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オリヴィア視点。
お嬢様が泣く姿を初めて見た。
アクタルノ領でお嬢様の任務を務める者からの大切な方の報せにお嬢様とアーグ君が一足先に馬で行かれ、わたしは御者を雇って馬車で追いかけた。
夜明け前、仄かに明らみ始めた空はこんな時でも美しく、誰かが死んでも変わらない。
それでも亡くした人の心は押し潰されて、苦しみを抱える。
ベッドの傍ら、膝を付いて項垂れるようにして眠る人の手を頬に当て涙を流す姿に胸が裂かれるように痛む。
そこから少し離れた場所で顔を歪めて目を赤くしたアーグ君がわたしに気付き静かに外へと促した。
部屋から離れた廊下で声を落としながら話す
「…間に合ったの?」
「…遅かった。」
「そっか…」
言葉はなくて、ただ初めて涙を流していたお嬢様の事を思うと胸が軋んで痛む。
そして、アーグ君にとってもとても大切な人だったんだろうと赤い目を見て思った。
「暫く二人にさせてやろう。」
「うん、そうだね。…フランさんにご家族は?」
「居ない。若い時に騎士だった旦那が死んだって言ってた。」
「そうなんだ…」
なら、フランさんにとってもお嬢様はきっと家族のような存在だったんだろうなぁ…
学園卒業後、二週間此方でお世話になった際に出来る限りの料理を教えて頂いた。
その時のルーナリアお嬢様はまるでお婆ちゃんに接する孫のようで、フランさんはそれをとても嬉しそうに優しい笑顔で受け入れていて、素敵な関係だなって思っていた。
アーグ君がお嬢様以外に唯一従順な相手。
きっと孫のように育てたんだろうと思った。
わたしに対しても優しくて丁寧で、けれど料理を教えて頂くときは甘えなどなく厳しくて、でもやっぱり丁寧で必死に食らいついて教えて貰った特製スープが出来た時は本当に自分のことように喜んでくださった素敵な人。
わたしにもお嬢様やアーグ君と同じように孫のように接してくださった、優しい、優しいお婆ちゃん
「ッ…、」
二週間の思い出が思い浮かんで涙が溢れる。
一緒にご飯を作って、四人で食卓を囲んで、庭でランチをして、お嬢様とフランさんが刺繍をする傍らアーグ君は昼寝をしてわたしはお二人を眺めて時折紅茶を作る。
穏やかな“家族”のような時間を過ごさせて貰えた。
幸せな、尊い時間。
もう過ごす事の出来ない事が苦しくて悲しい。
その悲しみが消えてくれることは一生ないのだと、わたしは知っている。
「アーグ、オリヴィア。」
名前を呼ばれて振り返ると未だ顔を会わせる事が極少数である元スラム街の青年リダ君と、連絡をくれた唯一の大人従者、元暗殺者のセスさんが居た。
リダ君は目を赤く腫れ上がらせていて、セスさんはお嬢様の居る部屋を痛ましげに見ていた。
「……何で今まで連絡してこねぇんだよ。」
アーグ君の掠れた低い声に宿る苛立ちに二人は悔しそうに顔を歪める。
「本当に急だった。最近、身体を起き上がらせるのが辛そうでお嬢に連絡しようとしたが…」
「婆さん本人が止めてくれって。今学園で頑張ってるお嬢様の邪魔はしたくないって…。」
老衰であるのはわかる。それこそ80歳をとうに超えていらっしゃったフランさんはお身体の具合があまりよくなかったから。
だからお嬢様は何かあったとき、すぐ連絡をと公爵夫人様に仰っておられたし、此方で任務を遂行しているリダ君達にもくれぐれもと頼んでおられた。
けれど結果、間に合わなかった。
仕方ないと言えば仕方ないのだ。
死を止められる者なんてこの世に居ないんだから。
でも、そうじゃない。
身体が悪くなってすぐに連絡をくれていたら、生きている間に顔を見せてあげられた。ぬくもりに触れられた。
そう思うとどうしようもなく悔しいんだ。
「婆さんの願いを聞きたくなんのはわかる。けど、テメェらの…オレらの飼い主はお嬢だろうが。」
「…二度はない。絶対に。」
赤く腫れ上がった藍色の瞳が強い輝きを魅せる。
お嬢様の慧眼は本当に素晴らしい。
でもそのことよりも、
「夫人はフランさんの容態を知っていたんですか?」
お嬢様が頼んでいたはずなのに、公爵夫人は何も連絡を寄越さなかった。
「知っていたはずだ。婆さんの飯を作って持ってくるのは屋敷の侍女だったからな。」
「だったら何故…」
「私が此方に来るのを嫌がられたのでしょう。」
わたしの問いに返事をしたのは三人の低い声ではなく、少しくぐもった可愛らしい同性の声だった。
驚いて振り返ると目と鼻を赤くさせたお嬢様が扉を開けて立っていらした。
「お嬢様…」
咄嗟に駆け寄りその手を取ると、眉を寄せ、その美しい水色の瞳からポロリと一滴零れ落ちた。
ソレに気づいているのかいないのか、お嬢様は気にもせずわたし達を見て微かに頬を上げられる。
