その先に
遅れて申し訳ありません
私の身体は子供を宿せないのだと知って、それがお父様の自分勝手な思惑によるものだと知って、お父様は本当に私を愛したことなどないのだと知って。
『俺にはルーナリアだけだから』
苦しい。
全てが嫌になるくらい苦しくて、悲しくて。
けれど私を包む温かいぬくもりに縋りついて、離れたくないと思ってしまった。
側妃を迎えなければいけないと理解している。
でも、他の女性があの人との子供と手を繋いで笑い合う姿を想像すると胸が張り裂けそうなほど痛い。
私はどうやってもその光景を描けないのに。
この国の為に全てを捧げると誓っていたはずなのに、どうしてこんなことを思ってしまうのかもわからない。
国母として重要な事は理解していたつもりなのに、どうしてこんなにも―――
「お嬢様、眠れませんか?」
「オリヴィア…」
リアム殿下に抱き締められながら泣いて、部屋に戻って眠って目が醒めたのは夜中だった。
目が醒めて今日あったことを考えていると眠れなくなってベッドに腰掛けて外を眺めていると、オリヴィアが声を掛けてくれた。
「ごめんなさい、起こしてしまったかしら」
「謝ることではありませんよ。御夕飯も食べずに眠られたのでお腹が空いてしまうかもと、スープを作っていたんです。如何ですか?」
食欲はなかったのだけれどオリヴィアの気遣いを無下にしたくはなくて、スープだけならと頷くと嬉しそうに笑って用意をしに部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送って窓から見える夜空を眺めてぼんやりと考える。
お父様はどのような幼少期を過ごされていたのでしょう。フランさんは以前、「勤勉で賢く優しい子」と仰っていたけれど当時はお父様も勤勉だったのねぇ、なんて、それくらいにしか思わなかった。
自分を見て欲しかった私は傲慢だったのだろう。
私だって何も知ろうとしなかったのに、私のことは知ってほしいなんて。
けれど今更、知りたいなんて思えない。
自分勝手で、矛盾ばかりのあの人の話なんて聞きたくもない。
そう思っているのに、どうしてか色濃い憎悪を宿す私と同じアクアマリンのような淡い瞳が頭から消えてくれない。
それと同時に優しい眼差しの琥珀色を思い出して、胸が張り裂けそうなほど痛む。
あんなにも流れた涙がまた視界を歪ませる。
熱い瞼を閉じて息を吐き、冷たい手を握り締めた。
「お待たせ致しました、お嬢様」
トレイを持って戻って来たオリヴィアがベッドサイドのテーブルに置いてくれるのにお礼を言って、ふんわりと好きな匂いが鼻を擽って表情が和らぐ。
「フランさんのスープ?」
「休まりたい時はこのスープが一番ですから」
にこにこと穏やかな笑みを浮かべて私にスプーンを差し出すオリヴィアに微笑みが浮かんだ。
もう一度お礼を言いながら受け取り、見慣れた具材と匂いに食欲が湧いた気がする。
「いただきます」
手を合わせてからスプーンで人参を掬い、ふーっと一度冷ましてから口に運ぶ。
口に広がる変わらない優しい味にホッと息をつく。
「…美味しい」
「んふふっ。良かったです」
ベッドの側に立ち柔らかい表情で私を見守っているオリヴィアを見上げ、ぽんぽん、とベッドの端を叩く
それに従い座ってくれたオリヴィアは何も言わず、私がスープを食べ終わるのを待ってくれた。
「ご馳走さまでした」
「お粗末様でした。何か飲まれますか?」
「いいえ、大丈夫。ありがとう」
綺麗に空いたお皿を嬉しそうに見て下げようと立ち上がるオリヴィアの手を掴んで引き止める。
それに嫌な顔をせず、珍しく蕩けた顔もしないでただ穏やかな笑みを見せるオリヴィアに何とも言えないに気持ちになった。
私が引き止めたのだから何か言わなければと思うのに、何の言葉も浮かばずに身体が固まってしまう。
「お嬢様、少しお話しませんか?」
「……したいです」
優しく続けてくれたオリヴィアに甘えた。
「殿下とはどのようなお話をされたのですか?」
直球で聞いてくる彼女に少し微笑って、包み隠すことなく打ち明けた。
