トラウマとほんわか女子の宣誓
十月の秋。
寒さを感じて上着を着る人が増えた学園内で今尚噂される私の恋模様は最早誰もが知る事となった。
そしてもう一つ。
「ルーナリア・アクタルノ様!お願いします、わたしを貴女様の下僕にしてください!」
「お断りします、オリヴィアさん。」
「っ、また……明日来ます!」
「今断ったのだから諦めてくださいな。」
「諦められません!」
火と風の魔力を持つ彼女、オリヴィアさんからの日常的にされる熱烈なアプローチ
ところ構わず「下僕にして!」と言う姿に最初は引かれていた学園の皆様は毎日行われる公開アプローチに段々と応援ムードになっており、今も周りでオリヴィアさんを温かく見守る方々がいらっしゃる。
私に専属侍女が付いていない事は皆様ご存知なので、オリヴィアさんが初の専属なるか、と賭けをされている方もいるらしく、そちらはアーグに任せた途端消え失せました。
やはり私のアーグは素晴らしい。
だから断っているのに…
「私はアーグ以外の従者を必要としていません。」
「役に立ちます!お茶もお菓子も御髪の手入れもお着替えもお風呂のお手伝いも食事のお手伝いもします!させてください、お願いします!」
「お茶は自分で淹れますし、アーグも淹れてくれます。お菓子も作れますし買えますので。手入れも着替えも入浴も一人でできます。食事は自分でするので必要ありません。ですのでお断りいたします。」
「そんな…!!貴族令嬢として自立していらっしゃるなんて、ルーナリア・アクタルノ様、流石です…!まだ十歳ですのに…素晴らしいです!下僕にしてください!」
「私の言葉通じていますか?」
どうしてこんなに懐かれたのでしょう…。
ストーキング行為が一週間、少し会話をし始めた三日。次の日には熱烈なアプローチが始まった。
何故でしょう。
彼女のなかで何が起こったのかしら。
「お嬢も侍女が居た方が楽じゃねーか?」
「居ない方が楽です。」
「茶も菓子も、お嬢のなげぇ髪の手入れもアレがするっつってんだぞ?」
「私一人で出来ることだもの。」
昼時間、人気の少ない校舎裏のベンチでアーグと二人で話をするこの時間が今の私にとって心安らげる時間。
少し離れた場所にストーキング行為続行中の変人がいるけれど。
「お嬢がアレを側に置きたくねーのはさぁ、アレも平民でクソ爺からあれこれ言われっから?」
「平民だからといって優秀な者を引き抜かない者は愚者ですから、お父様も今はその事については寛容ですもの。アーグの事がありましたから。」
「お嬢はアレが使えねーって?」
「戦闘が出来るようには思えませんねぇ」
二属性を持つからと言ってその魔力量が圧倒的に多いわけではなく、どちらかと言えば少ない方。
魔力コントロールと想像が物を言う魔法で魔力量が有利であって不利ではない。物は使いようだ。
「要は、狙われやすいお嬢の側に置くには心許ない、ってわけだ。」
「自分の身を守れない者が側に居ては私もアーグも動き難くなって危険ですもの。」
「お嬢は一度懐に入れたら甘いもんな。」
「それはどうかしらねぇ?」
くすくすと笑ってはみるけれどアーグの言葉は的を射ていると自分でも思う。
今でもサーナを前にして強く言えないのが証拠。
もう私を見てはくれないし、優しくもしてくれない相手なのにそれでも甘くしてしまうのは、優しくされた記憶があるから。
それが良くない事だとわかっているのに、突き放すことができない。
もし、サーナが私に牙を向けても私は牙を防ぐだけで牙を返す事が出来ないのだろう。
オリヴィアさんが私を慕っているのはわかっているけれど、彼女こそ貴族に逆らえない立場にある平民の方。
彼女の身内が私を恨む者に捕まった時に、必ず私を選ぶという確信はない。
アーグには私しかいないからその不安がないというのも、私がアーグを側におく理由の一つでもある。
「あんだけお嬢に心酔してるっぽいのにもったいねぇなあ。かなり使えるぞ?」
侍女間でしか廻らない噂話も彼女が居れば簡単に耳に入るかもしれない。今はアーグが聞き耳を立ててくれているけれど、それも長くは続けられない。
確かに侍女というものは必要。
けれど別に必ず必要と言うわけではないもの。
「使える保証はないでしょう?私に心酔して変な話を廻されても困りますから。」
「そこはお嬢の腕の見せ所じゃねーの」
「あら。言いますねぇ。」
「お嬢はビビってるだけだろ。サーナのクソババァの二の舞いは踏むかってな。」
「……………。」
言い返す言葉はなかった。
『さーな、みて!かわいい?』
『はい、お嬢様。とても可愛らしいです。』
『さーなのおかげね!おひめさまみたい!さーなはすごいです!』
『まあ、お嬢様ったら。』
『いつかわたくしがおおきくなったら、わたくしもさーなのかみをかわいくします!』
『ふふっ 楽しみにしていますね。その日まではサーナがお嬢様を可愛く致しますわ』
『ねえ、さーな。どうしておかーさまはわたくしとあってくださらないのかしら。』
『奥様はお身体があまり良くないのですわ。』
『だからべっどでねているの?でも、ずっとべっどだときがめいってしまわない?』
『奥様はそうしている事が幸せなのですよ』
『でも、……わたくしはおかーさまと、おにわでおはなししたい…』
『お嬢様…。私がお傍におります。何があっても、お嬢様のお傍に。』
『………うん。さーながいてくれるなら、さみしくないもの』
