初等部一年二組
ガルド視点。
ロズワイド学園初等部一年二組。
このクラスで一番身分が高いのはルーナリア・アクタルノ令嬢である。
三大公爵の実力者主義のアクタルノ公爵家“氷の公爵”の一人娘で、社交界では深窓の令嬢と噂されるほどに可憐で美しい少女だ。
性格も穏やかで優しく、いつも柔らかな微笑みを浮かべている彼女はどこか大人のような雰囲気を感じさせる。
クラスの女子と話をしている時もおっとりと聞き手に回っている彼女は、大半の者から『物静かで穏やかな令嬢』と言われている。
一方、少し勘の良い者達の間では『聡明で冷徹な令嬢』と言われている。
本質を見極める為に日常の些細な事から全てに気を配り、穏やかなようにも冷たいようにも感じるアクアマリンの瞳を細め、淡い桃色の形の綺麗な唇に微笑みを浮かべているのだ。
社交界で噂される“水の毒姫”という渾名は間違いないと思う。
美しい花には毒がある。と言うことわざは彼女のためにあるのではないか。とはルーナリア・アクタルノ公爵令嬢ファンクラブの格言らしい。
ちなみにファンクラブとはその名の通りである。
ルーナリア嬢だけじゃなく、オスカー殿下やリアム殿下、高等部の生徒会長や副会長、少数だがリアム殿下の護衛の高等部の先輩や、中等部騎士科トップの“狂犬”にもあるのだ。
そう、そしてその“狂犬”は一年前は誰とも関わらない“一匹狼”と言われていた。リアム殿下と話をしているところしか見ないくらい人と関わりを持たなかった赤髪の彼は、水の姫に忠誠を誓う者だった。
だがしかし、主が現れても人と関わることは少ない。しかもその主はとてもモテるので威嚇行為が頻繁に起こる。そしてその様から“狂犬”という渾名がついた。
恐ろしく強いのだ。敵う者は高等部騎士科トップのケルトル・マーテム殿くらいだと言う声は大きい。
当の本人は苦笑いしていたらしいが。
そんな学園の有名人であるルーナリア嬢は、俺の隣の席である。
「おはようございます、ガルド様。」
「おはよう、ルーナリア嬢。」
入学して半年程が経ち、この呼び方呼ばれ方にも慣れてきた。
最初の頃は慣れなくて“アクタルノ令嬢”と呼んで、寂しそうな、悲しそうな顔をされてその度に周りの目と自分の心が痛かった。
彼女のそれは完全な“作りもの”だと気づいてはいるが、彼女の雰囲気や表情は完璧で、いつしかそれを胡散臭いとも思わなくなった。
「今日はコースの選定があるみたいですけれど、ガルド様はもう決めていらっしゃるの?」
「コースは騎士科だ。だが、政治科の授業もいくつか受けようと思っている。」
俺は侯爵家の次男だ。兄さんが嫡男だから俺が侯爵家を継ぐことはない。兄さんに不慮の事があればあり得るかもしれないが、あの兄さんに限ってそれはないだろう。
だから夢であった騎士になる。
両親も兄さんも応援してくれているが、何かあった場合を考えて政治についても学べと言われた。俺にとっても兄さんの何か些細な事でも良いから助けになれるのならば、とそう思う。
「ルーナリア嬢はやはり淑女科か魔法科なのか?」
ここ近年で一番の魔力量保持者であるルーナリア嬢はその辺りの学者や研究所から勧誘が多い。
一度学園にかなりの人数が押し寄せて来て問題になったことがある。その時のルーナリア嬢の絶対零度の視線と海のような波の魔法は学園でも有名だ。
妙なファンが増えたのもその頃である。この事にはあまり突っ込んではいけない。暗黙の了解だ。
「私は政治科を主にして他の科を回ろうと思っています。」
「……それは可能なのか?批判がありそうだが…」
「成績優秀者の特権、です。」
ふんわりと微笑んだはずなのに、聞いてはいけない何かを感じ取り深く聞くことはなかった。
「政治科か… 意外、ではないかもしれないが、何故だ?」
「女が政治とは、というものですか?」
「いや、そうではなく。女性ならば将来嫁ぐ事が重要だろう。そこで求められるのは世継ぎのことくらいだと思っている。女性が政治に携わる事はないだろう?」
「そうですねえ。女性は嫁いで世継ぎを産む。それが一番の役目ではあります。」
気を悪くすることなく穏やかに話してくれるルーナリア嬢に、いつの間にか教室内は静まっていた。
たまにこういう事がある。
ルーナリア嬢が話をするとき、その場の皆が耳を傾ける。そして変わるのだ。
