嫉妬と欲望
モニカ・アザハルン令嬢視点。
私は可哀想な子だ。
そんなことを言えば他人は私を嗤って、「誰しもが苦しい思いをしている。」と言うかもしれない。
でも、私は可哀想だ。
「ねぇモニカ。」
「何?レイナ。」
ロズワイド学園に入学して以来、一番最初に声を掛けてきた子爵令嬢のレイナ・メルシーとは仲が良かった。
子爵でも頭が良くて魔法の扱いも上手い彼女は成績も上位で、政敵でもない家だからお父様も友人として認めてくださった。
薄緑色の髪と瞳で可愛らしいレイナは最近、少し鬱陶しい。
「アクタルノ公爵令嬢様のこと、もう関わるのは止めようよ。」
「またその話?レイナには関係ないでしょ。」
「でも…ッ!」
顔を歪めるレイナはあの公爵令嬢様が怖いのか私があの人に話し掛けるのを度々止める。
あんなのんびりふわふわいつも笑ってる暢気な人、何で怖がるのかわからなかった。
公爵家の地位?それは怖い。だって王族の次に凄い家だし。でもそれはあの人の実力じゃない。
『負けることはないわぁ。』
なのにあの、柔らかい笑みとは裏腹に強い目。
「ッ…、」
あのアクアマリンみたいな瞳を思い出す度に手が震えてしまう。
…確かに、令嬢としては強い目をしてる。
だけどたかが『令嬢』だ。
天才的な才能を持つ強い護衛に守られて、能力の高い侍女に仕えられて、実力と権力を併せ持つ御方に気に入られて。
自分の麗しい見た目を使っているに違いない。
そうじゃなきゃこれだけの凄い人間を従えられるわけない。
「モニカ…」
「レイナも言ってたじゃない!人形みたいって…そのうち捨てられるって言ってたくせに何なの!?」
最初はレイナがあの人を嗤ってた。
顔が良いだけ、魔力が高いだけ、父親が偉いだけ
そう言ってたくせに。
「それは、そうだけど…っ、でも違うんだって気付いたの!お願いモニカ、あたしの話を聞いて!このままじゃ――」
「――うるさい!!」
私の手を掴んでいたモニカの手を振り払って睨み付ける。
それにビクッと身体を強張らせたレイナに胸がズキッと痛んで、でもそれ以上に苛立ちを覚えた。
「自分だけ良い子になるの?」
「違うよ!そんなんじゃなくて、あたしはただモニカにちゃんと――」
「――ちゃんとって何?私はちゃんとしてないって言うの?」
「ッ、話を聞いてよ…!!」
ついに涙を浮かべた弱いレイナに苛立ちが募る。
泣けば良いと思ってるの?泣けば何とかなるって?泣いたって苦しいだけだよ、泣いたって意味ないんだよ。何でわからないの、何で泣くの鬱陶しい。
私だって、好きでこうなったわけじゃないのに。
《これはまた、もの凄い戦いだ闘技祭二日目中等部一年生女子決勝戦!!毎年のことながらどうなっているんだ彼女達は―――!!!》
見下ろした先の大きな闘技場でぶつかり合う赤色と青色の魔法。
苛烈なポニーテールの人と穏和な三つ編みの人
この間、私を見逃した人たち。
「あらあら、トレッサ様?少し魔力の使い方が乱暴になってきていますわぁ」
「じゃあ火傷しないようにしっかり相殺すること―――ねッ!!」
振れればひとたまりもないと感じる火の矢が何本も浮かび、目に追えないスピードで消えていつの間にか無くなっている。
《氷の女帝はやはり相殺!しかし火の女王様、やはり三年連続となれば想定内!ぁーっと此処で火の剣を持ったぞトレッサ・レジャール令嬢ぉおお!!彼女はいつも新しい武器で挑む!!解説者、毎年貴女のそんなところに胸を打たれています!!それは今この会場にいる者全て同じ気持ちでしょう!!!
――――アァっしかしッ!!やはり女帝は微笑みを崩さなあぁぁぁぁぁあぁあいッ!!!!!!!!!》
結局、私が見下していた人は遥か高みの場所に居る人だった。
綺麗で優しい母親に、仕事の出来る格好良い父親。
心の病に倒れた母を傍で支える素敵な父。
きっと、貴女はそんな家族の一員として愛されているんでしょう?
