地獄からの脱出
■
あの日。初めて刃物で傷つけられた日から、私の生活は更に地獄と化した。
毎日のように口元が緩み、ニヤつきながら刃を私の肌に当て血を採る行為は、人間性を疑うほどだった。
痛いと泣き叫ぶとうるさいと殴られ、今では猿ぐつわを咥えさせながら傷つけられる。
しかも一度だけではない。
十歳になった私はどうやら防御タイプに覚醒し、しかも珍しい治癒の魔法に特化した力が目覚めたのだ。
その為、傷を負えばたちまち塞がる。
塞がる度に肌を切られて血を採られる。
それもすぐに塞がらないように深く刃を突き立てられて、肉をえぐるようにされるから、痛みで意識が飛ぶことだってあった。
なんで血が欲しいのか、聞いても答えてくれないのはわかってるから聞かない。
でも絶対に健全なことに使っていないのは明らかだ。
こんな人間と言えない行動を繰り返すこいつら夫婦が、健全な道に進むだなんて考えられないからだ。
だけど改善した点がある。
それは食事がきちんと与えられるようになったことだ。
叔父の財政状況もよくなったのか、私にも食事が振舞われるようになったのだ。
(一緒に食べることはないけどね)
私だってあの三人の顔を見てご飯を食べたいだなんて思ってない。
食事を与えられるようになった理由は、血を作り出すためだと考えられる。
でもそれでもいい。
残飯を毎日のように漁るのも、空腹で頭が回らなくなることも、嫌だったから。
あとはメイドと傭兵を雇った事。
裕福になった瞬間体裁を気にした叔父はメイドを数人と護衛となる傭兵を雇うようになった。
メイドの通いは変わらないが、傭兵は住み込みで家を守るようになった。
もしかしたら私が逃げ出さないようにというのもあるのかもしれない。
私が逃げる手段なんてないのに。
それどころか、ここにきて一度だって屋敷から出たことはないのに。
はぁ…と重い息を吐き出した。
(そういえば、もうすぐアーベルトが帰ってくる…)
食事が見直され、掃除も今はメイドがやってくれる。
改善した私の生活だけれど、暴力行為はひどかった。
(叔父も叔母も、忙しいみたいだから前程頻繁に手を上げてこないけれど…)
アーベルトが十二歳になって、通う学校が変わってから通いから寮生活になったアーベルトは年に数回のみお屋敷に帰るようになった。
正直この時ばかりは非常に嫌だった。
どうせならずっと帰ってこなくていいのにと思っていた。
私は閉じ込められている部屋の中から、もう見ることはなくなった窓の外を、綺麗な夜空を思い出すかのように目を閉じた。
■sideアーベルト
貴族の子供は基本的に幼少期に家庭教師を付けて教養を学んでいるが、七歳から十二歳までは一般教養を学ぶという名目で、実際には他の家紋との交流を深める為に学校に通う。
そして十、もしくは十二歳からは専門的な学校に通うのだ。
俺は今十四歳で、十歳の時攻撃タイプに覚醒した俺は魔法専門学校に通うことが決まった。
魔物の脅威を退く為に攻撃タイプに覚醒した人間は、国の援助を受けることが出来るからだ。
いくら実家が貧乏とはいっても、攻撃タイプに覚醒した以上魔法学校に通うことが決まった俺は、こうして炎属性として学んでいる。
友達は多い。
気軽に話せる人を見つけ、俺と同じように実家が貧乏なやつもかなりいたから、貧乏だからだといった理由で卑屈にはならなかった。
というのも攻撃タイプに覚醒した以上、国から必要とされた俺に卑屈になる理由なんてない。
「あ~~!やっと帰れる!」
「お前そんなに家に帰りたいのかよ~」
一人の男が長期休みに期待していると、からかうように答える一人の男。
「当たり前だ!姉さんだけど、デカイ胸に顔を埋める機会なんてなかなかないぞ!!」
「お前!!!なんっちゅう羨ましい!」
「そうだろそうだろ!!」
自慢気に胸を張る男に、一人の男が顔を赤らませて耳元に囁く
「………、も、揉ませて貰えたりするのか?」
「馬鹿!!!!!んなわけねーだろ!!」
ギャーギャーと騒ぐクラスメイトに俺はなにげなく空を見上げた。
◇
「ただいま、母様」
家に帰ると母が出迎えてくれた。
最近は忙しくしていると手紙から知っていたから、あらかじめおおよその帰宅時間を伝えておいたのだ。
だから、俺を溺愛している母はこうして俺を出迎えてくれる。
久しぶりに家に帰ると、また更に煌びやかになったと感じる。
昔は高価な装飾品も全くなく、華やかな花もなにもない薄暗い屋敷だったが、今では細かな装飾が施された花瓶に綺麗な花が生けられているし、ただの光を灯すランプは豪華そうな見た目の物に変わった。
使用していない部屋は何も置かれていなかったのに、帰るたびに誰の為なのかわからない家具が設置されていく。
