8、「ウグイス」「黒髪」「目つき」
いつもと比べたら長いです。
4000字弱ですが、お付き合いを願います。
あなたの目つきが好きだった。
自信に満ちた目が、笑っているときの目が、いつ見ても激情を宿しているその瞳が好きで好きで堪らない。
私が一番好きなあなたの目は、ウグイスたちの声を聞いているときの目。とても優しくて、穏やかで、そのときだけは宿していた激情も慈愛に変わっていて、純粋にあなたの幸せそうな表情が見られるから。
でも、わかっている。自分には何もできないことを。あなたの隣に立つことはできないことを。
私は無力で、あなたの心の闇を払うことなどできはしない。だからこの思いを打ち明けることは永遠にないのだ。それでいい。私はあなたの姿を見ることができるだけで幸せだから。
「本当に?」
どこからか、声がした。
それが自分の中からだと気付くのに、そう時間はかからない。
そうだ、私はまだあなたのことを諦めきれていないのだ。もしかしたら、もっと近付くことが許されたなら、私にもその機会はやってくるのではないか、と。
何度もそう思った。希望を持った。でも、私ではダメなのだ。あなたは私に心を開かないし、私もあなたの心をこじ開けることはできない。そこまで踏み込むのが怖い。ただ黙ってあなたがその激情に呑まれていくのを指をくわえて見ていることしかできないのだ。
だから、あなたを救うことのできる人間に全てを任せるしかない。
みっともなく泣いた。懇願した。ずるくて醜いことをしたと思っている。でも、そうだとしても私は、あなたを救うことを諦めたくはなかったのだ。たとえそれをするのが自分以外の人間だとしても、どうにかしてあなたの心を晴らしてあげたかったのだ。
“黒髪”は私がそんなことをするとは思っていなかったのだろう。目を丸くして驚いていた。でも、私にはそれぐらいしかできることがなかった。あなたのことを考えて、想って、彼女に頼みこむことぐらいしか。
“黒髪”があなたの方に近付いて行く。それだけで胸がズキズキと痛む。呼吸が苦しくなってくる。それでも心配で、目が離せない。“黒髪”は上手くやってくれるだろうか。あなたのことを、ちゃんと支えて上げられるだろうか。
不安は尽きないが、ただ黙ってあなたと“黒髪”を見守った。
「邪魔、しないの?」
そんなことはしてはダメ。私にそんなことをする権利などない。向き合うことから逃げて、拒絶されるのが怖くて逃げて、結局何もしてあげられなかった私が、あなたと彼女の仲を邪魔するなんてことが、あっていいはずがない。
「悔しくないの?」
「想い人を取られたのに?」
「あんな《私》より可愛くない子に取られたのに?」
悔しい。本当に悔しい。何もできなかった私自身が憎い。あなたを助けてあげれなかった自分自身がどうしようもなく惨めで、彼女のことを妬んでしまう自分が卑しくて心底嫌になる。
彼女は確かに私より容姿は劣るかもしれない。だけどそれ以上にあなたの隣にいるべき器を持っている。あなたを支えられる心を持っている。
だからこの選択はきっと、間違いは無いはずだ。
「今ならまだ間に合うかもしれないよ」
無理。だって私に今からあなたと彼女を引き裂く勇気なんてないから。自分で背中を押しておいて、本当に結ばれそうになったら何がなんでも止めようとした醜い女なんて言うレッテルを貼られ、後ろ指を差されながら生きていく勇気は、私には無い。
ほら、見なよ。あなたの目からすぅっと激情が消えていく。浄化されて、優しくなっていく。
その目、その瞳が本当に好き。好きで好きで堪らない。
だからこそ、今の私は本気で苦しんでいるんだ。自分の差し金とはいえ、別の人と仲睦まじくしている姿を見るのはどうにも体が受け入れてくれない。
「それなら、千里眼でのぞき見るのをやめればいいのに」
うん、もうやめる。
怒ったあなたが、この部屋にやってくるから。
だからね、私。みっともなく喚いたりしないでね? 言い訳なんかしたりしないでね?
