断罪のその後で
後半リアム殿下視点。
「ルーナリアお嬢様、お顔が青を通り越して真っ白です、何処かで一度休みましょう。」
「いえ、…はやく、寮で休む方が…」
二人の制裁が終わり一足早く室内から退室した後、貧血気味になってしまってオリヴィアに心配されていると、リアム殿下が追って来られて許可も取らずに手をとられた。
「寮まで送ろう。」
「大丈夫ですよ。御心配ありがとうございます。」
エスコートとしてはスマートではあるかもしれないけれど、今私の意思と違う動きをしてしまったら―――そう思った瞬間、脳が揺れた感覚がしてぐわりと身体がふらつく
「っ、」
「大丈夫か?」
咄嗟に抱き留めてくださったリアム殿下に返事をしなければ、と思うけれど気分が悪くて今口を開くのは危険だと頷くだけで応える。
「そうは見えない。……苦言は後で聞く。」
そう言うとリアム殿下が私の背に腕を回して膝裏に腕を伸ばすと、ふわっと持ち上げられた。
横抱き。またの名を、お姫様抱っこという。
普段ならば淑女に対して断りもなく、とか、婚約者でもない異性に対して密着するなど、と申し上げるけれど口を開く事さえ出来ない状態では素直に抱えられるしかない。
「王子殿下、寮ではなく一度空き室でお身体を休めさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか。」
「そうだな。少し先に人の寄りつかん空き室がある。そこで良いか。」
「はい。わたしは水や必要な物を取って参りますので、大変申し訳ありませんがお嬢様に付いて頂けませんでしょうか。」
「気にするな、元よりそのつもりだ。」
何を、とはまたしても言えず、オリヴィアが深く礼をして去って行く
この国で王族という最高位の立場である方にこの様な事を、と貴族子女として情けなくなる。
「体調の悪い者を捨て置くほど冷徹ではないぞ。」
「………。」
「顔に出ている。」
少しだけ揶揄いを含めた笑みに言い返す気力は今はなくて、大人しく運んで頂くことにした。
「ありがとう、ございます…」
空き室のソファに横に降ろしてもらうと辛うじてお礼を口にする。
「気を遣う必要はない。ゆっくり休め。」
「………、…はい。」
いつもなら目を閉じて頭を空っぽにするけれど、家族でもない異性の前でそのような事をするのははしたないから、天井の一点を見つめてみた。
……何だか顔のように見えてきました…。
あれが目、少し離れたところに鼻、口…
「今回の事だが、」
「、」
天井から視線を声のする方へ向けると、此方に背を向けてテーブルに腰掛けていたリアム殿下を見て驚いた。
リアム殿下でもテーブルに座る事があるのだと。
王族付きのマナー講師はとても厳しいと耳にしていたのですが…殿下は模範生でありながら、中々自由な方ですねぇ
そして寝転ぶ異性を見ない姿勢は流石です。
などと考えているとリアム殿下は少しだけ言葉に詰まりながら話を進めた。
「君には多大な苦労を掛けた。本当にすまない。」
「でんか、」
「返事は良い。話だけ聞いていてくれ。」
「…………。」
そう言われれば返すことは出来ず、殿下の背中を見るだけにしておく
「十歳の少女には苦しいと感じる事ばかりだったろう。欲を向けられる気持ちの悪さは尋常ではなかったはずだ。」
「……。」
とうに慣れている事だと、もし声を発せたなら言っていたと思う。
人の殺意も、欲望も、ずっとこの身に受けて来たと言えはしないけれど、一言「大丈夫」とお伝えできたら殿下に心苦しい思いはさせていないかもしれないと思うと、自分の身体の虚弱さには苛立つ。
「ルーナリア嬢、本当にすまなかった。」
何かを押し込めたような僅かに力強く、掠れた声に何故か胸がぎゅっとなる。
身体のだるさと苦しさと気持ち悪さに次いで胸が痛むのはいつ振りだっただろう。
そんな事を考えて、紅い子猫が私を守れなくて初めて泣いた時だったと思い出す
でもあの時はアーグが泣いたから胸が苦しかった。
けど今、リアム殿下は泣いていらっしゃらないのに何故胸が痛むの?
よく、わからない。
頭がぐらぐらしていて思考が上手く出来ない。
「だが君のおかげで生徒会として成すべき事を出来た。感謝している。ありがとう。」
息が止まる。
私のおかげで…?
感謝している…?
