強迫神経症タツミの生きる道
タツミとヒロキはいくつか共通点があった。
ヒロキはグループ付き合いは好まず、ひねくれた子どもだった。
絵が得意な子だった。
タツミも強迫性障害の性質を図工でも発揮する。
小4の時、毎回クラスの生徒をモデルにしたスケッチの時間が20分程もうけられた。
タツミは顔、腕などと体の1箇所2箇所を完璧だと自分なりに納得するまで描くものだから、変に体の一部分だけ誇張した絵になった。
他の部分は制限時間内に終わらないので、雑になり、バランスが悪かった。
個性的な絵が仕上がり、クラスメイトに面白がられた。
そこに目をつけた図工の担当だった鈴木は、タツミの絵にちょっと手を加え、何かの展覧会で、賞をとらせてくれたことがあった。
鈴木は、50か60歳ぐらいの嘱託だったと記憶している。一度だけタツミを叱ったことがあったが、いつも褒めてくれた。
小5になると、鈴木は退職し、担任が図工を教えることになった。
以後タツミの絵は目立たなくなり、鈴木が恋しくなるのである。
ノイローゼ気質は文化系で強みになるだろうが、タツミはそれを鈴木無しでいかすことができなかった。
ヒロキも鈴木にかわいがられていた。鈴木がいなくなっても、ヒロキのレベルの高さは変わらなかった。
一見タツミは甘えていた。
だが強迫神経症の特徴であり、タツミは損してるとも言える。
文化系の授業は知識ある教師が教える必要があるのではないか。あまり詳しくないけど、他の先生にご意見たまわりながら教えるというのは、タツミにとって失礼な話に思えるのだった。
厳しい音楽教師というのも興ざめである。音楽の楽しさを教えるのが責務だと思うが、そうでないのは給食を無理やり食べさせることと何ら変わらない。
いつの時代でも人間味ある教師が必要である。
学歴などの自慢は一切要らない。
失敗した経験の方が面白いし、参考になり、ありがたい。
現代の教師は厳しい世間、親の目を意識する必要があり、サービス残業が多いらしく、同情の余地はあるが、良い時代になったと思う。
タツミもヒロキと同様、歴史が得意であった。こちらも歴史好きのヒロキにはかなわない。
タツミは他より歴史に少し詳しい程度だ。歴史が時代別にまとめられた漫画を読んでいたからである。祖父が買ってくれた。
同じ章を何度も何度も納得いくまで読むため、うまくいかない時は、本を投げつけたり、破ったりと、よくヒステリーになっていた。
小説、週刊少年ジャンプも同じ具合だったので、それは苦しかった。
2人掃除グループになった時は、トイレにある洗剤サンポールを、壁のしきりの上の隙間から女子トイレ側にかけるイタズラをして、悲鳴を聞いて大笑いしたものだった。
節分の時は一度口に入れてこなごなにした唾液つきの豆を校長室や職員室に投げ込み、腹を抱えて笑った思い出もある。
一方、他の大人びいた集団は、興味本意でタバコを吸ったのを下級生にちくられ、おおごとにされてしまった。
タツミは怒られずに済んだが、なにか物寂しいのだった。




