105.現地では
翌朝。イヴは差し込んでくる日差しに目を覚ました。
寝ていたのは、国境付近に設営された陣地内の仮設テントの中である。
昨晩はかなり遅くまで国境付近で警戒を続けており、交代の兵士と入れ替わりで就寝したのだが、あれが何時の出来事だったのか記憶にないほど精神的な疲労が溜まっていた。
テントの中に他の《黒鉄》メンバーがいないのは、おそらく自分を気遣って起こさずに出て行ったのだろう。
そう考えつつ寝ぼけ頭を覚醒させて、身だしなみを整えてからテントを出る。
イヴが寝ていた仮設テントの周りには同じようなテントが一面に広がって設営されている。
時刻はもう昼前だったようで、通路には兵士たちが行き交っていた。
イヴはひとまず陣地の中央へと歩き出した。そこには作戦本部が設営されているため、《黒鉄》のメンバーもいるかもしれないし、そうでなくとも現在の状況を把握することができるだろう。
そうして歩いていると、作戦本部近くの救護エリアで意外な人物を発見する。
「……エメライト、シュカ?」
イヴの顔見知りの二人の駆け出し冒険者――エメライトとシュカが、負傷者にポーションや包帯を配っているところに遭遇したのだった。
「あ、イヴさん……!」
「イヴさん、おはようございます!」
「……うん、おはよう。昨晩はいなかったと思う、けど……どうしてここに?」
「あっ、はい! いろいろあって、ここへは今朝到着しました。今は負傷者の方へシエラさんの補給物資を配って回ってます」
「シエラの?」
エメライトの見せてくれたポーションやバンテージをはじめとした物資は確かにツェーラ鍛治錬金術具店でいつも見ている品々である。
「はい、ここへはシエラさんのお手伝いとして来てて……。えっと、どこから話せばいいか……」
エメライトが慌てていると、その背後からさらに身長の低い人物が現れる。
「そのへんはわしが話した方が良さそうじゃな」
「シエラも、来てたんだ。……無事でよかった」
「わしもエメライト等とともに到着したからの。無事でよかったのはおぬしのほうじゃよ」
そう言って笑うシエラの顔を見て、イヴは緊張が解けていくのを感じていた。
「えーと、それでじゃな。わしは昨晩のうちに治療物資をできるだけ作って国境へ向かおうと思っておったんじゃよ。負傷者が出ることは避けられんだろうしな。そうして調合をしておった夜遅くにエメライトとシュカが来てな。自分たちも戦いに加わりたいのだが、行ってもいいものか迷っていると相談されてな」
「夜遅くにすみませんでした……」
恐縮して苦笑いするシュカ。
「いやいや、いい心がけじゃと思ったんじゃよ。だが、流石にこやつらが戦いに直接加わるのは無謀というもの……最悪の場合は対人戦までありえるしな。そこで声をかけ、わしの手伝い――まあ有り体にいえば雑用として後方支援に回ってもらうことにしたんじゃよ。大勢に薬を配って回るのは一人では骨が折れるしな」
「……なるほど」
イヴはそれを聞いて納得した。シエラは確かに戦闘力という面でも優秀だが、他者の支援という面では更に輪をかけて優秀である。一人の戦士として動くより、数多の兵を助けるほうが効果は圧倒的に高くなるだろうことは確かである。
そしてこの話は、シエラの側からしてもあながち嘘ではなかった。
昨晩の出来事の後、現場の監視をリサエラたちに任せて自身は店へ転移し、ずっとポーション調合を行っていた。その時にエメライトたちがやってきたのだった。
「……ところで、シエラはあれ……何か知ってる?」
イヴが指さした先には、澄み切った青空に遠く浮かぶ島が見える。
天気がいいので、その表面のゴツゴツとした表面や、その中央底部から突き出している巨大な紅色のクリスタルが視認できる。島の上部、地上側については霧がかかり薄ぼんやりとしており、そこになにがあるかは視認できない。
「うーむ、不思議な物体じゃよな。天空城とか言ったか……ひとまずは敵対的でなくてよかったというところか」
あの城は地面から見上げると確かにあんな姿だったと、ゲーム時代を懐かしみつつもそれを顔に出さないよう努めつつ返す。
その後、エメライトとシュカに追加の物資を渡してから、シエラとイヴは作戦本部へと歩きだした。
中央陣地には様々な目的のエリアが集中しており、兵士や冒険者たちが慌ただしく行き交っている。
「それにしても、本当に無事でよかった。随分な量の魔物がけしかけられていたと聞いたが」
「……《黒鉄》は、ああいうのは慣れてるから。それに《雷霆》も、よく当たってくれたし」
「確かに、こと魔物との戦闘に関してはおぬしらには心配無用じゃったな」
「でも、あれが来てなかったら、今頃は……」
呟いてから、イヴは口をつぐんだ。
天空城が現れていなければ、処理しきれなかった魔物の群れがオルジアク軍とともに国内で暴れ回り、どうなっていたかは想像に難くない。
そんなことを話しつつ、中央に貼られた作戦本部の大きなテントに入る。
「イヴさんにシエラさん! ご苦労様です!」
国境周辺地図の貼られたテーブルの周りには数人の兵士たちが会議をしていた。
シエラが早朝到着した際に聞いたところによると、彼らはそれぞれ大隊長と部隊長たちだそうだ。
「……状況、どう?」
イヴが地図を覗き込みながら聞く。
「はい、未明から現在に至るまで、オルジアク軍の侵攻はない模様です。ただ完全に撤退したかというとその可能性は低く、おそらく占領したグラムス国の物資を利用して潜伏しているものと思われます。国境を越えるわけにもいかないので偵察もできませんが……」
大隊長はそう答えながら、困り顔でテントの天井を見上げた。その視線が気にしているのはもちろんテントの天井などではなく、空に浮かぶ天空城だろう。
「……《黒鉄》は今日中に王都に戻る予定だけど……大丈夫?」
「ハッ、国境はお任せください! 王都からの増援も到着した上、シエラさんのおかげで重傷者も完治できそうですので、ご安心を」
「……そう」
《黒鉄》と《白の太刀》はこの国でも飛び抜けて有力な冒険者パーティである。そんな彼らをこう着状態の国境に貼り付けておくことはできないのだ。
「わしも彼らと共に一旦帰るとするよ。くれぐれも無理はせんようにな。――万が一にも国境は越えない方が良いじゃろうな」
シエラはそう言い残して、イヴと共に作戦本部を後にした。




