三月やよい
僕の名前は弥生という。言っておくが、アニメとかでよくお目にかかる「僕少女」ではない。正真正銘の男だ。
なぜ「弥生」という女性名なのか。それにはちゃんとした理由がある。
母は娘が生まれたら「みつき」と名付けようと考えていた。理由は響きがいいからとか。とある年の三月、待望の子供が生まれた。女と男の双子だった。女の子の名前はすぐに決まった。三月と書いて「みつき」と読ました。
さて問題は片割れの男の子である。双子の姉が三月、なのに弟が太郎など誕生日と関係ない名前だとバランスが悪い。てなわけで宛がわれたのが「やよい」だったのだ。
まぁこの名前、慣れれば意外と普通なのでそれほど困らない。初対面の人相手だと、ほぼ確実に勘違いされるけど。勘違いと言えば……
月曜日、朝の教室には、独特の雰囲気があると思う。二日ぶりに顔を合わせるのだ。夏休み明けならともかく、たかが土日で人が変わるとは思えないが、それなりに近況報告をしたい人もいる。ちょっと気になる人と会えるのを楽しみにしている人もいる。
そんな六年一組の教室で、僕は朝のホームルームが始まるまでの間ぼんやりと、机についていたら、声をかけられた。
「あの……弥生くん?」
ちょっと気になる女の子に名前を呼ばれるのは悪くない。双子の特典だ。彼女は白石美姫。姉の友達の一人で、その中では素直で大人しい子だ。ちなみに、名前の「姫」をとって、姫ちゃんと呼ばれている。僕の中でも「姫ちゃん」と呼んでいる。もちろん、直接本人には言えないので、名字のさんづけだけれど。
「お、おはよう。白石さん」
「あ、うん。おはよう。あの、そのね。弥生くん、昨日……ううん。ごめん、なんどもないから」
彼女の方から話しかけてきたのに、逃げるように僕の席から離れて行った。なんだろう。何か変なことでもしたかな?
「何か変なことしたみたいね? どういうことかしら」
気づくと入れ替わるように別の女子が立っていた。佐々木真美子さん。同じく姉の友達の一人であり、姫ちゃんとも仲がいい。
「な、なにもしてないよ。むしろこっちが聞きたいんだけれど」
「そぉ? あたしも朝から様子が変なので、姫に直接聞いたんだけどね、詳しく教えてくれないのよ。ただ、聞けた内容から推測するに、どうやら日曜日、駅前であんたを見かけたことが原因っぽいんだけれど」
「……日曜日?」
予鈴が鳴った。佐々木さんは「じゃ」と軽く手を上げて、自分の席に戻っていった。
――そういうことか。
僕の中では答えが出ていた。
一時間目の授業が終わると同時に、僕は教室を出た。向かう先はすぐ隣のクラス。六年二組。そっと教室の中をのぞく。目的の人物はすぐに見つかった。自分そっくりな、姉の三月である。
男子に混ざって談笑していた姉は、特に呼んだわけでもないけれど、僕に気づいてこっちにくる。これも双子のテレパシーとか言うのだろうか。
ブルーのティシャツに紺のハーフパンツ姿。スカート姿は少なくとも小学生になってから一度も見たことない、活発な性格。――だからと言って、僕がピンクのフリル付きの服が好きってことでは、絶対ない。
「どうしたの、忘れもの?」
「お姉ちゃんじゃあるまいし。ねぇ、昨日、お母さんと一緒に、駅前に買い物にいったんだよね」
「うん」
「……そのとき、変なことしなかった? 僕のふりをして。姫ち――白石さんが何か見たみたいなんだけど」
双子といえば、誰でも思いつく「入れ替え」。小学校に入った頃、一日中替わってみない? と姉に誘われた経験は山ほどある。毎回僕は断った(二人が協力しない限り完全な入れ替えはない)けど、僕の知らないところで、けっこう僕のふりをしていたらしい。もっとも六年生にもなれば、中身は別(男子に混ざってサッカーするタイプ)としても、体格はそれなりに女の子っぽくなったから、僕のふりをしていたずらするってこと、なくなったみたいだけど。
「弥生のふり? しないわよ。そんなこと。昨日はお母さんとお歳暮の買い物をして、ついでに洋服とか買ってーーあっ」
「あ?」
「あ、いや、宿題あるの忘れてたのよ。休み時間のうちにふーちんに写さてもらうから、それじゃねっ」
姉は右手を挙げると、逃げるようにして古屋あんりさん(名字の「ふ」をとって、ふーちん)の席までわざとらしく走っていった。
なんなんだ、今の「あっ」って。宿題なんていかにも後付けな弁明っぽい。あやしい。やっぱり原因はお姉ちゃんだ。
けれど様子がおかしい。思い当たる節はあるが、僕には知られたくない、そんな雰囲気だった。僕のふりをしていたずらしたときは、いつも種明かしをして喜んでいたのに。ってことは、意図的な変装ではないのかな。
背を見せている姉の先で、あんりさんが、僕に向けて、いたずらっぽく笑いながら手を振った。気づいた姉が振り返って、僕をにらみつけた。
双子だし、別に怖くはないけれど、早めに退散することにした。あんりさんは姉と一番親しい友人。何か聞き出してくれるかもしれない。
結局原因が分からないまま、放課後を迎えてしまった。姫ちゃんとも気まずいまま。といっても普段から学校で会話なんてほどんどないけれど。姫ちゃんと佐々木さんも、もう帰ってしまった。僕も教室に残って考えていてもしょうがないので、席を立つ。
