謀
「ルーナリア・アクタルノ公爵令嬢、此度は本当に感謝している。」
「身に余る御言葉にございます、陛下。」
王城の一室、陛下に呼ばれて来ると其処には陛下だけでなく王妃様、宰相閣下がいらっしゃった。
ロズワイド王国の最高権力者が揃う中、学生が一人対峙する様は中々に仰々しいのではないかと勧められたふかふかのソファに座りながら現実逃避をしたくなる。
「身体は大丈夫なの?」
「はい、王妃様。離宮にて大神官様に診て頂きました。御配慮ありがとうございます。」
「こんなことしか出来なくてごめんなさいね。」
「そんなことはありません。お気に掛けてくださりありがとうございます。」
「…貴女はとても心配になるわ。」
眉を下げて仰られた言葉の意味を図りかねて小首を傾げると、王妃様は緩く首を振られた。
「さてアクタルノ嬢、君が王太子妃となる事に付いて話をしたいと思っている。」
「…、はい。」
側妃様と聖女様であるフィオナさんについてかと思っていたから少し反応が遅れたけれど、陛下も王妃様も微かに微笑まれただけだった。
「数年前から君にとは決めていたが、絶対的な決定打はなかった。そもそも十数歳の子供に負わせる重荷ではないからな。」
「公爵は貴女が王妃になると断言していたし、私や陛下、宰相も異論はなかったのだけれど決め倦ねていたの。」
「そう、でしたか…」
あの、王族主義のお父様が陛下方の意志なく断言していたのは驚きだけれど、何故断言したのかしら。
私を信頼して、では決してないでしょうし…。
「だが今回の件、我等は諦めておった。」
「っ、」
思考は陛下の思いも寄らない言葉で遠くへ飛び、意識は目の前で強い瞳を向ける陛下に集中する。
「魔力欠落症は一年と保たぬ。我も王妃も、そしてスカーレットも覚悟しておった。…リアムもな。」
「けれど、ナリスが教えてくれたの。アクタルノ公爵令嬢が魔力吸引を長年していると。…驚いたわ、オスカーと同じ年の娘がそんな、危険を侵しているなんて。」
「…慣れればそれほどの事では…、」
「慣れるまでの間、どれほどの苦痛を味わう。それを知っているのは君と、…犯罪者だけだ。」
陛下の強い御言葉に背筋がひやりとする。
どこか怒りを感じる声音に何に対してなのかわからず、情けなくも狼狽えてしまう。
「あの、私が魔力吸引をしていたことをご存知ではなかったのですか…?」
「知っていたら確実に止めていたわ。魔力吸引は命の危険があるのよ。それを…本当にごめんなさい、あの子は研究の事となると周りを顧みないから…」
「アレには厳罰を下す。本当にすまなかった。」
「ごめんなさい、アクタルノさん。」
「僕にも宰相として責任がある。申し訳ない、アクタルノ公爵令嬢。」
何故、私は、最高権力者の方々に謝られているの。
「謝る必要などありません、私の躾の為に行った行為で―――」
「――その件についてだが、公爵には謹慎を処した。」
「え?」
またも思いも寄らない言葉が出て固まる。
お父様が謹慎?
