第2章 アイズオンミー
第2章 アイズオンミー
「ロムー!早くトイレ出てくれよー」
ダグが苦しそうにドアの向こうから僕に呼びかける。
そりゃダグの家だからトイレを貸してもらっている立場に自分としては早く出てあげたいんだが、コンピュータが感じさせている擬似的なものでも、僕が感じる便意は本物である。そもそもニセモノの便意ってなんだろ?さっきの講義を思い浮かべながらウォシュレットの暖かい水流を心地良く感じていた。
お待たせと言いながらドアを開けると内股でダグが駆け込んできた。
「お前、漏らしたらどうするつもりだったんだ!」
どうにか間に合ったらしい。ダメだったらパンツはミカが洗うのかなぁ。なんてくだらない事を考えてるとミカがいつもの水を持ってきた。
「ロムは昼食を自宅で食べるっていってましたよね?」
「うん。実は今日は僕の誕生日なんだよ。それで珍しく両親が昼食を一緒に取ろうだってさ。その後見せたいものがあるらしくって」
「お!じゃアレか!成人のプレゼントがあるかもな。レース費用とかだと良いよなぁ。親父さんがレースに興味持ち始めたみたいなんだろ?」
「どうだろう。興味はあるみたいだけど、費用なんか出すかなぁ」
いつの間にかトイレから出てきたダグがソファーの後ろに立ちミカからボトルを受け取っていた。
「それかあれだ!いよいよお前にもアイズを紹介してくれるとか!」
「そんなことないよ!ウチの父さん、ベビーシッターすら雇うのは猛反対だったらしいから」
「イヤイヤー、お前の母さんメチャクチャ美人じゃないか。親父さんの見立てなら美人で出来るアイズを紹介するんじゃないか?」
うわぁー、鼻の下が床に着くほど伸びてやがる。あの父がアイズの紹介だなんて。しかもダグ好みの美人さんとかあり得ないなぁ。まぁ本当にそうならコイツには近寄らせないが…。
「ダーグー!なに想像してるんですか!」
お前は良くも悪くもウソがつけないんだよ。ほら、ミカにつねられた鼻が真っ赤になっちゃって。
でも、いよいよ僕も18歳か。法的にはアイズー方舟計画で胎児しか載せられなかった人口の少なさをカバーするためにコンピュータが作り出した肉体を持たないデータだけの存在。
謂わゆる人工知能Ai。
当時発明されたばかりの量子コンピュータの画期的な計算速度はそのAiデータに人間の個性に似た個体ごとの差異を持たせるまでに至った。その為、宇宙船の中央コンピュータに常時アクセスしながらも独立した行動をし、意思を持っている。そのため複数の個々を指すSを付けてアイズと呼ばれるようになったーそのアイズと同居できる、そして結婚も出来る年齢となるわけだ。
ただ、年齢がそうなったってだけでアイズと巡り合い同居できるわけではない。そこは人間と同じで恋愛感情や友情などの偶然と好みが関係してくる。
このダグとミカみたいにレース場でナンパして付き合う様になったり、役所に求人応募をかけて雇用したりとそれこそ人間の社会形成と何ら変わりはない。
因みに僕やダグみたいに肉体を持った謂わゆる人間をこの船ではカーボンと呼んでいる。
カーボンもアイズも個性があり独立した意思を持っていると言う事でどちらも人間であるってのが地球の権力者の言い分だ。そんなこと言わなくっても実際にこの船に住んでいる人間の大半は大して気にはしちゃいないけど。
余談なんだけど、12隻の宇宙船は当時の地球上の地域ごとに何とは無しに人種が棲み分けられている。
僕たちの乗っている宇宙船は、例のスーパーコンピュータを持っていた極東の島国「ニッポン」を中心にしているけど、それでも余裕があったみたいで、他の地域の船に乗れなかった人達もこちらに回されたらしい。
僕もダグも元を正せばその「ニッポン」を故郷に持つけど、スクールには「アメリカ」や「チュウゴク」「ブラジル」などなど結構多種多様な人種の同級生がいるわけだ。
そんな事もあって、どうやら僕たち全員は「エイゴ」と言うものを使っている「らしい」。
らしい……と言うには訳がある。実はこの電脳空間は自動的に言葉を瞬時に翻訳しているので、お互いに別々の言語を話していても、ちゃんと理解できる様に聞こえてしまうんだ。
え?じゃぁ学校のテストで外国語のテストは満点で羨ましいって?外国語ってなに?美味しいの?
残りの講義は全然集中できなかった。だってダグがあんな夢物語を熱心に語ってくれるんだよ。授業の最中も僕の見ている視界にワイプ画面で「幻のスーパーマシーン キット2000」とか「シルバーナイトのマシーンに迫る」とかレーサー御用達のマガジンの写真を飛ばしてくるんだからたまったもんじゃない!
しかも、去年のミスコンに登場した超絶美人アイズの水着写真に、いまレース場で人気の的のレースクイーンのコスチュームに身を包んだコレまた美人アイズの画像まで付けてきた。
いくら何でも父親が息子に恋人を紹介することなんて聞いたことがないよ!
