貴族令嬢と暗殺者
「驚いたな。全てルーナリア嬢が集めた者か?」
「アクタルノ家は子を谷へ落とす教育ですの。」
「王家とは似て非なるものだな。」
王家が少し御膳立てされた谷であれば、アクタルノ家はただただ深い谷。
どちらにも茨はあるけれど、その鋭さの度合いは一目瞭然でしょう。
「私は王家に嫁ぐ者として教育されています。」
私の自信満々のように感じる言葉に両殿下は少しだけ目を瞠り、また両者違う反応を見せる。
頬を赤らめた翡翠と目を眇めた琥珀
今のままでは間違いなく王位を継ぐのは琥珀。
けれど翡翠には『運命』が存在する。
願わくば、その『運命』だけで変わる心許ない者よりも、本質から良いモノを持つ方に。
未来などわかりはしないけれど。
「突然このような事を申し訳ありませんでした。烏滸がましくも、両殿下には私の一部を知って戴きたかったのです。」
「いや、知れて良かった。」
「僕もそう思います、兄上。」
そう珍しく微笑むリアム殿下と頷くオスカー殿下
意味をわかっているのかは定かではないけれど、良かった。
子供達にお茶会に出していたお菓子を包みお駄賃として渡して、また次の報告の日を楽しみにしていると報告会は終わった。
帰る前にリアム殿下がリダに「王都にも居るか?」と声を掛けられたのは少し驚いたけれど、それもまた良き材料。
次にお会いするのはいつかしら。
オスカー殿下の誕生日パーティか、王妃様主催のお茶会か。
『お前は余計な事を考えるな。ただ役に立て。』
いつか言われたお父様の言葉。
ほんの少しの意思表示。
私の精一杯の意思表明。
優秀であれば、私のお話にも耳を傾けるでしょう?
利用価値が少しでもあるのならば、少しは目を向けるでしょう?
諦めているものを、私は今も求めている。
優秀な方に嫁げば、優秀な方を見定めれば、お父様も少しは私を褒めてくださるのではないか。
以前は目に留めなかったオスカー殿下を見舞ったらしいお父様は、私のことも、見てくれる…?
――――
「世話になった、ルーナリア嬢。次会うときは俺がもてなす側になろう。」
「まあ。楽しみにさせて頂きます。」
「じゃあな、アクタルノ嬢!次は王都で!」
「またお会いする日を楽しみにしています。」
二人の殿下が翌日の昼頃に帰られて
「…お気をつけください。」
かつての騎士だった青年の言葉に微笑みを返して見送った。
「皆さん、お疲れ様でした。二日の休暇を与えますので、明日からどうぞお楽しみください。」
屋敷の使用人にそれだけを言って自室に戻る。
やっぱり自分だけの部屋で寛ぐのが一番の憩い。
賑やかなのも楽しく好きだけれど、こうして一人穏やかに趣味に没頭するのも楽しく幸せだ。
ここに子猫が居ないのは寂しいけれど。
「…赤い子猫にしましょう。」
愛用の刺繍道具を手に取り、慣れた手つきで布に赤い糸の針を通していく
ソファに座って穏やかな気持ちで縫いながら、絨毯には霜が緩やかにゆっくりと広がっていった。
「今月は何だか大忙しねぇ」
賑やかなのは、好きですよ。
深夜。
「あらあら…。こんな夜更けに何の御用ですか?」
「……お前を暗殺せよとの依頼だ。」
「まぁ、野蛮ですこと。」
月明かりが照らす中、大きなベッドに座る麗しき令嬢は、暗器を持つ黒い影と相対し柔らかに微笑みを浮かべる。
大人とは到底言えない身体の持ち主だが、何処かおかしいと感じる歪な雰囲気に影は息を呑む。
「ルーナリア・アクタルノ…、お前は一体何だ?」
「可笑しな質問ですのね?貴方は今日、ずっと私を見ていたでしょう?」
「ッ!!!??」
「遠くから、貴方のその目で。とても良い目を持っているのねぇ」
「なんで、」
影が暗殺者として突飛している能力は目だ。
数十メートル先でも肉眼でハッキリと見ることのできる目。
何故それを、この令嬢が知っている?
