第7章 君がいたから
第7章 君がいたから
「……」
僕たち4人は今微動だにできない状況にあった。ジジジ……と微かな機械音だけが不気味に耳の届く。僕たち4人は思い思いのポーズをとっていた。僕とミュートは腰に手をやり胸を張っている。両親はその背後で両手をお互いに繋ぎ、祈っているかのようなポーズだ。ただ4人とも顔と視線だけは同じ一点を向いていた。そう……ポラロイドカメラである!
「もう我慢できない!タイマー何分に設定したんだよ」とポーズを解きカメラに近づく僕。そしてそれを止めようとする父。母は困り顔でそのままの体勢で大きくうなだれている。ミュートは体を右に傾け、僕越しにカメラを見ようとしている。
初めての4人の集合写真は正にその瞬間を捉えたものだった。
「まぁウチらしい写真と言えば、そうなんじゃない?」と出来立てホカホカの写真を見せながら母さんはニコニコ顔で評価した。
「なんか私、目が半開きなんですが」
「うわ、ホントだ。ぶさ……えーと……」
「いまブサイクって言いそうじゃなかった?」
「変顔って言うんだっけかな、コレ」
「旦那さま!フォローになっていませんが!」
「大丈夫よ、ヒロムなんてもっと酷いんだから」
「奥さま?それもフォローには……」
僕は上手いこと車のボンネットの上に日記帳2冊を土台にして設置してあるポラロイドカメラを手に取り、その3人の光景をフレームに入る様にして自撮りってやつをしてみた。果たして出来上がった写真はピースサインの僕のどアップと、両親が機嫌を損ねるミュートに必死に謝る光景がそれぞれ完璧なピントで上手いことフレームに収まっていた。
「うーん、コレもイマイチだなぁ」
「私、また目が半開きなんですけど……」
「さて帰りますか!」
「さて、じゃ無いわよ。知らない間に旦那さまと2人してどこに行ってたのよ」
ヘンテコ家族写真を女性二人が採点している隙に父さんと二人してその場を離れた事をミュートが咎めた。
「怒らないでくれよミュート。ヒロムと男だけの話をしてたんだよ」と代わりに父さんが弁明してくれる。
「怪しいわね……。どうせイヤラシイ話なんでしょ」
「違うって。今度のレースの事を……」
「はいはい、またいつものソレね。むっつりスケベ!」
「ほら二人ともイチャイチャするのは私達が旅行に行ってからにしてくれよ。もう帰るぞー」
「そうよー、目に毒だわ」
ミュートがまだ何か言いたげだったけど、両親に急かされて素直に後部座席に乗り込んだ。
帰りは僕の運転で、車内は今日のご飯が美味しかっただの、後部座席の女性二人だけで写真を撮ったりと騒がしく帰宅した。こんな風に4人で騒げるのも僕の次のレースの日までだ。さっきの父さんの話だと両親がここを発つのは僕にレースを見終えてからにすると言う事だ。父さんの車で初めて出るレース。なんだか闘志とプレッシャーが一度に僕の精神を揺さぶって来る。準備期間はもう明日だけとなった!
