ハンカチ
遅くなって申し訳ありません。
大勢の方の視線を受けながら会場の入口付近を警備されていた騎士にリアム殿下の場所をお聞きし、拒否されると思っていたのだけれど私の姿を見ると目を瞠り驚くほどすんなりと教えてくださった。
大丈夫なのですか、この王城警備は…
そう思いながらも微笑みお礼を言い、案内してくださるメイドの後をアーグにエスコートされながら続く
「お嬢大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。ありがとう、アーグ」
慣れない人混みと会話。堂々と振る舞う事が出来るからといって疲れないわけではない
体を壊しやすい私を心配して声をかけ、ゆっくりとした歩調で気遣ってくれるアーグに頬を緩める
僅かに眉を顰める子猫は私の「大丈夫」を信じてはいないようだ。
「アクタルノ公爵令嬢様、此方でございます。」
豪奢な扉の前、丁寧にお辞儀をして案内をしてくださったメイドに微笑み礼を告げると嬉しそうな顔を浮かべられた。
私、今のところ王城メイドで嫌な方に会ったことがないのですけれど……やはり、優秀な者だけが働けるということはないですね。
感心してメイドを眺めていると扉が内側から開き、リアム殿下付きの侍女が迎えてくださった。
柔らかな笑みを浮かべる侍女の向こうには既に着替え終わられたリアム殿下がこちらを見ていらっしゃって、ゆったりとカーテシーをする。
「リアム殿下、突然のお伺い申し訳ございません。」
「良い、楽にしろ」
そう言って部屋に招いてくださったリアム殿下に礼をし、広い客間のような部屋に入り促されるままソファに腰を下ろす
まあ、ふかふか… 飛んでしまいそうですわねぇ
なんて感想を抱きながら表面では変わらず微笑みを浮かべている。
「殿下、先程は出過ぎた真似を致しましたことを謝罪しに参りました。申し訳ございません。」
「…いや、情けないが助かった。こちらから礼を言うべきだろう。感謝する。」
この方の良いところはこういうところですねぇ
詫びと礼をきちんとする。好感度は高いです。
「ふふ、チーズケーキのお礼です。王城シェフのチーズケーキは絶品ですもの。」
「同年代憧れの令嬢であるルーナリア嬢がチーズケーキで釣られるとは、中々愉快だな」
「まぁ…。…秘密にしてくださいませね。」
本当に面白そうに言う殿下に口元に手を当てながらそう言って私もくすくすと笑った。
「して、その紅髪が君の言っていた護衛か?」
「そうですの。アーグ、ご挨拶を。」
私の後ろに控えていたアーグが一歩前に出て胸に手を当て頭を下げる
最初が大事と私が徹底して仕込んだお辞儀はそこらの子息に劣りはしないでしょう。
「ルーナリアお嬢様専属護衛のアーグと申します」
公的な時は私を『お嬢様』と呼ぶアーグが可愛らしくてつい頬が緩んでしまう
私の子猫はなんて愛らしいの。
そんな私を見て目を瞠るリアム殿下に気づくことなく、アーグに微笑み口を開く
「私より一足先に学園へ行く事になりましたので顔を見る事もあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。」
「…あぁ、覚えておこう。」
どこか堅い声色の殿下の琥珀色の瞳はアーグに向いていて、向けられたアーグもその紅い瞳を殿下に向けていた。
あら…ばちばち鳴っている気がします。子猫が親猫を取られると思って威嚇した様な……、可愛い。
「では殿下。挨拶をさせて頂けましたので、本日は失礼させて頂きます。」
「あぁ。…巻き込んですまなかった。後日公爵にも手紙を出す。」
「まあ、お気になさらないでくださいな。私はチーズケーキの御礼をしただけですのに。」
公爵であるお父様にそんなものを送ったところに何か利益があるわけでもないでしょう、殿下には。
精々、お父様が私を王子のどちらかに輿入れさせる為に上手く使うネタにしかなりません。まあこんな事で有利になるような王太子妃などたかが知れますけれど。
「そんな訳にはいかない。しっかり送らせてもらう。ルーナリア嬢にも何か礼を送らせてほしい。」
「私に、ですか…?」
思わぬ言葉にキョトンとしてしまったけれど、真剣なリアム殿下の美しい琥珀色の瞳を見てすぐに微笑みを浮かべる。
「勿体無き御言葉です、リアム殿下。では私からはこのアーグを学園で少し目に掛けてやって頂きたいです。」
「…それは先程言われたからそのようにしよう。他に何かないのか?」
「御座いませんわ。」
やんわりと、けれどしっかりと言葉で言うと殿下はそれ以上何も言わずに頷いた。
「わかった。目に掛けておこう。」
「感謝致します。」
それを最後に今度こそ失礼しようと立ち上がり、深いカーテシーをした。
背を向けて扉に近くに控えていた騎士と侍女が扉を開けて、微笑みを向けることで感謝をし、部屋を出ようとしたその時。
「ルーナリア嬢。」
まだ声変わりの来ていない少年の声に名を呼ばれて振り返れば、リアム殿下が立ち上がりこちらに来ていた。
もう終わったと思うのですけれど……
思わず目を見開いてしまったかもしれないと、すぐに微笑みを浮べて僅かに首を傾げる。
そんな私の様子を気にすることなく、その美しい顔に柔らかな笑みを浮かべられた。
ドクンと一度大きく鳴った自身の心臓に驚きながら目の前で微笑む殿下から目が逸らせない。
こんな優しい笑みを浮かべる人だったかしら…
「また、会えるのを楽しみにしている。」
「ええ、私も楽しみにしています。」
自然と浮かんだ笑みは作り物か、偽物か。
私にもわからなかった。
「リアム様、宜しかったのですか?婚約のお話をされる良い機会ではなかったかと思うのですが……」
「彼女にその気は一切無いようだからな。話をして距離を取られても困る。」
「そうですが…」
「学園で決まる。オスカーも交えて楽しい学園生活になるだろ。それに…、ははっ」
脳裏に浮かぶ紅い瞳に思わず笑いが溢れる。
驚く侍女には教える気はないが、面白いな。
「まるで猫だな。」
笑い混じりの言葉に首を傾げる侍女を気にすることなく、先程まで儚く美しい令嬢が座っていたソファに腰を下ろすと、ポケットから葡萄色に染まってしまったハンカチを取り出す
美しい顔を華やかにする琥珀色の瞳が柔らかな眼差しを向けるハンカチには綺麗に施された青い蝶の刺繍が描かれている。
青い蝶をそっと撫でる指先はまるで愛おしいモノを触る優しい手つきで、その優しい眼差しは少年の淡い恋心を表していた。
最後はリアム殿下視点をちょこっと。