芽生え
欠片も恥ずかしく思っていなさそうなリアム殿下にこれ以上何か言って墓穴を掘ってしまう前に私が話題を変えなければ…!
「あの、ケルトル様は卒業後もリアム殿下の護衛騎士を継続されますの?」
少し無理矢理な感じはしたけれど気にしない。気にしてはいけない。早くこのこっ恥ずかしい空気を、気持ちを…!!
お願い、と懇願に似た思いでケルトル様を見上げると、爽やかな笑顔で「いいえ」と予想外の返答をされた。
「あら…。では騎士団に?」
「はい。もう入団手続きも終わっています。」
良い具合に主従関係を築いたところだったから継続して近衛隊に入るのだと思っていたけれど…
真っ直ぐ私の目を見て言うケルトル様の瞳は真剣そのもので、妥協や自己満足、驕りを一切感じる事はなく、自身の為の選択なのだと感じる。
あの頃、私の我儘でたくさんの悩みと苦い思いをさせてしまった。
素直で純粋な優しい少年だった人が、精悍な顔付きをして凛々しい青年へと成長した。
それはとても素晴らしい事で、多くの困難と向き合い直向きに努力なさったのだろうと思う。
「騎士団で一から鍛え、確固たる実力で近衛隊に入隊したいと思い、決断しました。」
「騎士団でも実力は頭二つ飛び抜けていそうだけれど、それは自身の経験を補うためかしら。」
「…はい。リアム殿下の護衛騎士として、自分はまだまだ経験が足りません。敵が殿下の元へ辿り着く事は優秀な影のおかげで早々ありませんので。」
真っ直ぐな眼差しと目を合わせ、その瞳に宿る熱いモノに自然と微笑みが浮かんだ。
「そう…。…ふふ、では一戦如何?私の騎士と。」
「え?」
「実力に申し分はないでしょう?」
そう後ろに控える私の護衛騎士を振り返って微笑むと、怠そうな顔を楽しそうに綻ばせたアーグは悪役と言っても違和感が無くて、
「面白い。ならば主君はチーズケーキでも食べながら高みの見物としようか、ルーナリア嬢。」
「えっちょっと殿下!?」
味方のはずの主君に簡単に突き放されたケルトル様がギョッとした顔で声を荒らげる。
「ふふ、えぇ、そう致しましょう。」
「お嬢様!!?」
「ケルトル、アクタルノ嬢だろう?」
「いやアンタ本当に楽しんでる場合ですか!?」
「楽しい事は出来る内にしておいた方が良いと大人は言うぞ。」
「こんな時だけ子供っぽいこと言わないでくれませんか…!」
「あらあら、仲良しですのねぇ」
「違いますよアクタルノお嬢様!!」
「まあ、うふふっ。混ざってますわぁ」
本当に揶揄い甲斐のある方ですねぇ
そうこうしながら渋りつつもやはり実力のある者と一戦交えることは嬉しいらしく、先程まで居た広い訓練場で剣先を向け合う紅髪と茶髪を少し上から眺める。
変わり者の所長は既に何処かへ行かれたようで、今この場には私とリアム殿下、アーグとケルトル様しか居ない。
侍女も殿下は必要ないと下げてくださいましたし…
「……美味しいですわぁ」
「体調の良くない者が食べ過ぎは良くないぞ。」
「もう元気ですわ。御気遣いありがとうございます。
……殿下もチーズケーキ食べますか?」
「……いや、俺は遠慮しておこう。食べている君を見ているだけで満足だ。」
残っていたチーズケーキをゆっくり味わいながら減らしていく私をリアム殿下は少し呆れたような微笑みで眺めていらした。
少しむず痒い気持ちを、殿下は人間観察がお好きなのだと考える事にしたら少しだけましになった。
「温かくなったとは言え外は冷えるな。…すまない、これで我慢してくれ。」
そう言って自身のブレザーを脱ぎ私の肩にそっと掛けてくださり、心臓が跳ね上がる。