「お仲間の方、たくさんいらっしゃるのねぇ。こんなに大勢でいらして。王族の方々が帰られた後で本当に良かったです。使用人達も帰しましたし、ここには私だけ。少々騒がしくても気にする者はいないもの。」
「、」
背筋に冷や汗が流れる。いや、まて、この部屋、寒くないか、異常に。
それに気づいた時にはもう遅い。
足元から広がる霜が影の身体を覆っていく
ぱきぱき、と小さな音を立てながら数秒後には首以外が凍っていた。
「貴方は、お話ししてくださるかしら?」
儚い微笑みが可憐に見えてしまうのが恐ろしいと感じながら、影は深く息を吐き、その息が白いことに頭が痛みを訴える。
そして白い息が消えた先、ベッドの下に隠された氷の塊に気がついて逃れることを諦めた。
「気づいているのでは、ないのか…」
「知っていますよ、ニルバ伯爵の依頼ですね?」
「知っていて、お話などと言うのか。」
「私が知りたいのは、貴方の事です。」
穏やかに微笑みかけながら当人が操る冷たい魔力は今尚、影の周囲に滞っている。
一瞬で、瞬きをする間に永遠の眠りが訪れるだろうこの瞬間。
けれど何故か目を惹く
澄み渡った清らかな水を浮かべた瞳に。
「俺の何が知りたいんだ、御令嬢。」
「貴族とは、どういう存在だと考えていますか?」
笑ってしまいそうになるほどに在り来たりな問。
金の亡者と欲深い人間の巣窟。そう言ってやろうと考えるが、真っ直ぐに見つめてくる水色に一度口を塞ぐ
何度思ったことか。
傲慢に金を貪り好き勝手するクズを見る度。
貴族という絶対的権力に揉み消される外道の数々を見て見ぬ振りをする度。
冤罪を擦り付けられ人生のドン底に墜ちた人間や、その子供が墜ちていくのを耳にする度。
「正義を、言える存在…」
平民が言ったところで揉み消され、存在自体を消されてしまう。
だが、同じ貴族ならば違うだろうに。
悪を罰せる地位と権力を持っているくせに、
「そんな貴族は極少数だが。」
「えぇ、そうですね。」
悲しそうに眉を下げる目の前の令嬢は何故か年相応に感じた。
「哀しいことに、履き違える貴族ばかりです。今の貴族界が動いているのは人格者である陛下の賜物でしょうね。」
「…人格者ならば、消してくれと思うがな。」
「誰か、貴族の犠牲になられた方が?」
自分の半分の年も生きていない子供に突き刺された言葉に、脱力と共に答える。
「幼い頃に父親が冤罪を擦り付けられて殺された。どうすることも出来ず悪漢になり、愛した女が出来たと同時に足を洗ったが、愛した女が貴族の遊戯で連れ去られ、二度と帰って来なかった。」
「貴方が貴族専門の暗殺者である理由はそこにあるのですね。」
「……それも、そこに居る奴等からか。」
「貴方は暗殺者達の界隈では有名だったみたいですよ。“貴族殺し”という異名を知らぬ者は三流と言われるのだとか。」
「ハッ。何だそれは。」
浮かんだ嘲笑は己に向けたものか、貴族に向けたものか。
顔も憶えていない父と愛する女を奪った貴族を殺してやった時は喜びに哭いた。
同時に、生きる意味を無くした。
二つの復讐が、生き甲斐だったから。
それからはただ何となく、俺みたいな人間が生まれないように下衆な貴族の外道な暗殺依頼を請け負ってきた。
依頼主が同じ下衆な貴族だとわかっていても、俺の意思だけで殺すことは出来なかった。
約束だったから。
『もう二度と!自分から悪いことしちゃ駄目よ。』
愛した女と、最期の約束。
守れているのかはわからないが、それでも、その言葉を胸に生き続けている。
「貴方、私の下につきますか?」
「は…?」
脈絡なく言う令嬢に目を瞠る。
いつの間にかベッドから降りて目の前にいた事に驚愕しながら、その問の意味を聞く
「何故?」
「私は来年には学園ですから、この領地にまともな大人が居なくなりますの。お父様の選ぶ人選に役立たずは居ないのですが、深掘りせず放置する方ばかりなので見るべき場所が無法地帯になっているのです。」
「それを、俺に?正気か?殺しに来た俺を内に入れて何の得になる。この事を俺が依頼主や他の奴等にバラす可能性だってあるだろう」
そう言う俺に、令嬢は微笑った。
「その時は、消してしまうだけです。」
柔らかく、穏やかで、優しい微笑み。
だがその声は己の体を覆う氷のように冷たく、
清らかな水色はどこか悲しげで。
不思議と、惹かれた。
「……良いだろう。その話、乗ってやる。」
「まあ、本当に?」
初めて嬉しそうな口調になった令嬢に、こんな姿こそ年相応だろうと思う。
こんな子供が領地に対して真摯に向き合い陰ながらの努力をしているのだと知って、放っておくほど下衆な人間に堕ちたくはない。
氷が溶けて水になり絨毯を濡らす前にまた氷の球体になって弾ける。
月明かりに照らされて淡い輝きを放つ光景は、美しいと思った。
「暗殺の依頼は今のところありませんので、まずはこの領地の街を存分に調べてくださいな。」
そう微笑む令嬢はどこか大人びていて、今のところ、ではなく、この先ないのではと、少し笑ってしまった。
幼少期編最後。
主人公の幼少期は絶望を詰め込みました。気持ちの良い話ではなかったと思いますが、読んでくださって本当にありがとうございます。
次は学園編です☺
これからもどうか、温かい目でよろしくお願い致します。