初めて見る弱々しい微笑みとも呼べない微笑み
「フランさんのご家族である旦那様はもう亡くなっていらっしゃるから、私が埋葬させて頂きたいのだけれど…皆さんと一緒に。……宜しいかしら。」
「俺等も、婆さんと、…ちゃんとしたお別れしたいです。…お願いします。」
「他のガキも家で待ってる。…連れて帰ろう。」
瞳を潤ませたリダ君が頭を下げて、セスさんがその頭をがしがしと撫でてからお嬢様を見つめて言う。
「えぇ、そうねぇ…。あの子達もフランさんが大好きだもの、会わせてあげたいわぁ。」
目を柔らかに細めて話す声は涙に濡れて、けれどその手は未だ下げ続けられる藍色を優しく撫でた。
夜が明けて人が動き出す時間より少し前、わたし達は街の端に建つ二階建ての小さめの家に眠るフランさんを連れて来た。
出迎えた子供五人は泣いたり、唇を噛み締めたり、茫然としていたり、表情が変わらなくとも悲しみを抱いた。
メグちゃん、ギル君、リカちゃん、カイル君、クロ君、そしてリダ君はフランさんを実の親のように慕っていたと聞いた。
初めて優しく接してくれた大人で、ちゃんと食べなさいとご飯を作ってくれたのだと、顔合わせをして話をする中で教えてくれた。
「おばあちゃんっ、やだよぉ…!!」
「ばあちゃんッ!!」
「もっと、ご飯一緒に作ろうって…、」
「ッ…、」
「…………。」
嘆きが、悲痛な思いが溢れて止まらない。
「後少し、フランさんと過ごしましょう。」
その日、わたし達は冷たくなったフランさんと共に最期を過ごした。
そしてその日の夜、密やかに見送りをして永遠の別れを遂げた。
「…お嬢さま、目が真っ赤だね。」
「メグも真っ赤ですよ。…皆、真っ赤ねぇ」
一番小さなメグちゃんを膝に乗せて遺骨を埋めた庭の木を眺めて話すお嬢様はあれから涙を流すことはなかったけれど、赤くなった目は引かないまま。
そして、微笑みも微かなままだった。
初めて経験する大切な人の死に、初めての涙に、きっと心が押し潰されているのだと分かっているのに、掛ける言葉は見つからなくてただお傍に控えるだけしか出来なかった。
「フランさん、騎士の旦那さんに会えたかな?」
「えぇ、きっと。仲睦まじくお話をされているでしょうねぇ」
「メグ達のこと、話してるかな?」
「そうねぇ、きっと、話してくださっているわぁ。明るく元気な笑顔の可愛いメグのこと、負けず嫌いで努力家な家族思いのギルのこと、優しくて強いしっかり者なリカのこと、真っ直ぐ誠実で人を思いやれるカイルのこと、誰かを大切に思う自覚を持てた強いクロのこと、一生懸命自分の任務を成し続ける頑張り屋さんなリダのこと、思い出を忘れず懸命に過ごして直向きに生きるセスのこと、強くていつも笑顔を忘れない優しいオリヴィアのこと、いつも怠そうにしてるけど本当はとても優しくて強いアーグのこと……話すことは尽きないでしょうねぇ」
優しい声で皆の良いところを言ってくれるお嬢様に涙を堪えていたリカちゃんが号泣して、カイル君がその隣で顔を俯かせたのを視界の端に捉えながら口を開こうとして、その前にまだ小さなメグちゃんが言ってくれた。
「可愛くて誰よりも優しいお嬢さまのこともだね!おばあちゃん、お嬢さまの話メグ達にもいーっぱいしてくれてたの!だから、旦那さんにもしてると思うなぁ」
「…、まぁ…。フランさんが私の話を…?」
「うん!お嬢さまは優しいけどかかえこむくせがあるから心配だーとか、初恋はあまずっぱいわねーとか、学園でがんばってるみたいでうれしいなって!ねー、ギル!」
「お嬢さまはちゃんと飯食ってるかって毎日言ってたな!オレらにも毎日食べなさいねーってよ、腹はち切れるくらい食った後も言うんだぜ、ばあちゃん!美味いから食うけどさ。」
「まぁ、そうだったの…。ふふっ、そう……、そうなのねぇ…」
まだ幼い二人に囲われて柔らかい微笑みを浮かべながら、その頬には絶え間なく涙が流れていく
「お嬢さま、大丈夫だよ!泣きたいときはがまんしないで泣くの!」
「そーだぜ!オレら、気にしねーから!」
「まぁ…本当?誰にも言わないでくれる?」
「ないしょ!任せて!」
「オレは良いオトコは見ない振りってばあちゃんに教えてもらったから、見ない!」
男前な事を言って背を向けたギル君に少し笑って、
「大丈夫だよ、お嬢さま!メグ達がいるからね!」
明るい笑顔を見せるメグちゃんを抱きしめて、
「ありがとう…。」
声を押し殺して涙を流すお嬢様の背を、そっと撫で続けた。
幼い頃からお嬢様を見守り続けたフランさんの代わりを果たすなんて大それた事は言えないけど、でもわたしは、わたし達はこれからもずっと、何があってもお嬢様のお傍に居る。
優しくて強くて可愛い、誰よりも身内を大切にしてくれるお嬢様を、皆で守り続けよう。




