苦手な相手
あの場を去ってからクラスには戻らず、少し足早に西棟奥の林前の木の陰に腰を落ち着かせた。
オスカー殿下と話してすぐ何ともないように戻ることも出来たけれど、今は糞会長に”恋に現を抜かす初な令嬢”だと認識させなくてはいけない。
涙目で悲しそうな可哀想な美少女の姿はなるべく人を絞って見せなくては。
今回オスカー殿下に対して可哀想な美少女を見せたのは、周りや糞会長達に私が本気であると思わせるため。
まだまだ顔や態度に出てしまうオスカー殿下ならば、想像力豊かな周りの方々が勝手に妄想を膨らませて勝手に広げて行くのだ。
私が大勢の前で“可哀想な令嬢”を演じるのはまだもう少し先。
「…………毒をなくした姫。」
ぽつり、呟いた言葉は掠れていて。
オスカー殿下の整った顔に浮かぶ戸惑いと悲しみの色は、やけに頭に残っていた。
何故かしら。
他人に想われる事に慣れていないから?
殿下が私に対して特別な感情を抱いていることは知っている。
嫌味ばかり言う私をお茶会などで見かけると真っ先に声を掛けてきたり、会うと頬を赤らめて嬉しそうにするのはそういう事なのだと本で読んだし、アーグにもそう言われた。
もしそうではないのなら、オスカー殿下はとても嗜好が特殊な人なのでしょう。
偏見はないけれど、私にそういったコトを求められても少し困る。
確かに私は婚約者候補だけれど、リアム殿下とオスカー殿下の御二方の婚約者候補。
正確には次期王位を継ぐ者の伴侶になるのだ。
私が王太子妃に、国母になることは決定しているのだと、お父様に先日知らされた。
きっと学園での噂を耳にして私に牽制させようとしているのだろう。
この事は随分前から国の中枢部での議題にされていたとかで、御二人の殿下が知らされているのかはわからないけれど、陛下や国の重鎮も了承していると言われた。
つまり、この決定に否は有り得ない。
私の言葉など、想いなど、一切求められていない。
小説では、どうなっていたかしら。
私は確かに『悪役令嬢』で、ヒロインを虐めて国外追放…と見せかけ殺されてしまう、物語の『悪役』
そう、私は、ルーナリア・アクタルノは、悪役。
けれど物語の『ルーナリア・アクタルノ』はどんな人物だったのでしょう。
最近、記憶の事を思い出せなくなってきた。
何故私はこの小説を知っていたのかしら。
何故私はオスカー殿下と関わるのが怖いのかしら。
何故私は―――――
「私は、なんなのかしら…」
「哲学的な問だな。」
不意に聞こえた人の声に驚いて顔を上げて、少し安堵してしまう。
「リアム殿下…。」
咄嗟に掌に集めていた魔力を消し去り、目の前で私を見下ろす殿下に柔らかく微笑む。
それに対し殿下はいつもの無表情を少しだけ和らげて応える。
生徒会で会う時は糞会長や糞会長に心酔している会計女子に勘づかれないように適度な距離感を保っているから、こんなふうに一対一は案内していただいた日以来かもしれない。
「ルーナリア嬢は哲学も嗜むとは驚きだ。」
「哲学という程のことではございませんよ」
「自分が何かと問うのは哲学だろう。」
僅かに笑みを浮かべて隣を指差す殿下に微笑みを浮かべて手のひらを向けた。
いつも背筋の良い殿下が幹に凭れ掛かる姿に少し驚いて、そんな時もあるだろうと視線を空に移して広大な青を眺めていると声を掛けられる。
「”毒を抜かれた姫”についてか?」
「まあ。ご存知でしたの?」
「君の噂はよく回る。」
否定の出来ない言葉に曖昧な微笑みを浮かべて空から緑の大地に視線を変えて撫でる。
「私がそう認識されているという事は順調だと言う事。落ち込む必要はありませんもの。」
「それとこれとは別だと思うが。」
「甘いお考えをなさるのねぇ。」
「君はまだ幼いだろう。」
そう言って私を見つめる真剣な琥珀の瞳に、どうしようもなく、笑いが込み上げてきた。
「ふふふっ、ふふ、ふふっ…っ、ふふふっ、」
「…君がそんなに笑うところを初めて見た。」
「ふふっ、わた、くしも、っふ、こんっなに、わらえ、るなんて…っふふ!」
「…それは何よりだ。もっと笑うと良い。」
穏やかな声で、優しい表情で、柔らかく私を見つめるリアム殿下に顔を見られないように両手で覆って俯き、堪えきれずに笑いを溢す
私ってこんなふうに笑えるのね、とか。
私の笑い方ってなんだか変ね、とか。