「ベルくんおかえりなさい。やっと会えてうれしいわ」
「僕も母様に会えてうれしいです。
……それより随分変わりましたね」
キョロキョロと辺りを見渡すように周囲に視線を向けると、母は本当に嬉しそうにほほ笑んだ。
ちなみに母は俺の事をベルと呼ぶ。アーベルトだからベル。可愛いでしょうと言っていたが正直可愛さがわからない。
「そうでしょう?今まで大変だった分とても順調なのよ」
「よかったです。母様も父様も大変だったことは知っていましたから。
………メイドも随分雇っているんですね」
「ええ、そうよ。今迄どうも薄汚れていたから、事業も上手くいっているし雇ってみたのよ。
おかげで随分綺麗になったわ」
「…となるとアレはもう追い出したのですか?」
「いいえ。どうも何をやっても碌に出来ない子だったけれど、今ではやっと私達の役に立てて喜んでいるわ」
「へぇ~、……今はどこにいるんですか?」
「地下室よ。逃げる頭を持っていない事はわかっているけどどうも信用ならなくてね」
「では、後で遊んでもいいですか?」
「ええ、構わないわ」
優しく微笑む母様に俺も微笑んで返す。
久しぶりにアレと遊ぶことが出来ると思うと、口端も自然に持ち上がるというものだ。
◇
晩御飯を久しぶりに家族と共にした俺は、その足でそのままアレの居る地下室へと向かう。
地下へと続く階段の前には二人の傭兵が立っていた。
既に母様から話を聞いたのか、俺の姿を見るや否や頭を下げて地下への扉を開ける。
コツコツコツと石で出来ている通路を歩くたびに足音が反響する。
狭い通路の先には一つの部屋があり、俺は何のためらいもなくその扉を開けた。
「やぁ、久しぶりだな、エミリー」
狭い空間の中には簡易的なベッドと、用を足す簡易トイレに、手足を拘束できる拘束具が取り付けられた椅子が置かれていた。
まだ寝るには早い時間だがすることもないエミリーは、ベッドに横になっている。
眠そうな目を擦りながら振り向いたエミリーは俺の姿をとらえると、大きな瞳をこれでもかと見開いた。
「お前も俺に会えて嬉しいのか?一緒だな」
嬉しい癖に、体を起こしたエミリーは毛布を握りしめて、まるで俺から隠すように毛布で体を覆った。
俺はその毛布を問答無用ではぎ取る。
「ああ!」
放り投げられた毛布に手を伸ばすエミリーをベッドに押し倒し、俺はその体に跨った。
これから何をするのか理解したエミリーは賢く、ギュウと強く目を瞑る。
強く握った拳を導かれるようにエミリーの顔にぶつけた。
ガンガンと何度も殴り続けて、気分がすっきりしていく感覚が広がる。
小さい頃からこうして、本気で殴れる相手を持っている俺はとても恵まれていた。
飯を食べるようになったと聞いてはいたが、それでも骨が浮かぶエミリーの体は固い。
女の子なら柔らかくあれよと思いつつ、少し傷んできた手を休める為にベッドから降りた。
今迄すぐに痣になっていた体も今では時間を置くと元の肌色に戻るエミリーを見て、俺はなんだかやるせなく感じる。
俺の拳は痛みを伴っているのに。
そんな時だった。
ふとクラスメイトが話していた言葉を思い出す。
【胸をもませて貰えたりするのか?】
一人の男子が羨ましそうに聞いていた。
勿論否定してはいたが、誰もが耳を傾けていた言葉だ。
骨が多く柔らかいところなんて何一つもないエミリーだが、成長位はしているだろう。
「エミリー、殴られるのは嫌か?」
にやにやと緩む口元を持ち上げて、ニコリと笑ってエミリーに尋ねると、恐る恐ると見上げてエミリーは頷いた。
「じゃあ別の事で遊ぼうか?」
俺の言葉に再びエミリーは頷いた。
■
信じられなかった。
意味が分からなかった。
目の前の男、アーベルトは別の遊び_私に取っては殴られるだけのことも遊びとは言えない_を提示していた筈なのに、告げられた言葉に理解が出来なかった。
「早く脱げって」
「な、なんで?」
「なんでってなんで?てかなんで俺に意見してんの?お前いつそんなに偉くなったんだよ。
お前がそんな調子なら……」
握られた拳に炎を纏わせるアーベルトをみて、私は咄嗟に「言う通りにするから!」と答えていた。
「結局そうなるんじゃねーか。
ほら、ぐずぐずしてねーで、早くしろよ」
イラついたようにベッドから私を起き上がらせたアーベルトは、代わりにベッドに腰かけて足を組む。
私はふら付きながらも、なんとか転ぶことなく立って、アーベルトの前に立った。
そして服の裾に手を掛けて、震える手で服を持ち上げる。
ぱさりと脱いだ服を床に落として、アーベルトを見ずに尋ねた。
「つ、次は何をすればいいの…?」
次なんて何もない事を祈りながら、震える声で尋ねると、ゴクリと飲み込む音が聞こえた気がした。