「行ってきまーす!」
「最終調整だったな。しっかり仕上げてこい」
「うん、頑張って来るよ、父さん」
「私達は今夜は帰らないから、明日レース場でね」
「了解、母さん。じゃぁ行ってきます」
「ミュート、ヒロムの事頼んだよ」
「イエスボス!」
それは綺麗な敬礼をするミュートをちょっと置き去りにしてサッサとシェアカーに乗り込む僕と、水に入ったペットボトルを2本持って追いかけて来るミュート。僕にとっては大きな決戦を決意するにはいささか締まりの悪い1日が始まった。
そんな僕とミュートのポンコツ具合とは対照的に、顔を合わせたダグとミカは目が血走っていた。
ダグは授業中も先生に隠れて何やらデータを弄っているし、授業の休み時間に通常空間で見たミカはミュートに何やら小声で説明していた。いつの間にかミュートもその雰囲気に呑まれたのか眉間に皺が寄っている。あぁ美人が勿体ない……。
午前中だけの授業が終わりダグと二人で通常空間に戻ると、僕たち二人の前にテーブルが用意されていて、そこにはピザやらサンドイッチやらの昼食が既に用意されていた。
「食べながらミーティングするわね。ダグ、あのプランを」
「モグモグ……、了解だ。ロム、これを見てくれ」
いつもと違うミカの様子に驚きつつ、僕はダグの表示した画面に目をやる。
「ロム、この手を使えば優勝できるかも知れないぞ」
「え……?」
「お前のタイム、悪くないんだよ。このまま走ってもタイムだけなら入賞はできると思うんだ」
「ほ、本当か⁈」
「大したもんだよ。血豆が潰れるほど乗ったとは言えたった2日でここまでやってくれるとはな!流石は俺の相棒だぜ!」
「おやぁ?初日は乗って帰るな、何て言ってなかったか?」
「言うなよ、相棒。そこでだ、俺にも欲が出てきた。どうせなら優勝したいじゃないか!」
「本当に……できるのか?」
「可能性はある!ただその為に重要な人が要るんだ」
「このデータを見ると……つまり……」
「そう、私と一緒に乗るのね……」
ミュートが両手に持っていた二枚のピザを皿に置き、覚悟を決めた顔つきで僕とダグを見据えてきた。眉間に寄った縦のシワがその決意を表していた。その熱い決意が視線を向けられる僕にもビリビリと感じられる。まるでその視線に電撃が伴っている様だ。あまりの迫力に僕がゴクリと喉を鳴らす。
ミュートは「やろう」と言わんばかりに無言で僕たち2人に首肯する。戦場に向かう戦士の瞳はこんな感じなのかもしれない。僕と彼女の間に緊張感が今にも具現化しそうだった。だがそうはならなかった。何故ならミュートの口元に付いていたチリソースまみれのチーズの塊がぼとりと音を立ててテーブルの上に落ちたからだった。
ダグの立てたプランとは、ミュートをナビゲーターにすると言うものだった。
ラリーレースでは常識的だが、助手席にナビーゲーターを同乗させてコースのレイアウトや司令部との通信をさせるのだが、僕たちがエントリーしているレースでもペナルティーを払う事でそれが認められている。
この払うペナルティーと言うのが「搭乗機の最大性能の1割」と言うもので、つまり車の性能にリミッターを付けろと言うものなのだ。普通に考えるのならコレは大きな性能に低下だ。推力も加速力もグリップも何もかもだ。重量は当然1割重くなる。
ただこのペナルティーが僕には結果的に有利に働いた!そう情けなく聞こえるが僕はレッドブルの最大性能をまだ扱えず、このペナルティーよりもデチューンしていたのだった。僕が扱えるのは最大でも86%で、実はそれでも前回入賞した5位のレーサーのベストタイムに並んでいた。逆に言うならそれほどまでもレッドブルの性能は優秀だったわけだ。
その状態でミュートをデジタルナビゲートとして搭載するとどうだろう?ただ助手席に乗せるのではなく、彼女にレッドブルと一体化してもらい、有機的に僕とレッドブルをつなぐ役目をしてもらうのならば……。
「デメリットは?」
「レギュレーション上全く問題はない。トップレーサーでやってる奴は居ないが、新車を初レースに出す時や新人レーサーのサポートなんか時には良くやっている事ってのは知ってるだろ?」
「ミュート自身には大丈夫なのか?」
「それも問題ありませんよ。そもそもアイズってそう言う事のために誕生した経緯がありますから」
ミカが言うように、アイズには機械の電子頭脳に入り込み、カーボンが惑星開発に使う重機や車両、宇宙船舶の駆動サポーターとしての役割がある。
「それに、例のアレを使う事になったらどのみちミュートのサポートが不可欠だしな」
「例のアレか……。出来ればもっとでかいレースで出したいんだけど」
「万が一って事だ。例のアレを使わなくったって、優勝は狙えるんだ。変な心配をするなよ」
「そっか。で、ミュートは良いんだよね?」
彼女は口いっぱいに何かを頬張っていたため、無言で首肯する。
「決まりだな。一応例のアレのテストもするが、今からタイムを取るぞ!ミュートも乗せてタイムアタックだ」
サンドイッチを一気に口にねじ込み、ダグが水とヘッドセットを手に立ち上がる。
「やるぞ、ロム!えっとなんて言うんだっけ、万年ブービーが優勝を取るっていう事は……」
僕も立ち上がり、ダグの胸に僕の右の拳を軽く押し当てた。
「下剋上ってやつだな!」
4人で夕飯を食べ(ミュートとミカが2人で作ってくれたカツ丼は、昨日の家族で食べた料理に勝るとも劣らない絶品だった)僕とミュートは明日にレースに備える為に早めに帰宅した。
帰宅してすぐに母さんに電話をかけ、帰宅を告げたが酒の席で盛り上がっているらしくかなり聞き取りにくかった。しょうがないので明日からのご飯の事と、そのバックで父さんの十八番のカラオケ「残酷な天使のテーゼ」を聞き、短い通話を切った。
普段なら話し足りない気分なのだが、僕は完全にソワソワ浮き足立っていた。だってそうだろ?今日のタイムアタックは今までにない好成績だったんだから!フェアレディの時のタイムどころかこの前のレースの2着のレーサーのラップタイムに匹敵するタイムを叩き出すことが出来たんだ!最後のタイムアタックのたった一度きりだったけど、それでももしかすると!しかも今回のレースにはあのシルバーナイトは参戦しない。アイツは前回優勝したから次のクラスに進んでいる。先を越されたけどやっと僕も同じステージに立てるかもしれないんだ!
