は雇っていたメイドや傭兵に命じ、屋敷の敷地内を探させる。
その様子を知った男爵は、敷地内だけではなく屋敷の外も探すように指示した。
『まぁ…血はたっぷりと残っている』
『そうね、無くなる前に見つければいいのだわ』
そう互いを慰めあい、男爵夫婦は酒をワイングラスに注いだ。
自分が成功した根源には、エミリーがいてこそという考えが抜けていたのだ。
そして、有限なものはいつかなくなる。
それはエミリーの血もそうだが、稼いでいた金もそうだということを忘れていたのだ。
人は一度贅沢を経験すると、堕落した後堪えられなくなるのだと誰かが言っていた。
事業が成功した男爵夫婦はツケにしていた支払いを済ませ借金をなくし、そして贅の限りを尽くした。
着るものも食べるものも、屋敷の家具も装飾する名画も。
貯金という言葉を知らないかのように貯め込むこともなく、金を湯水のように使っていた男爵夫婦はエミリーがいなくなってからもその生活は続いた。
そんな時男爵家に手紙が届いた。
教会の者からだった。
男爵はエミリーの血を混ぜた水を、『奇跡の聖水』として売り出していた。
どんな病も、怪我もたちまち治ると豪語して売り出していた。
勿論治癒能力の高かったエミリーの魔法は、その宣伝文句の通り抜群な効果を発揮していた。
だが、それはやはりただの血と水であることは変わらなかった。
だから薬草を一切使っていなかったその奇跡の聖水は、薬師協会への登録が出来なかった。
それを男爵もわかっていたのかは不明だが、怪しい水を売り出した者はこれまで失敗に終わっていたからこそ見逃されていたが、それが爆発的に大ヒットした為に薬師協会の者をも動かした。
奇跡の聖水を購入し、薬師協会が成分を調べる。
薬草が一切ない、水を調べたところ町の近くにある大きな湖に似た成分であることが分かった。
そして少量の血が混ざっていることも。
こんなものを製品として売り出すとは…
そう誰もが思った。
少量の血が混ざっていることを突き止めた薬師協会は、次に男爵の販売実績からどれぐらいの血が混入されているのか、また血は全て同じものなのかを調べる。
過去のものは調べる術もないことから、これから販売されていく商品を月が変わるたびに購入した。
そして全ての成分が同じこと。
血の量はおよそ、子供のからだ半分ほどの量であることが分かった。
そして薬師協会はこの事実を教会へと流した。
薬師協会はあくまで薬の専門。
薬ではなく”聖水”という名の商品ならば薬師協会ではなく、教会の分野だと判断したためだ。
さてここで男爵側に話を戻そう。
エミリーが逃げ出した後、大切に使っていこうととっておいた血はどんどん固まっていっていた。
血液を体の外に出すと凝固することを頭になかったのか、固まりはじめる血を見て、二人は発狂する。
『どうしてこんなことに!!!』
『残っていた血を使って全て作ってしまえばよかったのだ!』
『そうしてしまうと水が腐ってしまうでしょう!』
『そんなこと知るか!』
そんなやりとりが屋敷の中に響き渡った。
雇われていた傭兵たちは二人のやり取りに不信感を覚えた。
『金払いのいい貴族だったが、この先危ないのではないのか』
そんな思いが、考えが頭によぎるのだ。
そして遂にエミリーの血が全て固まり、『奇跡の聖水』の製造が出来なくなる。
『このままでは売り上げが落ちてしまう。いや、売上が見込めなくなる!!!』
そんな思いから、残っていた奇跡の聖水に水を更に足した。
足して足して、血ももはやないといえるほどにまで薄まっていく。
通常通りに販売される奇跡の聖水は次第に効果が出なくなり、購入する者が減り、またクレームがくるようになった。
特に魔獣を討伐することを仕事にしていた者は、安価で効果があった奇跡の聖水がただの水のようだと屋敷にまで乗り込む。
敷地にまで足を踏み入れるものはまだいない。
だが石を布にくるませたものを投げ込んだり、生ごみを放り投げる者たちの仕業で屋敷がどんどん汚れていった。
始めは雇われていた傭兵たちもこの者たちを追い払うために精を尽くしていた。
だが、次第に雇用人数が減り、給与も滞り始めた今、誰も男爵夫婦の味方をするものはいなくなった。
そんな男爵家にはまだ金はあった。
メイドや傭兵には支払うことを躊躇していたが、自分たちの贅沢の為に確保していた金はまだあった。
だがそれは本当に贅を尽くすために確保していた金なのか、それを問う者は誰もいない。
現実逃避をするかのようにワインをまるで水のように飲む男爵夫婦。
そんな時に届いた手紙。
一つは教会から。
そしてもう一つは愛する我が子の手紙だった。
次でラストです。