失いたくないモノ
「ルーナリア嬢、このクラスの―――」
「ルーナリアさん、この後の先生方と―――」
「リノ、この件を詳しく―――」
「レオン先輩、この事なんですけど―――」
「皆様、少し休憩に致しましょう。」
今日も全員が職務を全うする放課後の生徒会室で、人数分のティーセットと本日のお菓子を乗せたワゴンを押して声を掛ける。
「待ってましたー!」
明るい笑顔でそう言って此方に手伝いに来てくださるリノさんに労いの言葉と感謝を伝えながら、デスクと離れた場所にあるテーブルに並べていく
二人掛けソファを両脇に置き、一人掛けソファを中間に置いたこの場所は生徒会の憩いの場。
女子会もするその席はいつも席順が決まっている。
一人掛けにリアム殿下、二人掛けにリノさんとレオン先輩、もう一つの二人掛けにアイサさんと私。
少しだけ気を遣った席順だと気付いていないのは本人の内一人だけで、当初はもう一方の一人にかなり嫌がられた。
「あ、今日マフィン?しかもナッツついてる!レオン先輩良かったですね!」
「こっちはチョコだな。……好きだろ、お前。」
「え、知ってたんですか?」
「あんだけ食ってたら誰でもわかる。…ほら。」
「わぁ、ありがとうございます!」
「……そっちのナッツは俺が食べるから。」
「もちろん!」
にこにこのリノさんと少し頬を赤らめているレオン先輩をアイサさんと二人、ほっこりと眺める。
わかりやすいレオン先輩の好意に気付いていないリノさんは隣で無邪気にかぷっとマフィンに齧り付いていて、そんな姿を甘い瞳で見つめるレオン先輩の姿はもう見慣れたもの。
「中々進展しませんねぇ」
「そうねえ。もう一方は何だか変わったのに…」
「もう一方?」
「何でもないです。わあ、今日も美味しそうね!」
こちらもわかりやすく話を逸したアイサさんを追及はせず、一人掛けソファで紅茶を飲むリアム殿下に微笑みかける。
「殿下もお一つ、食べてくださいますか?」
「…あぁ、戴く。ありがとう。」
最近、職務を離れた途端上の空になる事が増えたリアム殿下にシンプルなマフィンを一つお皿に乗せて出すと、礼を言ってからがぶりと齧り付かれて少し安堵する。
フランさんが亡くなり氷漬け事件を起こして罰として魔力吸引を行うとき、不治の病を患っていらした側妃様と仲良くさせて頂いた日からニヶ月が経つ。
私より先に王宮へ戻られた側妃様の容態を聞く事は出来ずにいるのは、リアム殿下の様子が余り思わしくないから。
魔力を多分に分け与えても魔力欠落症は容赦無くその身から魔力を削っているのだろう。
随時魔力を分けることが出来たならと、そう思うのに御声は掛からない。
「今日も美味いな。」
「ありがとうございます。」
「本当、今日のも美味しいわ。」
「毎日こんな美味しいの食べれて幸せ!」
「確かにな。」
「まあ、ふふっ。ありがとうございます。」
私が用意させて頂いている休憩時間のおやつは手作りで、それを皆様が美味しそうに食べてくださる姿を見るのが嬉しい。
「でもルーナリアさん、病み上がりなんだからあんまり無茶しないでね?」
「はい、気を付けます。」
魔力を限界まで吸引して元の体調に戻るまで一週間掛かった私は二週間弱学園を休み、それを未だに心配してくださるアイサさんに頷きながら自身で淹れた紅茶を飲もうとソーサーを持つ
鼻を擽る紅茶の良い香りに目を細める。
やっぱりアールグレイが一番ねぇ
「その令嬢の気品と美しさ、慣れないわー…」
「美しい…。絵画みたいですよねぇ…」
「否定はしない。」
「完璧な淑女の見本だな。」
「まあ…照れますわぁ。ありがとうございます。」
仄かに火照る頬に手を当てながらふんわりと微笑みお礼を言う。
