褒賞
「初等部優勝者は後日褒賞の品を送ろう。」
夕日が沈んだ祝賀会の中盤、闘技祭優勝者への褒賞を聞き了承する中、私はアイサさんの隣で微笑みを浮かべ疑念を抱いていた。
初等部一年生優勝者のあの気に掛かるモニカ・アザハルン伯爵令嬢が望んだ褒賞が『アーグとお茶』だったのだ。
不思議ではない。アーグは雰囲気や態度は荒々しく気怠げだけれど容姿も体型も実力も上位。密かに想いを寄せている女子生徒も少なくはない。
けれど、表で面と向かって気がありますと言うには少しやり辛い相手のはず。
公爵令嬢である私の唯一の護衛騎士であり、その性格は一癖も二癖もあると学園で周知の事実。
表立って言う者は今は居ないけれど、スラム出身の孤児であるという話で未だ固い貴族思考の人間は余り積極的に近寄りはしない。特に親が貴族主義思考の方であればあるほどその傾向は高い。
そしてアザハルン伯爵家は貴族主義。
アザハルン家は水属性の家系で“水のアクタルノ公爵”に連なるけれど、当主はアクタルノ公爵家を大層妬んでいらっしゃる人だ。
以前私に暗殺者を送ってきた事もあるほどには“アクタルノ家”を嫌っている。
そんな当主の娘である彼女が私に突っかかるのは予想範囲だったけれど、その矛先がアーグへと移るのは想定外だった。
けれどアーグだもの。あまり近寄りはしないだろうと褒賞としてお茶をしてあげて、と言っても拒否すると思っていた。
人為の褒賞は相手の都合も入れなければならないものだ。
だから否定して、では代わりの褒賞を、となると思っていたのに。
アーグは怠そうに「別に」と言った。
そのことが私には衝撃的だった。
でも私にアーグの事に口を出す権利なんてない。
あと一年でアーグは私の傍から離れるのだから。
慣れなければいけない。
アーグが居ないことに。
ガラガラと音がする。
底の無い空洞にドロドロとしたモノが溜まっていく
醜い私の感情。
どうかこのまま消えていってほしい。
「中等部は生徒会三名以外の者全員が騎士団、魔導士団の見学となっているが。」
リアム殿下の前に並ぶ中等部優勝者三名が真剣な眼差しで答えているのを、何処かぼんやりとしたまま見る。
オスカー殿下に今年も勝利なされたガルド様は初等部の頃から騎士になるのだと仰られていた。
夢のため、将来のために何かをする、一歩を自ら作り出した姿に凄いと思うのに頭が冷めていて。
「…ルーナリアさん、大丈夫?」
「大丈夫です。ごめんなさい、少し…ぼうっとしていて…」
隣のアイサさんに気遣われるほど表に出ているのかと肝が冷えた。
駄目だ。こんな私は、駄目。
ちゃんと、ちゃんとしないと。
大丈夫。私は一人でも生きていける。
アーグが幸せに生きていてくれるなら、私はそれだけで心救われるの。
―――そうじゃなきゃ、駄目なのよ。
瞼を閉じてゆっくり息を吸って吐いて瞼を開く
耳元で揺れる大きな花のピアスが頬にコツンと当たって、背中で編んだ髪が揺れた。
「高等部一年女子優勝者、エレナ・ジャナルディ嬢は生徒会であるルーナリア・アクタルノ嬢と一日過ごす。違いないか。」
「はい。ルーナリア様と一日デートが私の褒賞として頂きたいです。」
「…本人は了承している。日程は二人で決めると良い。」
「ありがとうございます、会長!」
可愛らしく笑うエレナ様が此方に目を向けられたので、ふんわりと微笑むと更に嬉しそうに笑顔を浮かべられた。
大丈夫、私はちゃんと出来てる。
「男子は俺と紅髪の引き分けだったが、紅髪は何を望む。」
リアム殿下の正面に居る紅い髪をオールバックにした凛々しいアーグが、私を見た。
見慣れない、穏やかな笑みを浮かべて
「ルーナリア・アクタルノに決闘を申し込む。」
私の仔猫はどこまでも私を惑わす。
会場内がざわつく中、隣にいて私の様子を心配してくださっていたアイサさんが声を上げる。
「決闘、って言ったの、貴方。」
「あぁ。」
「ソレの意味、わかってるんですか…!?」
咎めるようなアイサさんにも、声を震わせながら言ったリノさんに見向きもせず、ずっと私を見ているアーグの真意がわからない。
『決闘』
事前に決められた同一の条件のもと、生命を賭して戦うこと。
私がアーグを殺してしまうかもしれない。
アーグが私を殺してしまうかもしれない。
ゾッと背筋が粟立つと同時にガラガラと鳴っていた音が鎮まる。
―――死ねば、ずっと傍に居てくれるかしら。
「ッ、」
何を、考えているの私は…!!