ただ黙って私はあなたの言葉を受ければいいんだから。あなたの幸せを願っていればいいんだから。
「いるか?」
ノックの音の後、あなたの声が聞こえてくる。
その声を聞いて、“黒髪”が上手くやったことを確信する。ちゃんと私のことを悪く言って、貶めてくれたんだ。怒りを孕んだあなたの声が、いまはとっても嬉しくて、思わず笑みがこぼれてしまう。
深呼吸をして、鏡を見る。うん、いつも通り。涙はまだ流れていないから、まだ顔が崩れているだなんてことはない。パンと頬を軽く叩いて気合いを入れ、私は部屋の扉の方へと急ぐ。
いつもの私は、あなたと会うと大はしゃぎしてしまう。でも今日は違う。造り物の空元気。あなたはたぶん、気付かない。
「あら、リュー。どうしたの? そんなに息を切らして。なにかあった?」
ガンと、開けたドアを乱暴に拳をぶつけながら、あなたは言った。
「レオナ、君があの“黒髪”をいじめていたというのは本当か?」
ダメだ。彼女の名前をまともに聞くことができない。聞こえないのはたぶん、私の心が壊れてしまう寸前だから。あなたの口からその名前を聞いてしまったら、全てが無駄になってしまうと私が一番理解しているから。
「ええ、あなたにちょっかいをかけていましたので、身の程を知らせてやったんですわ」
いまの私は、ちゃんと演技ができているだろうか。傲岸不遜で身勝手で、自分の思い通りにならないと癇癪を起してしまうような、そんなどうしようもない女になりきることが出来ているだろうか。泣きそうな表情になってしまってはいないだろうか。
「そう、か。そうなんだな。ああ、信じた私が馬鹿だったよ」
全部腹の中身をぶちまけたくなる。違うと、そうじゃないと言ってしまいたくなる。でも、それはできないから。それを許さないと決めたから。私はただ、心配そうにあなたに手を触れようとするだけ。
案の定、私の手はあなたに払われてしまう。
「触るな。もう、終わりなんだよ」
「それはどういう……」
「君との婚約を解除させてもらう。私の妻に、陰湿ないじめをするような人間は似合わない」
手が止まった。息が詰まった。世界の時間が止まってしまったかのような錯覚を受けた。
その言葉が来るのはわかっていたはずなのに。私が“黒髪”に頼んだ時点でこうなることは知っていたはずなのに。
それでも私はとてもショックで、悲しくて、どうにかなってしまいそうで。
「君の処遇は後々使者を通して伝える。私への連絡も今後は通常の手続きを通して行ってくれ。いや、失礼。君は元々そうしていたか。では、さよなら」
それだけ言い置いて、あなたはその場を去ってしまった。足音が聞こえなくなってようやく、私はその場にへたり込むことができた。みっともなく姿勢を崩して、肩の荷を下ろすことができた。
終わった。全部、終わったんだ。
これであなたは幸せになる。私を処刑すれば、そのもやもやした気持ちも晴れるはずだ。そして彼女と見事結ばれて、この国を一層発展させながら仲良く暮らすのだ。まるで物語のようなハッピーエンド。それで充分じゃないか。
「レオナ……」
声が聞こえたので顔を上げてみれば、“レオナ”がそこに立っていた。同じ名前の、でも全く私とは違う彼女が。
あなたはこの先その名を何回呼ぶことだろう。呼ばれたのが私ならば、心底良かった。でも、私の名が呼ばれているのに、別の人間があなたの隣にいる。そのことに私は耐えられない。きっと私の心は醜く変質し、彼女のことを傷つけてしまう。
そうでもなくても、私は壊れてしまっただろう。嫉妬に狂い、周りにいる者を巻き込んで、傷つけ、壊し、いずれは悪女と罵られることになっていたはず。
だからこれでよかったのだ。限界を迎えていた私はこれで脱落して、死んでしまった方がいい。
「これじゃ、これじゃああなたが報われない……!」
ああ、彼女は何て優しいんだろう。壊れかけた私に手を差し伸べてくれる。私のことすらも救ってくれようとしてる。
でも、ダメ。私はその手を掴んだら、他の物も求めてしまうから。あなたのことを、求めてしまうから。
「何しに来たの? 負け犬の私を笑いに来たの? 本当に腐った人間ね、あなた」
震えていた。精一杯冷たい声を出したつもりだったが、嗚咽に塗れていてちっとも怖くなんか感じない。
ぽたり、ぽたりと足に生ぬるい水滴が落ちる。私の激情を押し留めていた堰は切れ、どうしようもなく溢れ出した。
「さっさと行けば? あなたが奪い取ったリューの隣で嘲笑えばいいじゃない」
「なんで、何でそんなこと言うの? そんな顔しないでよ。私は、レオナにこんな顔させるためにやったんじゃないよ! 約束したのに! こうすればレオナは笑顔になるんだって! これじゃ約束と違うよ……」
そんな約束、したっけ?
私がそう言うと、彼女は泣きながら走って行ってしまった。大丈夫、彼女が今からあなたに真実を話しても、あなたは信じようとしないでしょう? 私に無理やりそう言わされているんだって、私をさらに糾弾してくれるでしょう?
これでいい。これでいいの。
それであなたが、本当の幸せを掴めるなら。
翌日、私は捕らえられ、死刑を言い渡された。
ギロチンが落ちる間際に、断頭台からあなたの顔が見れたのが、本当に嬉しかった。
ありがとう、ごめんなさい。そして、さようなら。
書いてて本当に楽しかった。時間を忘れて書いてました。
今回の四つ目のテーマは「献身」もしくは「自己犠牲」といったところでしょうか。
こんな感じの話が本当に好きで好きで。
こういう話が書けると明日も頑張ろうって、前向きになれるんですよね。なんでだろ?