第6章 右と左の補助輪
第6章 右と左の補助輪
「さぁ、今日はヒロムの奢りだから腹一杯食べるぞー」
「私はスイーツをいっぱい買いだめしたいわー」
「ち、ちょっと二人とも!僕の財布の事情も考えてくれよな?」
「あ、私は新しくできたアイスクリーム屋に絶対行きたいです!」
「ミュートさん、あんたまで僕に何を買わせたいのさ……」
「そうよね!女子としては外せないわ、あの店」
朝の9時半に父さんの車に四人で乗り込んだ直後から僕以外の3人が子供のようにはしゃぎ出す。
後部座席の母さん、ミュートがキャッキャしているのはまぁ良いとして、運転している父さんすら鼻歌を歌い上機嫌だ。助手席の僕はただただ財布の中身がどうなるかが不安でしょうがない。
四人を乗せて、黒のワンボックスが軽快に街中を南下し郊外へ向かう大きな国道へ向かった。ダグの家とは反対方向である。
この船の出港当時を再現していたこの街並みは、その当時の人が思い描いていた未来都市には100年近く経っているのに全くそうはならなかった。計算能力は抜群なのに新しいものを生み出す思考を苦手とするアイズ、データすらも載せる事が出来なかったため、逆にその古い文化を追い求める事こそが生き甲斐となってしまったカーボン。そんな人間達が暮らす街並みは、その内部は最適化され利便性が上がり、多様性が増したにも関わらず外見だけは2020年代初頭の、例の極東の島国の街並みそのものだった。
そんな街並みをボンヤリ見ながら僕は両親が行く「旅行」について少しだけ疑問に思っていた。
「ねぇ父さん、あの例に旅行って辞めにはできないのかな?」
「ん、なんだそんなに寂しいのか?」
「いやそうじゃなくてさ。なんて言うか不思議なんだよね」
「不思議?なんか不満でもあるのか?」
「カーボンの子供が18歳になったら、アイズの両親は100日以内にその子と2年以上離れて暮らさなければならない。それって大昔からの習慣の再現か何かなの?」
「んー、そんな事はないな。父さんの友達だって、結婚するまで実家で両親と暮らしていた奴も居たから、この船が出港する前にはここまで強制的に離れさせる事は無かったよ」
「だよね。だったら別にさぁ……」
「そりゃ駄目だ。今の話はこの船の出航前で、父さんがアイズじゃない時の事だ。父さんも母さんも今はアイズなんだから。船のルールには従わないといけないんだぞ?」
「分かっちゃいるけどさ……」
「それにね、ヒロム……」
いつの間にか騒ぎ終えていた母さんが僕の後ろから声をかける。
「私はチョット楽しみなの」
「え、そうなの母さん?二年は会えないんだよ?」
「寂しくない訳じゃないわ。でもそれ以上に二年後にヒロムがどれだけ大人になっているかが凄く楽しみなのよ」
「なーに、テレビ電話で画面越しとは言え顔を見れるわけだし、お前のそばにはミュートが居るし。大して心配はしてないからな。私が母さんとこの車で世界中を旅するんだ、ドキドキが止まらない!」
「そうそう!逆に母さん達の邪魔をしたら許しませんよ?」
両親はまさに新婚旅行の体で早く出発したそうだ。残された僕は家事が全く出来ないのだが、ミュートは家事が出来るんだっけ?結構気がつく人みたいだけど。
「はぁー……まぁよろしくやってくれよ、もう。ミュートもゴメンね、苦労をかけるけど。僕、家事は自信がなくって」
「……」
「アレ?ミュート、寝ちゃった?」
「……あ、ゴメン!うん、寝ちゃってたわ」
「ミュートちゃん、大丈夫?」
「すみません奥さま。昨日寝たのが遅かったので、つい」
そんなことを言っているとここらじゃ1番大きいショッピングモールに向かう大きな国道に車は入っていった。さぁまずはATMにすぐ向かおう。
開店直後のショッピングモール「リオン」は人がごった返していた。子供をベビーカーに乗せた若い夫婦、男女を問わず学生のグループ、サラリーマン風の若い男性、若い女性だけの2人連れ、そして夫婦なのかまだ夫婦じゃないのか、明らかに恋人の男女……。皆が皆、色とりどりの服を着て、思い思いの店で品物を見ている。その人混みの中で僕はミュートと二人して通路脇にいくつもあるベンチに腰掛け、ジュースを飲んでいた。
「ミュートはこう言うところは初めてなんだっけ?」
あの部屋から解放されたばかりのミュートには新鮮な光景なんだろう、キョロキョロと視線が忙しい彼女はいつもと違ってチョット幼く見える。
「うん。そりゃ知識としては知っているけど、実際に来るのとは全然違うわね!この街にこんなに人が居るとは思わなかったわ!」
「楽しそうで良かったよ!そういや何か買いたいものはあるの?」
「まずは旦那さまと奥さまに何か買っておきたいわ。是非旅行に持っていってもらいたいもの!」
「僕もだよ。二人ともランチを取るまで別行動だけど、その間に買っておきたいんだよね。サプライズで渡したいんだ」
