背中
春休みもあと一週間で終わりを迎える頃、私は学園の生徒会室に居た。
「すまないな、手伝わせて。」
「いいえ。私の職務でもありますもの。」
「そうか。」
リアム殿下と一緒に。
春休み中に来年期の新しい生徒会員の為に判りやすく過去の書類や情報を作っておこうと来たら、先客がいらしたのだ。
「生徒会長直々にしてくださるなんて。一声掛けてくだされば宜しいのに。」
「お互い様だろう。」
「ふふっ、そうですねぇ。」
二人で書類の山を流し見して分けていく作業は特に苦ではないけれど、少しだけ心臓が痛い。
「春休みの間、かなりの頻度で聖女に会いに来ていたらしいな。」
「はい。王城で一度もお会い出来ませんでしたが、何処かへ?」
「陛下に付いていた。」
「そうでしたの。」
それはもう確実ではないか。
春休み中、頭を過り続けた未来が重く重くのしかかって、それでも微笑みは崩さなかった。
「聖女の話は聞いた。それをルーナリア、君や王妃が猶予を与えたと。」
「二年間ですけれど。リアム殿下は他に考えがおありですか?」
「異論はない。ただ、君が大変だぞ。」
「ええ、承知しておりますわぁ。」
「……無理をするな、と言っても聞かないな。」
「あら。殿下は私をじゃじゃ馬か何かかと?」
「頑固者ではあるだろう?」
口角を上げるリアム殿下に、口では「まぁ酷い。」なんて言いながら微笑った。
「いつでも手を貸す。忘れるな。」
「ありがとうございます、殿下。」
書類を分け終える頃、コンコンと来客を知らせるノックがされた。
リアム殿下を伺い了承を得ると「どうぞ」と入室の許可を出すと、険しい顔のオリヴィアが一礼して足を踏み入れる。
「失礼致します。お嬢様、先程公爵から文が届きました。」
「お父様から…?」
謹慎中のお父様から文を貰ったのは久しぶりで内容は何かと考えながら手を伸ばす。
それを横から伸ばされた手に先を越され、私の手は空を切った。
「…殿下、それは私宛の文ですよ?」
「君への虐待で謹慎中の公爵からの文を読ませると思うか。」
思いの外低い声で仰られたリアム殿下に驚く。
琥珀の瞳が冷たさを宿してオリヴィアを見る。
「王宮を通していない文は容認出来んぞ。」
「通されています。文の内容もお嬢様に必要な事案と判断された為、渡すよう仰せつかりました。」
険しい顔を崩さないオリヴィアと眉を顰めるリアム殿下の眼差しは冷たいまま。
「私に必要な事案なのならば目を通したいのですが、宜しいでしょうか。」
文を持つリアム殿下に手を差し伸べるけれど、一向に文を渡してくださらない。
「殿下?」
「俺が読んでも良いか。」
「……わかりました。」
他人宛の文を目の前で読むなんてデリカシーがなく良い事とは到底言えないのだけれど、私を心配しているのだとわかるからあまり強くは言えなかった。
リアム殿下も中々に頑固だと知っている。
終わりの長い会話をするよりも、お父様からの文の方が気になるのだ。
無表情で文を取り出し、私に見えないようにして目を通していくリアム殿下の様子を黙って見つめる。
長いような短いような時間を終え、顔を上げたリアム殿下は内容を伝えてくださった。
「アクタルノ公爵家の跡継ぎを正式に指名したとされている。」
その言葉は予想外に私の思考を止めた。
わかっていた。
唯一の娘である私が王家に嫁ぐのだから、アクタルノ家に跡継ぎはいない。
だから分家から養子を取るのだと理解していた。
お父様には兄弟がいらっしゃらないから。
けれど、それは私がアクタルノ家から除外されるのと同じだ。
必ずある事だと理解していたのに、いざとなるとこんなにも―――
「―――ルーナリア。」
「ッ、はい。申し訳ございません。」
名前を呼ばれて自分が返事もせず黙り込んでいたのだと気付く。
リアム殿下も、オリヴィアも、私を心配そうに見てくれていたのが嬉しいと同時に心苦しい。
微笑わないと。
「跡継ぎには何方と?」
跡継ぎになるとしたらクレコス侯爵家のあまり評判の宜しくない次男子息か、ノアード伯爵家の姉妹の何方かが婿を迎えての養子になる。
一歳年下の侯爵家の子息よりも、二歳年下のノアード伯爵家の聡明な姉妹が好ましい。
お父様もそれを理解して選んでいらっしゃるはずだ。アクタルノ公爵家の当主なのだから。
「バズル・クレコスだ。」
なのに何故ですか?
