役目
学園の闘技祭が始まる一週間前の休みの日。
私は生チョコタルトをお土産に王城の離宮へフィオナさんに会いに来ていた。
「よ、ろしくお願います…騎士さま…」
「…どうも。」
現在アーグの印象を良くしようとしているのだけれど、多分無理ねえ。
「挨拶はその辺りでお終いにしましょうか。今日も生チョコタルトを用意しましたの。」
「わぁあ!嬉しいです!」
「側妃様には別の物を届けているから遠慮なく食べてくださいねえ」
本日は職務があり此方には来られない側妃様にも生チョコタルトをホールで送っている。宜しければ陛下や王妃様とどうぞ、とメッセージカード付きで。
「では遠慮なく!いただきます!」
「いただきます。」
フォークでストンと切って挿して口に入れて…蕩ける生チョコとタルト生地のサクサク感が堪らない。
濃厚なチョコの味が広がる口内を珈琲で一度スッキリさせて、正面で頬を緩めているフィオナさんに声を掛ける。
「授業の方は如何ですか?」
「んぐ、…リリア様が付きっきりで解りやすく教えてくれて、あの…、…頑張ってはいます!」
「頑張る事は素晴らしいわぁ。けれど解らない事を無理に詰め込むのはしんどいと思うの。」
「うっ。」
目を逸らすフィオナさんが頑張っているのは教育を担当してくださるリリア様から聞き及んでいる。
ただやはり、幼少期から学んでいる人と違い中々に困難をしている様子。
「特に難しいと思うものは何かしら。」
「えっと、爵位の順番と貴族の派閥とか、公爵家は覚えたんですけど…王様の次に偉い方って。」
「ええ、合っていますわぁ。ただその中に閣下も入れましょう。」
「閣下を、えっと、何でですか…?」
「閣下は王様の執事のような立場なのです。閣下は公爵家ではありませんけれど…」
「こ、こうしゃく、です…ね、はい…」
目の焦点が朧気なフィオナさんを見てこれはかなり参っていらっしゃると察した。
元々派閥を知っていれば何かと都合が良いから覚えられそうならで良いと伝えていたのだけれど、リリア様も力が入っているのでしょうねえ
聖女という存在に一貴族令嬢が教育をするなんてかなりの大役ですもの。
これは私のミス。もう少し両方を思いやらなければなからなかった。修正しなければ。
「細かい事は良いのですよ、フィオナさん。」
「え…?」
「そうですねぇ、爵位の順番は覚えて頂きたいけれど…。今はどういうふうに覚えていますの?」
「えっと、下から順番に…男性の爵位…で、子供の爵位、それで、“こうしゃく”が二つ並んで………」
「公爵と侯爵がややこしいのねぇ。でも大丈夫よ、フィオナさん。言葉にしたら同じだもの。」
「えっ?」
フィオナさんが目を丸くして、周りの護衛方もギョッと目を瞠り私を見た。
「王様の執事に公爵家が三つありますがどんな特徴を持っているでしょう?」
「水と風と土!」
「その通りです、属性を覚えていらっしゃるなら外見で覚えれば大丈夫ですわぁ。わかりやすいですからねぇ、今度公爵様方をお呼びして顔だけ覚えましょうか。」
「え、良いの…?リリア様がこうしゃく様はとても忙しい人だって…」
「挨拶くらい大丈夫ですよ、それも職務の内に入りますから。」
いやいやいや、と言う顔をしている周りの護衛に目が行かないようにフィオナさんに微笑みかける。
私の顔に弱いフィオナさんはポーッと頬を赤らめて可愛らしくはにかむ。
「順番は…そうねぇ、私が領地の子達に教えたやり方ですけれど、やってみますか?」
「ルーナリア様が教えてたの!?」
「学園に入学する前ですけれどねえ。簡単ですよ、遊び歌にしてみたの。」
メグとギルのために考案したものが思いの外わかりやすかったらしくて、施設や街でも子供達が遊び歌として歌っていた。
「では続けてくださいねえ。はいだーんしゃく」
「だ、だーんしゃく?」
「しーしゃく」
「しーしゃく…」
「はーくしゃく」
「はーくしゃく!」
「こーしゃく、こーしゃく」
「こーしゃく、こーしゃく!」
「おーぞく。」
「おーぞく!」
「これを朝昼晩にやると楽しいみたいですよ。」
キラキラと目を輝かせるフィオナさんの表情に「いけそう!」と書いていて、思わず微笑ってしまう。
「難しいものも気軽に覚えて良いんですよ。どんな覚え方であろうと聖女である貴女に反論する者はいませんし、覚え方が何であろうとわかりませんからねぇ。」