「な、ぜですか…」
「犯罪者への罰を何の罪もない子供にする異常者だからだ。だが、公爵が多くの勲功を上げて来た事に変わりなく、王城の事案に深く関わっている公爵を罰することは難しい。罰した公爵の娘を王太子妃にすることも外聞が悪く、反王家の者達に付け入る隙を与える事になる。それを避ける為にも謹慎という処罰になってしまった、すまない。」
「いえ…、わたくしは…その…、」
何が起こっているの、今…。
お父様が謹慎…私のせいで?私が魔力吸引をしていた事が原因で…、私がお父様を…、
「これは貴女の為だけじゃないわ。」
「っ、」
柔らかな声に気付かず俯いていた顔を上げると、悲しそうに微笑む王妃様が目に映る。
「いくら業務を完璧に熟す人間でも、異常のある者を国の上層部には置いておけない。それが国に影響してしまう可能性があるから。今まで公爵の影響がなかったのは単に貴女個人としては何の問題もなく清廉な人物であったから。そして公爵がその点以外はまともで、完璧な人格者で通っていたから。」
「本当に、彼奴は何故そんな事をしていたのか…」
閣下が顔を歪めて言う姿にお父様は本当に王城では信頼のある人物だったのだと思う。
私もお父様は仕事に生きる人だとは思っていたけれど、私が思っていた以上にお父様は仕事に全てを捧げていたのだろう。
けれどこの件に関して私は何か言うつもりも、言える立場でもない。
「謹慎はいつまででしょうか。」
「病を患ったと言いたいがそれなら聖女を、と言えるようになったからな。君の母は心の病を患い、それを案じた公爵が付きっきりになった、という事にして君が王太子妃の位に就く日まで…と言いたいが延ばせてリアムが卒業する頃だな。」
「殿下が、ですか?」
「リアム君がそう言ったのよ。血塗れのボロッボロの格好でね。」
目を細め笑いを耐えるように口元を扇子で隠す王妃様にまさか、と廊下で控えている紅い子猫を思う。
「申し訳ございません、よく言って聞かせます。」
「うふふ、良いのよぉ!騎士とお嬢様、それに立ち向かう王子!新しくて素敵よ!」
急にテンションが変わった王妃様に驚いていると、キラキラした目で見つめられる。
「リアム君がね、卒業後に公爵の身柄を自分に渡せって。うふふ、生意気よねえ。お尻の青い子供のくせにいっちょ前に男として頑張ろうとしてるの!」
「お尻の青い…」
「あの無感情なリアム君がって、もう私ビックリで!聖女の子を迎える時もあんな顔してたからもう私ビックリしたの!何その甘い顔〜!十五年間見たことないわよ〜って!早くスカーレット様と話したいわぁ!」
初めて容姿以外で所長との血の繋がりを感じた。
「すまん、王妃も色々と安堵したのか…」
「いえ…。」
陛下に謝られてしまった、…もうどうしましょう。
…いいえ、しっかりしなくちゃ。
「父の件は承知致しました。御配慮、感謝致します。それに関しての謝罪も恐れ多くも受け入れたいと思います。魔力研究所所長の件に関しては私は何も求めておりません、その成果のお蔭で救われる命がありましたから。」
「…そうか。」
その短い一言と初めて見た微笑みに胸が熱くなって思わず視線を彷徨わせそうになる。
顔が似てる…!今まで側妃様に似ていると思っていたけど、やっぱり父親…似てますわぁ…。
「可愛いわ、可愛いわ!こんなに可愛いとメロメロよぉ…」
「王妃様、しっかりしてください。」
何も聞こえない。私は何も聞こえていません。
「ごめんなさいね、話が脱線しまくりだわ。」
「いえ。」
ニコリと品の良い笑みを浮かべる王妃様の意外な乙女姿は心に留めておくとして、最初の話。
「ルーナリア・アクタルノ公爵令嬢。君が王太子妃となる事を覆す事は今後無い。」
陛下の威厳のある声で語られた言葉に深く頭を下げ感謝の意を表す。
「誠心誠意、務めさせて頂きます。」
幼い頃から義務付けられていた事だけれど、それだけではなく今は私の意思でその地位を欲している。
