『人形姫』
小説の物語。
ロズワイド王国の三大公爵の内、“水を司る公爵”と言われているアクタルノ公爵家の長女は美しくも表情のない女でした。
喜びも、悲しみも、怒りも、一切表情に現れることの無い彼女についた渾名は『人形姫』
誰に対しても無表情で、誰と接しても感情が揺さぶられる事はなく、やがて社交界では浮いた存在になっていました。
けれど、そんな『人形姫』に唯一話しかけてくる相手が居りました。
「ルーナリア、早くこっちおいでよ!一緒に話をしよう!」
「…オスカー様、私と話していてもつまらないでしょう。何故話しかけてくるのです。」
「その無表情が崩れるところが見たいだけ!」
ロズワイド王国の第二王子はいつも無表情の彼女に朗らかな笑顔で話し掛けてくれたのです。
幼き頃、身体の弱かった彼女の話し相手として頻繁に公爵家の領地へ通っていた第二王子に、周囲の者は微笑ましく思っておりました。
幼子達の淡い初恋。
けれどその恋を叶える為に奮起したのは幼き二人ではなく、周囲の大人達でした。
「ルーナリア、お前はアクタルノ公爵家の人間として将来立派な国母になるんだ。私の言う事を聞いていれば、必ず王子と居られるようになる。」
「はい、お父様。」
彼女の父、アクタルノ公爵家当主は陛下至上主義であり、我が息子が好く女児を迎え入れたいという陛下の親心の赴くまま、アクタルノ公爵家当主は自身のまだ幼い娘に限りなく不可能に近い国母としての義務を学ばせたのです。
国母は国を第一とし、陛下の為に行動する事。
国母は国を第一とし、必ず世継ぎを産む事。
国母は国を第一とし、女貴族を纏め上げる事。
国母は国を第一とし、他国と外交をする事。
国母は国を第一とし、―――――――――
国母は国を第一とし、―――――――――
延々と続く国母の成すべきことを、彼女はいつしか洗脳のように言うのです。
「国母として、そのようなことは認めない。」
「国母として、それを許す事はありえない。」
「国母として、許すわけにはいかない。」
そして、いつしか第二王子は彼女を煩わしく思ってしまうのです。
「何故国母になったと決めるんだ。」
「兄上だっているのに、何を言っている。」
「僕の交友関係に口を出してくるな。」
小さな亀裂はやがて大きくひび割れ、
ソレは訪れた。
「聖女様が現れたぞー!!!」
「数千年振りの聖女様だー!!!」
「聖女様、ばんざーい!!!ばんざーい!!!」
国中は歓喜に湧き、御伽噺のような聖女という少女は盛大に迎え入れられた。
「聖女様、困った事はないですか。」
「はい、ルーナリア様!皆さん、とてもよくしてくださってます!」
「そう。何かあればすぐお話ください。」
「ありがとうございます!」
彼女も最初は国母として聖女が現れた事を心から嬉しく思い、聖女の為に環境を整えていたのです。
けれど、
「オスカー様、駄目ですよそんなことしちゃ!危ないです!」
「平気だよ、昔は木登りだって得意だったんだ。」
「だからって危ないです!王子様がそんなこと――――きゃあっ!!!??」
「おっ、とと、ごめん、危なかった。」
「もう!!!止めてください本当に!心臓が止まるかと思いましたッ!!!」
「ははっ!その顔が見たかった!」
仲睦まじい姿を見て、亀裂の入ったひび割れたモノが悲鳴を上げ、
「殿下、何をなさっているのです。」
「ルーナリア…、…ただ話をしていただけだよ。」
「嘘です。私は見ていました。殿下は聖女様と仲睦まじく笑い合って――――」
「―――煩いな。婚約者だからって僕の交友関係に口出しするなって言ってるだろう!」
「婚約者だからこそ言っているのです。」
「えっ、あの、二人とも、どうされたんですか?」