恐ろしい考えをした自分に驚いて手が震える。
なんてことを考えているの私。そんなこと、絶対、絶対に駄目よ、そんなことは絶対に赦されない。
「……大神官と聖女の前である事。危険があると判断した場合即座に止める事。それを許容するなら許可しよう。」
「会長!何言ってるんですか!?」
「俺は反対です。…最近の彼等の様子を鑑みると許容出来ません。」
有り得ない事に条件付きで許容したリアム殿下にリノさんとレオン先輩が険しい目を向ける。
アイサさんも何も言わないけれど目は批判的で、私の背に手を添えて「大丈夫よ」と声を掛けてくださった。
会場の生徒は初等部から高等部まで、全員が様々な反応を見せて事の次第を見ている。
騒がしい会場の中、私とアーグは何も言わずずっと視線を合わせていた。
アーグとは闘技祭で毎年試合をしてきた。
いつも勝ったら言うことを一つ聞くと賭けて。
私はそれが怖かった。
離れたいと言われるのが怖くて、必死に闘って勝利を収めてきた。
「…アーグ、賭けは何かしら。」
そう口を開いた私に殆どの生徒全員が驚愕の表情を浮かべ、生徒会の皆様には正気なのかと問われる。
けれど私は知っているの。
「オレの言うこと一つ、何でも聞く。」
私の仔猫はとんでもなく頑固者だ。
いったい、誰に似たのかしら。
「わかりました。では私も、何でも聞く、を賭けにしましょう。」
賭けごとは好きじゃない。
確証もないモノに自分の何かを賭けるなんて馬鹿馬鹿しいと思う。
けれど、決闘は勝てば良い。
勝てば賭けに勝つ。
私は『ルーナリア・アクタルノ』が負けることを、決して赦さない。
それは一番、貴方がわかっているはずでしょうに。
「私は負けませんよ?」
「……言ってろ、クソ女。」
ニヒルに嘲笑うアーグが口にする悪態に優雅な微笑みを返して、沈黙して事を見ていた殿下を見る。
「ルーナリア・アクタルノが承ります。」
「大神官、聖女の前で行う事、危険があると判断した場合即座に止めに入る。異論は受けない。」
「はい。」
琥珀の瞳が私を見つめ、僅かに弧を描く
「互いに良いモノになることを願っている。」
混乱と興奮を残した第一回目の祝賀会は無事に終わり、初等部生徒からホールを後にしていく。
「とても楽しい時間でした!」
「可愛いドレスを着れて嬉しかったです。」
「決闘、頑張ってください!」
「応援してます!」
「ありがとう。ゆっくりおやすみなさい。」
キラキラと眩いほどの輝きを目に私に声を掛けてくれる生徒に微笑みながら丁寧に返事をする。
初等部生は幼く、幼少期から家で教わった教育思念が定着していて貴族主義である子達が多い。
その思考を変えられたらと、生徒会で様々な提案をしてきた。
魔力研究会も、祝賀会もその一つ。
大勢の人間と関わり自分の思念がどういったものであるか、そしてその思考がどう人に影響するかという事を知ってもらいたい。
「お疲れ様でした、アクタルノ様!」
「お疲れ様、アザハルン令嬢。」
似たモノを感じる貴女にも、そう思っているの。
ニコニコと私を見上げる同系統の色を持つ彼女は以前居たメルシー子爵令嬢とは一緒に居らず、一人で私の前に立っていた。
人付き合いが苦手な子や曰く付きである子以外は派閥というので纏まっているのに、人付き合いが上手そうな彼女が一人で居ることに疑念を感じる。
そういうこともあるでしょうけれど、何かしら。
感じた違和感に表情は微笑みのまま彼女を眺める。
「アクタルノ様は、何故決闘を受けたのですか?」
「従者の願いですもの。」
