98.転
王城騎士団のアリエンとの一幕から数日後。シエラは普段より早い時間に目を覚ました。窓の外は薄闇で、まだ日も登っていない時間である。
なんとなく、外が騒がしいような気がしたのだ。
「これは……?」
とくにざわめきが聞こえるというわけでもないのだが、意識を集中すると、人々の慌ただしく動いているような気配が伝わってくる。
嫌な予感とともに、一階に降り顔を洗ってからリビングへと向かうと、すでにリサエラとハツユキが朝食の準備を始めていた。
「おはようございます、シエラ様」
「おはようございます、お母様」
「うむ、おはよう。なにやら王都がピリピリしているようなのだが……」
「はい、私もハツユキもそのことは感じておりました。イヴ様もそのようで、情報を集めると言い残して一時間ほど前に外へ出られました。《黒鉄》の方々と合流する予定だそうです。何かわかったら伝えに戻るから、待っていてほしい、と」
「なるほど……。わしも外に出たいのはやまやまだが、チャットも使えん以上外で離れてしまうのはすれ違うリスクが高いな。待つほかないか……」
そう言いつつ、シエラには漠然と嫌な予感がしていた。何か大きなことが始まるような、そんな予感。
杞憂とはいかないだろうな、と思っていると、店側のドアが開かれる。
「ただいま」
そこには、イヴをはじめとした《黒鉄》のメンバーが揃っていた。
「おお、戻ったか」
「《黒鉄》の皆さま、お疲れ様です。簡単なものになりますが、朝食をお出ししますのでここで会議といたしませんか?」
リサエラの提案に頷いたのはガレン。
「ああ、助かる。深夜から何も食っていなかった」
そう答えるガレンの顔には、多少疲れが見える。長時間駆け回って情報を集めていたのだろう。
「どうやら何かあったようじゃな。それもかなり大きな何かが」
テーブルの家主席へと座りつつシエラが問う。
テーブルの席は全員が座ってちょうどの数の椅子とスペースがあったが、ハツユキは飲食ができないので立って話を聞くことにしたようだ。
リサエラは初めから大人数用の朝食を準備していたようだ。この国特有のエリドソル米の茶碗と、魚の塩焼き、洋風なスープが手際よく運ばれてくる。(流石にこの国には味噌はなかったため、味噌汁とはいかなかったようだ)
どうやらかなり腹が減っていたらしい《黒鉄》の面々が勢いよく食べ始める。
「ああ、これは美味いな。リサエラ殿はやはり尋常ではない――、いや、まずは現状を話すとしよう」
ガレンがご飯をかきこんでから、改まって咳払いをする。なお、リサエラは微笑みながらご飯のおかわりを差し出しており、ガレンもそれを受け取ってはいたのだが。
「情報が錯綜しており、まだ詳しいことはわかっていないのだが……。確定した事実は、北の隣国グラムスが落ちたということだ」
「なに……!?」
ガレンの報告に、シエラは椅子から立ち上がって驚く。
グラムスとは、中央小国群のうちエリドソルの北側に位置する国で、面積や国力はエリドソルに及ばないながらも、なんとかオルジアクの攻勢に耐えていた国であった。
オルジアクと時折小競り合いが起こっていることは風の噂で聞いていたのだが、まさかたった一晩で陥落するような状態ではなかったはずである。
「まて、それはいつの情報なのじゃ」
「二日前だ。この情報すら王都に到着したのは数時間前、今は様々な情報や噂が飛び交っている」
電話や、遠くに連絡する魔法がおそらく存在しないこの世界では、情報の伝達にはどうしてもラグが発生する。隣国のことが二日間で伝わってくるのはそれでも早いほうなのだが、二日間既に対応が遅れているということでもある。
「これはまずい事態じゃな……、しかし、かの国がそんなにすぐに陥落するとは思えんのじゃが、どんな手品を使ったんじゃろうな」
それに答えるのはギリアイル。
「それもまだいろいろ説があるみたいだけど……。正確には陥落したのは首都とその周辺らしい。気になる話の一つに、『グラムス各地のダンジョンから爆発的に魔物が発生して、国中が大混乱に陥ったあと、オルジアクの大軍が首都に攻めてきた』っていうのがあるんだ。これって……」
「! それは、わしらが封印してきたあの剣……」
「そう、その効果のような感じがするよね。もしあれがオルジアクの策略で、彼らが任意にその本当の力を解放できるよう調整できるのだとしたら……」
その話は、非常にありえそうなものであった。
《白の太刀》と《黒鉄》がシエラの魔導具で封印してきたダンジョンの黒い魔剣には、その土地の魔素を暴走させ魔物を大量に発生させる呪いが施されていた。
その効果がもし更に強められるのだとすると、国中があっという間に魔物で溢れてしまうことは想像に難くない。
この世界はまだ情報連絡手段が発達していない。また、オルジアクが意図的に情報遮断を行っていた可能性もある。陥落まで何日かかったかは定かではないが、情報が届くのが遅れたのもやむなしといったところだろう。
「それは……ありえそうな話じゃな。ただそんな魔物まみれになった国に、オルジアク自体も攻め入るのが大変そうじゃが……。魔物避けでは足りなさそうじゃし……、任意に操れるのか、もしくは任意に消滅させられるか、かの」
暴走させるだけさせておいて、その後の制御ができないというのは確かにナンセンスである。事実は見てみないことにはわからないが、きっとなんらかの仕掛けがあるのだろう。
「そんなことより、今はエリドソルの心配をせねばならん。こうして攻め入ってきたということは、いよいよなのではなかろうか」
ガレンが頷く。
「国境の状況はまだ伝わってこないが、オルジアクはこの機に乗じて乗り込んでくる可能性は高い。東の国境より、北の国境のほうが侵攻しやすいからな」
エリドソルと東の大国オルジアクの国境には、そこそこに険しい山脈が横たわっている。
そのおかげで今まで大規模な侵攻を受けなかったわけだが、エリドソル・グラムス間では話が違う。
北の国境は大きな河川で分けられており、そこにはいくつも橋がかけられている。ただし河川自体も渡れる程度の深さしかない箇所は多く、侵攻の妨げにはなりづらい。オルジアクがグラムスを押さえてしまったとなれば、それを橋頭堡として侵攻してくるだろう。
「かなり急な話だが……おぬしらはどうするんじゃ? 戦争には加わらないと聞いていたが」
そう聞くと、ガレンは渋い顔で唸った。
「そのつもりだったが……、俺たちもこの国を気に入っている。色々と恩義もある。何もしないわけにはいかんだろう。支援のため、北へ向かおうと思う。人を斬るつもりはないが、先の話が確かなら暴走状態の大量の魔物が押し寄せている可能性がある」
「確かにそうじゃな。わかった、わしも北へ――」
シエラが頷いて答えようとしたところを、リサエラが肩に手を置いて制止する。シエラの知る限り、リサエラがシエラの言葉を遮るということは今まで一度も記憶にない。
「《黒鉄》の皆様――申し訳ありませんが、我々は我々にできることをしようと思います」
「ああ……わかった。無事でな」
シエラも、リサエラには考えがあるのだろうと思い、頷く。
「おぬしらこそ無理はするな。頼んだぞ……イヴ」
「……うん。また、必ず」
イヴも強く頷く。
王都から国境へは早くても数日かかる。そのため彼らはこれからすぐに出発するようだ。
必ず生きて帰ってくれ、と念を押して、シエラは彼らを見送ったのであった。




