87.登山日和……?
「エメラ、多重詠唱できる数増えてない?」
「この前試してみたら、八発くらいまでは、なんとか……」
ピリヤ山中腹の、スパルナ出没地点付近にて、猪系魔物の《暴走猪》の群れを軽く蹴散らした二人は、昼食を食べつつ話していた。
冒険者を始めた頃のエメライトは第一階梯魔法《アイシクル》の詠唱を四つまで多重詠唱することができていた。駆け出しにしては多いほう――というより、多重詠唱には得手不得手があり、全くできない魔法詠唱者も多い――だったのだが、戦闘経験を積み魔法銃を使いこなすことで、八重詠唱をこなすまでになっていた。
これにより、二人組という少人数パーティの陥りがちな手数不足に困ることもなく、十分な火力を発揮することができているのであった。
「すごいもんだね。私は魔法のことはさっぱりだけど……おかげで楽させてもらってるよ。二挺持ちにしたのって、やっぱり関係ある?」
「うん、左右に出力先が振り分けられてるから、なんというか……思考が分散させやすい、のかな……。あと、複数体の魔物にも対応しやすくて便利、だと思う。とにかく、勧めてもらって良かった。わたしには合ってるみたい」
「シエラさんにはどんどん借りが増えてくね……。ま、ひとまずそれはおいといて、そろそろ行きますか」
「そう、だね。もうすぐ、目標地点。好戦的ですぐ襲ってくる、みたい」
赤をメインに、七色の羽根を持つという魔物の《スパルナ》。非常に目立つ見た目をしているので見つけられないということにはならないはずだが、その分強力な魔物でもある。
まず、単純に空を飛ぶ魔物は人間では分が悪い。加えて、強力な物理攻撃と魔法攻撃を備えているという。
空中への攻撃はエメライトがいるので問題ないだろう。あとは、スパルナの攻撃を自分がどれだけ防げるかにかかっているな、とシュカは気合を入れ直した。
「あと……ちょっと気になることが、あって」
「気になること?」
「うん……山の雰囲気……魔素の震え方が、なにかおかしい、ような……」
「……エメラの感覚は確かだからなあ……。とりあえず、注意して進もっか」
エメライトのぼんやりとした言葉をシュカは決して軽視しない。彼女の持つ魔法的な感受性は確かなものであり、彼女が何かあると言えば何かがあるに違いないのだ。
とはいえ、立ち止まっているわけにもいかない。何かがあるにしても、先に仕事を終わらせて下山すればいいだけの話である。
そうしてさらに歩くこと数十分。
二人は木々のまばらな広場に到着していた。ここが依頼票に記されていた出没ポイントの一つである。
もしここで見つけられなかった場合、他のスポットを巡ることになるが――その必要はなかった。
広場の中央に聳える一際大きな針葉樹頂点のまわりを、三羽の赤く大きな猛禽が飛行していた。
一羽ごとの全長は二メートルを超えている。あれこそが目的の怪鳥スパルナである。
「いた……、来る!」
シュカがそう言って前に出る。すっかり小傷の増えた小円形盾を構えて攻撃を待つ構えだ。
その後ろではエメライトが魔法の詠唱に入った。鳥型の魔物は倒し損ねると飛んで逃げてしまうことが多い。そのため、一度の攻撃できっちりと倒し切る必要がある。
その様子を見たスパルナたちは、悠然と方向転換をして二人のほうを向くと、示し合わせたように同時に魔法を詠唱する。
スパルナが使う魔法は、個体間で若干の差異はあれど、だいたいが雷属性の魔法である。
三羽も例に漏れず、発動したのは雷属性魔法。同時に数条の雷を発生させ対象を焼き払う魔法である。
エメライトはすでに、念のための魔法防御の加護を起動してある。ただ、これだけの数と威力ともなると減衰させるのも限度がある。シュカの防御が必要だ。
「任せて!」
ニッと笑ったシュカが雷の軌道を読み、盾を振るう。雷のほとんどは先頭のシュカ狙いだったため、大半が盾にぶつかって弾ける。残った数本はシュカとエメライトに到達するも、完全に防御しきることに成功する!