「……本当に?」
ストンと表情が消えて暗い目をした彼女に微笑む。
「えぇ、大切な私の騎士のためよ。」
「…………。」
暗い目に苛立ちを宿らせた幼い令嬢に、思い違いではないと確信して少し屈めていた体勢から更に屈み顔を覗き込むように見つめる。
「アーグは私の騎士ですが、一人の男性ですもの。貴女の想いは自由にしてくださって構わないわぁ」
「…所有物みたいに言うんですね。」
「私のですもの。」
「――ッ」
目を細め真っ直ぐに暗い目を見て言うと、息を呑んだ彼女の顔が歪んだ。
見覚えのある、その表情。
私が苦手なその表情が、私には良い薬になる。
「もう遅いわぁ。部屋へお帰りなさい。」
「…失礼、します…」
辛うじて礼をして去って行くアザハルン令嬢を見送り、離れた場所から此方を見ている仔猫に微笑む。
いつもとは違う装いで、かなりの事を願ったアーグは騎士科の生徒に囲まれている。
普段であればアーグに気軽に声を掛ける人は居ないけれど、祝賀会の雰囲気や場の勢いで話し掛ける人が数名居て、それはアーグにとっても良い事だと頬を綻ばせる。
「…随分余裕だね。」
比較的聞き慣れている声が背後からして微笑みながら振り返ると、白Yシャツにグレーのベスト、ジャケットに碧色のネクタイの礼服を着こなすオスカー殿下がいらっしゃった。
「余裕に見えますか?」
「うん。」
ふわふわとした金髪を片側だけ耳に掛けた髪型は普段とまた違う印象を与えていて、遠目から女子生徒がうっとりと見惚れている。
この御方も、学園で随分と変わられた。
「三年間、アクタルノ嬢は狂犬に勝っていたけど、体格差も実力も差があるんじゃない?」
「アーグは大きいですものねぇ」
「貴女の戦闘が遠距離型であることは一番彼奴が知っているのに、大丈夫?」
「遠ざければ良いのですわぁ」
ふんわりと微笑み言えば、オスカー殿下は僅かに顔を歪ませて私を見る。
「……あら、殿下、身長伸びました?」
「……そう思う?」
「視線が少し…上です。」
「僕も男だしね。」
そう言って嬉しそうに笑う殿下に遠巻きにしていた方々が黄色い悲鳴を上げた。
私も可愛らしいなぁ、と微笑ましく思う。
「…いや、そうじゃなくて!話すり替えない!」
でもやっぱりオスカー殿下はちょっと残念さがあるのが魅力だわぁ
ハァ、とわざとらしく溜め息を吐いて、美しい翡翠の瞳が私を見つめる。
「無理しないでね。」
真剣な表情で仰るオスカー殿下に微笑む。
「御気遣い、ありがとうございます。」
「……アクタルノ嬢ってさ、心配されてるって感覚ないの?」
呆れを見せたオスカー殿下に緩く首を傾げると、またも溜め息を吐かれた。
「兄上とあんな試合した狂犬と、僕より小さい女の子が決闘なんて心配するに決まってるでしょ。」
「…まあ、それは……お優しいですわねぇ」
「馬鹿にしてる?」
「いいえ、本当にそう思っています。」
私が怪我をしたところで何の負担も迷惑も追わないのに、オスカー殿下が心配する理由がわからない。
優しいその気遣いが嬉しくて気恥ずかしい。
「…僕なんかじゃ無理かもしれないけど、何かあったら止めに入るから。」
「ふふっ、無理なさらないでくださいませねぇ」
「そこは『ありがとう』で良いんだ!」
少し声を荒らげて言う殿下の頬は赤く染まっていて、男の子だなあ、なんて微笑う。
「ありがとうございます、オスカー殿下。」
「……うん。」
今度は照れくさそうにはにかんだオスカー殿下に、またも遠巻きにしていた方々が悶絶されていた。




