王妃
「っ〜ルーナリア様、可愛いッ!!」
「本当。可愛いわねえ。春の妖精のようだわ。」
「ありがとうございます。」
王城の離宮庭園でフィオナさんと側妃様の御二人から絶賛の嵐でとても嬉しい。頬が熱くて顔を上げられないけれど…
背後で控えているオリヴィアの「そうでしょううちのお嬢様可愛いでしょう!?」が全面に出ていて嬉しいやら恥ずかしいやら。
でも、真意がわかるオリヴィアが同意しているのを見ると、御二人が本心で言ってくださっているのだと解って嬉しい。
「この刺繍、素晴らしいわねぇ。チュールにもあるわ。何方の工房なの?」
「このドレスは私が作りましたの。」
「まあ…!ルーナリアさんの腕前は知っていたけれど、これ程までとは思わなかったわ。」
驚いた表情でもう一度ドレスを見て、綺麗な笑みを浮かべた側妃様が優しい目で私を見て、
「私のも作って欲しいくらいよ。」
そんなことを言ってくださるから、嬉しくて自然と表情が緩む。
私を気遣ってのお世辞かもしれないけれど、それでも私が作る物を求めてくださるのは嬉しい。
「ふふっ、側妃様の為ならいくらでも。」
「あら。本気にするわよ?」
楽しそうに赤い髪を揺らして笑う姿に、側妃様とお話をするのがとても好きだなと感じる。
以前研究所でお会いした時から、心の優しい温かい人だと知って、その優しさに触れて、もしもこの人が私の母だったなら、なんて夢を思い描く。
温かくて、優しい家庭に夢を見れた。
側妃様とリアム殿下の関係に憧れを抱いて、そんな母子になれたらと夢を見て。
私が築けなかった家族の絆。
それは目が眩むほど眩しいモノ。
「あのっ!ルーナリア様!」
お茶をしながら話をする中で、フィオナさんが意を決したような顔で声を上げた。
「何かしら、フィオナさん。」
「あ、の……、あのっ、あたし…!」
頬を赤らめて肩を強張らせている姿に此方も力を入れてしまいそうになるけれど、そんな姿は見せられないと緩い微笑みを浮かべる。
微笑む私に安心したのか深く深呼吸をして、真っ直ぐに私を見つめるフィオナさんが口を開く。
「あたし、学園に通いたいです!」
彼女の一大決心であろうその願い。
私にとって喜ばしいモノだけれど―――
「それは…何故かしら。王宮での生活に何か不満がありますの?」
「ないですないです!ほんとに皆さん良くしてくれて…!あの、申し訳ないくらい良くしてくれます!ほんとに!」
大慌てで両手を振りながら必死に言うフィオナさんに「では何故?」と首を傾げてみせる。
「……、決闘の時、ルーナリア様と紅髪の騎士様の姿が、本当に素敵だなって、思ったんです。」
「ありがとう。」
「…その時、学園の人達も居たじゃないですか。」
「ええ、そうねえ。」
王子であるリアム殿下、オスカー殿下を筆頭に、騎士を目指すガルド様、エレナ様を含む中等部の先輩方も居らした。
互いに話をして、互いに研鑽する事を怠らない姿を見せていたと聞いた。
その姿はきっと王城の大人ばかりの離宮で、たまに会える近い歳の人はリリア様と私だけで殆ど一人だけ子供の自分と比較して眩しく見えたのだろう。
そして思ったのでしょう。
自分も、その中に入りたいと。
「あたしも、あんなふうに話がしたいんです。」
縋るような目で私を見つめるフィオナさんの思いは寂しさから来るモノが強いと思う。
それが悪いわけではない。
私だって決してそういった思いがないわけではないもの。
けれど、その思いだけで過ごせる場所ではないと思っている。
ロズワイド学園は基本実力主義。
特に私達の学年はその志向が強い。
フィオナさんが学園に入るとなると必然的に私達の学年に転入という形になる。
その中で最近学業を始めた彼女が過ごしていけるとは到底思えない。天才でもない限り無茶だと断言出来る。
もし過ごせたとしても、それはとてもとても甘い蜜に浸ったモノで、すぐに腐ってしまうかもしれないという懸念を抱いてしまう。
フィオナさんを腐らせるわけにはいかない。
けれど、彼女の願いは出来る限り叶えてあげたい。
