神経症タツミの鼻くそアート
タツミは父親からの暴言、暴力により、心はかたくなになり、子どもらしい柔軟な発想、行動ができなかった。
経済力ある家庭は、子どもの教育費を十分まかなえるため、高学歴、高収入の好循環ができると言われる。
それには塾が貢献しているが、塾に行けなくても勉強を効率的にする方法さえ知っていれば、それなりの成績を残せるのではないかと考える。
勉強に能力差はあるだろうか。
多少あるにしても、学校教育でサポートして、のばすことは可能だ。
確かに、自分で考える力を大事にしたいがために、あえて見守るのは理解できる。
だが、タツミの様に、ノイローゼ気質の生徒には、精神的な面から寄り添い、答えに導くべき教育が、彼の学校ではできてなかった。
給食を好き嫌いなく食べきらなければいけない。
指導に体罰を取り入れる。
こうした軍隊式の教育は、なぜ完食しなければいけないのか、納得いく理由を説明しない。
戦時中は食べれなかった。
外国の貧しい国では食べれない人がいる。
給食を食べきらなければいけない理由を、教師はこう説明した。
戦争という目的のために、食べないことはスローガンだった。
教育者は世界の貧困解決のために具体的なことはしていたのだろうか。
タツミは、そんな大人の仲間入りしようとしているクラスメイトたちにも違和感を感じた。
まだ下品な話で喜んでいた方が健全な気がした。
タツミは3階男子トイレの扉に自分の鼻くそを付けるのを習慣にしていた。
すると彼がつけた覚えの無い鼻くそが増えていて、1人腹を抱えて笑ったものだ。
行く度、鼻くそが増えるので、これはこれでコミュニケーションである。
トイレで誰かが
「鼻くそだ 汚ねー」
と騒ぐと、最初に始めたのは私だと優越感で、面白おかしかった。
給食居残り組は、食べない子どもの権利を、しっかりやっていた。
トイレの扉の鼻くそもアートである。
物事を成し遂げるのは素晴らしい。
完璧を狙わなければやり遂げることができる。
タツミもヒロキも、文章なり絵なり、完成させるのが好きだった。
給食を食べきることは人間的に完成でも何でもない。
ヒロキは楽しんで、絵をたくさん完成させるタイプ。
タツミは強迫観念に苦しんで、1枚の絵が期限に間に合わないため、未完成のまま仕方無く完成とした。
一方、鼻くその作品はタツミにしかつくれない。
楽しんで鼻くそをつける。
それをみた者も笑顔になり、参加して一緒に作品をつくりあげる。
タツミはそんな仕事を理想とする。
現在のタツミは、強迫観念に支配されていた過去をうらめしく思う。
棒にふった青春時代を、いつか取り戻せると期待して生きているのである。