風呂にも入り、いつもよりかなり早めにベッドに寝そべりニヤニヤしながら僕はインデックスでレッドブルを表示した。コイツと僕が揃えば夢にみた優勝が、新しいステージが!
「ロムー、私の事も忘れないでよね?」
いつの間にか僕の部屋のドアを開けてミュートが入ってきた。両手にはいつもにアイスキャンディーと救急箱を抱えている。
「ミュート!明日はヨロシク!」
「こちらこそ。さてと、最後の仕上げよ?服を脱いで、うつ伏せになりなさい」
「えぇ⁉︎怪我はしてないけど……」
「マッサージしてあげるから、ほらバンザーイ!」
言われるがままに今日の寝巻きに来ていたTシャツを脱がされ、ベッドにうつ伏せにさせられる。その直後背中になんか冷たい液体がトローリと垂らされた。
「きゃん!」
「いい声で鳴けるじゃないかー!ほれほれ……」
前回懲りてる筈なのに、オヤジ化したミュートが僕の背中全体をローション?と一緒にこねくり回す。時に強く押し、時に優しく揉み込むその手管に僕は一部を除いて完全に弛緩していた。
「さてと……次は前ね。はいゴローン!」
僕には先の展開が占い師の様に読めていた。ミュート、君は学習はしないのか⁉︎
「……あんまり……動かないでね……?」
あれ?きゃーすけべーヘンタイー……って聞こえてこないし、ビンタもされないんですが……?
ミュートは僕と視線を合わさないようにしているが顔が風呂上がり以上に真っ赤になっているのが明らかだ。マッサージのために彼女の体が前後するたびにどう言う訳か彼女の口からは溜息のような、でも甘ったるい息遣いがゆっくりとしたリズムで微かに聴こえて来る。目元は何か必死で我慢している様に潤み始め、眉は昼のミーティングとは逆にハの字になっている。
「あ……あのぉミュートさん……?」
「ん……黙ってて……。響いちゃうから……ん…」
それからどれくらい経ったのかわからないけど、マッサージが終わり、体を湯で湿らせたタオルで拭かれ、服を着させられるまで僕は完全に呆けていた。大丈夫、入れてはいません。出しそうだったけど。
身も心も惚けてしまった僕は、ベットに腰掛けてぼーっとミュートを眺めていた。その隣に座り僕から視線を外し、穴が開くほど床を見つめていた彼女から今までとは違う焦ったような口調でようやく話し始めた。
「明日……頑張ろうね……。ご両親にいい報告したいでしょ?私もそのためだったら何でもするから……」
「うん、頑張ろう……。そのために僕も何でもするよ……」
「……じゃぁレッドブルの名前をちゅんちゅん丸に変更し……」
「却下」
「サービスしたんですが、私。ロムは私に何かして欲しい事とかある?朝食の……」
「おっぱい見せてくださいお願いします……」
その瞬間、僕は両乳首への激痛とミュートの般若の様な顔に、恐怖の余り床に土下座をしたのだった。やっぱりまだこの手の冗談は笑って許してはくれない事を僕は肝に銘じた。