私の願いを、望みを叶えるために必要な地位。
「側妃に対する度胸も、咄嗟の判断も、聖女である少女への対応も見事なものだった。この目でしかと見たモノは信じよう。」
「私も異論ないわ。貴女のお蔭で聖女は魔力を引き出せたもの。その方法は無茶でこの先の貴女の課題ではあるけれど。」
「僕も異論ありません。君の学園での話はよく耳にしますが見事と言える手腕で学園を盛り立てていると聞きます。」
「恐れ多い御言葉にございます。」
本当に嬉しい言葉ばかり。私を評価してくださっている事が心の底から嬉しい。
「だが君はまだ学園生であり十三歳だ。王太子妃の仕事も教育もまだ課すつもりはない。学業、そして上に立つ者の経験をするといい。」
「御配慮感謝致します、陛下。」
「王太子妃と発表するのは王太子が確定してからになるけれど、あの二人への対応は今まで通りで良いわ。」
「承知致しました、王妃様。」
代わる代わる話をする御二人を真っ直ぐ見つめていると満足したように頷かれその目が柔らかく緩む。
大人の方にこのような目を向けられるのは慣れていなくてどうしようもなくソワソワとしてしまう。
「しかし、君自身にはしてもらわなければならない事があります。」
「はい、閣下。」
視線を向けた先、宰相閣下はその瞳を見定めるように細めた。
「アクタルノ公爵令嬢、君は意図して聖女が自分を縋るように仕向けたけどその責任、取るつもりあるかい?」
「ございます。その為にあのような御紹介の仕方をさせて頂きました。」
「あら、やっぱり意図的なのね。」
名前さえ知りもしない雲の上の人の中で唯一声を掛けて、名前を知る者に縋るのは必然。そして縋って助けてくれたならそこからは簡単に墜ちていく。
「自分を呼んだ原因が私であると頭にはあるようですが、それ以上に余裕がなく、差し伸べられた手を掴むほど不安なようです。お会いし話をしましたがその様子に変わりはありませんでした。」
「私は最初隣国の間者を疑ったのだけれど…。傷心のシャレン令嬢と林で出会う“聖女”、なんてどんな運命よって。」
「その事に関しましてはシャレン伯爵令嬢の傷が癒えず、人の居ない林での療養中に偶然木の実を採りに来ていたフィオナさんと出会ったと、伯爵令嬢からお聞き致しました。彼女が偽りを申している可能性は低いですが、今後もその事は頭に入れて接します。……ですが、フィオナさん自身を見る限り素直過ぎる所がありますので、やはり可能性は低いと思われます。」
「確かに、感情を表に出す娘であったな。」
「それに関しては今後見直す点ですが…」
閣下が眉を下げて私を見、息を吐く
「何かございますでしょうか?」
「…聖女殿の教育についてどうも滞りまして。彼女のあの様子ですと貴族の淑女教育をする夫人方は合わないのではないかと…」
「そうですね…夫人方は“貴族相手”への教育ですから、平民であるフィオナさんには伝わり難く、悪循環を起こしそうですが…」
学園に通うまでに貴族令嬢は子爵から侯爵家の夫人に淑女教育を受けることになっている。
貴族令嬢は元より母親から貴族令嬢としての礼儀、作法を一通り習っているので然程苦労はないし、夫人はそれをもう少し詳しく丁寧に授業としてするというだけで人柄と接し方次第で大きく変わるけれど此方も然程難しくはない。
けれど、フィオナさんはそのようなものは一切教えられていない。当たり前だ、彼女は貴族ではないのだから。
その違いは大きいでしょう。
どちらにも負担が掛かり過ぎる。
「穏やかで優秀だと評判の夫人に願おうと思ったのですがその方は子爵夫人で、どうにも上位の方からの反感を買ってしまうと尻込みしてね…。」
「そういう面倒なの、ほんと嫌よね。」
ハッキリ仰られた王妃様は心の底から本当に嫌っていらっしゃるのか、顔を歪めていらした。
王妃としての役目に貴族女性を纏めるというのがあるのですが、それは私が思う以上に過酷であるのでしょう。