「ほん、とうに…?」
思わず口から溢れた声は掠れていて、聞こえるかどうかという小さな声だった。
それでも、背を向けていた彼には届いていたらしい
「あぁ。君の、ルーナリア嬢のおかげだ。」
「――ッ」
優しいリアム殿下の声に、僅かに視界がぼやける。
貧血によるものなのか、涙というものなのか
それはわからなかったけれど、胸を締め付けるぎゅっとした痛みが苦しかった。
彼女の断罪は華麗に終わった。
胸が抉られるような思いを抱いた。
リリア・シャレン伯爵令嬢の一貴族としての誇り高き信念はこの国を担う者として見習わなければならない。
ルーナリア嬢が集めた情報と俺達が以前から集めていた情報を見比べて、彼女の情報収集能力は王宮の諜報部にも匹敵するのではないかと思う。
今回、生徒会の膿は生徒会で炙り出すべきだと王宮の諜報部に依頼は出さなかった。
自分の持つ私兵部隊だけで行った断罪のための工作も、ルーナリア・アクタルノ令嬢には遠く及ばなかった。
素直に尊敬する念もあるが、悔しいと思う気持ちの方が遥かに大きく、嫉妬心は抱く。
だからこそ自分の能力を高めるのだと固く決意を抱けるものだ。
彼女は手本にすべきライバルと言える。
男として、年上として情けなくはあるが…
「君の持つ私兵は以前紹介してくれた領地の子供達か?…だが学園に潜める実力はないだろう。ルーナリア嬢の持つ“力”は一体どれほどか気になるな。」
「………。」
「………君の、父親の事だが…、………。」
一度言葉に出して口籠る。
この事は王族として傍観すると決めた。
『第一王子』の婚約者になると決まっていない貴族の異性を贔屓すれば、その者が王子の特別なのだと狙われる。
紅髪が付いていたとして、彼女自身がとてつもない実力を持っていたとして、絶対的な安心などないのだから。
今でさえ多大な苦労を、心労を持っている彼女にこれ以上の苦は味あわせたくなどない。
もしも、ルーナリア嬢が俺の婚約者であれば…
そんな願望が頭に浮かんで嘲笑う。
自分の欲だけで王族に連なることになる者を選ぶなどあってはいけない。
絶対に、いけないことだ。
「すまない、聞かなかった事にしてくれ。」
無理のある言葉にいつもなら穏やかな口調で追求してくるであろう彼女の声は聞こえず、やはり無理をさせてしまったと後悔に苛まれる。
だが、どうにも反応がなさすぎる。
規則正しいとは言えないが一定の呼吸音にまさか、と背を向けていた彼女の姿を一目確かめるために振り向き、唖然とする。
「……異性と密室に二人の時に寝る者が居るか。」
呟きは静かな空き室に消えていく。
信頼されているのか、なんなのか。
どちらにしても複雑だ。
「………。」
いつも柔らかい眼差しを見せるアクアマリンの瞳が閉ざされ、長い睫毛が影を落とす
体調が悪いせいで普段潤いと艶のある唇は少しかさついていて、血色の良い頬も青白いが、やはり儚く美しいと感じさせる。
御伽噺や神話に登場する傾国の美女と言われるであろう究極の美は眠っていても尚劣る事はなく、ただ美しさを倍増させていて、どうにも落ち着かない。
それなのに目を離すことは出来なくて、少しだけ距離を縮める。
仄かに香る匂い。
学園の令嬢や王城に登城する御夫人方の甘ったるい噎せ返るような香水じゃないコレは何だ。
「………ルーナリア嬢。」
「……。」
名前を呼んでみても一切反応が無いのを確認して、そうっと手を伸ばして結ばれた髪の先に触れる。
指から零れ落ちそうなほど艶々している髪に顔を近づけて―――
「…何をしているんだ、俺は。」
我にかえって自分のしている事に引く。
ただの変質者ではないか。
美しい少女に群がる変質者が王族とは笑えん。
だが、どうしようもなく触れてみたくなった。
指から零れ落ちる銀の髪をそのままに、今も閉ざされているアクアマリンを見たいと思うのと同時に、このまま無防備に俺の傍に居てくれないだろうかと馬鹿な考えをする。
「俺の、婚約者になってくれないだろうか。」
誰にも言ってはいけない、俺の望み
もしも君が俺の婚約者なら、どんなことからも守ってやれるのに。
娘を道具のように扱う父親である公爵からも、娘を害する母親である公爵夫人からも、君が恐れる“優しかった人”からも遠ざけて、君を傷つける者を一人残らず排除してやれる。
第一王子の婚約者ならば王家も守る義務が出来る。手出しが出来る者はこの国にはまずいない。
そんな事をすれば、君はどう思うだろう。
いつものように柔らかく微笑むのだろうか。
それとも、またあの下手くそな笑い方をして冗談と受け取るのだろうか。
それとも、未だ見たことのない涙を見せてくれるのだろうか。
いつか、君が両親や過去の思いに区切りを付けられる日が来たら、そのとき君に言おう。
今はまだ、未来で俺の傍に君が居てくれる事を願うことしか出来ないけれど―――
「好きだ。ルーナリア嬢。」
眠る彼女の小さな掌に唇を落とした。
掌へのキス『懇願』




