32.緊急事態
「ふむ、いやこれはなかなか」
天空城の地下工房で、シエラは会心の笑みを浮かべていた。
完成したのは、一枚の護符。
ただし素材は紙ではなく、青色の透明な結晶である。
その表面には銀色の文字列が刻まれている。
これは、シエラ製魔道具『冷却護符』。
冷気を発し続けるという、単純な機能を持つ護符である。
これをポーチの中に入れておけば、中のポーションは冷やされた状態を維持できる。
ただし、もちろん冷気を発するためには身につけた者の魔力を必要とする。
この護符は装備され続けるかぎり、所有者が意識しなくとも魔力を勝手に吸い込み続け、冷気を発し続ける。
(一定時間ごとに所有者が魔法をかけ直さなければならない構造では、魔法をかけ忘れたときに中身が悲惨なことになってしまう)
そのため吸い込む魔力は限りなく少なく、効率的に魔法に変換する必要があった。
必要なスペックを実現するべく、素材には魔石を使用した。魔石を一度粉にした後、錬金魔法を行使しつつ密度の高い板状に変形。
魔力を通しやすいミスリル銀で、冷却魔法を維持し続ける魔法式を板に書き込めば、完成だ。
オンオフのスイッチすらない一品だが、効果を切りたいときはインベントリに入れてしまえばいいので必要ないのである。
「……というわけじゃ。どうかな」
以上の仕組みや仕様を説明して、後ろに控えるエルムに渡す。
エルムは澄ました顔をしていたが、興味があるのは作業中から伝わってきていたのであった。
シエラは眷属の性格まで設定したわけではないのだが、エルムは新しい発明品に非常に興味を示す傾向があるらしい。
「なるほど、素晴らしい発明かと思います、シエラ様」
「いや、まあ単純なものだがな。向こうの素材を使うと多少効率は落ちるだろうし」
「この魔道具は、ポーションを冷やすという用途以上に、用途が広いものかと。常温になると保存できないもの――たとえば、食用肉であったり、暑さに弱い魔物素材であったりと、スペックを変えれば様々な用途に使用できるものですよね?」
「……それもそうだな。売り出し方によっては、冒険者のみならず需要が発生する可能性もあるか……」
エルムの指摘に、頷くことしかできない。
エルマたちもそうだが、自らが生み出した眷属だというのに、シエラ自身より思考が高度なのはありがたい限りである。
ひとまず、バッグ用の小、馬車用の中、部屋用の大を用意してみようと考える。
馬車用や部屋用のものへの魔力供給については、術者本人が近くにいなくても使用できるよう、魔力貯蔵板を併用する構造が良いだろう。
魔力貯蔵板とは、シエラの考えたものではなく、アイゼルコミットの錬金術具店で見かけた魔道具であった。
金属の筐体に基本錬金溶液を入れたもので、魔力を保存しておく機能を持つ。
術者は自身の魔力を使用する代わりに、魔力貯蔵板から魔力を消費して魔法を使うことができるのである。
ただ、ある者が貯蔵した魔力は他の者が使用することはできない(魔力の波長が合わないため)のだが、今回のように魔道具を起動するだけであれば問題にはならない。
部屋を冷却するのであれば、一定温度まで下がったら発動を停止する機能があったほうがよさそうだが……などなどと考え始め、気付けば深夜になっていた。
その日は後片付けをエルムに頼み、偶然城に来ていたリサエラと遅い夕食を食べたのち、アイゼルコミットに戻ってから寝床についたのであった。
夜更かしをしたこともあって、翌朝のシエラはぼんやりしていた。
それでも店があるので午前九時には目を覚ますと、宿のロビーに降りていったのであった。
そのロビー兼食堂となっているフロアは、普段よりざわついていた。
空気が沸き立っているようにも感じる。何かあったのだろうか……?