「謙遜しないのなんか面白いけど。そういうルーナリアさん、嫌味なくて好きだよ。」
「あらぁ。私も怖じけることなくハッキリと話すリノさん好きですよ。とても好ましいですわぁ」
「んふふっ。ルーナリアさんのおかげ!」
オドオドびくびくしていた彼女が明るくハキハキと話すようになったのは初等部を卒業してからだ。
心境の変化か、慣れか、両方かもしれないけれど、人の目を真っ直ぐ見て笑顔で話すリノさんはとても魅力的な女性になられて異性からの好意も多い。
獲られる前に自分のモノにしてしまえばいいのに…と彼女の隣でナッツマフィンを食べる彼に思う。
貴族と平民。相容れない溝のある関係。
それでも婚姻する事を認められているのだから、出来ないわけではない。
それ相応の知識や人脈、家に徳を齎せる人物でなければ身内は全力で否定されるけれど。
その事に関しては知識も実力も主席を取れるほどの才女であるリノさんは申し分ない。
あとは本人達の何があっても共に有ろうとする強い意志だけ。
失いたくないのなら。奪われたくないのなら。
早く奪わないと横から獲られてしまう。
「リノさんは好む方いらっしゃいますの?」
「ブッ、」
噴き出した彼に「まあ、大丈夫ですか?」と心配しながら関心はリノさんへ向ける。
「レオン先輩大丈夫ですか?」
「変なとこ入っただけ、ごめん、気にするな。」
「とりあえず紅茶飲んだ方が良いですよ」
「ありがとう。」
背中を擦られて頬を赤らめるレオン先輩と特に気にしていないリノさん二人をアイサさんと二人にこにこと眺める。
「それでそれで?リノちゃん、好きな人いるの?」
「アイサ先輩まで何なんですかー?好きな人………ううーん………いないですかね!」
にっこり笑顔でバッサリと言い切ったリノさんに、一人攻撃を受けた方がいらっしゃる。
「気になる方もいらっしゃらないのですか?」
「今は勉強が一番楽しいからそう言うのは良いかな。いやあたしが言うのも烏滸がましいけどね?」
そう気恥ずかしそうに言ってマフィンに齧り付く姿を優しい眼差しで見ているレオン先輩に聞く
「レオン先輩はどうなんです?好む方、いらっしゃいますの?」
「はっ?いや、俺は…」
「レオン先輩って年上好きそう!」
「私は年下の可愛らしくて明るくて賢い方が好みだと思いますわぁ」
「え、なんか具体的…」
「やめろ、俺は別に好きな奴なんか…」
と言いながら顔を俯かせるレオン先輩に微笑いながらソーサーのカップに指を掛けてもう一声、と口を開こうとすると、
「揶揄うのも程々に。」
我らがボスに止められてしまった。
「あら、殿下は気になりませんの?」
「明らかに一方だけだろ。先はまだあるんだ、気長に待っててやれ。」
「…会長、貴方まで俺を揶揄ってませんか…」
「気のせいだ。」
僅かに口角を上げて言うリアム殿下の目は楽しそうに細められていて、案外こういった事が好きな御方だなぁと微笑ってカップに口を付けた。
そしてそれは、生徒会の職務が終わり茜色が差し掛かった頃に訪れた。
今日の職務の整理を終えて生徒会室の窓を閉めていた時、微かに感じた魔力の塊に目を向けながら窓から離れリアム殿下へ駆け寄る。
「どうした、」
そう言われて返事を返すよりも王宮の方角から此方へ迷う事なく飛んで来た魔力の塊の方が早くリアム殿下の元へ辿り着く。
「王宮の連絡魔法で間違いありませんか?そうでなければ壊します。」
掌に魔力を集めて問えばリアム殿下は「王宮からだ」と言いながらその塊に触れた。
魔力の塊はリアム殿下の魔力を感知すると、込められた連絡を告げる。
――『側妃様危篤。即刻帰城。』
それは殿下の大切な方の報せ。
「ッ、」
