意思
リアム殿下視点。
『私はただ、国の為だけに生きます。』
数時間前、そう言って柔らかく微笑った彼女が頭から離れない。
元々身体の弱い彼女はあのあと更に体調を崩して、離宮で用意された彼女の部屋に運んだ。
恥ずかしそうに胸元で手を握る姿は愛らしいと思うのに、憎らしく思ってしまった。
何故、自分を大事にしない。
あれほどまでに自己犠牲なのは彼女の生い立ちのせいなのか、彼女自身の気質なのか……。
どちらにせよ、性格は幼少期で半分は決まるのだから親が問題だろう。
あの糞狸と糞狐とその他諸々の屑のせいだ。
「…………クソが。」
思わず溢れた言葉に眉を顰めて手にしているモノを握り直していると、
「珍しいですね、リアム殿下が悪態とは。」
「――ケルトル…」
馴染みのある声に振り返れば、爽やかな笑顔の茶髪の男が模擬剣を手に立っていた。
「鍛錬場でお会いするとは思いませんでした。側妃様のお傍に居らっしゃらなくて宜しいのですか?」
「今はシリス様が付いているからな。母上もあまり俺が傍に居るのは落ち着かないらしい。」
「弱った自分を息子には見せたくないという親心ですかね。」
「……さあな。」
模擬剣を持つ右肩を緩く解して構える。
それに対し爽やかな笑顔のまま模擬剣を掲げたケルトルに向かい、足を踏み出した。
数十分全力で打ち合い続け、ガンッと鈍い音とともに宙に飛んだ俺の模擬剣が地に落ちると同時に動脈にケルトルの模擬剣が添えられる。
「…降参だ。」
「はい、これで僕の948勝利ですね。全勝です。」
汗を流しながら爽やかに笑うケルトルの嫌味に目を閉じて息を吐き、次に目を開けた時には頭がクリアになった。
「久々に手合わせしたが威力が増しているな。」
「毎日騎士団の訓練と自主練で鍛えていますので。学園時と違って朝から晩まで鍛錬に励めるのは良いですね。」
「脳筋なのは相変わらずで何よりだ。」
「負けたからと意地悪言うの止めてくれませんか、殿下。僕は脳筋ではありません。」
困った顔で言うケルトルは次の瞬間にはもうどうでもよくなったのか、模擬剣を持ち替えて笑う。
「それで、珍しく殿下が口にされた悪態は誰に対してですか?」
「………王宮騎士が王子に私談を申し込むのか?」
「言葉遊びはいいですよ。どうせアクタルノ令嬢…お嬢様関係でしょう?」
「………。」
「当たりですか。」
嬉しそうに笑って言うケルトルを軽く睨むと、面白そうに目を細められる。
「いつも無表情の殿下が感情を現すのはお嬢様のことくらいですね。…今は御母君の事もあるのでしょうが、別件ですか?」
「…彼女の自己犠牲観念は何時からかと考えて腹が立った。」
「なるほど。」
「それが悪いと思ってるわけではない。上に立つ者ならば必ず選択しなければならない事だろう。だが彼女のソレは、あまりに軽い。」
自分を堕とす事を躊躇わない、躊躇さえしない違和感と不安、そして怒り。
幼少期の彼女の話を当時護衛だった目の前の男から聞いた時からずっと腸が煮えくり返る思いだ。
「…お嬢様が変わられたのは間違いなくあの日…、毒を盛られた日です。倒れるお嬢様の周りを守るように尖る氷は今も鮮明に思い出します。」
「王族でもない、護りが完璧なはずの公爵家がただ一人の娘にそのようなことをするなど愚か、下劣極まりない。」
「下衆しかいません。…自分を含め、守る者はいなかった。アーグだけがお嬢様の傍に居た。……今思うとそれはお嬢様にとっての鎖だったのかもしれません。」
「鎖?」
「………諦めないための、鎖です。」
含んだ意味を感じてケルトルを睨む。
嫌でも思い浮かぶ占い師の言葉にグ、と奥歯を噛み締め拳を握り締める。
『それと引き換えに氷の姫君は絶望を、
―――『死』を迎えられております。』
ふざけるなと怒鳴りつけそうになった。
それでも冷静に抑えられたのは俺より彼女当人が落ち着いていたからだ。
まるでそれがわかっていたかのような、当然とでも思っているような瞳で微笑う彼女の姿が焼き付いて離れない。
理解出来ない肌を粟立たせるモノが絡みついている気がして目を閉じて息を吐く
これを何度繰り返しても気は収まらず、模擬剣で素振りをしても、模擬戦をしても収まらない。
どんな時でも冷静に且つ正確に対処する、対処出来るはずなのに、この想いは俺を掻き乱す
厄介極まりない。
「……リアム殿下が何を今更そんなにピリピリしているのか疑問なんですが…?」
「は?」
息を吐く傍ら、心底不思議そうに呟くケルトルに思わず低く唸るような声が出た。
それに対して特に何も思わなかったのか、そのまま口を開くコイツの神経は中々に図太い。