周りに優しくて、優しくされて。
いつも微笑って周りの人が「大丈夫?」と気遣っても笑って「大丈夫」と言えるんだ。
そんな言葉をくれる人の有難みを知らない。
恵まれてるから、持ってない人の苦しみなんてわからない。理解できないんだ。
《中等部一年女子、優勝者は――――ルーナリア・アクタルノ令嬢だぁああああああッ!!!!!!!》
妬ましい。
どうしてそんな貴女のために私が頑張らなくちゃいけないの。
「モニカ。」
「ッ、」
闘技場で手を差し伸べる公爵令嬢とその手を払う侯爵令嬢を見つめていると名前を呼ばれた。
その声は低くて、毎日頭から離れない声。
「おとう、さま…っ、おひさ――」
「――彼女と上手くやっているか。」
私の言葉を遮り、私を見もせず闘技場を見下ろしているお父様に笑顔を作る。
「闘技祭で良い結果を出せたら話をして頂くとお願いしました!初等部一年の部では優勝しましたので話を聞いてくださいます!」
「話?」
そこでやっと私の方に目を向けたお父様に笑顔で「はい!」と元気に答えて言葉を続ける。
「今あの人は護衛騎士の方と仲が良くないのでその後釜にして頂けないかと打診しました!」
「……狂犬と名高いあの護衛と?」
「学園で最近お話している場面を見ていませんので仲違いしていると思うのです!」
「思うだと?お前の私観で物事を進めるな。出来損ないめが。」
地を這うような低い声と蔑む目を向けられて来る痛みに耐えようとしてグッと身体に力を入れて目を閉じる。
こわい、こわい、こわい。
頭を占める感情に私はどうすることもできない。
抗うことも、諦めることも、怒ることも。
私はとっくにできないでいる。
誰か助けてくれないかな。
誰か私を守ってくれないかな。
誰か、私を可哀想だって、思ってくれないかな。
縋り付ける手が欲しい。
そう望んでも、ずっとその手は現れない。
「学園に家庭事情持ち込むの禁止なんで。」
そう思っていた。
だから、貴方が、あの人を守る人が私を助けてくれるなんて思わなかったの。
緩く結んだ紅い髪が目に映る。
大きな背中が目に映る。
その全てが初めてで、私の心臓が音を立てた。
「君はアクタルノ公爵家の…」
「どーも。」
お父様相手に怠そうにするその姿が輝いて見えた。
「学園での家庭事情のゴタゴタは他所でやってくだサイヨ。クソメンドーなんで。」
「……君は態度がなってないな。君の態度が彼女の評価に関わると理解しているか。」
厳しい声で言うお父様の態度はいつも私を叱る時にするような姿で、身体が竦む。
だから私の目の前で、私を守ってくれている彼の背中に手を伸ばしてその背を掴もうとして――――
「ハア?」
少し笑いの混じった声に止める。
お父様にそんな態度をする人を初めて見た。
王宮経理部署の上位官僚であり伯爵家当主のお父様はいつも人に媚び諂われている。
そんなお父様を、笑ってる。
「犬ってのはなぁ、飼い主に仇なす奴は全員噛み付くよーに躾けられてんだよ。」
その言葉に嫉妬した。
全身を焼き付くされるような、切り刻まれるような痛みに思わず頭を掻き毟りたくなる。
なんで?どうして?なんで貴方はあの人なの?
私でも良いじゃない。私の方が可哀想で、守るべき人間でしょ?
誰にも愛されない私の方がずっと――――
あぁ、可笑しくなりそう。
妬ましくて、欲しくて、欲しくて、妬ましくて、妬ましくて、欲しくて、欲しくて、欲しくて、妬ましくて、欲しくて妬ましくて欲しくて妬ましくて欲しくて妬ましくて欲しくて妬ましくて――――
「アーグさま……」
紅い髪の彼が私の声に振り返ることなく去っていく後ろ姿をただ見つめる。
焦がれた人なの。助けてくれる強い人。
待ってた人なの。守ってくれる強い人。
欲しい人なの。傍にいてくれる強い人。
私は貴方が欲しくて堪らないのに、どうしてあんな人の元へ行っちゃうの?
ああ、羨ましい。
アア、妬ましい。
何でも持ってるくせに、私が欲しいモノを全部持ってるくせに。
「くれたって、イイでしょう?」
胸を、頭を締め付ける痛みに頭が可笑しくなって、私に何か言っている怖いお父様さえ目に入らない。
どうやったら、あの人は私のモノになってくれるのかな。
私の傍で笑う紅い髪の彼を想像すると、不思議と笑顔が浮かんだ。
また難儀な娘を描いてしまいました…悔いはありません。




