宿命
「―――ふざけるな。」
低く掠れたリアム殿下の声に占い師から目を移す
造り物のように美しい御顔を顰めて此方を鋭く睨みつける姿を見て思わず微笑ってしまう。
「ルーナリア嬢。」
微笑った私に厳しい目を向ける殿下に柔らかく微笑み、殿下の気迫に身体を強張らせる占い師の手を緩く撫でて意識を私へ向けさせる。
緩いドレスのポケットからハンカチを取り出して滴る汗を拭い、灰色の瞳を見つめて微笑む。
「聖女様の居場所はお判りになられましたか?」
「止めろ、巫山戯た占い師の戯言に耳を傾ける気はない。」
「では何も聞かなければ宜しいかと。微かな希望を逃すわけにはいきません。」
「っ、」
そのようなこと、私が言わずともわかっていらっしゃるとわかっています。
けれど貴方様は優しい御人だから、私が『死ぬ』と言われて憤ってくださっているのでしょう。
そのお優しいリアム殿下の御気持ちが、私を穏やかにしてくれるのです。
「占い師様、聖女様はどちらに?」
「……、氷の姫君に縁のある…、心の美しい御令嬢の傍にいらっしゃられるようです……。」
「私に縁のある、心の美しい御令嬢…。私の近くではなく、縁のある方ですの?」
「ええ…、そのように視えます……。」
頷き応える占い師の瞳に偽りはなく、条件に当て嵌まる御令嬢を探る。
縁のある心の美しい御令嬢と言うのは絞り込むには範囲が広く、黙ってしまう。
「…アクタルノ嬢、心当たりはあるのか。」
「数人いらっしゃいますが特定は…。占い師様、もう少し詳しく調べられませんでしょうか。」
「………そう、ですね……、とても…とても、心に深い傷を負っていらっしゃる…、けれど…お優しい心で多くの人を思っていらっしゃる…本当に心の美しい女性です……。」
「…、……一人、心当たりがございます。」
そ、とソファで腕を組み琥珀を閉じていたリアム殿下を窺うと僅かに瞼を開け頷かれた。
「――リリア・シャレン伯爵令嬢だろう。」
前々生徒会長であるウィスド・カヴァルダン辺境侯爵子息が心身ともに深い傷を負わせた、前生徒会長のライギル・バルサヴィル侯爵子息の婚約者である彼女以外思い当たらない。
深い傷を負いながら自領の領民と学園の生徒の混乱を防ぐ為に一人苦しみを抱えた令嬢。
「シャレン伯爵が王都に滞在しているはずだ。至急登城の早馬を出せ。」
陛下が壁に控えていた侍従に指示を出す間、私は隣で具合の悪い占い師の老女の手を包むようにとり灰色の瞳を見つめる。
「占い師様の御蔭で側妃様を救える微かな希望を見つけられました。本当にありがとうございます。」
「……けれど…貴女様の未来は……、」
痛ましげに目を伏せた老女に、今も険しい顔をしているリアム殿下に柔らかく微笑む。
「今未来を知れたのなら、そうならない為に今出来ることを致しますわぁ。」
「……占いとは、変えられぬモノ……。ワタシはそう言い続けております……。」
そう言って私の手を少し強い力で握られる。
「けれど……氷の姫君の未来が…、絶望ではないことを…願っております……。」
「ありがとうございます。私も細やかながら占い師様の今後が良きものであることを祈っています。」
皺の刻まれた手を両手で包み、哀しみを見せる灰色に穏やかに微笑んだ。
「では占い師殿、暫し離宮にて休養されよ。何か頼みがあれば付き人に申せ。」
そう陛下が占い師を伴い部屋を出てすぐ、残ったリアム殿下が私の前に立つ
見下ろす態勢と冷たい琥珀色に少しだけ気不味い。
「……隣、座られますか?」
「君自身に対する無頓着はどうにかならないか。」
問に一切触れず仰られた殿下に疑問を抱いて、困った微笑みを浮かべて首を傾げる。
「私は自己中心的な考え方をしていますが…」
「自分を死ぬと言った者を慮る者が自己中心的だと?そんな馬鹿な事があるか。」
吐き捨てるように言うリアム殿下の琥珀の瞳には怒りが宿っていて、どうにも口を開き難い。
「他人を慮れる事は君の美徳だ。だが今回、これ以上君に無理はさせたくない。もう十分、王家の力になってくれた。だから学園に戻れ。」
有言を言わさない力のある言葉と声と眼差し。
けれど私は微笑みを崩さない。
「私は側妃様に夏の季節、約束を果たして頂きたいだけですの。王家の為だけという訳ではありません。個人的理由です、ですので私は個人的な理由から学園には戻りません。」
「………。」
「無理はしていませんもの。リアム殿下が御気になされる必要はありませんわぁ」