「おはよう、店主。……これは、何かあったのかや」
「シエラちゃん、おはよう。実はいまさっき、《白の太刀》が戻ってきてたんだ。……アカリだけね」
ヘラルドが、カウンターのシエラに黒茶を出しつつ深刻そうな顔で答える。
「アカリだけ……じゃと? 他の者たちは――」
「いや、大丈夫だ。亡くなったとか、そういうことじゃない。彼らは今、ある場所で大量の魔物を食い止めているらしいんだ」
「なんじゃと……?」
「順を追って説明すると――」
ヘラルドの口から経緯が語られる。
《白の太刀》の者たちは、数日前からとある遺跡の探索に向かっていた。
その遺跡は以前から魔物の発生頻度等に異常が見られていたため、冒険者ギルドからの調査依頼だったらしい。
遺跡に到着した《白の太刀》が見たものは、ダンジョンと化した遺跡の下層から、普段平和なはずの遺跡の上層まで魔物が溢れ出ている様子だったのだ。
遺跡から近隣の街まではあまり離れていない。
このまま放置していれば、溢れ出た魔物は近隣の街を襲うかもしれない。そう考えた《白の太刀》は討伐に当たった。
偶然にも同じ遺跡を調査しにきていた《黒鉄》とも合流したのだが、彼らだけでは魔物を抑えるので手一杯で、押し返すこともままならない。
そう感じた彼らは、アカリを伝令として走らせ、アイゼルコミットに救援を求めにきたのだという。
「ここにいる彼らの様子が準備万端なのも、出発間近じゃからか」
その話を聞いて、シエラは周囲の空気の理由を悟った。
「そのとおり。冒険者ギルドからはすぐ正式に緊急クエストが発令されて、準備の出来た者たちから順次向かって行ってるって。早朝ということもあって、数はまだ多くないみたいだけど……」
今回の事案は危険度が高いことも考慮され、一定ランク以下の下級の冒険者は出発が許可されていないそうだ。
そういった事情もあって、人手は全く足りていないそうである。
「……わしも行こう」
シエラは話を聞きながら、既に出発の準備を始めていた。
もう、いてもたってもいられないという様子である。
「そう言う気はしたけど……大丈夫かい?」
「ああ、準備は怠らぬし、あやつらも知らん仲ではない。助けられるものは、助けたい」
「わかった。といっても、ランク制限は――」
ヘラルドの問いに、椅子から飛び降りつつ答える。
「そもそも冒険者ですらないのでな。緊急クエストとやらとは関係なく、行くさ」
「そうかい。《白の太刀》、《黒鉄》のみんなのこと――頼んだよ」
「――ああ!」
そうしてシエラは走り出し、冒険者たちの行軍に加わったのであった。
シエラは今回の緊急クエスト向けの馬車の群れに滑り込み、乗ることに成功した。周りを見れば、馬車に乗り込んでいるのは全部で二十名といったところだろうか。
目標たるアルスラ遺跡へは、馬車で半日かかる道のりだという。
シエラは冒険者ギルドで仕事を受けたわけでもないので実際にはルール違反だが、ここにはそれを咎める者はいない。
シエラは他数名の冒険者たちがそうしているように、焦れる気持ちを抑えながら黙って座っていることしかできないのであった。
「ここからは徒歩になるぞ!」
馬車の御者の声に外を見ると、道は途切れており、森になっていた。
ここから歩いて三十分程度で、アルスラ遺跡に到着するらしい。
馬車から降りた冒険者たちは、装備を確かめてから森へ入っていった。
森は鬱蒼としているが、先人たちが木々に目立つ印を刻んでいるので、遺跡への道は迷わずにすみそうだ。
シエラは馬車に同乗していた冒険者たちとは別れ、単身で走っていた。
走りながら、インベントリに入れた装備を実体化し装備していく。
背には白銀の大剣《ソード・オブ・アイオライト》。
胸、腕、脚にそれぞれ金属製の胸当て、篭手、グリーブ。これらも剣と同じく装備条件を改竄したものだ。
天空城の廃棄品倉庫――通称ゴミ箱から試作品を取り出しておいて正解だった。
そして各部のポーチに万能治療薬、上級治癒ポーション、上級魔力ポーション、上級魔術爆弾各属性を収納。
これでも同レベル帯の戦士の戦闘力の足元にも及ばないが、いくらかは役に立つはずだ。
そうして走り続けていると、前方の木々の間から金属音が聞こえてくる。
「これは、他の冒険者が魔物と戦いになっているのか……!」
意識を集中してみると、シエラの周りにもぽつりぽつりと魔物の反応が近付いているのを感じる。
おそらくは、遺跡から漏れ出てしまった魔物たちだろう。
「……来るなら、来い!」
木の陰から飛び出してきたのは、腐敗した身体に布を巻き付けた動く死体系の魔物であった。振り上げた手には錆びた金属製の長剣が握られている。
すれ違いざまに、大剣を一閃。たいした抵抗もなく、リビングデッドの胴体が吹き飛ぶ。
一瞬遅れて身体が黒い魔素となって霧散したのを確認しつつ、シエラは速度を上げる。
(《黒鉄》も《白の太刀》も実力者ではあろうが、ここまで魔物が漏れている状況を見るに、全く余裕はなさそうじゃ。そんな戦いがいつまでも続けられるわけがない。急がねば……!)
そうして遺跡まで五分の地点で、見知った背中が見える。
「アカリ!」
声をかけられたアカリは、一瞬背中を振り返って、信じられないという顔で二度見した。
「シ、シエラさん! どうしてここに!?」
「宿で話を聞いてな。放っておけんじゃろ」
そういいつつ、アカリに追いつき、並走する。
「シエラさん……ありがとうございます! 急ぎましょう!」
そういうアカリはかなり傷だらけであった。アカリたちの一団が先頭集団だったらしく、この森の中でもかなりの数の魔物を屠ったようである。
「急ぐのは急ぐが、これを飲んでおけ」
シエラはインベントリから売り物の備蓄である最下級治癒ポーションを数本取り出し、アカリに投げ渡す。
各種上級ポーションはいざというときの保険なので、最下級のもので済む程度であれば問題はない。
「本当にありがとうございます、……っおいしい、癒やされます……!」
アカリは一瞬顔を緩めたあと、気を引き締める。
――本番はここからだ。
そして木々が徐々にまばらになっていき――遺跡が見えた。