主人と従者がこのような話をするなんてないことだろうけれど、それが私とオリヴィアの関係性だ。
「――殿下が好きと仰ってくださって。…私も、お伝えしたの」
「前から両想いでしたからねえ」
「……その想いを伝えてくださっていたのはリアム殿下だけだったから」
「それはお互いの立場や未来を考えてのことですからね。その心配もなくなった今遠慮なんてしないんじゃないですか、あの王子は」
相変わらずリアム殿下に対して塩対応なオリヴィアに少し微笑って、懸念していることを口にした。
「……心配で堪らないの。私は子供が出来ない身体で…それでは王妃として務まらないから。…側妃を迎えなければならないのは以前から理解していたのよ?でも…、本当にいざそうなると思ったら怖くなってしまったの」
「はい」
「リアム殿下の傍に他の素敵な女性と、子供が居るところを想像すると苦しくて、悲しくて辛い。私はその光景を現実に出来ないのにって…想像なのに悔しくなって、頭が、ぐちゃぐちゃになりそう」
口に出して言うと涙がボロボロと溢れ出てくる。
あんなに沢山泣いたのに、まだ枯れない涙に少し微笑ってしまう。
そんな私の手を握り、真剣に耳を傾けてくれるオリヴィアの手を握り返して聞く。
「私は、どうすれば良いのかしら…」
「お嬢様はどうなされたいですか?」
「……リアム殿下が好き。でもそんな想いを抱いたまま王妃として立派に立てるのか不安で、怖い。」
暗い思いを吐き出してしまった事に罪悪感が湧くけれど、私の手を優しく包んでくれるオリヴィアの手の温かさに強張った身体から力が抜ける。
「未来は、怖いものではないでしょうか。誰もが恐れていることだと思います。だってどうなるかわかりませんからね。人間はわからないことを恐れる生物だと言われています」
「…そうねぇ」
「だからといって逃げる訳にはいきません。未来なんてあっという間に訪れますから」
「……そう?」
緩く微笑むオリヴィアが淡い桃色の目を伏せる。
「わたしはずっと怖かったです。変わった自分がどうなるのか、…生きていけるのか。異物ですからね、二属性の人間は」
「貴女は生きているわぁ」
「生きています。それもこの上なく幸せに」
本当に幸せそうに笑って言うオリヴィアに私もつられて頬が緩む。
「わたしは今、あの頃なら信じられない日常を送ってるんですよ。お嬢様のお陰です」
「私のお陰というなら、それはオリヴィアがそれ相応のことをしたからですよ」
「んふふっ、ありがとうございます」
嬉しそうに笑うオリヴィアが不意に繋いでいた手を離して、私の頭に手を伸ばす
髪をゆっくりと撫でられる感覚にこそばゆくなりながら、じっとその手を受け入れる。
確かにコレも、昔だったら絶対に信じられないことだった。
「未来は変わります」
私の思考を読んでいたかのように言ったオリヴィアを見つめて、かち合った桃色が滲んでいく
「王子が言った通り、聖女様の力を頼ってみましょう。隣国は医療に精通していますから調べてみましょう、側妃様なら手伝ってくださるはずです」
「ッ、うん…っ、」
「絶対に大丈夫だとわたしは言い切れませんが、それでもこれだけは言えます」
歪んだ視界の先、いつもみたいな穏やかな笑みを浮かべているだろうオリヴィアは優しく言った。
「諦める必要はありません。」
好きな人と一緒にいたい。
それには大きな障害があって、それを越えられる自信も覚悟もなくて、望むことさえ怖かった。
だけど―――
「精一杯頑張りましょう。人生は辛さと幸せが半分ずつあるんですから」
「ふふっ、半分ずつなの?」
「そうです。涙の分だけ幸せがあるんですよ」
「じゃあたくさん泣かないといけないわねぇ」
「はい。たくさん泣いてくださいね」
優しい声と温かいぬくもりに包まれて、枯れることのない涙を流して泣き続けた。
この先に、幸せがあることを願って。
オリヴィアはルーナリアにとって母親のような、姉のような、友達のような存在です。
相談できる唯一の人。
涙の分だけ、と言うのは今を否定せず前を向けるような言葉かなと作者は捉えているので、個人的に好きです。




