夏の季節に
厩舎に着いて馬丁の方に緊急だと話をしていると、紅い色が物凄い速さで私の元へ来た。
「どうした。」
僅かに息を切らした様子が慌てて駆けてくれたのだとわかって嬉しく思いながらその見事な紅髪に手を伸ばすと、意図を理解して少し屈んでくれたアーグに微笑みながら髪を撫でる。
「王宮に行ってきます。アーグはオリヴィアと待機していなさい。」
「はぁ?何言ってんだ。オレがいねーで誰がお嬢を守んだよ。」
「王宮で私に害をなす者は居ませんよ。だからアーグ、いつでも動けるようにして待っていて。」
「お嬢!」
珍しく顔を歪めるアーグの頬に手を当てて微笑む。
「大丈夫。」
その一言に全てを込めて馬を連れて厩舎から出て来た殿下へ駆け寄り、馬を一撫でして馬丁さんに手伝って貰いながら殿下の後ろに乗る。
「走るぞ、しっかり掴まっておけ。」
「はい。」
殿下の腰へギュッと腕を回して初めての馬に少しだけ緊張する私を顔を顰めて見上げていたアーグがその目を殿下へ向ける。
「お嬢を、………無理はさせんなよ。」
「…あぁ、任せておけ。」
琥珀と紅が真剣な目を交わし、次の瞬間「行くぞ」とリアム殿下の声で馬は急速に走り出した。
学園から王宮までおよそ十五分。
馬は一度も止まる事なく走り続け、王宮に着き門兵が声をかける前に駆け抜けて走り続けて向かった先は王城より少し離れた場所に経つ離宮。
離宮の入り口で待っていた側妃様に付いていた侍女が「殿下!」と声を上げ、その後ろに居る私を見て驚きと歓喜を見せる。
「ルーナリア様!!あぁっ、良かった…!」
手を組み涙を流しそうなほど感激している気の早い侍女に微笑みながら、止まった馬から飛び降りようとして身体が勝手に浮く
驚いて思わず視界に写ったものにしがみつき、それが殿下の胸元だと気付いて即座に謝った。
「申し訳ございません、殿下。」
「馬に乗り慣れていないなら下りて歩くのは危ないから俺が運ぶ、我慢してくれ。」
「ご迷惑おかけして申し訳ありません、お願い致します。」
本当に今のところ荷物にしかなっていないと殿下に抱え上げられて運ばれながら思う。
けれど、私なら役に立てる。
既に涙を流している侍女に案内されて向かった部屋には国王陛下、王妃様、大神官様、そして王国魔力研究所の所長が居らした。
殿下に抱えられている私に目を瞠る皆様に挨拶をする前に、
「殿下ありがとうございます。」
「気を付けろ。」
「私は大丈夫です、早くお傍に。」
「…あぁ、」
そっと殿下に下ろして貰い、部屋の中心にあるベッドへ促すと少し息を詰まらせながら背を向けて行かれる。
その背は初めて見るほど心許ない様子で、いつもどんな事にも冷静沈着で的確な判断を下すリアム殿下とはかけ離れていた。
その姿に胸が痛むけれど、私が今しなければいけないのは殿下の心配ではなく、側妃様のための事。
「国王陛下、王妃様、急な訪問になり申し訳ございません。アクタルノ公爵家が長女ルーナリアでございます。」
国王陛下と王妃様に最上位の礼をしていると、馴染みのある声に呼ばれた。
「アクタルノちゃん!」
「所長、魔導吸引機はご用意されていますか?」
「もちろんあるんだけど〜!」
いつも変にテンションの高い変人な所長が珍しく外見に合った憂いのある表情をしている。
そんな顔をしているのを初めて見て少し驚いたけれど、魔導吸引機が故障しているわけでもないみたいなのに何故?