私に「幼い」なんて言う人いるのね、とか。
笑うのってちょっと苦しいのね、とか。
笑っていると涙が出るのね、とか。
笑っているのに悲しいのね、とか。
全部初めてのことで、それが面白くて、しばらく笑いが収まらなかった。
「申し訳ございません、殿下…」
数分後に収まった笑いの余韻な、少し喉が痛くて掠れた声が出てしまってとても恥ずかしい。
そんな私をリアム殿下は微笑ましいものを見るかのような表情をしていて、それがまた恥ずかしい。
「とても得をした気分だ。」
「殿下…、お揶揄いになるのは、やめていただきたいです…」
「いつも微笑みだけのルーナリア嬢がこうも表情を変えていると嬉しくてな。」
「…………。」
こういった方の事を『たらし』と言うのだと、私は知っています。
赤くなってしまいそうな頬に冷たい魔力を纏わせた手を当てて「まあ。」と微笑んだ。
もう羞恥は見せません。
「殿下、少しお話宜しいでしょうか?」
「ははっ」
「宜しいですね?」
「あぁ、良いぞ。」
柔らかく強引に話を変える。
笑われた事はもう気にしない。………頬から手が離せないのも気にしないでくださいませ。
揶揄いを滲ませた殿下からツン、とそっぽを向きたくなるのを堪えて真っ直ぐに見る。
「会長の被害者の方々の目星がつきましたの。」
「……君はまだ十歳だと、」
「殿下も十三歳です。そんなに変わりません。」
「……続きを聞こう。」
呆れた表情の殿下に柔らかく微笑みながら頬から手を離して、話を続けた。
「会長が弄んだ方は高位貴族の令嬢が多く、世間体や今後の婚約者探しなどに支障が至る事を恐れて揉み消している方もいらっしゃいますが、それよりも御両親や御友人、親しい方に知られる事を恐れていらっしゃる方も居ます。」
「一時の想いが長い人生の中で続く醜聞となる事は稀ではないな。それを親しい者に知られるのも苦痛だろう。」
「はい。なので高等部の方でわかりやすく会長と関係があった方は頭の弱い方。あとお尻の軽い女性だけなので話は聴きやすいです。」
「だから、………もういい。わかった。」
やり返せた気分。
「中等部は隠している方が多いです。それは醜聞や知られたくないもありますが、他にとても悪質な嫌がらせがあるようで。」
「それは初耳だな。」
僅かに目を細めた殿下が右膝を立てて腕を乗せて見てきて……なんだか圧が…
「ルーナリア嬢、無茶はするな。」
「無茶などしていませんよ。調べているのは私というより、アーグやクラスの子達です。」
「それらを聞いて色々考えてあの糞野郎に直接対するのは君だろう。」
「確かに嫌悪感はありますが、それを表に出すほど面が弱くありません。」
…あら。何故私こんなことを言うのかしら。
いつもなら軽く「御気遣いありがとうございます」って、いつもみたいに微笑んで終わるのに。
「君が気づいていないだけだろう。」
「………。」
何故、私の事で貴方が苦しそうな顔をするのです?
わからない。理解ができない。
未熟。
「殿下は、優しいですねぇ」
そんな私はいらない。
消してしまおう。
水に流して。
流れないなら凍らして。
凍らして、奥の深いところに沈めてしまおう。
―――どぽん
頭に響くその音にリセットされたような気持ちになって、ふんわりと微笑みが浮かんだ。
目の前の殿下の端正なお顔が歪むのを少し困った顔で微笑った。
「私にはアーグが居りますから。お任せください、殿下。役目は最後まで果たす主義ですの。」
いつもの微笑み。
いつもの口調。
完璧なルーナリア・アクタルノはこうでなくては。
「嫌がらせの件、もう少し調べてみます。殿下の方も何か新しい情報がございましたらアーグにお伝えくださいませ。」
言い終えてから立ち上がり、見上げるリアム殿下に優雅なカーテシーをして背を向けて、
「ルーナリア嬢。」
名前を呼ばれたと同時に手首を掴まれた。
「あら、殿下。女性に不躾に触れるのは紳士としていかがなものかと思いますが。」
「君にしかしない。」
「…まあ。光栄に思って宜しい事でしょうか。」
手首を捻ってやんわりと離させてから振り返ると、座って居らず至近距離にいらして身体が強張った。
こんなに近い距離はアーグしか
「俺を頼れ。」
――――心臓が、止まったような気がした。
唖然として少し上にある端正なお顔を見て、今度こそ身体が固まる。
なん、で…