「そのままじっとしてろ」
床をじっと見つめて、早くこの遊びが終わることを願っていると、私の体に伸ばされた手が見えた。
思わずびくりと体が震えて後ろに下がる。
「じっとしてろって!」
腕を掴まれて無理やり距離を詰められる。
伸ばされる手に、じわりと涙が込み上げた。
嫌だと、気持ち悪いと、どうにか時間よ止まってくれと、必死で心の中で祈る。
そんな時だった。
「いやああああああああ!!!!」
と甲高い、耳に響く大きな叫び声が鼓膜を通り抜け、脳に響いた。
私とアーベルトは揃って扉を向くと、そこにはアーベルトの母親である叔母が立っていた。
わなわなと手を小刻みに震わせ、顔色が悪い。
そして親の仇とでもいうような視線を私に向けた。
「お前!!!!私のベルを!よ、よくも誘惑したわね!!!!」
ツカツカと細いヒールをならして、一気に私へと詰め寄った叔母はアーベルトから私を引き離す。
そして思いっきり手のひらで何往復も叩き始めた。
「身の程を知らない小娘が!!!!よくも!!!!」
バシンバシンと叩く夫人。
子供だが覚醒し男の力を持つアーベルトも、女性だが大人の力の叔母も、どちらも痛いものは痛かった。
でも初めて暴力に感謝した瞬間だった。
夫人の勘違いだとしても、あの瞬間を逃れることが出来て助かったと、こみ上げてきた涙が流れた。
あれから私は地下室から連れ出され無駄に広い屋敷ではなく、外にある馬小屋に放り投げられた。
そう、文字通り、まるで荷物でも捨てるかのように投げられた。
身の程を知れと何度も言われたことから、掃除もしなくなり、ご飯も与えられるようになった私はどうやら天狗になっているととらえられたようだ。
地下室に閉じ込められているとちゃんと認識できているのだから、天狗になることなんてないのに。
叔母はやっぱり私と考えが違うようだ。
そして私がいる馬小屋も今は使っていないようで、誰もいない。
馬もいなかった。
別に屋敷の中に馬を飼っていないとかではない。
これでも屋敷の中を一人で掃除していた頃は馬を見たことがあるから、こことは違う馬小屋があるのだろうと思う。
壁も屋根もある馬小屋だが、今では使われていないほどに古い為、夜の冷たい風が吹き抜けた。
暖をとれる布団もなにも与えられていない私は必死でちっさく丸くなる。
それでも傷をつけやすいようにと与えられていた半袖の服は、夜の外には寒かった。
寒さで鳥肌が立って、私は必死で目を瞑る。
でも寒さで脳内を占めてくれてよかった。
あのまま地下室にいたら、いつアーベルトが叔母の目を盗んでやってくるのかわからなかったからだ。
ご飯を食べさせてくれるようになったとはいえ、それでもガリガリに痩せてしまっている私の体。
少しは成長して、ふくらみも出てきてはいるけれど、それでも肌を晒すことは嫌だった。
特にあのアーベルトには見られたくもないし、触られたくもないと嫌悪感がこみ上げる。
ここならきっとアーベルトはやってこないだろう。
寧ろ叔母のあの様子なら私が屋敷に入らないように傭兵たちに見張りを強化するようにもいってるかもしれない。
少しの不安はあったが、私はギュウと目を瞑った。
◇
どこか懐かしい声が聞こえた。
とても心地よい声で、聴いていると涙がこみあげてくるような懐かしい声が私を呼ぶ。
私は必死で辺りを見渡した。
少しウェーブかかった長い髪の毛の女性のシルエットと、スラリとした男性のシルエットが見えた。
私は立ちあがって二人のシルエットを追いかけた。
必死に走って、手を伸ばして、
そして
『お母…
◇
「!!!!」
いつの間にか寝てしまっていた私は、まだ夜が明けていない時間に目が覚めたようだった。
ぶるりと体が震える。
それにしてもなんだか変だった。
今迄とは違う様な、でも何が違うのかがわからなかった。
(そういえば……、今私外にいる…しかも……)
一人だ。
周りには誰もいない。
誰もいないということは、誰にも見られていないのだ。
ずっと逃げたいと思っていた。
でも出来なかった。
なんの力もない子供の私は一人で生きていくことなんてできないと、幼心でもわかっていたから叔父についてきた。
どんなに暴力を振るわれようと、どんな扱いをされようと、一人で生きることへの自信がなかったから。
だから逃げることもせずに、ただじっとこらえてきた。
でも今はそうじゃない。
利用されるほどの価値が私にあるのだとわかった。
だから逃げ出さないように地下室に私を閉じ込めていたのだと知っている。
一人でもなんとかなるんじゃないのかと。そう思うたびにここから逃げたい。逃げ出してしまいたいと思っていた。
だから
(…今がチャンス……、なんじゃ…?)