『旦那様がお嬢様にどれ程の財力や時間をお掛けになっていらっしゃるか、お考えくださいませ。』
『でも、さーな…。わたくし、おとーさまとおはなししたことなんてないの。』
『旦那様はとてもお忙しい方なのですよ。それでもお嬢様の事を育てていらっしゃる事に感謝せねばいけませんわ』
『………はい。』
『何故旦那様の言うことが聞けないのです!?』
『私はずっと聞いてきました。私に財力を充て、お忙しいなか教育者を就ける算段をして頂いた事に感謝しています。ですが私はもうその事に対して全て結果を示してきました。』
『まだ子供の貴女が旦那様に何を示したと言うのですか!!』
『王家に良い印象を。そして社交としてお母様がするべきお茶会などの欠席手配とその家への配慮。問題が起こっていないか領地の施設に定期的な訪問をする事や他領で流行っている物がどんな物かを調べる事。此等はアクタルノ公爵とその夫人が成すべき事です。』
『夫人はともかく、多忙な旦那様に領地での仕事もしろと言うのですかっ!?』
『それが領主である者の使命であると、貴族の人間でありながらわからないのですか。』
『ッ、これまで育ててきた私に対してその様な言い方を…!』
『サーナ。街の噂、知っていらして?』
『……何の事でございましょう。』
『アクタルノ公爵家の娘が我儘放題で領民に対して奴隷のような扱いをするとんでもない令嬢だとか。膨大な魔力をコントロール出来ずに使用人の中には大怪我をする者がいるらしい、とか。とても悪質な趣味の悪いちゃちな噂ですけれど、貴族の醜聞ほど嫌なものはありませんもの。困りますよねぇ』
『まあ、その様な噂が?』
『ええ、そうなの。でも可笑しいですよねぇ?私の魔力が膨大な事を知る者は屋敷の者だけなのに。屋敷の誰かが公爵家の悪評になる事を噂にするだなんて、お父様が知ればどうお考えになられるかわからないのかしら。』
『ッ…、』
『本当に、馬鹿な人も居るものね。』
『やっとお嬢様も学園へ行かれるのですね。』
『…十年間、ありがとう。』
『ええ、長い十年でしたわ。けれど漸くこれから私がずっと長い間旦那様のお傍に居られるのならば安い時間でした。』
『サーナ。貴女はずっと、……ずっとお父様の傍に居たいだけだった?』
『それ以外にあの女の娘であるお嬢様のお傍に居る理由はありませんが。』
『…、……そうよねぇ、けれど、私にとっては素敵な時間でした。ありがとう、……さようなら。』
『ええ、さようなら。』
優しい温かな手が、優しい穏やかな声が、
冷たい視線に変わり、冷たい声音になって、
私の心がゆっくりと、芯から凍っていった。
『サーナはずっとお嬢様のお傍におりますわ』
そんな嘘に塗れた“優しく甘い言葉”に私は酔い痴れて、その手を、温もりを忘れることが出来なくて、手放すことが出来なくて。
もしかしたら、お父様のお傍が辛くなって戻って来てくれるんじゃないか、なんて。
「なんて、哀れなのかしら。」
わかっているのに、縋らずにはいられない。
温かなぬくもりが、忘れられないから。
髪を梳く穏やかな時間も、
お茶を注ぐ心地よい音も、香りも、
軽やかな楽しい会話をして選ぶ洋服も、
手に入れて、また手から離れてしまったら。
今度こそ、壊れてしまいそうで。
「ルーナリア・アクタルノ様!今日も参りました!わたしを貴女様の下僕にしてください!」
キラキラ輝くその淡い桃色が、私を知って冷めてしまったら。
怖くて、怖くて仕方ない。
そんな恐ろしい事が起こるかもしれないなら、最初から起こらないようにすればいい。
そうすれば、傷つくことも――――
「お試しでも良いので!お願いします!」
「……お試し?」
「っはい!お試しです!お店の化粧品とかでもありませんか?それと同じで、一度使ってみて使えなかったら使わない、みたいな…そんな感じでも全然良いんです。」
「それは、貴女にとても失礼な事ですもの。中等部三年生がとても貴重な時間であるのだとわかっていらして?」
「将来務めるお家を本格的に探すんですよね。でもわたし、侍女科じゃなくて魔法科だったのでそんな初心者を欲しがる者は居ないですよ。あっ、でもそれなりにお茶淹れるのとか上手だと思うので、お世話も妹が居たので大丈夫です!」
必死な顔で言い募るオリヴィアさんを見つめると、初めてお会いしたときのようなふんわりとした柔らかな笑みを浮かべられた。
最近見る子犬のようなキラキラした笑顔ではない、
はにかむようなほんわりとした柔らかい笑顔。
私が作る微笑みが自然と浮かぶ彼女が眩しく感じて
とても優しいものに思えて、
「今月末の闘技祭で中等部三年の優勝者になれたならば、お試し期間を設けましょう。」
彼女の実力を知りながらそんな事を言った。
魔法科でも中位程の実力と成績の彼女が強者の証となる『優勝』を飾ることなど難しい以前の話だとわかっていながら、言ったのだ。
それを聡い彼女が気づかないはずもないのに、なのにどうして、
「っ、なんて!なんて優しい…!!」
そんな嬉しくて堪らないような、輝いた笑顔を浮かべるのですか。
「期待に応えてみせます!わたし、絶対に優勝してみせますから!!絶対に!」
「……優勝ですよ?わかっていますの?」
「勿論です!むしろルーナリア・アクタルノ様のような素晴らしい方のお傍に付くのならば優勝など軽くするくらいでないといけませんよね!」
何故いちいち持ち上げるのでしょう。
そう思いながら自然と緩む頬に気づかずにいた。
ルーナリアちゃんの弱いところです。