「ありがとうございます…!」
「派閥は面倒な方々の集まりに注意して欲しいくらいなので、そのうちで大丈夫ですよ。公の場に出ることも予定していませんから。」
「はい…!」
表情を輝かせるフィオナさんとは反対に護衛の方達が不安そうにしていらっしゃって、貴族出身なら不安に思うかもしれませんが実際わかりませんし。
誰かが外部に漏らさない限り。
止めていた手にフォークを持ち生チョコタルトにストンと切って挿して―――
「――あっ!こうしゃく様に会えるなら、ルーナリア様のお父さんにも会えますか?」
カツッとフォークが皿に当たる音が小さく鳴った。
アクタルノ公爵家が現在どういう状況かを知っている人々が気不味そうにされているのを感じる。
それはフィオナさんも同様で、周りを見渡して首を傾げている。
「私の父は今は王都を離れていますので会えないかと思いますわぁ。」
「そうなんですね…。あ、じゃあお母さんは?こんなにキレイで可愛いルーナリア様のお母さんならきっと、すっごいキレイなんだろうなぁ…!」
爆弾を投げ込んだ主犯を見る目でフィオナさんを見る周りの護衛方や、背後からの沸々とした圧に思わず微笑ってしまった。
「ふふっ、ごめんなさいねぇ。父も母も王都ではなく領地に居ますの。」
「そうなんですか…。……寂しいですよね、離れて暮らすの…」
本当に心を痛めているような悲痛な顔をしているフィオナさんは、私が自身と同じような思いをしているのだと思っているのでしょうねえ。
「私は幼い頃から離れて居ましたからもう慣れましたわぁ。それに、私にはいつもアーグが居てくれましたから。」
誤魔化しでも偽りでもない、私の心からの言葉。
「アーグが居てくれたから、寂しくありませんでしたよ。」
「そっか…、兄妹みたいな感じですかね!」
「……兄妹、」
初めて言われた言葉に驚いて思わず反復してしまって、フィオナさんが笑顔で頷く
「あたしも妹のシェイナと遊んだり、村の子と遊んでたから父さんと母さんが仕事で居なくても寂しくなかったので!えへへ、ルーナリア様とも共通点があって嬉しいなあ」
「…ふふ、そうねぇ」
離宮での話やリリア様との話をしながら生チョコタルトを食べ終え次は庭園を歩くかと話していると、護衛の方が殿下の訪問を告げられた。
「あら、何方の殿下でしょう。」
「第一王子殿下、第二王子殿下に御座います。」
「二人も!?」
慌てて立ち上がるフィオナさんに、あれから殿下方とはあまりお会いしていなかったのかしら、と考えながら私も腰を上げフィオナさんの隣に立つ。
「カーテシーの仕方は覚えましたか?」
「な、何となくはできるけど…!」
「上出来です。顔を上げても良いとお声が掛かるまでカーテシーの態勢は崩さないように。けれど御二人共すぐ言われると思いますから楽にねぇ。」
「が、がんばる…っ!」
気を張り過ぎて頑張っていた敬語も抜けたフィオナさんに少し不安になりながら「御到着されました」の声に膝を曲げドレスの裾を持ち腰を下ろして頭を下げる。
身分を問わない学園ではしないけれど此処は王城。
私の背後でアーグもオリヴィアもそれぞれの礼をしているのが気配と僅かな剣の音でわかるけれど…
下げた視界の端でワンピースの裾を持つ手がブルブルと震えているフィオナさんが心配で仕方ない。
「急な訪問、失礼する。顔を上げよ。」
無機質な聞き慣れた御声にゆっくりと顔を上げるとシャツにスラックスとラフな格好の御二人が並んで立っていらした。
眩しいくらいに顔が宜しいですわぁ、この御兄弟。
「聖女、離宮での暮らしはどうだ。」
「あっ、みっ、み、皆ちゃ…っ、よ、良くしてくれまちゅ…っ…、……ッ!」
「そうか。」
盛大に噛んでしまって顔を真っ赤に染めてしまったフィオナさんにリアム殿下は表情を1ミリも変えずただ一言返された。
なんとまぁ、シュールな――
「――ヒャぴっ!」
………………ヒャぴっ。
「――フハッ、」
耐えきれず噴き出したのはオスカー殿下だった。
「っ、はははっ!初めて聞いたよ、そんな声!あははははっ!」
「うぅ…ッ」
取り繕うこともなくお腹を抱えて笑うオスカー殿下に、羞恥から顔が更に赤くなって瞳が潤んでいくフィオナさん
デリカシーのない…
「オスカー殿下、近年は何の問題もなかったのですけれど今ので全て地に墜ちましたわぁ」