「…御気遣いありがとうございます、ですが、私寒さには強いので大丈夫ですわぁ」
「俺が気にする。…氷属性だとしても温かくして問題はないだろう?」
「ありませんが…」
「ならば俺のために着ていてくれ。」
「………、…はい……。」
何なのです、この方は。
本当に、いや。この人ほんとやだ。
ドクドクと脈打つ早さに身体が強張りそうになりながらも普段通りに柔らかな微笑みを浮かべて二人を眺める。
「紅髪はやはり素晴らしい剣技だな。」
訓練場の中心で目が追いつかないような速さの剣技を繰り出すアーグと、それを少し余裕を持って対処しながら反撃するケルトル様。
きっとこの様子を騎士団の方々が見たのならば是が非でも騎士団に勧誘するであろう力量。
だからこそ、思うのだ。
何故、手放せるのだろうと。
「リアム殿下、不躾な問かもしれませんが、口にしても宜しいでしょうか。」
「何だ。」
先程まで真っ直ぐに二人の剣技を見つめていた琥珀が私に向く
「…ケルトル様の実力は騎士団で問題無く上に登り詰められる程だと思いますの。」
「そうだろうな。実際騎士団長は前々から密かに直談判して来ていた。」
「………そのまま自分の元へ戻って来ないかもしれないのに、騎士団に入る事を許可したのは何故でしょうか。」
もしも、ケルトル様が騎士団での地位を築き近衛隊に入る事なく団を率いる立場になってしまえば、余程の事がない限り数年は第一王子殿下の近衛騎士にはなりえない。隊を率いる者を軽率に変えるわけにはいかないからだ。
気心の知れた者が傍に付かなくなる事は、私にとっては死活問題で、今の私が一番恐れていること。
それは常日ごろから一切の予断を辞さないリアム殿下とて同じことだと思う。
なのに何故、手放せるのだろう。
それが不思議で仕方なかった。
「選択肢は多ければ多い程良いと思った。」
「選択肢、ですか?」
「あぁ。卒業後も変わらず俺の護衛騎士を努め、俺が卒業したと同時に近衛隊に入隊する事も出来る。だがそれでは俺が卒業するまでの間、アイツの才能は開花されないままだ。それほどこの国の影は優秀だからな。」
それは自身に敵襲が起こる事は有り得ないと言い切っているのと同じ事で驚く。
私の知る影とは対象的で、理想的だった。
「俺に付いたまま騎士団に入隊する事も出来るが、それでも優先すべきは俺の名ばかりの護衛だ。騎士団の仕事がアイツに回ることはないだろう。」
「そうですねぇ…」
何があったとしても王族が最優先なのが騎士団の絶対の信条であり、覆される事のない在り方。
それでも騎士の仕事をしない者はよく思われず、ケルトル様は騎士団という枠に上手く馴染めないかもしれない。
「幸い、学園に居る間付く影は普段よりも多くなる。第一王子、第二王子、そして近代で一番の魔力量を誇る公爵令嬢も在籍しているとなれば護衛の数は申し分ないほどあるだろう。」
守りが強固になることは確かだけれど、それは身体だけの事。
「気心の知れた者が傍に居てくれたら、それだけで安心しませんか…?」
知れず僅かに震えた声に俯く
お父様との話し合いの場で私はアーグに助けられてばかりいた。
私は弱い。
弱くて、惨めで、どうしようもないほど臆病者。
もしもアーグが私の傍を離れてしまったら、そう考えると怖くて仕方ない。
けれど、アーグの自由を心の底から望んでいる。
私の矛盾した思いは苦しくて、重くて痛い。
自然と俯いて視界に映る淡い黄色のドレスをぼんやりと眺めていると、不意に小さな笑い声が聞こえた。
驚いて隣に座るリアム殿下を見上げると、その造り物のように美しい顔が笑顔を浮かべていて更に驚く
今、笑うところありましたか…?