一人で、外にいる今逃げ出さないでいつ逃げ出すというのか。
それからは早かった。
この屋敷には私の個人的な物なんて何一つない。
だから取りに行かなければいけない荷物なんてなにもないから、このまま身一つで逃げ出せる。
今いる旧馬小屋も屋敷の離れにあり、塀代わりにと育てられた木が目の前にあった。
(塀が壁じゃなくてよかった)
壁なら出入り口を探すためにもしかしたら正門側まで行かなければいけなかった。
木ならどこからでも抜け出せられる。
少しくらい傷ついても大丈夫。
痛みなら慣れている。
私は木に飛び込んだ。
枝が固くて思ったより進まないけど、一本ずつ折って、穴をあけて何とか通ることが出来た。
折った木の枝の切れ端で肌に無数の傷が出来ていたけど、無我夢中で走っている間に治ったようだ。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ」
息も上って、わき腹も痛くなる程走った。
心臓も痛くなるほど走った。
目的地なんてなにも考えていないから、ここがどこなのか、どこに向かって走っているのかなんてわからなかった。
でもそれでもいい。
私はここから逃げ出したい。
だから、少しでも遠くに。
ここの人たちがもう二度と私の目の前に現れない。
そんな場所を目指して。
■side?
今日のメニューはボア肉のステーキだなと一頭の魔物を担いで店に戻る道中、一人の女の子を見つけた。
不思議すぎる子だった。
裸足でここまで歩いたわりには傷一つない足の裏。
雪の季節が近づいている時期に、父親の服でも着ているのだろうか、半袖シャツ一枚の軽装すぎる服装。
碌な生活を送ってきたとは思えないほどの華奢さが目立つ体。
まるで監禁されていた子供が人目を潜り抜けて逃げ出してきたかのような格好の少女に、俺は手に持っている剣を腰に挿し直し、着ていた上着をかけた後少女を抱き上げた。
よほど疲れていたのか、抱き上げても目を覚まさない少女は更に暖を求めるように俺の胸に寄り添う。
リスのような小動物みたいに可愛い仕草に、娘が欲しくなった。
◇
「ちょ!どうしたんだいその子!?」
店につくと抱き上げている少女を見て妻のリンナーが目を丸くし驚きの声を上げる。
店は宿屋を経営していて、基本的に素泊まりだ。
近くに風呂屋も食事処もあるから、素泊まりでも十分なのだが、たまにこうして狩りでいい獲物を仕留めることが出来た場合は食事を提供している。
だからなのもあって、店の前を通りかかった冒険者が「お!今日は晩飯付きか!?」と目を光らせているのが視界に入った。
「森で倒れてたのを拾った」
「森!?こんな薄着で!?」
俺の上着の隙間から少女の格好をみたのだろう、拾った場所を告げると更にリンナーは驚いた。
そんなリンナーに店の前で託してから、抱えていたボアを担ぎなおして店の裏へと周る。
流石に死体をそのまま店の中にいれるわけにはいかないからだ。
少女をベッドへと寝かしてきたのだろう、両腕が空いたリンナーが店の裏へとやってくる。
「上着は寝室にかけておいてるよ」
「ああ。……訳ありだと思うが……、お前がいいならうちで面倒をみたいと思っている」
「あたしは全然構わないよ!寧ろ良く拾ってきてくれたよ!
流石はあたしの夫だ!」
訳ありでも構わず受け入れてくれる辺り、リンナーも流石俺の妻だけあると惚れ直した。
俺は口元を緩ませ、ボアを吊る為に木に縄を縛っていく。
「そういえば、フォルダンは今日は教会か?」
「ああ、でももうじき帰ってくるから、フォルダンには帰ってきてから話そう」
フォルダンというのは、俺たちの息子のことだ。
貴族とは違い平民は教会が行ってくれる青空教室で文字や計算を習っている。
自由参加だが無償で受けられる為、参加率が高い傾向にある。
「そうだな」
次は17時に投稿設定します。