昨日のことならお母さんに聞く手もある。けれど今日は帰りが遅くなると言っていた。となると、やっぱりあんりさんか。隣のクラスをのぞいてみる。姉の姿はなかった。
「三月なら、西谷くんたちと校庭でサッカーしてるよ」
背後からの声に驚いて振り返る。ランドセルを右手に掲げたあんりさんが立っていた。「もしかして一緒に帰るつもりだったの?」
「まさか」
家が同じ、登校班も一緒でも帰りは別だ。いつもお姉ちゃんと一緒、なんて思われたくはない。
「もしかして、今朝の話の続き?」
うなずくと、彼女は興味を持ったのか、ずいっと顔を近づけてきた。
「ねぇねぇそれってどんな話? 三月に聞いても教えてくれなかったんだもん」
僕はかいつまんで彼女の説明した。一日中考えていたので、話はまとまっているはず。
「あ、そういうことか」
「え?」
「うん。なんとなく分かっちゃった。三月がムキになって教えてくれなかった理由もね」
信じられない。僕が考えても思いつかなかったのに。自慢じゃないけど、あんりさんより自分の方が成績も良かったのに。
「知りたい?」
ちょっと悔しいけれど、真相が知りたかったので、首を縦に振る。彼女はにっこり笑って言った。
「それじゃ、一緒に帰ろっか」
女の子と一緒に下校。姫ちゃんが見てなければいいけど、といらぬ心配をしつつ、あんりさんと並んで歩く。入野小から僕の家までは徒歩八分くらい。あんりさんが話しかけて、僕が相づちを打つ、そんな感じで、八分があっという間だった。
その間、例のことは話題にでないまま、家に着いてしまった。
「家に着いちゃったんだけど」
「そうだね。おじゃましまーす」
「って、ちょ、ちょっと待ってて。鍵取ってくるから」
お母さんは出かけているため、合鍵は、物置の中の、鉢植えの下にある。それを手にして玄関を開けると、あんりさんが待っていたかのように、中に入り込む。
女の子と二人っきり。良く分からないけど、どきどきする。お姉ちゃんと二人きりって思えば問題ないか。
勝手知ったる他人の家。あんりさんは僕に案内されるまでもなく、姉の部屋に入り込んだ。自分の部屋じゃなくてほっとしたような、残念のような。姉の部屋に入るのも久しぶりだ。漫画と衣服とお菓子の袋、相変わらずの汚れようだけど、あんりさんは気にした様子も見せず、漫画の山に腰かけた。
「さて、じゃあ、まとめてみよっか。真美っちの話では、姫ちゃんが昨日駅前で弥生くんを見かけ、そのせいで姫ちゃんの態度がおかしくなった、ってことだよね。けれど弥生くんはその日家を出てなく、代わりに三月が駅前に出かけていた。ということは、弥生くんの考え通り、姫ちゃんが見たのは、三月で、それを弥生くんと見間違えたってのは当たりだと思う」
「うん」
「ちょっと聞くけれど、昨日三月とおばさんが家に帰ってきたところ、弥生くんは部屋でゲームとかしてて見てなかったんじゃないかなぁ。ちなみに先に家に入ってきたのは、おばさんの方でしょ」
「……さぁ。どっちが先かは……。あんりさんの言うとおり部屋にいたから見ていないけど」
「あは。やっぱり? だって見ていたら分かったはずだもん」
「どういうこと……って、何してるのっ」
あんりさんは勝手に姉のクローゼットを開けて中身をあさり出した。慌てて止めようとした僕の目の前に、彼女は「これが証拠だぁっ」と、一枚の黒い布きれが差し出した。
「これは――」
それは、裾の辺りに二本の白いラインが縁取られ、ギザギザした――プリーツとかいう――デザインをした、スカートだった。
なぜ姉の衣服の中にスカートが? 小学生前に履いていたような、小さいものではない。まだ新しい。
「なんでこんなものが……あっ」
「そーゆーこと♪」
あんりさんがにやにやと笑みを浮かべている。僕にもなんとなく分かってしまった。真相が。どっと疲れが出てくる。
つまり、こういうことだったんだ。
昨日買いものに行った姉は、気の迷いか興味本位かお母さんに無理やりか、理由は分からないけれど、とにかく、そこでスカートを購入した。しかもそのスカートに着替えて家に帰った。
それを遠くから見かけた姫ちゃん。彼女はこう思った。
あの子、三月ちゃんに似ている。けれど三月ちゃんはスカートをはかない。ならあれは誰? 三月ちゃんに似ている人物と言えば――双子の弥生くん?
「……さいあく」
がっくりと漫画の上に崩れ落ちた。
姫ちゃんは勘違いしたんだ。僕がスカートをはいて街を歩いていると。つまり、女装が趣味な男の子だと。朝の僕への態度がそれを物語っていた。姉の反応も分かる。当事者だから僕の話を聞いてすぐに感づいたんだろう。けど本人としては立場がない。だから話せず隠そうとした。
「ま、姫ちゃんって、ああ見えておっちょこちょいなところあるからね」
あんりさんは他人事だって笑ってる。
「……よく考えると失礼な話だよね……」
スカートはいた姉を頭から除外し、代わりに僕にはかせて女装趣味に仕立てるなんて。姫ちゃんって、見かけによらず、ひどい。僕の女運って良くないのかもしれない。姉も――
「じゃ、弥生くん。はいてみよっか?」
どこか期待した表情で瞳を輝かしている、目の前の一人も含めて。