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序章〜ある女性の過去と決意〜

私が六つの時、両親が亡くなった。交通事故だった。

その前後の記憶はハッキリしていない。ただ、酷くショックで、そして凄く悲しかった事だけは覚えている。

葬儀は近所の人達が取り仕切ってくれたらしい。その事は感謝してもしつくしきれない。後になって教えられたが、両親は親戚付き合いが全く無かったらしく、葬儀に参加した遺族は私一人だったそうだ。

その結果、私には引き取り手がいなかった。

つまり天涯孤独となった訳だ。

そんな私の行き先は孤児院以外になかった。私には選択の自由は無かったけれど、そこで仮に、どうするかと聞かれても我侭を言う事しか出来なかったと思う。

私が引き取られた孤児院には上は高校生から、下は幼稚園児まで居た。人数にすると十人と言う大所帯で、それを院長先生たった一人で世話をしていた。

とは言っても、年長の人達が自主的に保父や保母役をやっていたので、実際には院長一人で院の全てを切り盛りしていた訳ではなかったのだけれど。

だからだったのか。それとも全国の孤児院でもそうなのかは分からないけれど、そこでは毎日が大騒ぎの連続で、喧嘩なんて当然だったし、夕飯でおかずを巡っての攻防は日常茶飯事だった。

それを煩わしく感じた事も何度かあった。だけど、今にして見れば、そうしたぶつかり合いが有ったから、私は孤独に押し潰されずに済んだんだと思う。

だからその頃は、なんで院長が一人で私達の世話をしていたのかは分からなかった。だけど、今なら分かる。経営が上手く言ってなかったのだ。

しかし当時の私はそんな事なんて全く知らなくて、ただ毎日を当たり前の様に過していただけだった。多分、年長の人達はそれに気付いていたと思う。だからアルバイトをしている理由も、その頃は単に高校生だからだと言う今にしてみれば訳の分からない理由だと思っていた。

子供だったのだから仕方が無いと言われれば、そうなのかも知れない。知った所でどうなる訳でも無かったけれど、何も知らないで毎日出てくる食事や、新しい服、学校行事の積立金だとかそう言う事を、与えられて当然の様に感じていた当時の自分が嫌になる。

中学二年になるまで私は院のそうした実情を知らなかった。小学校の高学年に入った辺りから薄々は感じてはいたけれど、子供の私にはそれを正確に理解するだけの知識が無かった。

だから私も、高校生になったらバイトを始めた。本当は高校に行かないで何か仕事をしたかったのだけれど、それは院長に止められてしまった。

まぁ、中卒の、それも女の子が就ける仕事なんてそうはない。しかも院の経営を良くするだけの金額を稼ぐとなると尚更無い。だから止められて当然だったと思う。

一応、一つだけそうした仕事が無い訳じゃなかった。

資格と言える資格もこれと言って必要としないし、性別も問わない、ただ健康な体かどうかと言うだけの仕事で、もしも院長に止められなかったら私はその仕事を選ぶつもりだった。

高校時代はバイト漬けの日々だった。高校生活らしい生活を送らなかった訳じゃなかったけれど、同年代の人達と比べるとかなり地味だったと思う。

彼氏もいなかったし・・・。

高校卒業後、私は大学に進学した。院が在る地区から遠く離れた大学に。

別に院での生活が嫌になった訳じゃない。ただ、流石にこの歳になってまで院に負担をかけるのは私には苦痛だった。

だから、寮を持っている学校を選んだ。遠く離れたのは推薦で学費が全額免除の特待生で進学できるのが、近隣に無かったからだ。

そりゃ、私の学力には多少の問題はあったかも知れないけど・・・。

大学に進学しても、高校時代とそう生活が変わらなかった。寮費や、教材費は自分で捻出していたし、生活費も自費だったので、まぁ仕方が無い。院長なんかは、それ位は出すと言っていたけれど、それは丁重に断っておいた。

院に負担を掛けたく無いと言う想いと一緒に、なんだかいつまでも子ども扱いされている事に対して半分位意地みたいになっていたんだと思う。

大学生活はバイトと平行する形で過ぎて行った。それでも高校の頃と比べると幾らかはバイトの寮は減らしていたので、プライベートに割ける時間はできた。多分、それなりに学生生活を楽しんだと思う。

まぁ、それでも彼氏はできなかったけど・・・。

大学三年の終わりに私は就職の内定を早々に貰うことができた。だから大学四年の一年間は、就職後に必要だろうと思う資格の獲得と、最後の学生生活に割いた。もちろんバイトと平行してだ。

