気持ち悪い
鬱病の人ってこんなこと考えてそう笑
いつからだろう。自分でも意識し始めたのはつい最近のことだ。他人に言われるまで全くなんとも思わなかったのに、もうずっと昔からこの胸に居座っているように感じてならない。
───気持ち悪い
その一言で表現するには些か不快感を表しきれない。それでも何か一言で表せと言われたらその言葉しか思いつかない。
息苦しく、吐き気がする。何かがつっかえて血の巡りを悪くしている。体内に未知の虫が住み着き全身を徘徊しているような感覚。矛先のない苛立ちが常にまとわりつき、世の中の全てに憎しみすら覚える。幸せそうにしている人、不幸だと嘆く人、夢や目標に向かって頑張る人、日々を自堕落に過ごし曖昧な時に身を任せる人、そしていっその事自分も自分の大切な人すらも、須く等しく消えて無くなってしまえばいいと本心からそう思える。
何もかもが気持ち悪くて仕方がない。
なぜ自分だけこんな嫌なものを背負わなければならないのか、自分だけでないというのならなぜそんなにも平気な振りをしていられるのか。恨み言をならべたら尽きることは無い。
しかしこれの最も厄介な所は、それでいて原因を取り除きたいと思えないことにある。既に増長しきったそれは自身の思考にすら影響を与えているというのに、なおもこれで良いと思っている自分がいる。それともこの感情もその不快感によって植え付けられたものだとでもいうのだろうか。
突然場所も選ばずに叫びたくなり、無関係などこかの他人を殴り倒したくなる。全身を皮膚が爛れるまで掻き毟りたくなる。髪の毛を全て毟り取り、眼球を抉り取りたくなる。頭蓋に弾丸を打ち込み、首と天井とを麻縄で結び体の全てを委ねたくなり、心臓に包丁を突き立て、高層ビルの屋上から飛び降りたくなる。そうすることで胸のつかえが取れる確信があった。
でもそうはならない。
自ら命を絶ってしまってはもうこの不快感を味わうこともないと思うと、どうにも惜しい気がするのだ。
この感情は自分だけのものだ。
どれだけ才能があるともてはやされ、どれだけ賢いと言われようと、多くの人に特別な人間と崇められても、歴史的に見ると似たような人は山ほど存在する。
多くの人間は表面上では共感を求めつつ、真には求めていない。心の底では誰にも理解されない自分に酔いしれている。
日々望まない破滅へと足が進んでいくことをこの身に感じ、一日を暮らす。寝て起きたら忘れているこの感情とまたしばらく経つと蘇ってくる。そして自分の無力さを痛感し、胸の痛みに苦しみ、それでもそれを幸せと感じる。歪んだ感情をただただ愛おしく思い、誰にも打ち明けることもなく胸にしまう。共感されたくない。もし共感してしまう人間が現れてしまった時自分の中に湧き上がるのは一体どのような感情だろうか。もしそんな時が来たら何もオリジナリティのない自身に絶望し、自死の道を選ぶのだろうか。
答えは否だ。きっとまたその絶望すらも蜜として幸せのひとつに加えてしまうに違いない。
どうしようもないが、どうしようもなくそれが自分という人間だ。
そうして今日も明日も明後日も、また何事も無かったように平然した顔で過ごし、与えられた職務をこなし、たわいのない話で盛り上がり、友人たちと楽しそうに笑い合い、そして誰にも見られぬ場所で涙を流すのだ。