娘も、自分の跡を継ぐことになる者さえ見ない。
何百人の生活が、人生が懸かった領主をいとも簡単に決めてしまわれる。
「オリヴィア、お父様にお会いしたいの。遣いを向かわせてくれるかしら。」
「お嬢様……」
気遣いを含む声に柔らかい微笑みを浮かべて言う。
「少しお話するだけですよ。何の心配もいりませんわぁ。」
「会う許可は出ていない。」
抑揚のない口調で仰られるリアム殿下は私を真っ直ぐ見据えていて、行かせる気がないらしい。
それでもこれはアクタルノ公爵家の問題だ。
いくら私が将来この家から出るのだとしても、今後も私にはアクタルノ公爵家の名が付き纏う。
まだ十二歳だとしても学園で見る限りバズル・クレコス子息に跡を継がせるのは不安でしかない。
「病床の母に会いに実家に行くのがいけないことでしょうか。」
「その母親も君の膿だろ。」
「…まあ。」
「…会いに行ったとしても、ルーナリアが傷つくだけだろう。」
僅かに顔を顰めるリアム殿下の優しさに胸が暖かくなるけれど、やっぱりどうしても許せないのだ。
「申し訳ございません、殿下。」
頭を下げて直ぐ様生徒会室を出ようと扉に向かおうとして、手を捕まれる。
誰の手かと考える間もなくわかった。
「離してくださいませ、殿下。」
「……やはり頑固だな、君は。」
呆れの混じった声に何とも言えない感情を抱いて、歪みそうになる微笑みに気を許さず耐える。
もう一度離してと口を開こうとして、
「俺が同行する。」
「はい?」
「俺も同行すると言った。異論は認めない。行くのなら早く準備をしよう。どうせなら春休みが終わるまでの旅行準備を用意すると良い。一時間後門前に集合だ。」
淡々と話を進めていくリアム殿下に慌てて声を上げる。
「何を仰って―――」
「――被害者と加害者だけで面会など法律でも許されていない。しかも相手は爵位持ちの大人で男で父親。万が一の場合、ルーナリアでは対処出来ないこともあるだろう。権力を持つ者がいる方が有利で効率的だ。」
「このようなことを貴方様に願うわけにはいきません。アーグもいますから何の問題も――」
「――ルーナリア。」
甘さを含む声に息が詰まる。
見上げる先で合う琥珀がどうしようもないほど優しくて、重苦しいモノが渦巻いていた胸が早い鼓動を打つ。
「もうわかっているだろう?近い将来、君の評価は俺の評価にも繋がる。」
「っ、」
「貴族にとって醜聞は致命的。取り除ける内に取り除くのが一番だ。」
最もなことを言われて返す言葉が見つからない。
いつもならちゃんと冷静に返せるのに。
嫌になる。
弱い自分も、守られる自分も、甘える自分も。
だけど、どうしてこの方は―――
「たまにはルーナリアを守らせてくれ。」
微笑って背を向けたリアム殿下の背中は大きくて、心強く思ってしまった。
温かくなったり寒くなったりと風邪を引きやすい温度差ですが、皆様お身体お気を付けて☺