「アクタルノさん、貴女は何の為に此処へ?」
女性特有の高い声にそう言われて振り返ると、美しい金髪を結い上げ綺麗な翡翠の瞳を私へ向ける王妃様がいらっしゃった。
その表情は何処か悲しそうで、悔しそうで。
「私は以前側妃様へ魔力を供給した事があり、今回もお役に立てるかと。」
「ええ、聞き及んでいるわ、その節は本当にありがとう。けれどね、スカーレット様は今あの時以上に魔力を失っているの。」
悲痛な声が放つ言葉がどれほどの危機を持っているか、わからないわけではない。
むしろ幼い頃から限界まで魔力を吸引されてきた私だからこそ、その状態が続くことが如何に危険な状態かわかる。
「では私の全魔力を捧げます。」
「アクタルノちゃん、それがね〜…」
「―――私は、受け入れません…」
か細く弱々しくも、その声は耳に届く。
僅かに目を瞠り部屋の中心に置かれたベッドで青褪めた顔で臥せる御方に目を向ける。
「母上…」
「リアム…ごめんなさい…、」
悲痛な顔をする自身の息子に微笑む姿は今にも儚く散ってしまいそうで、恐ろしくなる。
あの、冷たい手を思い出す。
「所長、準備を。」
「えっ!!?ちょっ、アクタルノちゃん!?」
「アクタルノさん、何を…!?」
所長と王妃様の姉妹二人の声を聞き流しベッド付近に配置された魔導吸引機から慣れた手付きで魔導針を腕に射そうとして強く手を掴まれる。
「何をしているんだっ、」
掴んだ主は驚愕と困惑、そして恐怖の色を表していて、いつも無表情なこの御方が眉を顰めているのに柔らかく微笑む。
「御安心下さい、私は慣れております。」
「慣れ、ッ、…違うルーナリア嬢。それは―――」
「殿下。殿下は御母君の手を握ってあげてくださいませ。腕を振り回さないよう、しっかりと。」
揺れる琥珀の瞳を真っ直ぐ見上げ、僅かに緩んだ力から手を引き戻して素早く刺す
微かに走る痛みに私が落ち着かなければと一度深く息を吐き、側妃様の折れてしまいそうな腕を掴む。
「アクタルノさん、ご自分でなさるのは…」
「大神官様、いつでも対処出来るようお願い致します。所長、側妃様へ早く魔導針を。」
「……〜っ、もうほんっとアクタルノちゃんって怖い子なんだから〜!!」
「…お任せ下さい。」
所長が魔導吸引機と繋がる魔導供給機から魔導針を手に動き、私を気遣って下さった大神官様はすぐに顔を引き締めて私の隣で側妃様に付く
「ルーナリアさん…、私は受け入れませんと…、」
「今側妃様に拒否権はありません。」
バッサリと切り捨てて側妃様の腕に針が通ったのを確認して魔導吸引機のスイッチを最大引力にして入れる。
急激に抜かれる魔力に吐き気と頭痛を催す
「アクタルノさん、」
「私に対する治癒は必要ありませんわぁ」
「……無理はなさらないでくださいね。」
困ったように眉を垂らした大神官様に微笑みを返しながら魔導供給機のスイッチを操作して、魔力変換された私の魔力をゆっくり側妃様へ流していく
それに気付かれた側妃様がなけなしの自身の魔力を動かそうとされて、脅す
「下手に魔導針に魔力をぶつけると針は破壊され腕が壊れますよ。そしてそれは魔導供給機だけでなく魔導吸引機にも及び爆発を起こします。今この部屋に居る者全て無事では済まないほどの威力で、魔導機の傍に居る側妃様、所長、大神官様、私…そして御子息は絶対に無事では済みませんわぁ。それで良ければどうぞご自由に暴発させて下さいませ。」
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「………。」
「…アクタルノちゃん、こわ〜い。」