己の中の価値観が。考えが。
「けれど、それでおしまいではありません。」
穏やかで、柔らかで、優しい声。
けれど何処か背筋を伸ばさずには居られない声。
「子を産み育てた後。手が離れた頃。女性は何をするのでしょうか。…皆様のお母様は何をされていますか?私の母は読書ばかりです。」
「俺のとこは…茶会とかだな。定期的に開く茶会に全部掛けてる感じだ。」
「わたしの母もです。茶会や夜会に出る時のドレスなどに時間を費やしていますわ。」
「僕の母もそうだと思います。」
自然と上がる声にルーナリア嬢が同意するように頷き、周りを見渡して微笑む。
「それを悪い事とは思いません。むしろ他家のお話を聞き自領にとって良い話が聞けるでしょうから、とても素晴らしい事です。」
その言葉を聞いてホッとした顔をする皆にルーナリア嬢はまるで大人がするような微笑みを浮かべて、口を開く
「けれど、壮齢の女性が積み重ねた経験は素晴らしいものですわ。それを伝えずに終わるなんてもったいないと、そう思いますの。」
「伝える…?」
「女性ならではの物をです。育児も、美容も、夫婦間の事も、人間性も他にも様々なことを生を重ねた方にこそ教えられるべきものがある。私はそう思っています。」
穏やかに緩められた表情はいつもよりどこか優しくて、可愛らしいと感じる微笑みだった。
「そしてそれを理解できるのは同性ですわ。男性の方でそれらを手伝うというのはあまりありませんから、その重要性を全てわかる方はおりませんでしょう。だからこそ女性がするのです。」
芯の通ったその言葉にクラスの女子が目を瞠り、目を輝かせたり曇らせたりするのを見た。
「女性は団結力がありますもの。一人ではないのなら将来必ず出来ることですわ。そして私はその女性の最上位になるかもしれませんから、今からその下準備として学ぶことは無駄ではないと思いますの。」
少し茶目っ気のある笑みを浮かべた彼女が”王妃になる”という言葉を本気で言っているのかはわからなかったが、もし目の前の彼女が未来の国母になるのならば。
それはとても素晴らしい事だと思った。
「私は、ルーナリア様が国母になられたらと思うと胸が高鳴ります。何か素晴らしい出来事が起こるのではないかと。」
「まあ。ノアン様、ありがとうございます。とても嬉しいお言葉ですわ。もしもその時があれば、ノアン様と何か出来たら良いですねえ。」
「僕も将来、嫁いでくれる女性を大事にしようと思いました。……そんな人いるかわからないけど…」
「ラルフ様、そんなことを仰らないでくださいな。穏やかで優しいラルフ様は素敵な紳士になられますよ。その時は引く手数多でしょう。」
「あたしも実家の商会を自分で盛り立ててみたいです…けど、行き過ぎた考えですかね…」
「リメリナ様はとても聡明で異性にも劣らない度胸をお持ちだわ。それは商いをする者にとって重要なことでしょう。強い覚悟をお持ちならない未来ではありませんよ。それに、リメリナ様の教えてくださる物に外れはありませんから、商売人としてその目は素晴らしいもの。」
一人一人、求めている言葉を返す姿はもう国母そのものだと思ったのは俺だけではないはずだ。
「ガルド様も、騎士は日々努力を怠らぬことだと私の元騎士が言っておりましたの。険しい道ではあるでしょうけれど、細やかながら応援しています。」
「…ああ、ありがとう。」
ロズワイド学園初等部一年二組。
俺達の団結力はルーナリア・アクタルノ令嬢によって既に固められていた。
「なんだか、たくさんお話をして喉が渇きました…。こういう時のために侍女科も良いかもしれませんねぇ」
「あっ、あの、ルーナリア様!それなら私が…!」
「いいえ、私が。ルーナリア様は王都の東にある茶葉店を贔屓にされていると聞きました。それで…」
「抜け駆けは辞めて頂きたいです。執事も給仕はしますよ、ルーナリア嬢。私でよろしければ、お願いします。」
「ずりーぞ!俺らもルーナリア嬢とお茶したい!」
「黙りなさい脳筋!ルーナリア様!私とお茶をしながらお話しませんこと?先程の話、詳しく聞きたいですわ!」
「あらぁ…。何だか皆様、楽しそうねぇ」
時にいざこざがあったりはするが。
でもまあ、
「そろそろ授業が始まるぞ、席に戻れ。」
悪くはないと思う。