「今…っ、リリース!」
エメライトが二挺の魔法銃を構え、魔法を発動。
今の限界である八発の氷のライフル弾が生成されて、それぞれがスパルナたちに向かって飛翔。
二羽のスパルナは、三発の氷弾を食らって絶命し、地に落ちる。
残りの一羽は、一発を腹部に受けるも、最後の一発は掠めるに止まった。血を流しながらも、慌てて向こうへ飛び去って行ってしまった。
「一羽、逃した……」
「十分十分。やつらも、ご自慢の爪も嘴も使わずに倒されるとは思ってなかったでしょー。さ、さっさと解体しちゃおうよ」
「そう、だね」
一羽取り逃がしてしまったとはいえ、成果は上々である。魔法が胴体のみを貫いているおかげで、羽根は完全な状態だ。
そして二人は、その場で解体にかかる。とはいっても、やることといえば胴体から翼と首を切り落として、それぞれ袋に詰めてインベントリに放り込むだけである。
この世界の住人のインベントリは厳密にはシエラたち異世界人のそれと仕様が異なる。シエラたちのインベントリがほぼ容量無制限なのに対して、彼らのインベントリはレベルに応じて容量が増える。そのため、倒した魔物を持ち帰るときはできるだけ嵩張らない形に解体したり、不要な部位を捨てたりといった工夫が必要なのである。
それらの作業が終わって、帰ろうと腰を上げた直後――大地が揺れる!
「な……なに!?」
シュカが周囲を見回す中、エメライトは一点を見つめている。
「あ、あれ……!」
エメライトが指さした木々の向こう。遠くから、地鳴りとともに何か巨大なものが急速に接近しているのが見える。
「うっわ、あれはヤバそう……! とりあえず避けなきゃ!」
そう言って、エメライトの手を引いて巨大な何かの進路から離れようと走る。
その間にもそれは猛烈に迫ってきており、シュカとエメライトが跳んで転がることで、なんとか轢かれるのを回避する!
その存在は二人の前を通り過ぎたところで停止して、二人に顔を向ける。
その姿は――全高三メートル、前後六メートルほどの巨大な猪であった。顔には剣のように鋭い牙が備えられており、全身からは黒いモヤが湯気のように立ち上っている。どう見ても尋常な存在ではない。
「こ、こいつまさか……山の主!?」
シュカは記憶から該当する存在を探り当てる。ピリヤ山には数十年に一度の頻度で目撃される、巨大な魔物がいるのだという。その姿は猪であったり狼であったり目撃者によってさまざまなのだが、彼らは一様に『恐怖そのものを見た』と残したそうだ。
その目撃頻度の低さと神話生物のような存在感に、人々はそれをピリヤ山の主と呼ぶようになった。近年は全く目撃されておらず半ば忘れかけていたのだが、まさかこんな時に遭遇するとは。
存在感があまりに重厚すぎて、シュカは立ち尽くしたまま何も考えられなくなっていた。少しでも動くと一瞬で距離を詰められそうな緊迫感を感じてしまう。
背後では火力担当の幼馴染、エメライトが膝から崩れ落ちている。山の主から立ち上る黒いモヤは可視化するほど濃密に圧縮され凝結した魔力である。そんな規格外の化け物に、戦意を完全に折られてしまっていたのだった。
自分たちはここで死ぬのか。逃げる手段が思いつかないまま、山の主は突進を開始する。
死ぬ――二人がそう思った瞬間、目の前に人影が現出する。
「大きさだけは一丁前ですが、味は悪そうですね。……お二人とも、お怪我はありませんか?」
その人物は、片手で山の主を受け止めつつ、そう言い放った。




