初めての話し合いと涙
アーグの怒声に執務室に使用人が押し掛けたけれどそれらはお父様が一声で追い出し、今その場に居るのは私とアーグ、そしてお父様だけになった。
冷静に考えると此処まで会話をしたのはスラム街の話をした以来でどうにも心臓が痛くて苦しい。
これが緊張というものかと逆に頭が冴える。
「手短に話せ。私も暇ではない。」
「はい、お父様。まず氷属性についてですが――――――」
六歳から発症していた事。
領地の屋敷の使用人は確実に知っている事。
暗殺者や変質者の証拠は学園の寮の自室に保管してある事。
今まで危機的状況に陥った時にしか影は現れなかった事。
お母様からの刺客があった事。
学園での元会長の証拠炙り出し演技の事。
全てを簡潔に話したけれど目の前のお父様は顔を顰めただけで動揺が一切感じられない。
「氷属性が発症していたのはかなり前だったようだが、何故直接私に言わなかった。」
「お話する時間を設けられませんでした。」
「文を出す事も出来ただろう。」
「それ以前に使用人や影が報告しているはずだと思いました。その後お父様から何もありませんでしたので、私の話は既に通り保護対象として何者かが付いていると…」
「国の影ならば余計に暗殺者などをお前の前に表すことなく葬る。王国の影は軟ではない。」
「申し訳ございません。至らぬ浅慮でした。」
「……今回はお前だけの失態ではない。」
初めて見るお父様の何処か悔しそうな表情に思わず固まってしまい言葉を出せなかった。
代わりに声を出したのは後ろに控える紅髪の騎士。
「お嬢は何も悪くねぇだろ。悪いのはお嬢の話を一切聞かなかった公爵サマとクソ野郎共だっつの。」
「アーグ…」
「間違ったことは言ってねえ。」
振り返った先で顔を顰めている相手に嬉しく思うけれど、包まず言った言葉を向けた相手はお父様で少し気まずい。
「それでもだ。報告をせぬ者が悪い。国にとって保護対象ともなる重要人物であると自覚がありながら安易過ぎる。」
「じゃあ暗殺者が来てもギリギリまで来なかった影はどうなんだよ?お嬢よりよっぽどだろ。」
「ソレ等はもう要らん。」
低い冷たい声で切り捨てる言葉を吐いたお父様に身体が固くなる。
忠臣を誓った者も容易く捨てる。
…それは、誰に対しても値するかもしれない。
「お嬢に対して胸糞悪い奴らに同情もクソもねぇけど、公爵サマはそれで良いのかよ?忠臣な影と使用人が居なくなって困んねーの?恨みとかお嬢に向けられたらどうすんだよ。つーか百パーお嬢に向けられんだろ。それの対処は?オレ一人でやれってか?公爵サマが捨てる奴どんだけだと思ってんだよ。」
「…口がなっていないな。立場を弁えろ。」
冷たい眼差しをアーグに向けるお父様に条件反射で声を掛ける。
「今までアーグだけが応戦してくれていましたの。本来するべき職務を全うしない者に鬱憤を抱いても仕方ありませんし、その雇主に腹を立てても仕方ないと思います。」
「…………。」
何とも言えぬ顔をして私を見るお父様にハッとして「申し訳ございません、出過ぎた真似を」と頭を下げて謝ると、即座に背後から声が上がる。
「お嬢が謝ることじゃねーだろ。つかまず謝るべきは公爵サマじゃねーの。」
「アーグ、言い過ぎですよ。」
「言い過ぎじゃねーから。お嬢がビビってるだけでオレ何も間違ったこと言ってねぇし。今までの十年間分の謝罪があるのは当然だろ。それが親でも人として謝るのが道理じゃねーの。」
真っ直ぐに紅い瞳をお父様に向けて言うアーグはいつもの怠そうな顔も雰囲気もしておらず、真剣な表情で訴えていた。
それが私の為なのだと胸が熱くなる。
目頭が熱いのは泣きそうってことなのかしら。
泣きそうになるというのは厄介なのね、とても喉が熱くて痛くて苦しい。
お父様の前だけれど泣いてしまうよりはと、右手に氷の魔力を纏わせて目元を抑えて冷やす
「……ルーナリア。」
「っ、はい。」
名前を呼ばれて目元から手を離し強張った返事をして正面のお父様を目にして、固まる。
「すまなかった。」
謝るお父様の顔は少し歪む視界のせいでよく見えなかったけれど、私はこの日を生涯忘れることはないでしょう。
「時間はない。手早く話せ。」
「情緒って知ってる?」
アーグの冷えた声に気を向ける事はなくお父様は話を進めた。
「ミスラの事は気にしても仕方がないだろう。お前が関わらなければアレは何もせん。放っておけ。」
「……わかりました。」
お母様の名を呼ぶのを初めて聞いたことに驚いて、関わるなと言われて少し胸が痛む。
私はお母様を好きだと思ったことはなかった。
いつも私を嫌なモノを見るときの目を向けて、私を邪魔もの扱いして突き放して、挙げ句の果てには毒で殺そうとしてくるような人を大切な母と思えるほど私は強くない。
お父様とはまた違う毒の使い方だと感じるから。
けれど、どうしても憎むことが出来ないのは、あの人がお腹を痛めて産んでくれたから?
子は親を憎めないと言うのはどこで聞いたのだったかしら。
「学園でお前のした事は褒められた事ではない。炙り出す為の偽装であったとしてもお前は次期王妃となる者だ、醜聞になるような噂は何一つあってはならん。肝に銘じておけ。」
「はい、お父様。」
「公爵家の者であるから周りはお前に気を遣い、好かれようと取り繕っている。見極める目は持て。付き合う人種を間違えるな。」
「はい、」
「それと闘技祭でお前とその従者が殿下御二人を負かし決勝へ進んだそうだが、」
「はい。」
良く頑張ったと、言って頂ける…?