と、否定はするけど僕だって多少は期待を持ってしまった。
もし父がアイズを紹介してくれたらどんな人なんだろうか。女の子だったら良いなぁー金髪でさースタイルが良くって、気が利いて、良い匂いがして可愛い声でそうそうこの前ダグに「ミカには秘密だかんな」と念押しされて見せられたアニメの声優さんみたいなのがいいなぁー何つったっけあの声優さん。知らない漢字で書かれていたな。たしか…
「アラシヤマ!何ボーッとしてるんだ!」
教授のチョークが僕の額にストライクすると同時に終業のチャイムがなり、そのどちらもで僕は電脳空間という現実に叩き戻されたのだった。
「ロムはむっつりスケベってやつだな」
「な、なんの話だよ!」
「さっきの醜態の話だ。どうせアイズと上手いこと出会えて、童貞卒業とかんがえていたんだろ?」
「違ってば。今度のレースをだな…」
「はいはい、そういう事にしておいてやるよ」
「なんだよ、もー!とにかく約束が有るから帰るかんな」
「怒るなよー。て送ろうか?」
「いや大丈夫。途中で本屋寄るし」
「レースガイド?明日見せてくれる?」
「たまにはダグが買って来てよ、もう。とりあえず車の整備はそっちに任せたよ」
「おう、バッチリ整備しといてやっからよ」
昨日とは違い自転車のペダルが軽く感じる。すっかりダグに乗せられたみたいだ。次のレースもいつも通りブービーかも知れないけど、なんか今日はいい事が起きそうな気がしてきた!ダグに乗せられたのは釈然としないけど。アイツはアイツで僕を元気付ける為にワザとあんな風に振る舞ったのかも知れないな。同い年とはいえ、ダグの方が半年以上早くに生まれているから時々僕を弟扱いする所がある。そこをウザったく思う事もあるが、今回みたいに良い方に作用する事の方が多いと感じる。そのお陰でレースにどれだけ不満に思っても2年の続けて来られた。1人だったらとうの昔に諦めている所だったんじゃないだろうか。ダグは車も、ドライバーである僕もきっちり整備してちゃんと泥を洗い流してくれる親友だ。じゃあ僕はレースで今度こそ成果を残してそれに報いる事こそダグにしてあげる事なんだと再確認し、その可能性目掛けて自転車を漕ぐ。
でももし両親が用意したプレゼントがただの馬鹿でかいケーキだったとしたら、どうしよう……。素直に喜べないかもせれないなぁ。
「これって何でしょうか、父上」
「なんで父上って呼ぶのだ、息子よ」
「あら、じゃあ私は母上様ね!お元気ですかー?」
元気に帰宅を知らせ、スニーカーを脱いでいる僕の背後からロケットランチャー型のパーティークラッカーを浴びせた両親は洗濯物のように僕を抱えてダイニングキッチンに連れ込んでくれた。いつも通りの席に座らされた僕の目の前には二段重ねのイチゴケーキとフライドチキンと色とりどりのご馳走が並べられていた。そして何より目を引いたのは目の前にある牛乳パック大の宝箱のオモチャだった。
両親がキラキラした視線を僕に向ける。父はひとつ咳払いをして僕に開けるように勧めた。あー!コレって新車の鍵かも!じゃなきゃクレジットカードとか!流石にアイズはこんな箱には入らないだろうし……。いや待て、部屋の鍵とか……。
期待に震える手で宝箱のオモチャの蓋を押し上げる。どっちだ!車か?タワシじゃないだろうな!
そんな予想は何もかも外れていた。箱の中身は青い半透明で何やら模様が入っている雫型の宝石が下げられたネックレスだった。
「あー、これを売ってレース代の足しにしろってことかな?」
「だめー!売っちゃダメー!」
母上様が悲鳴をあげる。母上様はお元気である。逆に父上は宝石よりも青ざめている。
「そいつはなヒロム、宝の鍵ってヤツだ」
「へぇー…これがねぇー…」
宝石に歪んで写る自分の顔越しに視線で金の模様をなぞる。鳥のデザインかなんかなのか?
「とにかくだ、こっちに来い」
いつの間にか席を立ちリビング前の廊下に出ていた父に付き、2階の空き部屋と、その向かいの僕の部屋を通り越し、さらにその奥の廊下の行き止まりまで案内させられた。僕の後ろの立つ母はニコニコ楽しそうで、僕と壁の間に立つ父はコレまた満面の笑みをしていた。
なんだかサプライズプレゼントをくれるみたいなんだがサッパリ分からない。ちょっと焦ったくなってきた僕に父は
「今から言う文言を覚えておけよ。あ、録音はダメだからな」と謎な事を言う始末。2人とも楽しそうだなぁ!何日かけて準備したんだよ。
父は僕から受け取った宝石を壁に掲げるようにして、何やら呪文を唱え始めた。
「シス・テアル・ロト・リーフェリン」
えぇー、それを一発で覚えろと!と思ったのが分かったのか後ろの母が「後でメモを渡しておくから安心してね」と囁いた。よかったぁー。
そんなやり取りをしている刹那、壁に青色の光が幾重にも発光しながら走り回り、何やら紋様を描き始める。ひときわ強い光が壁の中央を上下に走ったかと思うと、まるで大きな観音開きの扉が奥に開くかのように太くさらに強く変化する。あまりの眩しさに目を細めるが網膜が痛くなるほどの光が壁の向こう側から僕ら三人を照らし、僕はほんの一瞬だけだったが気を失ったかのような感覚になった。
やっと目が開けられるほどの光量になり恐る恐る瞼を開けると、そこはこの家のどの部屋よりも大きな部屋で、入り口以外の壁には床から天井まで目一杯の高さの棚とそれを満杯にした本と紙製の箱、そして僕たちの真正面には真っ青なドレスに身を包んだ金髪の女性が立っていた。ゆっくりと瞼を開く彼女の目と目が合った。深い藍色をした大きな瞳が僕を射ぬく。まるで吸い込まれそうなその瞳に一瞬心を奪われた。今まで見た事がない美しさだ。
しかしその美しく完璧な瞳の真円はすぐさま鋭い刃のように細められた。睨みつけられて体を硬直する僕に彼女は低くこう言ったのだ。
「問おう。貴方が私のマスターか?」