「くくっ、…いや、すまない。君は存外、貴族らしい思考をしているな。」
「……今の御言葉は…、どう受け止めれば宜しいでしょう…。」
私は貴族だと自負している。生まれてからずっと。
それを今更そんなふうに言われても返答に困る。
そんな気持ちが表に出ることはなく、柔らかい微笑みを浮かべていると、琥珀の瞳が覗き込むように私を見た。
どこか鋭くて、冷たくて、一瞬息が詰まる。
「ケルトルは、一人の人間だ。」
突拍子のない言葉に思わず固まる。
何を当たり前の事を仰られているのかと。
でもそれは、何よりも大切なことだった。
「ケルトル・マーテムという一人の男の人間の人生を他人が操る事は、いかに尊き地位の者でも許されることではない。」
いつか見た、真っ直ぐ前を向く眩しいほど綺麗な姿
あの頃よりはるかに成長していながら、その瞳は変わらず強く、眩しくて、変わらない。
初めてのパーティで初めてお会いし、初めてお話をした時、将来だけを見据えていた姿と重なる。
それは眩しいほどに綺麗で、強くて、惹かれた。
「俺は人を率いる立場の人間だ。将来国王になるかどうかはわからないが、どっちにしろ上に立つ者。その時、誰かに対して自分本意の言動はしたくないと思っている。」
「自分本意…」
「あぁ。出来る限り、自身の決めた道を、進みたい道を歩ませてあげたいと思う。」
そう柔らかく目を細めながらも、殿下は紛れもなく上に立つ者の重圧を背負っていた。
「………殿下は、変わらないですね…」
「そうか?」
「ええ。ずっと、私が尊敬する御方です。」
「それは光栄だな。」
「嘘ではありませんよ?本心からの思いです。」
「ははっ、そうか。それは嬉しい。」
目を細めて笑う殿下につられるように頬が緩んだ。
「ルーナリア嬢は貴族らしくも、貴族らしくない人柄だと思っていた。…言いたくはないが、自分本意で他者を貶め、守るべき国民をまるで扱き使うのが当然とする貴族とは全く別の考え方の人間だ。」
「その様な考え方はとても嫌いですわぁ」
「俺も気に入らない。しかし今の学園はそれらが減りつつある。ルーナリア嬢、君のおかげでな。」
「そのような事は…」
「ある。君の従者はどちらも貴族ではない、実力を持つ者だけが居る。それが虐げられるのが当然になってしまっている平民には理想で、それを求める貴族の憧れになっているんだ。」
「そうだと、嬉しいのですけれど…」
そんな綺麗なものじゃないと、口にしてしまいたくなる。
実力は勿論大切。重要な事。
でも、本当は違う。
私が一番大事にしているのは、そんな事じゃない。
私が大事にしているのは、欲しているのは―――
「だが現実はそんな夢物語ではいられない。」
何処か固い声に意識を殿下に向け、その琥珀が今も速い剣技を繰り広げている訓練場の二人に向いているのに気付く
「上に立つ者ならば贔屓など許されることではない。それがどれほど気を許した友だとしても、どれほど焦がれた者だとしても。」
「………。」
「だからまだ学生の内に、リアム・ロズワイドという一人の人間の感情をほんの僅かばかり、優先しようと思う。」
眩しいモノを見るように目を細める殿下の視線の先、真剣に、けれども何処か楽しそうに剣を交わす二人が輝いて見えた。
「…研鑽し合える仲間を作って欲しいと思った。」
「………。」
「俺は限られた将来で最善を尽くしたいと思っている。その中に気を許す事の出来る騎士が居ればそれも僥倖だが、それ以上に友が己の人生に悔いが無い事を願いたい。」
「…殿下は、本当にお優しい方ですね。」
「……仕えるなら友であろうと容赦しないが。」
「ふふっ。それもまた素晴らしいと思います。」
強くて優しい人だと思った。
冷たいようで、本当はどこまでも温かい――――
『第一王子殿下に邪な想いを抱いているのではあるまいな?』
頭を過るお父様の言葉に息が詰まる。
何故今、そのような言葉が頭を過るの。
「アクタルノちゃぁあああんっ!!!貴女の新しい侍女ってオリヴィアちゃんだったのぉ〜!!!??もうほんっとビックリ〜!!!今度からは最初から一緒に来てよね〜!!!」