部屋にいる方々からの引いた視線と所長の少し引き攣った声をいつも通りの微笑みを浮かべて流す
「ちょっと待ってアクタルノちゃん〜!!最大吸引そろそろ切ろうか〜!!」
「まだ半分もいっておりませんもの、大丈夫です。半分を越したら下げますねぇ」
「アクタルノちゃん!!」
初めて聞く厳しさを混ぜた所長の声を微笑って流し、私を身体のしんどさからか潤んだ瞳で見上げる側妃様に話しかける。
「あの日の二日前、とても大切な方が亡くなられたのです。」
急に話を始めた私に部屋に居る皆様の視線が向くのを感じながら、側妃様から目を逸らさずに口を開く
「幼い頃からお父様は片手で数えるくらいしか顔を合わせる事はなく、……お母様は、一人部屋で本を読んでいらして、私は当時の侍女とずっと手を繋いでいましたの。……とても寂しくて。」
今まで話したことのない私の話。
そんなことを何故この国の最高位王家の方々の前で話しているのかと微笑ってしまう。
「そんな私にいつもお菓子をくれる料理人の方がいらして、屋敷の中で数少ない私の話し相手をしてくださる方でした。忙しい時間を私のために割いてくださって、美味しいお菓子と美味しい飲み物を用意して話をして、私に刺繍やお菓子作りなど…他にもたくさんの事を教えてくださったのです。」
「…優しい、方ね。」
「はい、とても。きっと祖母とはこのような方なのだろうと思っておりました。」
優しい柔らかな、穏やかな笑顔が今も鮮明に思い出せる。
けれどあの優しい温かい手の温度は、あの日の冷たい手に塗り替えられた。
「…間に合わなかったのです、その方の最期に。」
少し離れた場所から息を呑む音がして、それが誰かを見ることもなく美しい赤から溢れた涙に微笑む。
「冷たい手を握る悲しみを、苦しみを、恐怖を…。リアム殿下や国王陛下、正妃様方に味合わせるにはまだまだ早いかと存じます。」
「ルーナリアさん…」
「それに言ってくださいましたでしょう?」
そっとやせ細った手をとって、熱いとも言える温度に安堵して笑う。
「夏なら歓迎と。」
「…!」
「私の罪深い氷を楽しい思い出に塗り変えて頂きたいですわぁ。…叶えてくださいますか、側妃様。」
「………。」
ほろほろと青白い頬を伝う涙が美しいと思えた。
「私も自分勝手なのです。……戸惑う私を慰めて下さった優しい貴女様がこのまま儚く逝かれるのを留める手段が私にあるのなら、例え望まれていなくとも何としてでもしたいのです。」
「……っ、」
「苦情は夏の季節にお伺い致しますねぇ。」
そう言い切って微笑んだ。
「…側妃の権限で、止めなさいと、言っても?」
「耳が遠くなりましたわぁ」
「……わた、くし…っ、子供を苦しめて、生きていかなきゃ、いけないのが…耐えられ、ないのよ…」
「私の魔力吸引歴は七年です、慣れておりますから苦しくありませんよ。」
「七年、は…長いわね…」
「ええ、人生の半分行っております。もう定期的にありますのでそう変わりませんわぁ」
「…そう…、」
涙を流し震える声は弱々しく、けれど、先程とは違って力が篭っていた。
「リアム…」
「っ、はい、母上。」
ずっと向かいで側妃様の手を握っていたリアム殿下が瞳を潤ませて返事を返す
「我儘ばかり、言って…ごめんなさいね。」
「…いいえ、母上。いつも、どんな時でも人への優しさを持つ母上は、俺にとって誇り高く、心から尊敬出来る人です。」
「っ…、……ありがとう。」
「礼は…、……夏の季節に聞きます。」
目を細めて微笑うリアム殿下と、息子の笑顔に目を細めて涙を溢す側妃様。
夏の季節、私の作った冷たい氷で笑い合う御二人の姿を見たいと強く思った。