「聖女様、殿下は私の婚約者なのです。あまり近寄らないでください。」
「えっ!!?あ、そう、だったんですか…」
「ルーナリアッ!!!」
「私は間違った事など言っておりません。婚約者のいる異性と仲睦まじくするなど品位に欠けます。」
彼女はただ、嫉妬していたのです。
自分には話しかけてくれないのに、何故聖女様には話しかけるのだろう。
自分には笑ってくれないのに、何故聖女様には笑顔を向けるのだろう。
私の無表情が崩れるところを見たいと言ってくれたのに、どうして。
どうしてですか、オスカー様。
何故、聖女様のために………
恋の想いは人を容易く変えていくのです。
「何故アナタがオスカー様の隣に立つの。」
「ごめんなさい…!!」
あるときは突き飛ばし、
「今後一切オスカー様に近寄らないで。」
「ごめんなさい…!」
あるときは閉じ込めて、
「どうして言うことを聞けないの。」
「ごめんなさい…」
あるときは魔法をぶつけ、
「アナタが居るからオスカー様は…」
「ごめん、なさい……」
遂に彼女は聖女様を殺しにかかり、
「止めろルーナリアッ!!!!」
王子様に、見放されたのです。
「ルーナリア・アクタルノ。貴様の罪状は私怨で我が国の聖女に危害を加え、殺人未遂を犯した事だ。」
大勢の貴族が囲み蔑んだ目を向けられながらも、彼女の瞳はただ一人、王子様に向けられていました。
きっと王子様が助けてくれると疑わない彼女は、変わらない表情のまま問うのです。
「オスカー様、何故その女の傍に立つのです。貴方の婚約者は私でしょう。」
「ふざけるなッ!!貴様のような悪女など婚約者でも何でもない!!」
「……………オスカー様?」
そして彼女は気づくのです。
自分は何という事をしてしまったのかと。
「オスカーさま…、わたくしは、わたくしは…!」
けれど彼女の表情は変わることはなく、悲痛な声だけが響きました。
それはまるで、道化師のように思え、皆の蔑みを色濃くしてしまうのです。
「貴様は国外追放とする。二度とこの国の敷居をまたぐな!!!」
「オスカーさま…」
国母など、どうでも良かったのです。
ただ唯一自分に話しかけて、笑いかけてくれた貴方の傍にずっと居たかっただけなのです。
どこで狂ってしまったのか、わからない。
私が聖女様に嫉妬を抱いたから?
私がオスカー様を独占したいと思ったから?
私がお父様の言う通りに従ったから?
私が、笑えない『人形』だから?
そして遂に彼女の追放の日がやって来ました。
けれどその場に居たのはオスカー様でもなく、聖女様でもなく、お父様でもなく、
「初めまして、『人形姫』。」
「…はじめまして、第一王子殿下。」
一度も話したことのなかった人でした。
美しい顔の美青年は窶れた彼女を悲しげに見つめ、そっと手を差し伸べたのです。
けれど彼女はその手をぼんやりと眺めるだけで動こうとはしませんでした。
「……異母弟がすまなかった。」
差し伸べた手をそのままに、美青年はただ真っ直ぐ彼女を見つめ、そして困ったような顔をしました。
「君は表情こそ変わらないが、瞳は雄弁だな。」
「……え……?」
「よく見ていればわかるものを、何故気づかないのだろうな。」
初めて言われた言葉に彼女は唖然と美青年を見上げ、そして美青年はそんな彼女に悲しそうに眉を下げ、もう一度と手を差し伸べました。
彼女はその手を反射的に掴み、その手の温もりにナニかが溢れ出してしまったのです。
「好きだったの」
「あぁ。」
「大好きだったの」
「あぁ。」
「あいしていたの。」
「…あぁ。」
「ごめんなさい…。」
そう口にした彼女の美しいアクアマリンのような瞳から、透明の雫がぽたぽたと零れ落ちました。
それは『人形姫』が初めて感情を表した瞬間だったのです。