なんで、そんな…
「いつでも良い。待っている。」
至近距離で囁くように言われた声に、ぼわっと頬に熱が迸って身体の力が抜けそうになって。
「…先に戻る。少し時間を空けてから戻ると良い。ではまた放課後、生徒会で。」
そう言って今度は殿下が背を向けて東棟に向かって行かれた。
その背中が見えなくなるまで見続けて、見えなくなった瞬間に溢れた。
「………………もう、やだ…。」
頬だけに収まらず身体全体に広がる熱と脱力感に、脚が耐え切れずに腰を下ろしてしまう
「あんな…、あんな顔…っ、」
まるで、可愛いものを見るような
まるで、愛らしいものを見るような
まるで、大切なものを見るような
――――愛おしいものを見るような。
初めて向けられた視線と、あの真剣な表情。
「…………やだ。あの人、苦手。」
まるで幼い子供のような言葉に、自分自身で恥ずかしくなって顔を覆った。
もうしばらく戻れそうにない。
「……やってしまった。」
西棟の壁に背を預けて項垂れる。
触ろうと思っていなかった。
むしろ触れてはいけないと自分で決めていたのに。
だが、見てしまったんだ。
仮面のように張り付いた微笑みではなく、声を抑えきれずに笑う姿を。
慣れていなさそうな、少し下手くそな笑い方が可愛くて仕方がなかった。
珍しく頬を赤らめて照れくさそうに、恥ずかしそうになんとか治そうと自分の魔力で冷やそうと頬に手を当てる愛らしい姿を。
恥ずかしそうにしながらも気品を持って俺を見つめながら、その頬に冷やすための手を当て続けるのが可愛らしくいじらしくて、つい笑ってしまってそれに少し拗ねたのが年相応で可愛くて。
その後の“貴族”としての高潔さを醸し出す雰囲気や口調はやはり年下ながら尊敬出来て、なのに自分の事に対して疎くて。
少し解けたような“ルーナリア・アクタルノ”が完璧な“令嬢”に戻った瞬間、まるで何かが削げ落ちたような気がした。
大切なものを、自身で殺す様を見た。
“水の毒姫”
“深窓の令嬢”
“毒を抜かれた姫”
“狂犬の飼い主”
“一年の女ボス・裏ボス”
様々な噂の飛び交う完璧な令嬢である彼女の、誰も知らないような姿を知れた。
優越感と、高揚感と。
それ以上の感情に負けて触れてしまった。
「………………細かった。」
彼女の華奢な手首の感触を思い出して頬が熱を持つ
誰も居ないのに手で顔を隠して俯く
あの、至近距離で見た唖然とした顔
少しだけ開いた形の綺麗な桃色の唇が
僅かに瞠られたアクアマリンの潤んだ瞳が
ほのかに色づいた桃色の柔らかそうな頬が
いつも穏やかな微笑みだけの彼女が見せた、表情。
「………可愛い。」
脈と鼓動が破れてしまいそうなほど高速で動いて、毒を含んだ時以上に苦しい。
可愛く思う。
愛らしく思う。
だが極稀に、嫌になる。
俺は王家の王位継承権も持つ第一王子だ。
だが俺は一子ではないから確定ではない分、不安要素が多く気を抜いていられない。
将来の確立も不安定な存在だからこそ、いつも周りに侮られないように感情を表に出さずにしていられるのに、彼女の前だとそれが緩む。
それが嬉しくも、恐ろしくもある。
彼女が将来、確実に自分の伴侶になる根拠はない。
王族の”恋愛”という柵こそ面倒なモノはない。
もしも彼女がオスカーの伴侶となったならば、俺のこの想いは確実に邪魔だ。
抹殺せねばならないモノだ。
兄弟間の恋愛の縺れで内部争いが勃発した世代もあったという。
俺はそんな事で国に揉め事を、争いの種を生み出すのは御免だ。
だからこそ、この想いは厄介で。
不安定な将来にこの想いは重く、苦しい。
そうわかっているのに、理解しているのに消えてくれないどころか、増すばかり。
本当に厄介なモノだ。
可愛くて、愛おしいのに、
どうしようもなく
「苦手だ…。」
そう言いながら未だ熱い顔から手が離せていない。
熱が引くにはもう少し掛かりそうだ。
最後リアム殿下視点。
かなり恋愛な感じに書けているのではないでしょうか。きっと。自画自賛してモチベーション上げていきます。
そして皆様、もうお気づきでしょうがうちのルーナリアちゃん、可愛くないですか?
リアム殿下もカッコイイのに可愛い。
これも自画自賛。
皆様の時間を少しでも埋められたなら幸いです。
少し前に書かせていただいていますがもう一度。皆様ご自愛ください。