琥珀の目を瞠ったリアム殿下はそのまま動けずに固まっている。
その経験を私は味わっていた。
そしてその時、助けてくれたのは今目の前で同じようになっているこの方だ。
「リアム殿下、行きましょう。」
「ルーナリア嬢、」
掠れた声で呼ばれ、その瞳が戸惑うように揺れる。
「私も側妃様のお力になれますもの、共に行かせて頂きます。さあ、お早く。」
そう言って許可を得る事もなくリアム殿下の手をとって、閉めた窓を開け放ち迷う事なく飛び降りた。
息を呑む声と背後から聞こえる三人の悲鳴と怒声に振り返って、いつものように微笑んだ。
地面に着地する前に水を地に放って身体の落ちる流れを緩くして衝撃を軽くする。
それでも衝撃は脚に来るけれどそのまま身体を地にぶつけるよりはマシだ。
「走りますよ。」
直ぐさま体勢を整えてまだ身体の固いリアム殿下の手をとり学園の厩舎に向けて走り出す
しかし私はすぐに疲れて息切れをする身体を考慮して、いつもゆっくりのんびり余裕行動なので走るという行為を一切しない。
限界はすぐに来てしまった。
「はあっ、っ、申し訳、ございません…っ、」
「謝る必要はない。」
走り始めて一分過ぎる頃に息切れを起こした私を抱えて走るリアム殿下に息を整えながら謝ると、全く息を乱さず返される。
今一番焦りを抱いているはずの殿下の負担になってしまうなんて…
そう悔しく思いながら連絡魔法でアーグを呼べないのは極力魔力を残しておきたいから。
勘の良いアーグが駆けつけてくれるまでには厩舎に着いてしまうだろうし…あぁ、本当にこの身体が情けない。
「…ありがとう。」
「えっ?」
ぎゅ、と握り締めた掌に痛みを感じた時、頭上からそう言われて間抜けな声を上げてしまう。
それでも見上げた先、美しいお顔はいつもの無表情を崩して眉を寄せられ焦燥感を見せている。
「君が手を引いてくれなければ動けずにいた。」
「……殿下が、してくださった、ことですもの。」
「俺が、」
「私が大切な方の、報せを知ったとき…動くことも声を出すことも、出来ませんでした。そんな私に声をかけ、手をとり、動かしてくださったのは、殿下です…。」
乱れたままの声で必死に伝える。
貴方のおかげで私は立てた。
ただアーグに担がれたまま、なされるがままに向かったのではなく、ちゃんと立っていられた。
「だから、今度は私が、殿下の手をとって…と、思っていたのです…。結果、運んで頂くような、迷惑をかけてしまい、申し訳ございません…」
見上げていた視線が徐々に下がって結局私の手元に戻る。
本当に運んで頂くなんて…
「ルーナリア嬢、やはり君は素晴らしいな。」
「はい…?」
「君がずっと傍に居てくれたらと思う。」
その言葉に息を呑み顔を上げそうになった。
けれど、何故かしら。
もう諦めて、求めていないのに。
『第一王子殿下に邪な想いを抱いているのではあるまいな?』
そんなお父様の蔑んだ声と私と同じアクアマリンの瞳と、伸ばした私の手を気に止めることなく氷ったあの人を抱き締める光景が浮かぶ
「……近く、決まるでしょうねぇ」
「…そうだな。」
想っている人の伴侶となれたなら、それはとても、とても幸せな事でしょう。
けれど私は手に入れてしまったら、手放したくなくて、失いたくなくて、どうしようもなくなってしまう気がした。
今でさえ失いたくないモノを必死に両手で抱えているのに、溢れて零れてしまうのは怖い。
だからまだ、大事に大切にそっと仕舞っておく
それまでは大切なモノを二度となくさないように全力を尽くしたい。
『涙、拭いてあげられなくてごめんなさいね。』
そう言ってくださった貴女様も、私にとって大切な方なのです、側妃様。