「家臣が主君を超えてはならん。今後そのような事がないようにしろ。」
淡い期待は無残に消え失せる。
私はまだ甘くて弱くて、嫌になる。
「…リアム殿下も、オスカー殿下も、……手を抜けば再戦を申し込むような方ですから…。」
それでも言わなければならない事は口にしなければ伝わらない。折角の機会に話して置かなければ次はいつになるかわからない。
「抜いた事を気づかれなければ良いだろう。」
「……リアム殿下はそれに気づけないような御方ではありません…。」
「………お前、第一王子殿下に邪な想いを抱いているのではあるまいな?」
「え?」
お父様にそのような事を言われるとは思わなくて抜けた声が出た。
私を眉を顰めて見ているお父様の瞳はどこか穢らわしいモノを見る目をしていて、息を呑む。
「そのようなこと、ありません。私は次期王妃となる者…確定もされていないのに殿下に想いを寄せるなど…」
「確定されてもそのような考えを持つな。お前はただ公爵家の者として王妃の義務を果せば良い。」
「…はい。」
王妃の義務。
跡継ぎを産み国王を支え、女性貴族を纏める役目。国母となり国を思い考え、愛すること。
私の、ルーナリア・アクタルノだけの義務。
そこに“私”の思いは必要ない。
「それと、」
区切りのように少し低くなった声にハッとして俯いていた顔を上げるとお父様の視線の先は私ではなく私の後ろへと向いていた。
私の後ろにはアーグしか居ないけれど…
「護衛は此方で用意する。」
「信用できんのかよ。足手纏いになるくれぇならいっそいらねーから。」
「査定までは国の影を付ける。」
「国の、ですか…?」
「詳細は後で送らせる。これからお前達は国の研究所へ行け。本来保護対象が受けなければならないモノを受けていない内は危険人物に該当する。」
それだけを言って立ち上がったお父様に習い立ち上がるとクラ、と立ち眩みを起こしてアーグに支えられる。
お父様の前で…と顔が青褪めるのを感じながら謝りながら顔を上げると少し顔を顰めたお父様が目に移りきゅ、と喉が締まった。
「お前達の距離感は可笑しい。直せ。」
「護衛対象護るのが役目なんで。つかお嬢をこんな身体にした公爵サマに言われたくねーんだけど。」
「…口の聞き方を一から叩き直せ。お前の責任だ、ルーナリア。躾はちゃんとしろ。」
「ハア?公爵サマよりお嬢のがよっぽど躾うめぇから。自分の手足マトモになってから言えよ。」
「アーグ、止めなさい。」
据わった目でお父様を睨み上げるアーグの手を引くと納得いかなそうだけど引いた様子に安堵する。
お父様だからといってアーグに危害を加えられたら黙ってはいないけれど、何もないのが一番良い。
「…成程。躾はお前の方が上手いか。」
「っ、」
何気なく放って、どこか嘲るような言葉だったのかもしれない。
それでも、言葉も無く息が止まってしまうくらいに嬉しかった。
お父様はその後何も言わずに執務室を出て行かれ、私はアーグに進められて椅子に腰を下ろした。
早く出なければいけないとはわかっているのだけど、どうにも身体に力が入らない。
こんなにお父様とお話をしたのは初めてだったし、泣きそうになるという行為を初めて体験したような気がする。目が少ししぱしぱして痛痒くて手に氷の魔力を纏わせて目元を覆う
「疲れたか?」
「そうねぇ…少し、気が緩んでしまったの。」
「そ。」
座る私の前にある机に躊躇無く腰掛けるアーグに注意をする気はなく、いつも通りの怠そうな様子にホッとする。
「ありがとう、アーグ。」
「…なにが。」
「ふふっ…私を庇ってくれて。お父様に言いたいこと言ってくれて、ありがとう。とても…とても嬉しかった。」
「…別に、オレが言いたかったこと言っただけだし。それに謝っただけのあの糞ジジィにはいつか膝付かせて謝らせる。」
何故か珍しくヤル気を漲らせているアーグにくすくす笑ってしまう。
「公爵家当主が膝を付くのは良くない事ですもの。頭を下げることさえ王家以外にはあってはならないことなのよ?謝ることもあってはならないことなのに…」
「あれは貴族としてじゃなくて親として、人としてだろ。」
「まあ…。」
「あ?何だよ。」
つい漏れた声に反応したアーグに何と返そうかと考え、素直に思ったことを言うことにした。
「私の為に怒ってくれてありがとう。本当に私の子猫は優しい子ねぇ。」
「……うるせーよ。あと子猫じゃねぇから。」
ふい、と顔を逸らしたアーグに自然と溢れる笑み
「そうねぇ…。いつの間にか子猫じゃなくなっていました。……立派な私の護衛騎士ですわ。」
「……それも何かうぜぇから止めろ。」
「ふふふっ、照れ屋さん。」
「誰が照れ屋さんだっつんだよ。」
「耳が赤いですねぇ」
「うるせー見んな泣き虫。」
「あら。私泣いてはいませんもの。泣きそうになっただけなので泣き虫ではありません。」
「屁理屈いらねえ。つかだりぃしちょっと寝る。」
「………ありがとう、アーグ。」
「………ふん。」
本当にありがとう。
「貴方が私の傍に居てくれて、良かったです…。」
「……あそ。」
私はこの日、アーグの涙を知ることはなかった。