「イイわね、それ!そうと決まれば早く行きましょ!私も一緒に買うわ」
「なんか旅の思い出を記録するようなものが良いかも……」
「そうね……じゃぁあの店にしない?」
ジュースの容器を片手に立ち上がり、子供のように僕の手を引いて立ち上がるミュートはとびきりの笑顔を僕に向けてくる。でも、僕は全然気が付かなかったんだ。彼女がこの「旅行」にそんなに気乗りしてなくて、どちらかと言うと悲しいとすら思っていただなんて……。
「はい、どうぞ!ヒロムさんと私からのプレゼントです!旅のお供になる物を選びました!」
「結構良いものなんだよ!ちゃんと使って欲しいんだけど、どうかな?」
4階建てのショッピングモールのリオンは三階全体が飲食店が軒を連ねていて、麺類からファストフード、果てはチョット高級な中華料理もある。そのうちの一軒の和食レストランに僕たち四人は入り、お座敷に通された。このレストラン「燃えトン」は上質なポークを使って焼き肉やハンバーグ、豚カツなどを提供してくれる。値段はチョットお高めだが、愛する両親の旅立ちに二人が大好きなここの食事を食べさせたかったのだ。
「おぉ!しっかり包装までして、期待しちゃうぞ」
「あらあら、こっちも可愛いリボンまでついてるわ。開けちゃっても良いかしら?」
子供のようにプレゼントをあちこちから眺めて感心しまくる両親に、僕はミュートと目で合図をして開封を勧めた。
「コイツは……日記帳かな?」
「そうです。赤い方が旦那さま、黄色い方が奥さまのです。ペンも収納されているんですよ?」
「こちらは……カメラね!でもなんか一緒に入っているわ。これは何かしら……?」
「カメラはカメラでも、これはポラロイドだよ。デジタルじゃなくって、一緒に入っているこのフィルムシートに現像するんだって!」
「あぁ、父さん知ってるぞ!昔、女子高生が使っていたアレだ。チェキとか言ってたな」
「そう、それだよ。一応フィルムは五十枚用意したけど、通販で世界中どこでも取り寄せ可能だから旅行中に切らしても直ぐに補充できるってさ」
「手書きの日記帳にポラロイドカメラだなんて、素敵だけど随分とアナログな物にしたのね?」
「最新のも良かったんだけどね……。二人とも新婚旅行みたいだったからさ。出来れば二人が若い頃のものが雰囲気出るかなーと思ってね」
「それに、思い出を残すのならデジタルよりも形に残るものが良いかもと思いまして。最新の物の方が良かったでしょうか……?」
「いやいや、そんな事はないぞ。寧ろ素晴らしいじゃないか。自分の手で日記を書き、自分の手で写真を現像する。コイツは楽しそうだ!」
「二人ともありがとうね。毎日使って、帰ってきたら沢山の写真を見てもらうわ!」
良かったー!予算ギリギリまで使って買った甲斐があった!嬉々としてカメラを弄ってる両親を前に僕は満足だった。隣のミュートも楽しそうに二人にカメラの説明をしている。そんな両親を見ていると確かに寂しさを感じつつも、これから始まる彼らの旅行がとても充実するものだと想像ができ、逆に僕まで嬉しくなってきた。この子供っぽい両親のことだ、三日とたたず僕に電話をしてくるだろうが、たった数日間の出来事も嬉々として話してくれるに違いない。ソレがとても楽しみになってきている。どんな些細なこともまるで大冒険譚として報告してくれるだろう。なんだか僕が親になった気分だ。
それに両親が家から出ると言う事は、僕は隣にいるミュートと二人きりであの家で二年も暮らす事になる。そう、若い男女が二人っきりで一つ屋根の下で毎日毎晩一緒に文字通り寝食を共にするのだ。しかも美人でスタイル抜群、チョット気が強いけど世話好きの彼女とだ。いかんいかん、あんな事やそんな事を想像するだけで頭と下腹部に血が溜まってくる!あ、お風呂とかもう一回一緒に……
カシャリ!と機械音がし強烈な光が僕の網膜を焼いた!
「で、出てきたフィルムシートをこう振るんです」
「なるほど……。お、ヒロムのだらしない顔が浮き出てきたぞ」
「ヒロムー、何いやらしい事考えたらこんな顔が出来るのよ」
って、まさかあのカメラの最初の一枚目に僕の顔を撮ったの?肖像権の侵害だ!やめて返して!お願いします!
「お前、どうせミュートにいやらしい事が出来るーとでも思ったんだろう?」
「違うよ父さん!今度のレースの事を……」
「ミュートちゃん!何かあったら警察を呼ぶのよ!」実の息子を犯罪者にするのをお勧めしないで、母さん。あ、ほらミュートが無言で俯いちゃったじゃないのさ。ほらー彼女も呆れて……、あれ、太ももがメッチャ痛い!え、何これチョット……!
「いたたたたああああああー!やめてミュート!つねらないでー!」
「この、むっつりスケベっ!」
ダグにも同じ事を言われてたので、そろそろ僕も自覚が芽生えてきましたよ……。