私が強引に此方に引き込んだフィオナさんにしてあげられることは少ないのだから。
「その思いはとても嬉しいです。学園にフィオナさんが来て下さるとなると、生徒の皆様も喜ばれると思いますわぁ。」
「えっ!じゃっ、じゃああたし―――」
「――けれど。」
「ッ、」
浮かべた微笑みは彼女に初めて向けた冷たいもの。
深い水色の瞳を丸くして表情を強張らせ、身体を固くしたフィオナさんは金縛りにあったかのように動かない。
僅かに怯えを見せるその姿に申し訳なく思う感情を押さえ込み、柔らかくも冷たい声を出す。
「離宮のように善意や感謝の念から聖女だからと。側妃様の、王家の恩人だからと持て囃す者は学園にはおりません。」
「あたしそんなつもりじゃ…っ!」
「ええ、そうでしょうねぇ。フィオナさんはとても真っ直ぐな御方ですもの。けれどそれは離宮という強固で安全な場所に居るからこそその考えが出来ると思うのです。けれど学園には善意などなく私欲から貴女に媚諂う方々もいらっしゃいますわぁ。」
「あたしに…?何の意味が…」
「『聖女』という存在はとてつもなく大きいのですよ、フィオナさん。」
その力を望む者は星の数ほど存在しているのだ。
現に、まだ突っかかってくるなと言っているのに、面会を求めたり、賄賂を贈ったり領地へ招待したいなどという者が多い。
偵察の者を放つ者もいた。影や護衛方が捕らえたけれど、その数はやはり少なくない。
学園では弁えない貴族の子息令嬢が媚諂い、煽てて取り込もうと必死になるでしょう。
仲良くなる分には良いけれど、フィオナさんのような方は情に訴えたりすれば絆しやすいと思う。
その“隙”は見過ごせるものではない。
「少なくとも。学園に通うのであればその認識を変えてくださらなければ、私は許可出来ません。」
「っ…、」
唇を噛み締めるフィオナさんの目に浮かぶ涙に心苦しくなるけれど、甘やかし過ぎて崩壊を招く真似は絶対に出来ない。
フィオナさんにとって難しいことかもしれないけれど、それだけ大きい存在なのだと理解して頂かないと学園になど通わせられない。
その思いから強い口調になってしまったのか、フィオナさんは言葉を紡ぐことなく沈黙し、側妃様は口を挟むことなく静観されていた。
私が言葉を続けなければと口を開こうとして、この場にいるはずのない方の声が通る。
「―――私も同意見よ?」
女性特有の高い声は柔らかくも強さを持っていて、この国の最高位に立つ女性にしては明るい朗らかさを感じる口調の御方。
美しい金髪と翡翠色の瞳を持つ人物の来訪に私は即座に最高位の礼をする。
「お久しぶりにございます、王妃様。」
「お久しぶり、アクタルノさん。春休みの間、気兼ねなくいらしてね。」
「有り難い御言葉、感謝致します。」
一通りの話を終えて優雅に顔を上げた先、明るい笑顔を浮かべた王妃様と目が合う。
「今日も可愛いわねえ、アクタルノさん。そのドレスは何方の工房?今まで知らなかったのを悔やむくらい素敵!私も是非お願いしたいわ!」
「ふふっ。シリス様、そのドレスはルーナリアさんが作られたドレスなんですって。私も聞いてしまいましたわ。」
「まあ!本当に?凄いわ!アクタルノさんは刺繍がお上手だと耳にしていたけれど、本職の方並ねえ」
王妃様と側妃様が御二人でにこにこと私を見て楽しそうに話される姿に少し気恥ずかしさを抱いたけれど、それよりも今重要なのは私ではなくフィオナさんのことだ。
王妃であるこの御方が「同意見」と仰られたからには、その決定は早々覆されない。
けれど、
「あのっ!ど、どうすれば学園に通えますか…?」
その重さも未だ理解されていないフィオナさんは前のめりになって王妃様に問う。
その様子に気を悪くした様子もなく、けれど穏やかな表情でハッキリと仰った。
「貴女の認識が変われば許可出来るわ。アクタルノさんもそう言ったでしょう?」
「あたしが聖女だって事をですよね?」
「そうね。けれど貴女は何故『聖女』が大切にされているか本当に理解しているかしら。そして貴女にどれほどの人が付いているかわかる?」
