熱
領地の屋敷で一切行動する事なく過ごしているお父様から「当主はお前に一任する」と連絡が来てから、私は直ぐにバズル・クレスコ侯爵子息を当主候補から外した。
そしてアクタルノ公爵家次期当主の座は暫くの間、空白にすることも決めた。
この決断は国王陛下に許可を得ていること。
次期当主候補を探していないこと。
私が王太子妃を退することはないこと。
それらを綴った文書をロズワイド王国の全貴族に送り、その後の対応に追われているのだ。
父の事。母の事。次期当主の事。アクタルノ公爵家、領地の事。私の事。王家の事。
様々な事を聞いてくる方にはまだ良い。
事実とほんの少しのお話を混ぜて文を返せば終わる。
けれど憶測で話を進め、何故か自分の子息と私を婚約させてアクタルノ公爵家を継がせようとする者がいたり。
可哀想な深窓の令嬢。という私をお茶会に呼んで慰めという名の優しさ合戦を始める困った夫人方がいたり。
そう言った方々には王家の皆様が表立って相手をしてくださったお陰で鳴りを潜め、私が王家からの寵愛を受けていると話題になって大変有り難かった。
兎にも角にも私は忙しく過ごしていた。
アーグが心配する程には疲れが表に見えていて、私は気付いていながらも自分の悲鳴を聞き流していたらしく
「下がりませんね…」
高熱を出して今は寮のベッドで横になっている。
様々な貴族当主達との文書の遣り取りも落ち着き、領地の経営も問題なく今の方針で、と決まり少し気が抜けた途端に意識を無くしたらしい。
途轍もなく気不味い。
アーグにあれだけ大丈夫だと言ったのに、結局倒れるまで自分の体の異変に気付かなかった。
「お嬢様、お水を飲みましょう」
オリヴィアだって沢山心配して声をかけてくれていたのに、大丈夫と言い張った私に呆れる事なく看病してくれて…
「ごめ、なさい…」
熱のせいで掠れ震えた声で謝るとオリヴィアは困ったような顔をして淡い桃色の瞳を伏せた。
「お嬢様が無理をなさっているとわかってすぐに無理矢理にでも休ませれたら良かったのですが…わたしの落ち度です。申し訳ございません、お嬢様」
オリヴィアが謝る事じゃないのに謝るから胸が苦しくなる。どう考えても私が悪いのに。
私の身体を起こしてゆっくりと水を飲ましてくれるオリヴィアにお礼を言おうとして、結局声が出なくて伝わるようにオリヴィアを見上げて見つめた。
「ぶへぅッ…うるうるお目目のお嬢様尊い…ッ!天使?小悪魔…!?尊過ぎる…ッ」
いつも通りで安心したわぁ
悶えているオリヴィアは気にしないことにして、気になっているのは目が覚めてから見当たらないアーグのことだ。
「あーぐ、は…?」
「アーグ君は今各地にお嬢様が倒れられた事を伝えに行っています。王城と学園と領地と、まだ遣り取りが続いている貴族当主様に返事は回復するまで待ってほしいとの文書を」
「まあ…」
そんなことまでしてくれるなんて…優秀だわぁ
「なので、お嬢様は安心して休みましょうね」
にっこりと笑顔を見せるオリヴィアは穏やかで優しいけれど、隠しきれていない圧があった。
やっぱり思うところはあったらしい。
ちゃんと言う通りに体を休ませて、早く役目を終わらせないと。
ふと目が覚めた時、カーテンから差し込む光がなくて夜なのだとぼんやりと考えて熱が上がっているなと目を瞑った。
幼い頃から熱で伏せる事はよくあった。
それこそ学園に入学する前まではベッドで一日を終える事の方が多くて、今私が元気に動けている事が奇跡のようだ。
フィオナさんのお陰ではあるのだけれど、その力はやはり常軌を逸したモノだと思う。
けれどやはりその力は無限大ではなくて。
室内に残る聖女特有の魔力の残留を感じてフィオナさんが此処に居たのだとわかる。
きっと誰かがフィオナさんに私を治してと言ってくださったのでしょう。
それかフィオナさんがご自身で来てくださったのか。
だけど私の熱は先程より上がっているし、特に良くなった様子はない。
これはまた新しい情報だ。
毎日のように定期的に聖女の治癒を受けていると効果がなくなることもあるらしい。
けど今までずっと悩まされていた頭痛は熱によるものだけだからそれは別なのだろうか。
そんなことを考えていると頭が冴えて来て、喉が渇いていることに気付いた。
オリヴィアを呼ばなくとも水は自分で生み出せるから呼ぶ必要はないけれど、私の優秀な従者はとっても気が効くらしい。
「目ェ覚めたんならさっさと呼べっての」
「ふふっ、ごめんなさい、あーぐ」
ぶっきらぼうなその声は昔からずっと変わらない。
慣れた手つきで私の身体を起こして口にすい飲み容器の先を軽く入れてくれる。
幼い頃から愛用している花柄の可愛いすい飲み容器はフランさんが誕生日にくださったもの。
ずっと大切に使っていて手入れも怠らないから今も綺麗なまま。
冷たい水はほんのりレモンの味がして飲み易い。
半分ほど飲むと慣れたように引き抜いて用意していたらしいハンカチで口元を拭ってくれた。
「ありがとう」
「さっさと寝ろ」
いつも怠そうな顔のアーグにしては珍しく眉間に皺が寄っていて申し訳なくなる。
態度とは裏腹に丁寧に私を横にしてくれて布団まで被せてくれる。その後に冷えた布も額に乗せてくれた。
オリヴィアが来てくれてからは体調が悪くなってもオリヴィアがずっと付きっきりで見てくれていたから、こうしてアーグに看病してもらうのは久しぶりな気がする。
「…ごめんなさい」
「あ?」
「きをつけてた、のに…けっきょく、こうなってしまって…あーぐは、いってくれてた、のに…」
途切れ途切れに言う私を見下ろして深い溜め息を吐いたアーグにゆらゆらと視界が揺れる。
「オレも無理矢理止めれば良かった。お嬢が妥協出来るとこまでやらせてさっさと寝かせてたらって、倒れてから反省した」
「それは、」
アーグのせいじゃない、と言い切る前に遮られる。
「オレもお嬢も今回ので経験したろ。無理は禁物。妥協出来るとこまでやって休む。その方が倒れて数日空くより効率いいだろーが」
そう言ってどこから取り出したのか、真っ赤な林檎を丸齧りしてシャクシャクと食べ始めた。
病人の前で飲食するのは良くないんじゃないかしら…
そう言えば昔、ニ週間以上具なしスープしか食べられなかった時に隣でもの凄く良い匂いのするクリームシチューと、もの凄く良い匂いのする焼きたてのパンを食べられて初めてアーグに毒吐いた。
食にそこまで拘りがあるわけでも、執着しているわけでもなかったけれど、あの時は私にとって拷問に値する行為だった。
それを思い出していると怪訝な顔をしたアーグに「何笑ってんだ」って凄まれてしまった。
無意識だったからわざとではないし、そろそろ眠くなってきたから開けていた目を閉じる。
「何逃げてんだコラ」
「ふふっ、おやすみなさい…」
きっと、これからはアーグに看病してもらうことはないだろう。
王太子妃が護衛騎士と言えど緊急性がなければ看病であったとしても触れることなど許されるはずもない。
けれどこの思い出が私にとって糧になり、幸せな記憶になるから。
回復したらまた頑張ろう。
一息吐きながらしても助けてくれる頼もしい人達がいるのだから。