大学四年の一年間は、多分、私の中でもっとも自由な、それこそ世間一般的な学生生活らしい学生生活を送れた時間だったと思う。それは高校時代のバイト漬けの日々が、まるで遠い出来事に感じられる程だった。

もっとも、それは十二月までの話。

年が明けた、新年の一月、私は世間の正月ムードが恨めしくて仕方が無かった。

いや、恨めしいと言うよりも憎らしかった。

私が絶望に打ちひしがれていると言うのに、なんで世の中は馬鹿みたいに新年を祝っているのかと、私は世界を呪っていた。

いや、今も呪っている。

あの頃と比べると、大分落ち着いたけど、それでも私の中から、この怒りと絶望が消え去る事は今も無い。

それだけの出来事だった。

落とし穴に落ちた・・・。いやその程度では生温い。穴の底に竹槍が天にその刃先を向けていて、その槍の隙間には無数の毒蛇がのた打ち回っている。

そんな落とし穴に落ちた気分だった。

と言うか現在進行形で、落下中。

そろそろ底が見えて来そうな状況だったりする。

簡潔に言うと、私の内定が取り消しになったのだ。

それも年末に。

おかげで人生最悪の年越しを経験させられた。

バイトは続けているけれど、それだけではどうしようもなかった。それだけで生きて行くには無理が有る。主に家賃とかで。

手っ取り早く・・・。じゃなくてもいい。ただ生活費を出して、少しずつだけど貯金が出来る仕事を早急に探さなくてはならなかった。

しかし、探そうにも時期が時期だった。どこの企業も一月まで就職の募集をしている訳が無く。どこかの会社が慈悲の精神を見せてくれない限りは就職なんて不可能だ。

加えて、今は状況が悪い。最悪と言って良いほどに悪い。

世界規模で経済が悪化しているのだ。その結果、大企業と呼ばれる所でさえ大幅なリストラをしているし、内定を取り消したりしている。

路頭に迷う。いや、迷わされるとは思ってもみなかった。

正直ショックで寝込んだ位だ。

しかし寝込んでも世界は私を慰めてはくれやしない。与えてくれるのは精神に少し落ち着きと、どうしようも現実を直視させるだけだった。

同じ様な被害に有った人は大学内でも何人かいた。やはり私と同じ様に寝込んだらしい。無理も無い。と言うか当然だろう。内定を取り消されたのだ、寝込むなんてまだ良い方だ。そのうち自殺する人が出てきてもそれは不思議じゃないと思う。

一月は全て就職活動に使った。が、それが実を結ぶ事は無く、資料は送られてきても面接となると断る所ばかりだった。

二月になると、内定を取り消した企業から迷惑寮として被害にあった人全員に百万円が支払われた。が、それだけだった。その時ほど、私はお金と言う物に嫌悪感を抱いた事はなかったと思う。

それと同時に、その時に私は企業と言う存在に愛想が尽きた。こんなお金で私達に迷惑をかけた事を済ませようなんて許せるわけがない。

私は被害者だから、加害者に対して辛辣になっているだけなのかも知れない。だとしても、そうやって自分達の痛みを伴わない部分をいとも容易く切り捨てるやり方は、間違っているとしか思えなかった。

だが、その企業に雇ってもらわなければこの世の中では生きて行くのは厳しい。

特殊な才能や資格、人脈、生まれついての身分や、資産。

そうしたどれかが無ければ、凡人が企業に縋らずに生きるのは不可能に近い。

そのどれか一つでも私に有れば、それを使った事ができただろう。もしかしたら、内定を取り消されずに済んだのかも知れない。

だけど私はどうしようもなく普通の人間でしかなかった。

だから出来る事と言えばこの現実に絶望しつつも、そんな状況に追い込んだ存在に縋りつく事しかない。

だけど。

それは、何だか無性に腹が立つし、許してはいけない事だと思うのだ。

大人達は、それを若さだとか、被害者意識だと言うかも知れない。だけど、それで済ませてしまえるのは他人だからだ。実際に被害に遭ったら、そんな言葉は聞くだけで吐き気がするだろう。

だから私は違う道を選ぶ事にした。

それはかつて一度選ぼうと思った選択肢。

あの時は止められたけれど、もう誰の説得も聞く気は無い。

それが・・・それが例え恩人である院長であってもだ!

だから、私は選んだ。

選ぶ事を決めた。

二月初旬の某日。

その日、私は、

私、壬生薫みぶかおるは―――。

魔術師として生きる事を決めた。


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