「戦場で便利だからとか、です…。護衛してくれてる人数は十三人です。」
「聖女の利用価値はアクタルノさんに教えてもらっていたのねぇ、良かったわ。」
わざと『利用価値』などという言い方をした王妃様に顔を強張らせたフィオナさんに思わず口を出す。
「態々その様な言い方をなさる必要はごさいませんわぁ。その事は彼女も十分に理解されています。」
「ルーナリア様…」
瞳を潤ませたフィオナさんに曖昧に微笑み、何と言えば伝わるだろうと考える。
けれどその間に王妃様が言われた。
「この国にも裏切り者は少なからずいるのよ。その者達は隙を狙って貴女を攫いたいでしょう。攫って他国に売り渡して。その先で貴女は人間扱いなんてされないと思うの。日中ずっと治癒し続けて休む間なんて無く人形みたいにただひたすら人の怪我を治すだけよ、死ぬまでね。」
「ッ、」
一気に血の気を失ったフィオナさんの手を取って、その深い水色を覗き込む。
「そうならない為に護衛が居ます。私が貴女をそんな目には遭わせませんから。」
「ルーナリアさま…、」
「………学園に通うリアム殿下もオスカー殿下も護衛を付けていないのに聖女だけ付けるのはどうなのかと意見が割れていますの。」
学園に通える歳のフィオナさんを迎える為に準備はしている。けれど学園に聖女が通う前例はない。
学園に通うのなら王家の皆様のように学園の規則に則って欲しいとの声が大きいのだ。
暗黙の了解というものも勿論あるけれど、基本学園は身分差の無いことを掲げているから、特別扱いなど認められないと。
大きな存在なのは聖女に限らず、王子もなのだと。
何よりもフィオナさんの人となりを知らない方々は彼女が離宮で高待遇されて図に乗った平民などと評す方もいる。
それは私がフィオナさんに関わる事を制止しているせいもあるけれど、やはり心配なのだ。
「貴族というのは口達者な者が多いのです。純粋で人を疑うことを知らず、優しさで人を助ける貴女に関わらせるのは…正直、とても不安なのです。」
幸せに暮らしていた貴女を此処に引き込み責務を課せた張本人を助けてくれた、心の優しいフィオナさんだから。
目を丸くしているフィオナさんに困ったように微笑んでいると、今まで静観していらした側妃様が声を上げた。
「ルーナリアさんは貴女の為を思って許可を下さないのよ、フィオナさん。」
「側妃さま…」
綺麗な赤い瞳を弓なりに細めて微笑う側妃様がそれは楽しそうに仰られた。
「口下手な御二人の代弁をするわ。要するに、シリス様もルーナリアさんも貴女が心配なの。」
「あたしが…?」
「ええ。勿論、私もね?」
お茶目に片目を閉じてみせる側妃様の言葉は否定する事でもなく、逆にそう言ってしまえば良いのかと思った。
同意するように頷こうとして、侍女が持って来た椅子に座りながら口を開いた王妃様に目を向ける。
「心配だけれどそれは聖女がいけ好かない方々に手を出されるのが心配なだけで…」
「シリス様のそういうところ、人前では控えるようにしましょうとあれ程お話致しましたのに…。」
「だってこれから長い付き合いになるんですもの、上っ面だけで接するのもしんどいでしょう?本音で話せるなら素でいたいじゃない。ねえ?」
最後の問う声は私とフィオナさんに向けて仰られたようで、期待に満ちた瞳で見つめられた。
「王妃様にそう思って頂けるのならばとても嬉しいですわぁ。」
「えっと、あたしも…で、いいのかな…」
困惑したフィオナさんに王妃様が僅かに笑い、ケーキスタンドから小さなアップルパイを一つ摘んで口に運ぶ。
以前から少し思っていたけれど、王妃様は自由で可愛らしい御方なんだろう。側妃様が優しい眼差しで王妃様を見ているのが一番の証拠だ。
それでも先程の姿は王妃であることを疑うことも不信を抱くこともなくて、やはり多くの貴族から慕われるほどの人物だと思った。
いつか私も王妃様のようになれるかしら。
取り調べの怖い人優しい人作戦。
皆様ご自愛ください。