今から洗脳じみた事をしていますが、果たして将来効果はあるかしら…。
「本当なら私かスカーレット様、もしくは貴女にお願いしたいのだけれど、私は業務もあるしスカーレット様は病み上がりだし貴女は学生だし…適任がねぇ。上位の夫人とはまだ変に関わらせたくないから駄目だし。侯爵位である宰相の夫人もねえ、ちょっと変わっているから遠慮したいし…。」
「それを夫の目の前で仰られるのは如何かと思います、王妃様。確かに私の妻は少々野蛮ではありますが…」
「自分でも言ってるじゃないの。」
宰相閣下の奥方、リディス夫人は数々の武勇を誇る女騎士であられた有名人。
卒業されたセレナ・ジャナルディ伯爵令嬢と高等部一年のエレナ・ジャナルディ伯爵令嬢姉妹の師であり、叔母に当たる人物。
当初はとんだじゃじゃ馬と優秀な官僚が一緒になったものだと持ち切りになったと聞く。
「妻も聖女殿の護衛に付くと言っているのですが、如何せん言動が良い見本にはならないので。」
それを夫である貴方が仰れるのですか?とは口には致しません。
「まあ…。では閣下の奥方にはお手伝いをお願い致しませんか?」
「………練習台に?」
「女性にそのような事をさせるわけありませんでしょう、宰相。」
「いや、他に思い当たらなくて。」
苦笑いを浮かべる閣下に曖昧に微笑み返しながら、特に口を挟むことなく見ていた陛下に目を向ける。
「フィオナさんはご家族にお会いしたいと申して居ましたので、夫人にご家族の送迎の護衛をお願いしたいと思います。」
「ほう。あの夫人にか?」
「畏まった貴族の騎士よりは幾分心が落ち着くのではないでしょうか。フィオナさん自身には王宮魔導士団のセレナ・ジャナルディ女魔導士を中心に隊を作るのは如何でしょう。」
「あら、彼女も言動が中々よ?学園時からかなり揉め事もあったようだし…。今は問題も無く過ごしているけれど。」
「彼女は可愛いモノが異常に好きなのでそこを突こうかと。きっと誠心誠意努めてくださいますわぁ。」
「……聖女の件に関しては君の意見に添おう。今後聖女と長く付き合うのはアクタルノ嬢だからな。」
「感謝致します。御期待に添えるよう務めさせて頂きます。」
深く頭を下げる私に御三方の眼差しは柔らかくて、心がうずうずとむず痒い。
「決めた事を纏めて伝えてくれたら良いわ。その際にまた話をしましょう。」
「承知致しました。」
ニコリと笑った王妃様の翡翠の瞳が優しく私を見つめ、ふと切ない表情をされる。
その変わりように少し驚いたけれど、瞬きの合間に王妃様は柔らかい笑みを浮かべていらした。
「アクタルノさん、貴女は――――」
そう言葉を紡いだ王妃様の声は部屋をノックする音に遮られた。
「何だ。」
「陛下、王妃様、謁見の御時間に御座います。」
聞き覚えのない声に陛下は返事をすると、私に向かって緩く微笑まれた。
「悔いのないように過ごすと良い。」
「…御心遣い、感謝致します。」
「では僕も失礼するよ。妻には話しておこう。また後日、詳細を話し合う時間を設けてくれ。」
「お願い致します、閣下。夫人へは私からも文を出させて下さいませ。便りをお待ちしております。」
「……アクタルノさん、またお話しましょうね。今度は時間が許す限り、スカーレット様も共に。」
「光栄です、王妃様。是非伺わせて下さい。」
部屋を後にする皆様に深く頭を下げて見送り、軽く息を吐く
微かに震える両手をきゅ、と握りしめてもう一度息を吐いて落ち着かせる。
やっと、私の願いを叶えられる地位を得た…!
歓喜か、焦燥か。
様々な感情が心を震わす
お父様の事は申し訳なく思うけれど自業自得、という言葉が浮かんでしまい、これ以上考えるのは余裕を持てるようになってからにしようと心に決める。
まずは私に与えられた事を誠心誠意、務めよう。
謀事は嫌いではないもの。
ゆっくり、確実に、完璧に外塀を埋めて墜としていきましょう。
人の一生を奪う大罪を抱えて生きて行く覚悟はもう決めたのだから。




