期待と現実と現在と
準備が終わるとすぐさま馬車に促されて、私はアーグと二人で馬車に乗った。
「アイツ、残して良かったのか?」
「先程まだ早いと判断致しましたの。」
「…ふーん。」
窓枠に肘を付き顔を顰めているアーグについ笑みが溢れる。
「不満ですか?」
「別に。」
「別にと言う顔ではありませんよ?」
「……あっそ。」
そっぽ向いて言いたくないらしいアーグにこれ以上の追求は止めて、窓の外の景色を眺め思い出す
初めての領地から出て王都に来た日、同じ道を通った時は私の傍に居たのはサーナだけだった。
現在そのサーナは居らず、彼女は私に対しての嫌悪感を隠す事なく嫌われているけれど、代わりに私はかけがえのない大切な子猫を手に入れられた。
あの頃とはまた違う。
私は変われたはず。変わったはず。
学園でも人柄良く好意的に接していただけている。貴族平民問わず良い関係を築くことも出来ている。
良い評価をして頂けると―――
「お前は何を考えている。」
そう、思っていたんです。
王都に建つアクタルノ公爵家の執務室に足を踏み入れた瞬間、耳に届いた声は冷たい。
扉の正面に置かれたデスクから鋭い眼光を向けている久しぶりに見るお父様にまずは淑女の礼をした。
「お久しぶりでございます、お父様。」
「問に答えろ。お前は何を考えていたんだ。」
「何を、とは?」
わからず反復して問うと水色の瞳の冷たさに僅かな怒りが宿ったことに気付き、身体が固まる。
今まで冷たい眼差しも厳しい眼差しも邪魔なモノを見る眼差しも受けてきたけれど、怒りを持つ眼差しは向けられたことが無かった。
怒られる、というのは親子としてある事だと思う。
けれど、この眼差しは違う。
だって、違うもの。
アーグが私に怒るときのような優しさの混じった温度が、その水色の瞳には一切ない。
「氷属性を持っていた事だ。何故私に報告せん。」
「え?」
「特殊属性を持つ者は国での保護対象となる。それを知らぬ訳ではあるまいな?」
「はい、存じております。」
「それをこの数年間、放置されていた事態が起こっている。この国の管理不足だと思われる事になるのだぞ、わかっているのか。」
なにを、言っているのでしょう。
「それを起こしたのが公爵家の者であるということが許されん。娘とその従者までもが特殊属性を持つ人間だったとは……何故報告しなかった。」
「…恐れながら、お父様…私は幾度となく氷魔法を影達の前で使っておりました。暗殺者を捉える時も氷魔法を使って―――」
「――その様な報告は受けていない。」
私の言葉を遮ったお父様の声は低く冷め切っていて怒りが私にぶつかる。
「そもそも暗殺者がお前の所まで辿り着くなどありえぬ。お前に付けている影が始末するはずだろう。戯言で話を逸らすのは止めろ。」
「おとう、さま…」
ねえ、何故ですか?
「学園でも上手くやっていたようだが、公爵家の威を使っていたのではあるまいな?」
何故、話を聞いてくださらないのですか?
「生徒会のふざけた次男坊に現を抜かしていただのと…お前が次期王妃だという自覚はないのか。」
どうして、私を見てくださらないのですか。
「お前には失望したぞ。」
どうして―――?
声が出なくて私の思いも伝えられず、震えた手をドレスに隠して深く息を吸った瞬間に喉がひりひりとした。
何かしら、これは。
ずきずきと痛む胸とじわりと滲んだ視界。
歪む世界にナニかが壊れそうになった瞬間、“紅”が私の視界にうつる。
「あー、ぐ…?」
掠れてか細い声が口から溢れたけれど、その声が届いたのは目の前で私を庇うように立つ私の可愛い子猫だけだったのかもしれない。
滲んだ視界の中、振り返った彼の表情はいつものように怠そうだったけれど、見つめた紅い瞳は強い怒りを宿していた。
「っざけんじゃねぇよ、糞ジジィ。」
静かな執務室に響いた少年の低い声とチリチリとした肌を刺激する痛みに震えが止まる。
真正面からお父様を睨みつけたアーグに息を呑む。
「お嬢が報告しなかっただ、聞いていないだ、公爵家の威をだ…ふざけんじゃねぇよ。んなことするような人じゃねーんだよ!!」
「ッ、」
「他人から聞いた話ばっか信じてるテメェが四の五の言う資格ねぇだろーが!!ちったあテメェの娘の話聞きやがれ、このっ、糞ジジィがッ!!!」
アーグの今までで一番の怒声と優しい言葉に私は呆然と立ち竦んでしまう。
「貴様ッ、旦那様に向かって…ッ!!!」
「元はといえばテメェ等がお嬢に対して勝手に悪感情抱いて好き勝手言ってるせいだろうがッ!!自分の崇拝してる奴に従わねぇ奴はソイツの娘だろうが何しても良いのかよふざけんじゃねぇよクソが。」
「何をッ――」
「そんなふざけた奴らに気付きもしねぇで自分の娘追い込んで…何が王家の忠臣だ、何が氷の公爵だ。クソうぜぇんだよ!!!」
まるで威嚇するように吼えるアーグの手に僅かに震える手を伸ばして、ぎゅっと掴む。
掴んだ手をぎゅうっと力いっぱい握りしめられて、その痛みに勇気が湧いた。
怖気づくな。そう言われているみたい。
一度も声を出さずただ表情を顰めていたお父様を真っ直ぐに見つめ、今度こそ声を出した。
「お父様、私とお話して頂けませんか。」
僅かに震えているけれどその声は微かに目を瞠ったお父様を見て届いたのだとわかる。
やっと、私を見て頂ける機会が訪れた。
勇気をくれた隣に立つ大切な子猫を見上げると、真剣な眼差しで私を見つめてくれている。
こんなに頼もしく育っていたなんて…気づけない私は飼い主失格ですね。
けれど失格のままではいられない。
私の子猫が勇気をくれた。機会をくれた。
それを昇華出来ずに飼い主とは名乗れない、名乗りたくはないから。
「今までのお話を、聞いてください。」
期待は破れ、現実を見たけれど。
昔と現在は違う。
私の傍には私だけの味方が居てくれる。
だからきっと、大丈夫。