「殿下がお嬢様を守ってくださるんですよね?」
「っ、」
それは、当たり前のことを言ったという顔だった。
「お嬢様のアレはもう治らないと思います。幼少期から、それこそ、僕と出会うずっと前からそうやって育てられてきたなら変えることは難しい。外野がどうにか出来る事ではない。そう殿下が仰られたではありませんか。」
「そうだったな…」
「はい。それに、お嬢様は『尽くす』『護る』を信念に生きていらっしゃいますから。」
何かを思い浮かべるように目を伏せ、困ったような、嬉しいような、呆れたような、そんな複雑な表情を浮かべる。
「僕がお嬢様の護衛に付いて、初めて街へ出たときにお嬢様に言われました。
“貴族”とは民に慕われる者を示す。護り、頼り、頼られ、信頼し合い、共に手を取りより良い街を築く。それこそが“貴族”ではないのかと。」
「…見事な理想論だな。」
「はい。僕もそう思います。けど、お嬢様は心からそう思っていらっしゃいました。それは公爵に言われたからではなく、お嬢様の意思です。」
ルーナリア・アクタルノという人間は何処までも『貴族』らしくない『貴族』だと思う。
「彼女は…強い。」
「そうですね。」
「だが、脆いと感じることがある。」
「…それも、否定はしません。」
「強くも脆い彼女を、どうしようもなく、愛おしく想ってしまう。」
見上げた空と似た瞳の彼女はいつも微笑んでいる。
その彼女の『強さ』も『弱さ』も全てを受け入れて受け止めて、守ってやりたい。
その思いは募るばかりで、それと同時に憎らしく思うことも増えた。
けれどそれは、それほど彼女を深く想っているからなのか。
それは俺自身にもわからないが、どんな思いも受け入れていかなければ彼女と生きていくことは出来ないだろう。
「…ケルトル、俺も決めたことがある。」
「何ですか?」
濃茶の瞳を真っ直ぐ向ける騎士に誓う。
「――――――――――。」
目を瞠ってすぐ嬉しそうに頷いた騎士に蟠っていたモノが溶けていく気がした。
その日から一週間後、シャレン伯爵は娘のリリア・シャレン令嬢と、目に涙を溜めた顔色の悪い少女を連れて登城した。
その様子を微笑み見守る彼女の隣で、決意を確固たるモノにする。
「ルーナリア嬢、今日も無理をしたらすぐに抱いて部屋に戻す。」
一週間、母上に少しずつ魔力を分け与え続け顔色の悪い彼女のすぐ支えられる隣で言えば、僅かに眉を下げて微笑む。
「…まあ、うふふ。ありがとうございます。」
困ったり照れたりすると微笑って流す傾向のある彼女を見るのが、好きだ。
いつも余裕のある微笑みを浮かべている彼女の崩れた壁を感じられる。
だがそれよりも願うのはあの日見た、蕩けるような甘い笑顔。
「あと、俺の告白を一週間も流した件は忘れていないぞ。」
「えっ、…あ、あの…っ、えっ。…えっ、今…?」
だが今は、狼狽える彼女を堪能しよう。
「今回の件が落ち着けば再度言う。」
「えっ!?あの、えっ、り、リアム殿下…!」
「ははっ、顔が赤いな。」
「ッ、おやめくださいませ…っ、………もう。」
頬を赤らめ瞳を僅かに潤ませて俺を睨む姿に胸を抑えそうになるほどの衝撃を受けた。
勘弁して欲しい、何でこんなに可愛いんだ。
けれど俺は結構傷ついている。
俺でもオスカーでも子は成せると言い切り、俺など眼中に無いと微笑ったのはかなり傷ついた。
…俺に笑いかけるくせに。
だから、俺は君の嫌がることをしてやろう。
「ルーナリアは可愛いな。」
笑って言えば彼女は一瞬固まり、一瞬で首まで赤く染める。
やっぱり可愛い。と口にしようとして、これ以上言うと口を利いてくれなくなる気がして止めた。
昨日微笑みを消したときの人形のような美しさに、触れれば呆気なく壊れてしまいそうでゾッとした不安が消えて安堵した。
黙って顔を赤くして狼狽え悶ている可愛い想い人を遠慮なく見つめていると、陛下の隣に立つシリス様が目を瞠って此方を見ていることに気が付く。
何に対して驚いているのかはわからないが、取り敢えずこの可愛いモノを見られたくなくて隠すことにする。
「え、あの…、殿下…?何故私の前に立たれるのですか…?」
「照れる君を見られたくないからだ。」
「てっ、…みっ、……ッ、…………。」
「………、……ふはっ」
キャパオーバーしたらしい彼女に耐え切れず噴く
本当に可愛い。
俺の背中で全身隠れるほど小さな彼女に胸がチリチリと熱く疼いて、堪らなくなる。
愛おしく憎らしい、氷の姫君。
君は何も気付かず、君の意思を貫いてくれ。
俺が君を護ってみせるから。