「…、君の、そういうところが嫌になる。」
低く言われた言葉にズキリと胸が痛む。
それを表に出さないように柔らかい微笑みを崩さずにしていると、立っていたリアム殿下が私の前で片膝を付く
王族にあるまじきその姿に目を瞠り、お止めくださいと声を上げる前に殿下が口を開いた。
「想う相手が死ぬと言われて冷静ではいられない。頼む、君は『聖女』に関わらないでくれ。」
請うような言葉に、
真剣な琥珀の瞳に、
全身が歓喜に震える。
私を想ってくださっていたのだと、
私を案じてくださっているのだと、
心が熱くなって、どうしようもなくなる。
それと同時に、恐ろしくなった。
「殿下、私は次期王妃と決定しております。」
「ッ、」
驚愕に目を瞠り私を見上げる殿下の琥珀に映る私はいつもの微笑みを消していた。
微笑みのないこの顔はまるで精密な人形のようで、生気さえも感じさせないモノだった。
その事に私自身も驚いてすぐにいつもの微笑みを浮かべて、困ったように小首を傾げる。
「陛下からお話を聞いていらっしゃいませんか?」
「聞いていない。…だが今回、陛下が君の意見を尊重したり王家に踏み込ませていたのはそういう理由なら納得が行く。」
冷静に述べるリアム殿下は一度も私から目を逸らさない。
それはナニかを見逃す事がないように注視しているようで、少し身体に力が入る。
「私は将来この国の上に立つ者として、判断を間違えたくありません。」
「聖女を見つけることをか?」
「はい。多くの者が救えます。側妃様だけでなく、国内に存在する万を超える病を抱えた者の為にも。人を救えば国は潤い、国が潤えば人は生きやすくなると思うのです。」
「…ああ、心に余裕が出来れば比較的穏やかでいられるだろう。」
「私は穏やかに自分の人生を選べる余裕を持って欲しいと願っています。その為に病を救い、人々の希望となる聖女様に存在していて欲しいのです。」
無表情で私を見つめ続けるリアム殿下に微笑む。
「貴方様が嫌う、一人の人の一生を奪ってでも。」
聖女となればこの国から出ることは許されない。
日々この国の民を癒やし、この国の為に己の力を捧げ続ける義務を課せられるだろう。
いいえ、課すわ。
「なのでその代償として私が死ぬのなら何も思うことはありませんわぁ。誰かの人生を奪っておきながら自身の人生を奪われるのは嫌なんて、言いたくありませんもの。」
「……ルーナリア嬢もまた、この国の王妃となり人生を潰すことになるのにか。」
「まあ…。そのような事を仰られるのはどうかと思いますわぁ。王妃様が人生を潰されているかのような言い方に聞こえますもの。」
「先日見ただろう。王妃は私情を挟めん。己の全てを国の為に捧げなければならない。」
そう言って目を細めたリアム殿下の脳裏に思い浮かぶ光景は、翡翠の瞳からぼろぼろと涙を溢す王妃様の姿だろう。
優しく強く、この国を思う『王妃』を見た。
「私もそうでありたいと、強く思いました。」
「……。」
「……元より、私はロズワイド王国の貴族。国に献身するのが当然でございましょう?領地の領民から王国全土の国民に変わっただけですわぁ」
何千、何万、何億の国民の為に全てを捧げる。
その中のほんの僅かに私の『特別』がいるのはどうしようもないけれど。
私が国に献身して、その献身が誰か一人の未来を明るく出来るのならばそれ以上の幸福はないと思う。
私でも誰かの未来を守れる。
私でも誰かの未来を作れる。
私でも誰かの役に立てるのなら幸せだ。
「ルーナリア嬢はそれで良いのか?」
「私の宿命と思っております。」
「俺かオスカーと婚姻し、子を成すとわかっているのか。」
「ええ、妃は第一に子を産む事が優先されておりますもの。頑張りますわぁ」
「君が誰を想っても、…愛しても、叶わないぞ。」
「はい、叶うことはないでしょう。」
貴方様を想っていても、愛することが出来ない。
わからないから、出来ないのです。
永遠の恋というモノで終わるであろうこの想いは、この先貴方様が出会うかもしれない素敵な方で壊れたら良いと願っている。
ドロリとした、歪な感情。
喜びも哀しみも混ぜ合わさった混沌を、私は抱えて生きていられないとわかる。
「私はただ、国の為だけに生きます。」
ルーナリア・アクタルノはそれでいい。
悪役でも、善人でも、どちらでも構わない。
私はただ宿命を果たすだけ。
それでも一つ願えるのなら、私は私の選ぶ特別に囲まれていたい。