「エッ」
「紳士のすることではないな。」
「あ、兄上…」
私とリアム殿下からの冷たい眼差しに表情が引き攣り、羞恥泣きしそうなフィオナさんの様子に項垂れるオスカー殿下が申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめん、聖女様。あんな声、初めて聞いたから思わず面白くて…。」
「えっあっあのいえあたしは大丈夫だよっです!」
「…っ、ははっ、だよ、です…!」
「うぅーッ」
学習なさらないオスカー殿下ににっこり微笑み、庇うようにフィオナさんの正面から顔を覗き込む。
「緊張するのも無理ないわぁ。大丈夫よ、オリヴィアなんてもっと酷い時あったもの。」
「うぅッ、ルーナリアさまぁ…」
「大丈夫よ、大丈夫。あの方は私がしっかりとお仕置きしますからねえ」
背後で「ウッ」と言う声がしたけれど無視です。
フィオナさんが少し落ち着いたところでガゼボに男女対面で座り御用件を聞くと、
「聖女が闘技祭に顔を出したいと言っていたと耳にしてな。」
「…まあ。フィオナさん、そうなのですか?」
思ってもみなかった話に驚いて隣に座るフィオナさんを見ると、少し顔を俯かせて応えてくれた。
「あたしの役目って、人を癒やすことなんだって教えてもらったんですけど、出来てないなあって。それで何か出来ないかなって思ってたときにリリア様がこの時期は学園で“とうぎ祭”っていうのがあって毎年怪我人が出るって聞いたので、行ってみたいなって。……ルーナリア様もいるから。」
「そうでしたの…」
思いの外彼女が自分の役目を熟そうとしているのだと知って少し驚いた。
拉致監禁に似た状況でそんな考えが出来る心が広く優しいのか、単に心配になる方なのか。
それでも自身で考えそういった答えを生んだフィオナさんに胸が温かくなった。
「学園の闘技祭、来てみますか?」
「っ良いの!?あっ、良いんですか!?」
パアッと表情を輝かせて私を見つめるフィオナさんに思わず微笑みが浮かぶ。
「ええ。ただ闘技祭は少し…、いえ、かなり辛い場面もありますけれどその辺りは自己責任ですよ?」
「はいッ!あの、大神官様も来るって聞いたので学びたいと思うんですけど良いですか!」
積極的な彼女の願いに静観していた御二人を見ると両人頷かれたので「勿論」と微笑み伝えた。
「うわーっうわーっ、やったあ!今日どうやって話そうか迷ってたから、あー良かったぁ…!」
「まあ、そんなにですか?」
「だって、リリア様がルーナリア様のこと『氷の女帝』って言うから気になっちゃって!こんなにキレイで可愛いルーナリア様が女帝!?って!」
…婚約者の方から聞かれたのかしら。
クラスメイトの兄であり前会長のニヤニヤと面白がる表情が浮かんで消える。
「女帝と言うのは恥ずかしいのだけれど、今まで負けたことはありませんよ?」
「ええーっ!?ルーナリア様が?こんなにキレイで可愛いのに?」
「まあ。ふふ、ありがとう。」
「……やっぱり見てみないと想像出来ないや。」
不思議そうな顔をするフィオナさんに微笑いながら、顔を引き攣らせるオスカー殿下にどうお仕置きするか考えていると、突然、不意に言われた。
「戦うルーナリアも美しい。」
「……………。」
「……………。」
「……え、付き合ってるんですか?」
「いいえ。」
私とオスカー殿下の沈黙、フィオナさんの頓珍漢な言葉には即座に否定を入れる。
「え、でも今のって…」
「この方は少し変わっていますから、言動がたまに変なのです。お気になさらないで。」
「俺がそんな事を言うのはルーナリアだけだぞ。」
「私だけだから変なのです。他の美しい女性にも仰られては如何ですか。」
「思ってもいないことは言わん。俺が美しいと思うのはルーナリアだけだ。」
「っ、……やめてください。」
「可愛いな、ルーナリア。」
椅子に凭れて私を甘い琥珀で見つめて言う妙な色気を持つリアム殿下に、フィオナさんが顔を真っ赤に染め、オスカー殿下が申し訳なさそうに私を見る。
「…アーグ、決勝で完膚なきまでにヤりなさい。」
「仰せのままに、お嬢サマ。」
背後で呆れたような声のアーグの表情は見えないけれど、きっと好戦的に笑っているでしょう。
様々な強い思いがぶつかり合う闘技祭まで、
あと一週間。