「ルーナリアお嬢様!!よくぞご無事で…ッ!!」
私とリアム殿下が座る観客席から遠い入り口からハイテンションで手を振る所長と、歓喜の声を上げるオリヴィアを目に移すと反射的に柔らかい微笑みを浮かべゆるゆると手を振る。
今頭を過った事はこのまま流れてしまえば良い。
決して気付いてはいけないモノだ。
「ルーナリア嬢はあの侍女を引き入れる時はかなり渋っていたが、それもまた優しさだろう。貴族社会は甘くないからな、優しい人間を引き入れるのは引っ掛かる。」
だからお願い――――
「そんな優しいルーナリア嬢が自分本意になってしまうのは、紅髪の事だけだな。」
―――暴かないで。
「そう、かもしれません…。アーグは、…アーグだけは私の傍に居てくれるから…」
お父様の冷たい言葉とリアム殿下の優しい眼差しが交差して、ぐちゃぐちゃになる。
だから自分が放った言葉がどれほど私の琴線なのか、気付けなかった。
一瞬目を瞠ったリアム殿下に自分は何を言ったのかと身体が強張りかけたけれど、そんな私の緊張が表に出ることはなく、いつもの微笑みを浮かべた。
そしてそんな私を見て、殿下は―――――
「俺も君の傍に居て、君の力になりたい。」
優しく微笑んだ。
もしも伴侶となるなら、リアム殿下が良いと思っていた。
優しくて強くて、道理を大事にしている人だから。
けれど今、もしも自分で伴侶を選べるのならリアム殿下以外の人が良い。
『お前はただ公爵家の者として王妃の義務を果せば良い。』
跡継ぎを産み国王を支え、女性貴族を纏める役目。国母となり国を思い考え、愛すること。
そこに“私”の思いは必要とされていないのだから。
煩わしいこんな感情、欲しくない。
「何かあったとき、いち早く駆け付けられるようにしておく。」
「……まあ。先程殿下が御自身で仰られておりましたのに、早速贔屓してしまいますの?」
震える手がバレないように肩に掛けられていたブレザーをきゅ、と掴む。
そんな私の僅かな抵抗はあっさりと崩れ落ちる。
「言ったろう?学生の間に自分の感情を僅かばかり優先すると。君は俺にとって優先すべき対象だ。」
どうしてそんな優しい目をするの。
どうしてそんな優しい声で言うの。
「まぁ。リアム殿下にそう言って頂けるなんて光栄ですわぁ。では遠慮なく、来年期の生徒会では存分に頼らせて頂きますねぇ。」
「あぁ、存分に頼ると良い。」
どうしてそんなに嬉しそうにするの。
「さて、そろそろ俺も学園に戻らなければならないな。君も紅髪も君の侍女も、今期中には戻らないのならば学園の矯正は間に合いそうだ。」
「まあ、うふふ。程々になさいませねぇ」
「報告がてらたまに顔を見せに来よう。その時に学園の話を聞いてくれ。」
「ええ、お待ちしております。」
「土産のチーズケーキも忘れず用意するから、体調には気をつけるんだぞ。」
「私は幼子ではありませんのよ?…ですが、チーズケーキは楽しみにしております。」
「くくっ、……あぁ、楽しみにしていてくれ。」
口元に拳を当て笑いを耐えるリアム殿下にいつものように少し拗ねたような顔をして、掛けてくださっていたブレザーを肩から取ると少しだけ冷たい風が身体を撫でる。
じんわりと温かい体温には丁度良かったのに、ブレザーは殿下の手に戻ることなくまた私の肩に戻って来た。
「殿下、もうお戻りになられるのでしょう?」
「替えはあるから気にするな。また次来たとき受け取る。今は着ていろ。」
私の顔の両横に伸びる殿下の手が離れる直前、私の頭に乗り、ぽんぽんと動く
ぴしり、と固まる身体とは裏腹に視線は少し上の綺麗な顔を見ていた。
どうして私は、こんな想いを抱いてしまったの。
脳裏に浮かぶお父様の蔑んだ瞳に心臓が凍ってしまいそうなほど、恐怖を抱いた。
だめだ、こんな想い持ってはいけない。
大丈夫。いつもみたいに凍らして、深い底に落としてしまえば良い。
頭に響く落ちた音に安堵の息を吐きかけて、代わりにいつも通りの微笑みを浮かべた。
「では次回お会いした時にお返し致します。ありがとうございます、殿下。」
「あぁ。」
大丈夫、きっと。
思いを殺すことなんて慣れているでしょう?




